第8話 The siren is not silent.
(アズ、どこまで勘づいている……?)
口ごもり、図らずも椅子に徹することになったシンクの上で、梓希は得意げに声を上げる。
「やっぱシンク、あたしの下僕でよくない?」
「ど、どうか慈悲を……! せめて舎弟でお願いします……!」
「舎弟ならいいんかい。てか、さっさと話す! 下着が何ですって?」
「下着ってかパン——————え?」
バレてる——————ッ!?
「ああパンツ……ね。メロンパンと引き換えだから、パンツなのかな。えらい洒落が利いてはるやないの」
「なんか色っぽいのに凄みのある方言出てきた!」
「どない? 観念する気になったっしょ」
下僕、もとい椅子の頭を撫でながら、梓希はにやりと笑んだ。
「まあまあ聞こえてたからね。電話の声」
「————————」
椅子は座布団へ早変わりした。ぺちゃんこのシンクが哀愁を滲ませて喋る。
「俺は詰んでいたんだな……最初から」
梓希は座布団——というより壊れた椅子かも——から立ち上がり、
「なんかキメてるとこ悪いけど、シンク変態すぎくない? 大丈夫? ケーサツいく?」
「そこは『大丈夫? おっぱい揉む?』とか言ってくれんのか……。てか、ケーサツって何だ……」
「は? シンクみたいな痴漢とか、悪い人を捕まえてくれる人たちじゃないの……。あ、この世界にはないとか?」
「あー、そういう組織はあるよ。あと俺は痴漢じゃない」
「マ?」
「俺は治安部隊に摘発されないギリギリのラインを攻めてるから。犯罪者と一緒にしないでくれよな」
「それ犯罪者予備軍じゃん……。十分危険だわ。とりま、墓場いきましょっか」
「ナチュラルに殺そうとしてるー!? それじゃアズが殺人犯になるから!」
「あたしは魔女の末裔……。証拠なんて残さないんだわ」
「ギャルの末裔……」
「なんか言った?」
――そうして、シンクは地に伏した。誠心誠意の土下座が功を奏し、一命は取り留めたものの、足でも何でも舐めます、と言ったら強めに蹴り飛ばされてしまったからである。
その後、パレスの他の面々を当たってみるも全滅。マクスウェルに至ってはそもそも携帯端末を持っておらず、サロメの下にいる三人姉妹の侍女(姉妹戦隊ジジョレンジャーというユニットを組んでいる)には、すでに上長サロメの息がかかっていた。シュヴァイツの番号は知らん――シンクは諦めてスマホを仕舞う。
「まぁ、侍女たちはサロメさんを崇拝してるから、サロメさんに見捨てられた時点でアウトだったんだよな。正門のエラーもサロメさんの仕業だろう。やれやれだ」
「もしもーし。自分のせいって分かってないムーブやめてくださーい」
「って、しくった! アズも一緒って伝えてたら開けてもらえたかもしれんのに……!」
「うわ、それね。マジつかえないわー」
呆れる梓希。
「下僕クビにしようかな」
「いや、俺はできる男。全力で病みメールしとくわ」
「謝罪メールね。でも、あの感じだといつ読んでもらえるか分からないよね」
「うっ……。じゃあいったん俺の実家行くか……?」
「おー、いいのでは? そうしましょう!」
「両親にもアズを紹介しないとだしな」
「どうやって育てたらこんな変態になるんですかって聞いてみよー」
「実家はダメだ。ホテルにしよう」
シンクは市街地方面へと歩き出す。
「え、ホテルあるんだ」
その後を梓希も追う。先ほど虚無になりながら昇り切った階段を今度は降りなければならない。
「お金大丈夫そ?」
「頑張る……としか……。まあアズと泊まれると思えば安いか」
「あ、部屋は別ね?」
「なーに言っちゃってんの。愛し合おうぜ」
「マジかー。分かった。じゃ、何か言い残すことはあるかな♪」
梓希は満面の笑みを浮かべ、シンクの首にゆらりと手を伸ばす。
「え? ちょっと? アズさん? え、息が……ぐるぢ……ごべんだざい……」
「もう、大袈裟ね」
くすくす笑い、手を離した。
「いや思いっきり握力強化してたよね?」
「魔女の嗜みよ。じゃあ、部屋は別でね? 無理だったらどっちがベッドを使うか勝負だから」
「勝負?」
「そう、勝負。じゃんけんか……コイントスあたりね」
「むう、ビール早飲みじゃダメ?」
「あんたね……未成年に何飲ませようとしてんのよ。最近そういうの厳しいの知らないの?
——まあ、そうね、ケーキ大食いとかだったら、乗ってあげてもよくってよ?」
にやりと笑んだ梓希の目を見て、シンクもまた口の端を吊り上げた。
「ハッ、いいだろう。受けて立つ。ただし、俺が勝ったら——、一緒のベッドだ」
梓希は一瞬だけ瞳を丸くして、しかしすぐに不敵な笑みを浮かべ直し、階段を降る足を速めた。
「オーケーよ。行きましょう!」
ずんずん下段へ降りていく梓希。やがて一番下、広場になっている場所まで着くと振り返り、言った。
「さあ、カフェはどこ? 案内して!」
やけにテンションの高い声は来たる勝負への自信にあふれ、そんな梓希をシンクは可愛く思う。
「任せてくれ。カフェテリアというやつだろう? とっておきの場所に連れてってやんよ……!」
「ふふ、モテようとして必死に調べたりしてそう」
「うっ、はぁ!? おま、ばっかやろ、ち、ちっげえわ!」
「動揺しすぎー!」
ころころ笑う梓希を見て、本当にまた会えてよかったとシンクは頬を緩める。
「どっち? 近い?」
待ちきれないとばかりにキョロキョロし、進行方向を訊く梓希。広場から市街地へ続く道は複数ある。
「右。割と近い」
シンクは梓希に追いつき、答えながら、しかし一抹の不安を胸に抱いた。
(あれ、アズの術式に胃袋強化とかなかったよな……?)
もしあったらやばい、いやこんなことには使わないか? でも勝負事ではあるし、あの余裕は——なんて考えていると、朗々とした声に急かされる。
「シンク、置いてくよ!」
「いや、店知らないでしょ……」
俺を置いていったらアズが迷子になるだろーが、と呆れながらシンクは梓希と並んで歩く。
梓希たちが進む通りは両側に飲食店、雑貨店、薬局などが建ち並び、さながらアーケード街といった様相を呈していた。暖色系の街灯の下、ちらほら露店も出ている。
それらが何の店なのか梓希が知り得たのは、主に店先にあった看板からの情報だった。
「食事処」「薬」「衣服」――。看板に書かれている言語は、だいたい見知ったものとして認識できる。決して知っているはずないのに、分かる。分かってしまう。梓希の世界の、梓希が生まれ育った国の言語として認識できる。この世界の共通言語が理解できているように、文字も言葉も、その全てを苦もなく理解できる。
梓希は奇妙な感覚に酔いしれ、これは一体どういうことなんだろう、あたしの脳はどれだけすごいんだと考えてみたりもしたのだが、当然のように結論は導き出せなかった。やっぱり、たいした脳ではないのだろう。
五分ほど歩き、アーケード街を抜けてから、分かれ道の後に坂道を下る。結構入り組んだ道行きだった。
この間、梓希とシンクは何人かに声をかけられていた。最初は「お、シンクじゃん。新作入ったよ!」とか「また飲みに来いよ〜」などと軽いノリが多かったが、途中で「え、巫女様……!?」「やっぱ魔王が復活したって噂マジだったの?」といった具合に梓希の存在に気づかれ出し、髭面のおっちゃんには「巫女様、相変わらず可愛いじゃねえか。どう? うちの店で働く気ない?」と勧誘され、シンクが「アホめ! 俺の大事な巫女ちゃんやぞ!」などと対抗し、少々足止めを食ってしまった。
まあ、急いでないしいいんだけど(急かしたけど)――なんて思っていると、坂を下りたところで長髪の青年登場。
彼はIQOSのようなものをふかしながら、
「シンクがカレンちゃん以外の女の子連れてるの初めて見たわ。ターゲット変えたん? つーか勇者だからって美少女ばっか狙うなや」
「いやいや、カレンはそういうんじゃないから。あとこの子は巫女様だ」
「ん? ああ、道理で見覚えあるわけだ! 巫女様、いつ見ても素敵なお召し物だね。てかラインやってる?」
「えぇーと、急いでるんで……」
いつもの定型文が反射的に梓希の口を衝いて出る。
「おい何ナンパしとんねん。あとラインって何やねん」
シンクとともに梓希は青年を軽くあしらい、めっきり人通りの減った裏通り感のある道に入る。街灯の間隔が空き、闇が濃くなる。
もしかして変な店じゃないだろうなと梓希が心配し始めた頃、
「もうすぐだよ。ほら、あそこ」
とシンクから声がかかった。
——直後。
夜の闇を切り裂き、サイレンが鳴り響く。
ウゥーー、というどこかで聴いたような心をざわつかせる高音。
宙を仰いだシンクに釣られ、梓希も空を見上げた。
——野鳥の群れ。その暢気な第一感は直ちに覆される。野鳥と呼ぶには凶々しく、暗雲と呼ぶには荒々しい漆黒の一個団体。竜種とすら見紛うような魔獣の群れが夜空の一画を占領していた。
<空襲警報。空襲警報。直ちに屋内に避難せよ。警戒レベル2nd。命を守る行動を。これは訓練ではない>
サイレンに乗って音声が流れる。やば、と口が動くと同時、梓希は腕を引っ張られた。
「こっち!」
驚く暇すら満足に与えられぬまま、シンクに腕を引かれて最寄りの店舗内へと押し込まれる。
「今って戦時中? 聞いてないんだけど」
梓希は抗議しながらも、術の行使も視野に入れ始める。全滅は無理めだけど、ボスみたいな奴だけなら何とか……なんて考えながら。
「あいつら、魔王が復活したからって早速すぎるだろーが」
隣でシンクがぼやく。しかし、その声は明るい。
「ま、想定済みだがな……!」
シンクの視線の先。固く閉ざされたドアの向こうから。
どういうこと? と梓希が聞くより早く。
ドカン、という小気味よい爆発音が、微かな硝煙の匂いとともに届けられた。