第17話 過去に見た未来
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そこは間違いなく、パレス内の一室であるはずだった。
入口から受付を過ぎ、エントランス奥の扉へ入り、昇降機で二階へ昇ると、整然と扉が並んだ通路を進む。その扉のうちの一つ。「視聴覚室」と部屋名だけが銘打たれ、何の装飾もない扉。その先に、意識さえ飲みこむほどの茫洋たる世界は広がっていた。
何もない世界。
白一色で、何もない。
ただそこにあるだけで、ただ呆れるほど広く、ただ存在の一切が失われた世界。
そう、そこには何もない。
――たった一人の、男の姿を除いては。
その男は額に第三の眼である魔宝『裸心眼』を持ち、ライトグレーの跳ね髪を携え、白に蹂躙された世界の中で独り、佇んでいた。
まるで永劫ともいえる年月をそうしてきたかのように、微動だにせず。
魔王ドネル=クェイバブは、ただ佇んでいた。
その表情からは、どこか寂しげな印象を受ける。しかし――
「これは、魔王が望む世界じゃ」
唐突に声が響き、白き世界は失われる。するとそこにあったのは、元の世界、パレスの中の一室に他ならなず――。
「どうじゃ、我らの巫女よ。少しは落ち着いたかえ?」
いきなりこんな訳の分からないビジョンを見せて、人を落ち着かせる気なんてないんじゃないかとシンクは思う。突然違う世界から飛ばされてきた少女に対する仕打ちではない。絶対に。
「今のはなんです? ――マクスウェル様」
少女の隣にいたシンクが、抗議にも似た声を発した。
「仮にも十賢者の最高位ですよね? ちょっと配慮に欠けるんじゃないですか?」
「うむ。仮ではく真なのじゃが……そう怒るでない、シンクよ。配慮不足は承知の上。わしもそう思っておる」
落ち着いたしゃがれ声は、多分に余裕を含んでいた。
マクスウェルと呼ばれた老婆。極薄のローブを幾重にも身に纏い、右手には宇宙色の水晶玉のようなものを載せ、その風貌は賢者というより占術師を思わせる。
「見せておきたかったのじゃよ、魔王が望む世界とやらを。我らの巫女にもな」
その巫女よりも小柄な老婆――マクスウェルの手にある水晶が、鈍く煌いた気がした。
先程この場に再現された白き世界は、この水晶によって生み出されたものだ。水晶の名は『未来視姦図』。魔宝と呼ばれる魔性のアイテムであるそれを使えば、他人の未来を夢視ることができるのだという。
「そなたがこの世界に存在する理由、それは魔王を滅ぼす以外にないのじゃよ。そのことを片時も忘れてもらっては困るでの」
「————」
隣の少女が息を呑んだのが分かった。
「マクスウェル様!」
「分かっておる。横暴だと言いたいのじゃろう? 傲慢だと言いたいのじゃろう? それは分かっておる。じゃが、わしとて道楽で巫女を召喚したのではないからのう。
まずは、巫女を魔王の手に渡さぬこと。魔族の中にも召喚術を使える者はおるじゃろう。それは奴らが魔宝を持っていることからも窺い知れる。巫女の現界は世界に一人。なれば先手必勝じゃ。
今後、その力はこの世界のためだけに利用させてもらう——。許せ、我らの巫女よ」
部屋に入ってからというもの、少女は一言も言葉を発せていない。マクスウェルに射抜くような視線を向けられ、たじろぐばかりなのだろう。
だが、老婆の視線は決して冷たいものではなかった。厳しいものではあったが、敵意などとはまったく違う、どちらかというとすがるような――。
「――あの、どういうことか、まだよく分かってないですが」
知らず、巫女の口は言葉を紡いでいた。
「あたしに出来ることなら――」
その言葉は、まるで言術のように。世界に響き、留まり、安定する。
——今でも、なぜあの時、彼女があんなことを言ったのか、シンクには分からない。もしかしたら、その場の雰囲気に流されただけかもしれない。事実上、ほかに選択肢がなかったのかもしれない。
だけど、それでも。
突然召喚された身でありながら、この世界の人類に与すると言ってくれた彼女に、シンクは。
尊敬と、感謝と、親愛を——
いや、それよりもっと、胸を焦がすような根源的で鮮烈な感情を——
どうしようもないほどに、抱いたのだった。
◆
あれから未来に当たる、今。
梓希たち一行は中庭を抜け、パレス内部に足を踏み入れていた。受付を備えたエントランスは吹き抜け構造になっており、平面的な面積も然ることながら、縦方向にも尋常ならざる開放感がある。
元勇者のシンク、八賢者であるカレンは受付を顔パス、連れの梓希も「どうも〜」と会釈するだけで通してもらえた。
ここから最奥にある昇降機で五階まで昇り、謁見の間なる部屋で待てばいい、とカレンは例のゆったりのんびりした口調で語り、そして鼻歌混じりで去っていった。
「お兄様と昼食の約束をしてますの〜〜」
とのことである。
カレンと別れ、梓希はシンクと一緒に広々としたエントランスを突っ切って奥を目指す。通行の妨げにならない場所にはソファや観葉植物が配置され、さながら大規模なマンションやホテルのよう。上階の窓からは明るい陽差しが降り注ぎ、採光性にも優れているのだと分かった。
「ねーシンク。陛下って王様みたいな人?」
「まあ、そんな感じかな……あ」
筒状の昇降機の前まで来た時だった。▲の矢印ボタンを押そうとしたシンクの手が止まる。
「どしたん?」
「……スサノオに会うってことは、サロメさんもいるってことだ」
「そなの?」
「そう。侍女の筆頭だから間違いない」
「へー。……それが?」
「俺は今、サロメさんに会うわけにはいかない……」
「……怒られるから?」
「怒られるから! まだ許してもらってなかった! ここから先はアズ一人で行ってくれぇー」
くるりと方向転換したシンクの肩を梓希がキャッチ&ホールド。
「やだよ初めて来たんだし。案内してよ」
「初めてじゃないから。忘れてるだけだから!」
「同じじゃん。一人にされたら泣いちゃうよ?」
「うっ。それは困る」
たじろぐシンク。梓希は早速嘘泣きを試みたが、すぐに中断を余儀なくされた。
ジジジ……と音がして。
シンクの向こうに未来が見えた。




