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第3話 記憶舞い戻る…?

 シンク=デイレインは焦っていた。今度は森の小道を急いでいた。


 予測された大まかな落下座標はマクスウェルから聞いている。巫女――彼女にまた会える!? という希望が彼の足を加速させていた。


 魔王の復活がどうたらとも聞いたが、正直それはどうでもよかった。

 本当は決してどうでもよくはないのだが、今この瞬間において、シンクの頭を占めるのは一点――巫女として召喚される少女のことだけだ。


 今度こそ、という確たる思い。

 二度と、彼女を失うものか。

 その胸に抱く感情は妄執に近い。


 ——が、そもそも巫女の召喚理論について諸説あるのは承知している。前回の大戦からずいぶん時間が経っており、同じ人物が召喚されるとは限らない。


 だけど。それでも。

 シンクの足が速度を緩めることはない。


 彼は確信している。

 夢見ている。


 その少女との、再会を——。


    ◆


 ——そうして現在。


 元勇者と巫女は無事再会を果たした——とシンクは思っているわけだが、記憶のない梓希には知る由もない。


 都へ続くという森の遊歩道を歩きながら、少女は少年に問うてみた。


「あのー、おにーさんは誰なんですかね……?」


 シンクはハァー、と深いため息を披露し、

「マジで忘れちゃってんのかー。記憶喪失じゃん」


「そうなのかなぁ……」


 そもそも何で森の中に居たのかも分からないし、気を失う前にしていたことも思い出せないし、そうなのかも。本当に記憶喪失かもしれない。頭痛もするし。


「君はアズサだ」

「梓希です」

 自分の名前は覚えていた。


「まあ、アズはアズだから、それはどっちでもいいんだけど……」

「誤魔化すなし」

「俺はシンク。それは覚えてるよね?」

「あー、ああ……、シンク、ね」

「絶対覚えてないよね!?」

「じゃあ……はじめまして?」

「うう、ひどい……。あんなに愛し合ったのに……!」

「いや、思い出したわ。確かシンク、あたしの下僕げぼくだったよね」

「んなわけあるかい。ホントひどい。こっちは再会を祝して俺の身体をプレゼントしちゃおって気分だったのに」

「何それ。やっぱり下僕ってコト?」

「違います。性的な意味ですー! 久々に会ったけどやっぱりアズ可愛いし、さっきはキスもできなかったし……。もう今すぐにでも俺の身体を差し上げますって感じかな」

「あたしは受け取り拒否って感じかな」


 シンクは歩きながら何度も手を繋いでもらおうとしていたが、

「触らないで、痴漢」

 と一蹴されてからは諦めた。


「そんなことより、ここはどこなの……」


 鬱蒼と草木の茂った森の中。夢かな。そういえばなんか人狼みたいのいたし。おかしくない? そう思い、梓希はシンクに聞いてみる。


「ねー、シンク。ここって現実?」

「ハハ……ただで教えるのもね」

「またそうやって意地悪する……」

「おっ。俺のこと知ってるみたいな口ぶりじゃん。なんか思い出した?」

「シンクが意地悪な下僕ってことは思い出した」

「ピンポイントすぎる! あと下僕じゃない! 分かった。教えるから。でもその代わり、アズの身体をプレゼントしてほしいな……って、あれ、ダメ?」


 殺そう。意を決し、それを実行する前のお別れの言葉として「死んでね」を選び、哀悼の念とともに発音しかけた梓希だったが、声は別の音量に邪魔をされ、喉で止まった。

 別の音量――それは、


<ウオオオオオオォォォォン>


 魔物の、咆哮。


 世にも不吉な遠吠えは、輪唱のように重複して聞こえる。それは大音響となって森の大気を震え上がらせ、高くそびえる木々を揺らす。青々とした葉は散り風に乗り、強制的に宙を舞わされた。そしてその中の一枚が、たなびく梓希の金髪に絡まる。


 それを気に留めることもなく、梓希は呆然と声のする方へ首をめぐらせた。


 一際強く、獣の鳴き声が上がる。吹き荒れる暴風のような雄叫びから察するに、その魔物の体躯はあまりに巨大、あまりに超常――。


 梓希が自分の置かれた状況を知るには、まだ時間が要るようだった。


 あれは――、

 山。

 山だ。山が見えた。動く山。のっそりと、しかし確実にこちらへと近付いてくる漆黒の山。


「……変異種か」

 シンクが梓希の横でそう呟く。そして一歩前へと進み出る。


「――――」

 梓希は恐怖を覚えた。


 先ほど現れた人狼とは、明らかに存在の格が違う相手。たとえ何者であっても恐れるには足らないと、そう頭では理解はしているものの――本能的な怯えには逆らえない。梓希は正真正銘の恐怖に身を竦ませ、だがかろうじて、

「逃げないの……?」

 とシンクの服の裾を引く。その、小さく怯えの混じった声を背中に受けてシンクは、

「さすがにあれは放置しておけないでしょ」柄だけとなっていた剣の光刃を出現させて、

「だから、ちょっと待っててね」一瞬ちらりと振り返り、

「大丈夫。心配ないよ」再び前方の山を見据え、

「俺は」言った。「――俺は負けないから」


 ――俺は負けないから。


 その一言には、なぜだか不思議と聞き覚えがあった。この少年はいつも「俺は負けないから」と言っていた——そんな気がする。そして彼は敵との力の差がどれほど歴然であろうと、果敢にも、あるいは無謀にも戦いを挑んでいくのだ。


 そうだ。

 だから――

 

(——だから、あたしの力が必要だったんじゃない?)


 ズシン、ズシンと地鳴りのような音が響く。それに脳を揺らされながら、梓希は前方、シンクの視線の先へと目を遣った。


 山は今や、その正体を視認できる。それは青銅色の獣毛で覆われていた。唖然とするほどに巨大で、歪な火山岩で形成されているかのような無骨な体躯。


 二足歩行をする巨大な狼。

 大怪狼だいかいろう

 それが、山の正体だった。


「人狼の変異種――ね」


 シンクはそれを斬るべく地を蹴った。高く、高く、彼本来の身体能力を遥かに超えて、大樹の天辺近くの高さにまで跳び上がる。聖なる剣『主神降臨剣』の加護によって身体中に精気を漲らせ、人外の脚力を手に入れた彼は、いくらか上方に位置する大怪狼の頭を目掛け、脇に構えた光剣を凪いだ。


 下から、上へ。

 ぐおん、と風を切る音がして、軌跡の残像は衝撃波となり、大怪狼の横っ面に吸い込まれるようにして叩きつけられる。


 光が弾ける音が鳴り、しかし相手に傷はない。硬い獣毛に覆われたその頭部は、高位の殺傷能力を持つ『主神降臨剣』を以ってしても衝撃波程度の攻撃など受け付けない。


 ――呆れるほどの、硬さ。


「やっぱりか」


 それは少なからず、二人にも予想できたこと。だから梓希は大して驚かなかったし、シンクも悔しがったりはしなかった。


 あの衝撃波は大怪狼の気をこちらに向かせるためのもの。その神経を逆撫でし、自分を攻撃させるためのもの。


「さっさと大口を開けてくれ」


 シンクは吐き捨て、近場の大木の枝を足場にすると、再び高く宙へと跳んだ。右手で逆手に握り直された『主神降臨剣』の刃は陽光に輝きを強め、その鋭さを増していく。

 空中に舞い上がったシンクの前で、巨躯の獣は口を開いた。牙を剥き出しにした口内は、燃えるような紅蓮の赤で。


 その状況に、梓希はシンクの身体の損傷箇所を断定する。


 ――左腕。


 空中で、あの角度からの攻撃はかわせない。それは明確に予測できる。だが、あれを使えば問題はない。大丈夫。久々だけど、使えるはず。この半身の疼きは幻覚じゃない――。

 

(いける――)

 

 確信。梓希の身体の左半分——顔の左側、左手、左脚に青白く発光する線が浮かび上がる。それは血管のように張り巡らされ、制服や下着に隠された左の胸や腹、腰、臀部の至る所でも縦横無尽、網目状に淡い光を放っていた。


あたしの血は(、、、、、、)生きている(、、、、、)——)


 それは誰よりもよく知っていること。

 だから、梓希は慌てるわけにはいかなかった。

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