第5話 正しくはマンである
メンズと言ってしまったが、正しくはマンである。シンクは絡みやすいバカな男友達という感じだが、この老け顔のイケメンはインテリジェンスなオトナという印象。知的なオーラをこれでもかと纏っており、一方でメガネをかけていてもアホそうなシンクとはIQ差を感じずにはいられない。
梓希はシンクに憐れみの視線を向けた。
「なんだよ……」
「……知ってる人?」
「シュヴァイツじゃん……。もう手ぇ放してぇ……」
「……シュヴァイツ」
その名にやはり心当たりはない。顔も知らない。
(けど、彼もあたしを知っていた——)
梓希はシンクの頬を解放し、改めてシュヴァイツなる青年をまじまじと眺めた。全面的にオフホワイトの長いマント……ローブ? を纏っていて、漆黒の革靴——軍靴っぽいのを履いている。
(わ、なんだかお金持ちそう——じゃなくて)
もう一度、整った顔を見る。
「……うーん、やっぱわからん! いや、ていうかあたし十六なんだわ。50年前のことなんて知らんわ」
梓希は考えるだけムダやん、という結論を導き出した。
「いやはや。よかったよ、合流できて」
柔らかな物腰を崩さず、シュヴァイツが歩み寄る。
「シンクだけでは心配だからね。彼に何かされなかったかい?」
品のある落ち着いた声音が、森で一番の大樹のような安心感を運んでくる。梓希はスス……とシンクから離れ、
「襲われましたー!」
その少年を指差し、非難の声を上げた。
「なんでや。ちゃんと助けたからね?」
「でもキスされそうになった!」
シンクと梓希が言い合う様子に、シュヴァイツはやれやれと肩をすくめた。
「君たちは相変わらずだね……。けれども、再会を祝すのは戻ってからにしようか」
「戻る? ……どこに?」
疑問符を浮かべる梓希。そして、ああ、さっき森から出ようとか言ってたっけ? などと思っていると、シンクが答えた。
「都に戻ってから、皇宮だね」
「……ぱれす」
また馴染みのない単語が出てきた。
「いやまって、そもそもここはどこなの。何県? 日本よね? あれ日本に人狼っていたっけ……?」
「落ち着いてアズ。気持ちは分からんでもないが、そういうんじゃないんだ」
「そういうんじゃない……?」
狼狽する梓希を前に、シュヴァイツが怪訝な表情を見せる。
「——シンク。もしやとは思うが」
「ああ。アズ、記憶ないみたいで」
「なるほど。そういうことか」
シュヴァイツは得心し、梓希に静かに語りかける。
「アズちゃん。突然のことで混乱するのも無理はない。なるべく平易に言うとだね——ここは君がいた国や星とは違うんだ。異星——いや、もはや異世界と言ったほうが相応しいかもしれないね」
「——————は?」
それは想像を絶する回答で。
「…………信じられない」
梓希は最大級の衝撃に打ちひしがれ、
「せめて地球であってほしかった……!」
がっくりと膝から崩れ落ちた。
「……あれ、でもみんな日本語しゃべってるよね?」
「ニホンゴ? ってのはよく分からんが、言語のことなら開拓時代から標準語一択だよ」
シンクにシュヴァイツが追随する。
「もちろん、アズちゃんも流暢に喋れているよ」
「——————まじ?」
ずっと日本語で会話していると思ってたけど——。梓希は自分が恐ろしくなった。
「やっば。あたし天才じゃん……!」
「いやはや。前回もそうやって盛り上がっていたね」
懐かしそうに目を細めるシュヴァイツに対し、
「あ!」
そうだった、と梓希は誤解を指摘する。
「それさー、あたしじゃなくない? 50年前って、あたし産まれてないんだわ」
「ああ、そちらの人類は短命だったね。ふむ——」
シュヴァイツは梓希を射抜くように一瞥し、数秒の思案の後、反論を挙げた。
「だけれど、君は巫女として一時的に召喚された存在だ。時間軸に整合性を求めるのは無意味かもしれない」
「召喚……。それマジ? ヤバくない?」
「まあ、アズにとってはそうかもなー」
「それについては陳謝するほかない。最大限の感謝と謝罪を――」
「まって。それは今はよくて」
梓希はシュヴァイツの言葉を遮って、
「時間軸が無意味ってのがちょっと……」
「意味わからんよな」
よかった、シンクも仲間だ――安堵する梓希に向けて、シュヴァイツが噛み砕いて私見を述べる。
「こちらで50年の歳月が経過していても、そちらでは前回から殆ど時間が流れていない——ということはありえるんじゃないかね」
「……ええ? じゃあほんとに記憶ないだけ?」
シンクがほら〜! と言いたげな顔で見てくる。梓希は少し気まずい。
「さらにいえば、前回召喚された君が今より未来の君だった可能性すらあるが——」
「おお、それなら記憶がない説明が付くじゃん!」
シンクが弾んだ声を上げた。
なんだか複雑めいてきたが、つまりあたしが今回無事ここから帰れて、その後でまた、今度は50年前のここに連れてこられる——そういう話か。梓希は考え込みそうになりながら、なんとか理解した。
ただ、とシュヴァイツが続ける。
「ただ、そう考えると前回召喚時に今回の記憶がなかったのがおかしい。この説を通すなら、前回が記憶喪失だったということになる」
「あー、これもう分かんねえな」
「もういいや、今回記憶喪失で。ややこしくなるから、そういうことにしよ?」
2人は揃って思考を放棄した。
シュヴァイツは口元だけで笑い、
「記憶がないのなら、また一から説明が必要だね。私は先に戻って教本の用意でもしよう」
「そんな授業みたいな……」
梓希のげんなりとした声を背に、シュヴァイツは自らの影に沈んでいく。とぷん。
「えっすご。なんかの術?」
「——ああ。当然『魔宝』のことも忘れているわけか。これは私が所有する魔宝『墨下蒼淵陣』によるものだ」
すでに腰の辺りまで影に浸かり、地面から生えている上半身が教えてくれる。おちびちゃんを相手にしているようで、梓希は少し微笑ましくなった。
「んー、あたしが使う術みたいなやつでちゅかー?」
「なんで赤ちゃん言葉なんだ……」
愕然とするシンク。
「ついよ、つい」
梓希は魔女の宅急便のキキになりきってセリフを発したが、誰にも伝わらなかった。当たり前か。
「君の言術とは似て非なるものだ。そも、言術は使える状態なのかね」
「使えるよー。てか、自分ことは基本忘れてないのよね。名前とか、歳とか。だから術もバッチリ覚えてる!」
ウィンクしてギャルピースをキメる梓希。陽キャのオーラに目を灼かれながら、シンクが呟く。
「そういや魔女の血筋とか言ってたっけ……」
「ど、どうしてそれを……!?」
「前に自分で言ってたんだよ……」
「術が使えるのは頼もしいな。だが、あまり無理はしないように。シンクも、巫女に無理をさせないように」
「わーってるよ」
とぷぷ……。すでにシュヴァイツの首から下は影の中に沈んでおり、もぐらたたきみたいだな、と梓希は思った。
「これさ、あたしらは入れないの?」
「入れない。私の影には私しか潜れない」
「なーんだ。ワープでしょこれ。あたしも連れてってほしかったな……♪」
シュヴァイツの前にしゃがみ込み、おねだりを始める梓希。もう顔の上半分しか出ていない彼の頭を撫でている。
「いくら頼まれても、制限が多くてね。他の誰も連れては行けない。分かってくれ」
影の中から声がした。
「ちぇー」
「それと、色仕掛けは感心しないな」
「色仕掛け? そんなつもりは——」
梓希が言い終わるより早く、シンクが叫んだ。
「あーーーーッ! シュヴァイツ、お前! アズのパンツ見やがったなーーーー!?」
とぷん。シュヴァイツの姿はすでにない。文字通り、影も形も。
「——ああ、そういうこと?」
彼の頭のすぐ前でしゃがんでいたから……ね。梓希は遅れて思い至った。
「アズーーーーッ! ずるいだろ! シュヴァイツだけ! なんで……!」
「いや、なんで泣いてんのよ……」
もうこいつは置いていこう。梓希は歩き出そうとして、
「あたし1人でいくから、方角だけ教えて」
「まって! 置いてかないで! アズ1人じゃ危ないでしょッ!」
「危ないのはシンクの存在じゃないの?」
「俺は大丈夫! 安心安全だから!」
「ほんとかなあ……」
まあ正直パンツくらい見られても困らないが、泣くほど見たがるのはヤバイ奴確定でしょ。でもいざとなったら【天使化】して飛んで逃げればいいか——なんて思いながら、梓希はシンクに市街まで連れて行ってもらうことにした。