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第21話 言術+言術

 結論を言えば、メアが起こした暴風による時間稼ぎは決して無駄ではなかった。直接的な役には立たなかったものの、結果としてあの風は彼女の身を護った。


 では、直接という観点で彼女を護ったのは何だったのかと言えば、それはもう間違いなくその身を盾にした梓希の存在だった。


 あの時――メアの『六歌扇』が産み出した風により、シンクの動きが止められた数秒間――その僅か数秒の間に、梓希は二つの言術を口ずさんでいた。


 一つは【予想自己復元】。

 一つは【天使化】。


 それは――あの状況では、これ以外ないという選択。

 意識を取り戻したときには二人の戦闘は佳境に入っていて、どう見てもどちらか片方が、最悪二人ともがただではすまないことが分かってしまった。そして分かってしまった以上、梓希にとれる行動はたったの一つしかなかった。


 言術を行使して、二人を助ける―――それだけしか。


 梓希は十指のネイルと両耳のピアスに魔力を通わせ、瞬間的に十二言術を全解封(フルオープン)、二人を助けられうる術の組み合わせを検索する。助けられる可能性がある、ではだめだ。必ず助けられる、そんな方程式を構築しないと――。それと同時に、第一のスペルを唱え始める――だが、その時はまだ何の言術を唱えるのかは決まっていない。それは今考えている。唱えているスペルに意味を持たせるのは、使う術が決まってからでいい。後からこじつけで、その術のスペルを唱えていたことにすればいい。どうせ誰も聞いていないんだから、世界を騙すのは簡単だ。そう、梓希自身ですら聞いていないのだから、簡単にもほどがある。


 一方、検索は瞬きの間に終了する。ヒットしたのは――

 そうか、この組み合わせなら、そして二つであれば間に合うだろう、なぜならもう既に一つは唱え終わっている――などと思うよりも先に、梓希は第二の術の詠唱も終えた。


 彼女は比喩ではなく数瞬の間に、こう唱えていたのだった。


願いは(Sign say)珊底羅の(through)乾いた皮に(color dat) +

  祈りは真(Balk touch)達羅の(work ten)白き翼に(sea dat)...!」


 紡がれた異世界の呪文は多重音声に近い。数倍速の比ではない。いくつもの単語が重なり合うように発せられ、この世のものとして安定する。


 ――ただ一人、梓希の行動を結界外から目視していた者がいた。その受付嬢は後に語る。何かを口ずさむ巫女は、きっと歌っているようだったと。


     ◆


 詠唱を終えた梓希の身体は変態を開始した。もちろん、それは天使化の言術に依るものだ。背中――肩甲骨の辺りから血の飛沫が上がり、にょきにょきと、裂けた肉体の隙間から真っ白な羽が生え始める。昨夜のような擬似的な翼ではなく、天の御使いが有する部位そのものを獲得する。頭上には光輪(ヘイロー)。それらもまた、一瞬に匹敵するかといった至極短時間での出来事だった。


 羽は梓希に飛翔能力を与えた。だから梓希はそれを使って空間を飛び越え、シンクとメアの間に割り込んだ。彼女が最初のスペルを唱え始めてから事ここに至るまで、ものの数秒。彼女がシンクの斬撃を受けることができたのは、(ひとえ)にそれが故だった。


     ◆


 はらはらと、それは降り積もる雪のようだった。〝不散(散らさず)の魔女〟の目の前で、その雪は厳かに散っていた。――いや、雪ではない。それは雪ではない。雪ならよかった。溶けて消えてしまう、雪であったのならば。だがそれは決して雪ではなく、色だけは雪と同じ真白の――羽根だった。シンクの斬撃により散らされた、梓希の翼。そのシルエットは明確な絶命の象徴であり、シンクは目を見開いて硬直する。


(アズを――――斬殺した)


 その現実を受け止めることができずに、


(――――この俺が?)


 しかし無意識下で理解して、絶望に身を委ね、呼吸すら忘れて立ち尽くす。振り切った剣は既に手から零れ、柄だけになって地に落ちる。乾いた音だけが響いた。


 目の当たりにした映像は、スローモーションで流れたものだった。梓希の右肩に刃が触れ、その肉を裂いていく。

 柔らかな感触。髪も筋肉も背骨も関係なく――やはり『主神降臨剣』の切れ味は抜群だ。そうして斜めに、言術で編まれた翼もろとも背中を縦断、袈裟をかけるように左の腰まで斬り抜いた。


 散る羽根は白、鮮血は赤。紅白の色調が視界を凄惨に埋め尽くし、幻想的ともいえる光景の中、梓希はメアに抱かれていた。

 倒れゆく身体を抱きとめられ、梓希はメアの柔らかな胸に顔をうずめる。


 メアは大事なものを守るかのように、しっかりと、だが優しく梓希を抱き締め、

「……もう! こんなこと、しちゃダメよ」

 と、梓希の頭を撫でながら言った。

 その声にやりきれないといった思いが多分に含まれているのを感じつつ、死にゆく梓希の身体の中で、終わる命は反転を始めた。


    ◆


 前後不覚、茫然自失に陥るほどの深い絶望に苛まれていたシンクは、それを見た。梓希を斬り殺すシーンの次に再生されたのは、彼女の身体そのものだった。その身にかけられていた予想自己復元の術により、無残に裂かれた梓希の肉体は面白いように蘇っていく。


 彼女の命は終わらなかった。仮に『主神降臨剣』によるダメージが想定以上で、内臓が弾き出されるほどのものであったなら、いくらこの術であっても再生は不可能だっただろう。【予想自己復元】は腕が千切れるなどの「肉体的な欠損」までをも唯一治療できる言術であるが、回復速度よりも早く死んでしまっては再生してもらえない。即死であればまずかった。あの剣の持つ殺傷力は、それだけ桁外れなのだから。


 だが、天使の羽の防御力によるダメージの軽減が功を奏した。さらに、聖なる天使の両翼には、同じ聖なる力への耐性がある。『主神降臨剣』の聖なる力に対する、絶大なる耐性が。

 しかし、それだけの防御を以ってしても、あれだけの裂傷。さすがは『主神降臨剣』、当然のように完全には防げなかったというわけだ。


 肉体が完治、髪の長さや色まで正確に復元された梓希が顔を上げると、胸を貸してくれていたメアと目が合う。気まずそうに微笑む彼女を梓希は一瞥、シンクへと向き直り、

「なーにをやっちゃってるのかな、あんたたちは。バカ? バカなの? バカなのかしら?」

 三段活用風に怒りをぶつけた。


「すごい言われよう……」

 馬鹿と連呼されてしまったシンクだが、内心では今、素直に嬉しい。それは彼が特殊な性癖を持っているからではなく、彼女が生きていてくれた、そのことだけでいっぱいだからだ。それなのに梓希はシンクの胸倉をぐいっと掴み、下から顔を覗き込み、まるでキスするように顔を近づけ、

「ちゃんと説明して」

「あー、これはだね……」


「——全面的に私のせいよ。私がアズちゃんを殺そうとしたから、シンクが私の相手をした。それだけよ」


「えっ。ウソでしょ!?」

 メアに振り向き、愕然とする梓希。


「まあ、多分本気じゃないとは思うが……」


「いいえ。事実は事実よ。たとえ真意がどうであれ、言い逃れはしないわ。もう私には、アズちゃんのお嫁に行く資格はない……」


「もともとないわ! お前とカレンは無駄にアズにアプローチすんなや。人物相関図がメチャクチャになる!」


「あら。ドネルはいいとでも?」


「いや、あいつもダメだが……っう」

 言いながら、シンクが片膝をつく。ごほ、と吐血し、珍しく顔を歪ませた。今まで平然と会話をしていたのが信じられないほど、左脇腹の傷は深い。


「うわ、めっちゃケガしてるじゃん!」

 梓希は慌てて術式を開封。右手人差し指のネイルに魔力を流し、詠唱を始める。

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