朝露
新しい家・・・新しい友達・・・
露で濡れる草原を歩く。父を知る女性の手にひかれて。
父と町の外への散策で一緒に歩いた時以来の草原だ。太陽が上り、草についた露が蒸発し、霧が立ち込め、まるで不思議な世界に迷い込んだような雰囲気だった。
(私は、このまま父の元へいけるのだろうか)
少女はそれでもよかった。父がもういない──その事実が、世界から色を奪っていた。
あの場で殺されたほうがよかったのかとふと思っていたが、女性の優しい抱擁に父のぬくもりをふと感じ、希望がこみあげてきたのだ。
──この人を信じていいのだろうか・・・。私の世界に未来はあるのだろうか。
不安に押しつぶされそうだった少女。
見上げて彼女の背中を見る。まだ自分とあまり歳の離れてない女性ではあるが、その背中の姿・・・鎧を纏った姿に父の姿が重なる。皮手袋から伝わる手の熱も・・・父を感じさせた。
***
草原を進み、森の小道を抜けると丘の上にぽつんと一件の家が見えてきた。
町の中はレンガ造りの家が多かったが、めずらしい丸太を組んだ家。二階建てで周りには花壇、畑があり、柵で囲まれたなかには藁人形が数体立っていた。
少女には人込みの雑踏の町でずっと成長してきたため、まさか森の奥に家があるのが信じられなかった。まるで別な世界、異世界に来たのではないかと思った。
「足疲れてない?もうすぐつくよ?」
「う・・うん。あの大きな家ですか?」
「そう、あの家。・・・実はね、あの大人の人たちに嘘をついちゃった。じつは今、私の母はいないの。旅にいっててね」
「え・・・そうなんだ・・・私のために嘘をついたのがばれたら・・・おねぇちゃんも・・・殺されるんじゃ・・・」
「うん、その可能性もあるかもね。お城のお偉いさんをだましちゃったからね。あの場を見た時に逃げようかと思ったけど、あなたの顔を見て頭が真っ白になっちゃって・・・とっさに嘘をついちゃった。かってにお母さんの名前をつかっちゃったから後でしっかり謝らないとね」
女性は困り笑いで少女に笑顔を見せた。
少女もつられて笑顔になる。
「そうそう、名前を聞いてなかったね。改めて自己紹介。私はセタ。冒険者をしているの。あなたの名前は?」
一瞬戸惑う少女だが、少し震える声でゆっくりと声を上げた。
「私は・・・ユキ・・・です」
「ユキちゃんね!よろしく!がんばって一緒に生きようね?」
「はい・・・」
歩きながら自己紹介した二人は丘を登り、その大きな丸太でできた家に向かう。
ユキの目にはそれが物語にでてくるお城のように輝いて見えた。
***
丘を登り切り家の玄関に立つ。小上がりの木の階段を上ると壁一面にテラスがありテーブルと椅子がいくつかが並んでいる。そしてその先に玄関。大きな鈴がかけてあり、花で出来たリースが飾ってある。
セタは玄関の前に立つと、トントントントン・・・と四回ノックした。
「セタですね。お久しぶりですねおかえりなさい。扉は開いてます。入ってきていいですよ?」
なかから別な女性の声が聞こえる。・・・すこし単調・・・高揚もなく平坦な発音・・・人間っぽい感じがしない不思議な声。
ユキが不信に思い、おどおどしているとセタは扉を開けてユキの手を引いて入る。
「大丈夫、たしかに変な人だけど怖い人ではないよ?」
声に動揺していたユキにセタは気づき、笑顔を見せた。
「変な人とはよくない評価ですね。私はいつも正常です」
「うん、わかっているよ!ヨル!お久しぶり。元気してた?」
家の中は大きな吹き抜けのロビーになっており、真ん中に大きなテーブルと椅子が並んでいる。そこの傍に、大人の女性が座っていた。
・・・白い肌・・・まるで死人のような肌・・・その長い髪と・・・黒いローブを纏っている。それよりも無表情で赤い瞳でユキの顔をじっと見ていた。
(・・・え・・・人・・・なの?・・・!瞬きをしてない!!)
ユキは恐怖を覚え、セタの背中にとっさに隠れた。
「大丈夫よユキ!怖い人じゃないから。私たちと体の作りが違うだけ」
「それ・・・って魔物・・・」
と言いかけた瞬間に女性はユキに割って声を上げる。
「魔物ではありません。人形です。セタ、私たち親族以外を連れてくるのは珍しいですね。あなたの子供ですか?」
それを聞いたセタはくすくすと笑う。
「ふふ!んなわけないじゃないですか!私の年齢でこの子が生まれてたらいつの時の子供になっちゃうのよ!」
「たしかにそうですね。生物学的にあり得ません。失礼しました。でも家族の規則違反ではないのでしょうか。グレイの許可なしでは親族以外はこの家にはいれてはいけないです」
ヨルというその女性はじっとユキに目を合わせ続ける。
・・・一瞬赤く目が光ったように見えた。まるで見透かされているような・・・命を狙われている感じがしたユキは恐怖を覚え体を震わせる。
震えているユキをセタがそっと姿勢をおろして抱きかかえる。
「だから大丈夫よ。怖い人じゃない。って、ヨル驚かせちゃだめ。これには理由があって・・・」
セタはユキを優しくなぜてヨルの傍に立ち彼女を保護した経緯を説明する。
***
「おまたせしました。山羊のミルクを温め、はちみつを入れた飲み物です。ある程度の甘味の飲み物を人間が摂取すると疲労が緩和しやすくなります」
「あ・・・ありがとうございます。
ロビーのテーブル席に緊張で縮こまって座るユキ。ヨルが木のコップに入れたミルクを彼女の前にそっと置く。
「ミルクは冷めると成分に変化が置きます。早めに飲んでくださいね」
「は!はい!」
ユキは慌ててコップを手に取り、口に運ぶ。
「ふー・・・ふー・・・ん・・・甘い・・・」
あの夜から始めて心からほっとした気がした。暖かく甘いミルク。心にしみる。料理が苦手だった父が唯一おいしくできたのが暖かい飲み物。
でもちょっぴりしょっぱかったり、すっぱかったりだったけど、あの暖かさとスープをテーブルに置くときの父の満足そうな笑顔が最高に好きだった。
・・・しかし、もうその笑顔は見られないとふと思い立ち、ユキは涙を流し始める。
「ひく・・・う・・・うぅ・・・」
「あなた、悲しいの?」
「!?」
急に同じ年ぐらいの少女の声が近くで聞こえた。
ユキははっとして声の方向を向く。
ヨルの影からちょこんと顔をだす子がいた。同じような青い瞳、栗毛の髪の色で、左右髪をに分けて上の方にリボンで結んである。素朴な町娘の衣裳ではあるが、ユキから見てもかわいいと思う女の子だった。
「ミワ、挨拶をしなさい。新しい『家族』です」
「え、家族!?妹なの?」
「そうですね、あなたより後にグレイの家族になったのですから、「妹」になりますね」
「そうなんだ!!」
一人で大はしゃぎしだした少女。ユキにかけより両手をとって元気に挨拶をする。
「私、ミワ!!ママの娘なの!よろしくね!!あなたのお名前おしえて!?」
「・・・わ・・・私は・・・ユキ・・・です・・・ってママって・・・」
ユキはヨルを怯えながら見上げる。人間らしからぬ独特な雰囲気を持っている彼女がままなのだろうかとふと疑問に思うが、ミワがヨルに抱き着いて笑顔を見せる。
「そうそう!ママも改めて紹介するね!ママの名前はヨルっていうの!」
「あ・・・はい・・・よろしくお願いします」
ヨルはミワの頭を無表情で撫でてあげる。そのしぐさにやはり母親なんだなとユキは察した。
「ユキちゃん!!いい名前!!でも泣いてばかりじゃせっかくのお顔が台無しだよ?」
「え・・えと・・・」
ヨルがミワをひょいっと抱き上げる。
「わ!なにするのよママ!!」
「あなたは加減をわきまえないようですね。私に似たのかもしれません。彼女は動揺しています。過剰に関わるとさらに不安定になるのです」
「しないよ!!」
ミワはヨルの手に抵抗しながらこじ開けて無理やり飛び降り、ユキの目の前に駆け寄って手をとり無理やり外に駆け出した。
「きゃあ!!」
「一緒に遊ぼうよ!!泣いてちゃだめだよ!!もっと楽しい事していっぱい笑おう?」
「あ・・う・・・うん」
ユキはミワの絶えない笑顔を見ていると、なぜかさびしいはずの心が軽くなっていくのを感じた。
そのまま玄関と扉を開けてミワは外にユキを引っ張って草原に向かって走る。
その姿を見たヨルはきょとんとしてつぶやく。
「ミワはどうしようもないですね。あのおおらかな精神は私譲りではなくグレイやセタ譲りですか。しかし、精神はいい方にも悪い方に強くでている方向に引かれていきます。ミワと一緒にいればすぐに安定するでしょう」
ヨルは窓辺に向かい、膝をついて二人が庭の花畑を駆け回っているのをずっと目で追って眺めているのだった。
「・・・しかし、セタも変わりましたね。私にあの娘を預けてすぐに出ていきましたが、体から漂うあの匂い・・・彼女も大人になりましたか」