第19話 風の通り道
「またやってる……」
アラライ=シュナイデルは眉間をつまみ、深い溜め息を披露せずにはいられなかった。
パレスの受付嬢として勤務すること30年。地球人類の年齢でいえばまだ二十代であり、自称クールビューティーで通している彼女だが、こうして魔宝バトルが勃発してしまっては心穏やかではいられない。
八賢者を始めとした戦闘職の面々には血気盛んな方も多く、ちょくちょくパレスの内外で模擬戦のようなことをしている。それ向けの施設を利用するか、あるいは事前に申請してくれればマシなのだが、出会って数秒でバトル——なんてこともザラであり、今回のように間近で始められてしまうと、避難誘導や結界設置が彼女らの急務となる。しかも壁や床に被害が及んだ場合(割とよくあるのだが)、その補修・原状回復も業務内容に含まれる。
これもう受付嬢じゃなくない? 受付嬢で求人出したら訴えられない? といった声も過去に上がってはいたが、いい感じの代替案が誰にも浮かばず、下手に事務員などとするより受付嬢のままの方が合コンでウケがいいとのオトナの事情もあり、ひとまず現状維持となっている。
「あーもう! 外でやってくださーい!」
一応声を張り上げてみるアラライだったが、当事者には届いていないだろう。今から50年前、魔王軍と紛争状態にあった頃は実戦の機会が多く、あまりパレス内で戦う者はいなかったらしいが……。昨今は魔獣討伐の任に時折赴くくらいだし、歴戦の猛者たちとしては少々持て余し気味なのかもしれない。
「アラライちゃん、もっと離れるわよ!」
この道100年の先輩職員から声をかけられ、結界の内側に残っていたアラライも外に向かう。
結界は立方体に近い形をしており、平面としてはエントランスのほぼ全域をカバーしている。端から端まで歩けば20秒近くかかるだろうか。即席ながら対物理・対魔術両面で高耐久を誇るが、これは事前の仕込みがあってこそ。専門の術者が入念に設計した仮想の閉鎖空間――それを精霊石を触媒にして呼び出したものである。
とはいえリングや土俵といったバトルフィールドとしての側面もあり、人の出入りは制限されない。だから結界設置の後、当事者以外は速やかに外へ出ることが推奨されている。
薄氷のような結界の境界面を通過して、アラライは足を止めた。結界外には出たがギリギリまだパレスの中であり、出入り口付近から内側の様子をうかがう。
「残っている一般人はいないわね」
安全を確認、一息吐く。ただ、床に伏している少女が気がかりではあったが——。
「あの女の子、見覚えが……」
「えっ? 巫女様? きっと大丈夫よ、すんごい術使うんだから」
近くにいた職員が我が事のように得意げに話す。彼女は巫女の力に全幅の信頼を寄せているようだった。
「巫女様……。そっか、道理で……」
アラライが呟くと、巫女推しの職員が口を挟んだ。
「私、前に見たことあるの。巫女様が魔獣から子供助けてて、ほんと女神様みたいだったなー」
「……女神様」
アラライの目には、コスプレの似合う少女にしか見えない。50年前の大戦時は学生であり、まだパレスに勤めていなかったから、巫女と呼ばれる少女にも馴染みがなかった。
「後で写真撮らせてくれるかな……」
――それから少し後。アラライは目撃する。
巫女の背中から白き翼が生え、それが凄絶に散りゆく様を。
◆
覚悟、か。
シンクは思った。覚悟を決めるしかない――そうは言ったが、本当にメアを斬りつけることができるのか? 彼女を傷つけることができるのか?
マクスウェルの姿はいつの間にかない。少し離れたところにはウェイトレス姿の少女が気を失ったまま横たわっている。自分にとって誰よりも大切な、その少女が。
(――いや、できる。やらなきゃならない。アズを守るためになら、どんなことでもやってやる)
呼吸を整え、シンクは、
(たとえそれが、最低で最悪の愚行だとしても)
煌く刃を薙いだ。
生まれたのは、衝撃波。
決意にも似た、斬撃の波動。
「その意気よぅ❤️」
くすりと妖艶に笑んだメアは『主神降臨剣』から放たれたそれに立ち向かう。
明確な破壊力を持って襲い来る、聖なる剣が生んだエネルギー。
(そうよ、それでいいのよ。あなたは優しすぎる。その程度の覚悟がなければ、ここから先へは進めない。誰かを犠牲にする覚悟がなければ、この先へは――)
だがそれは、彼女の舞うような所作によって、
(――進むことなど、できはしないわ)
恐ろしいほど綺麗に打ち消され、霧散した。
メアの手には『六歌扇』。そして扇を返す彼女の二つ名は、
「さすが〝不散の魔女〟――といったところか」
――そう、分かっていた。衝撃波では、風の刃では、彼女に傷を負わせることなどできはしない――そんなことは分かっていた。相手はいかなる花も、いかなる葉をも散らせない、風の繰り手。不散の魔女。だからこれは、最後の――そう、いうなれば、餞別。彼女が本気で来るのなら、こちらも本気を出さなければ命に関わる。だからもう、ここからは、
本気でいく――本気で。
「行くぞ」シンクの跳躍。
「来てッ」メアの挑発。
閃光が、交錯する。
それは刹那のうちに収束し、
シンクの左脇腹が、えぐられていた。
「かはっ……」
吐血する。
大事な肉体器官が損傷し、鈍色の床が血で染まる。
「は」
おかしなことに、笑ってしまう。
そう、おかしなことに――『主神降臨剣』の刃は消え失せていた。
やがて、笑みもまた失われる。
(これが『六歌扇』の真の性能)倒れこみ、思う。
(風の通る道を創る力とは、つまり)そういうことだったのだ。
(道を創り出すために)その目的を為す手段として、
(〝進路上の物体を消す〟力……!)
戦慄と同時、それでもシンクは身体を起こす。「勝てない」「ダメだ」「諦めよう」などと以前のシンクなら思っただろう。50年前、巫女の少女と出会う前のシンクなら。
だが、今は。
守るべきものがある。
守りたい人がいる。
自らの身体に鞭を打ち、よろめきながらも立ち上がる。
顔を上げ、メアを見つめる。
シンクが立ち上がるまでの間、メアは何もしなかったし、何も言わなかった。閉じた扇を口元に寄せ、ただ見定めるような眼差しを向けるだけ。
追撃はなかった。その気配すら。
そして、また、だからこそ。
互いが互いを見据えている時間は、そう長くは続かなかった。




