第12話 魔力増長
「ちょおっと待ったああぁぁっ!!!!!」
大声とともに、突然どかっと魔王の身体に衝撃が走る。よろりと体勢が崩れた隙に、梓希は両翼に旋回を命じ、お姫様抱っこからするりと抜け出す。そのまま宙を泳いで距離を稼いだ。
「何やってんのかなぁ――、魔王さんよ?」
石化した両脚を股関節だけの力で動かし、体当たりをしかけたシンクが詰問する。梓希を襲おうとした点では他人のことを言えないものの、こめかみに青筋を浮かび上がらせ、怒りに全身を震わせた。
「——痛いよ、君」
魔王は肩をさすりながらシンクを見た。その石化した手には、柄だけの状態となった『主神降臨剣』が握られている。
「ク、ははは! 腕からの魔力供給が途絶えて刃が失われているではないか!」
「アズ、第七番だ!」
「分かってる! 猛りは因達羅の嘶きと蹄に……!!」
シンクが言術の番号まで覚えていたことに軽く驚きながら、そしてこの際リスクは度外視し、梓希は十二言術の第七番【魔力増長】を詠唱する。効果は【対象の魔力が伝播する波を昂らせる】。副作用は今は無視。
たちまちシンクの内なる対魔力が強化され、肩から肘、肘から手首へと石化の勢力図が後退していく。
「「おおお……!」」
気合いで魔力の巡りを補助するシンクと、呑気に感嘆している魔王の声が重なる。
「あとでこっちもお願い〜」
「おっけ待ってて!」
メアの声に梓希は移動を試みる。
一方、魔王は動けない。四肢の自由を取り戻したシンクと相対し、その手に主神降臨剣の輝く刃が現れたのを見て、ちょっとだけ慌てる。
「こらシンク。僕は戦いに来たわけじゃないと言っただろう」
「アズを攫うとも言っただろーが」
「僕を斬る気か?」
「ああ、殺す気だけどな」
「馬鹿め。そんなことをしてみろ、魔族が大挙して押し寄せてくるぞ」
「アズを守れるのなら、俺はそれでも構わない」
「おお、ジーザス!! 市街への被害を許容するのか? 勇者にあるまじき発言だぞ。まぁどのみち、僕がアズールに危害を加えることはありえない。従って、君が彼女を守る必要も皆無というわけだ。オーケー? 分かったら落ち着け」
「……指一本触れることさえ危害と見なすが?」
シンクの表情は変わらない。
魔王はやれやれと肩をすくめて踵を返す。そして瞬間移動用の明滅する扉を出現させて、
「興が殺がれた。此度はいったん退こう。だがアズール、先ほどの婚姻の件、是非とも考えておいてく――れェッ!?」
その場を辞そうとした魔王だったが、シンクに首の後ろをチョップされて去り際の台詞も満足に言えぬまま、扉の中へと倒れるようにして姿を消した。
ぐぎゅるるん(怪しげな扉が消える音)。
続いて、取り残される形となった竜頭の魔鳥が天高く飛び上がる。
去るのならよし——。シンクは巨体が宵闇に紛れるのを見送った。
「平気か、アズ」
「……うん、まあ。抱っこの時にお尻触られただけ」
「あの野郎! やっぱ殺しとけば……!」
「あら、逃したのは賢明よ。報復の懸念ももちろんだし、どうせ今は無理だもの」
「…………え?」
シンクは頭上に?マークを浮かべている。
「ふふ、そこは忘れてるのね」
メアは意味ありげに笑い、
「ところで、私の心配はしてくれないの?」
「え、だってメアは大丈夫でしょ……。石化も治ってるよね?」
「あんたねえ。そこは一応心配しないと。だからシンクは下僕なのよ!」
「ええ……」
梓希の理不尽な説教が始まり、相変わらずねえ、とメアは相好を崩す。そして魔宝の扉『天照世界門』が消えた先を見つめ、呆れたように呟いた。
「ドネルも相変わらずだったわねえ」
<――ドネル=クェイバブ。それは魔王の名。魔王ドネル=クェイバブを、これからもよろしく>
「お前は帰ったんじゃなかったのか」
ばたん。再び扉の中から現れようとしたドネルだったが、シンクに無理やり閉められた。
「ていうかよろしくとか誰に言ってん……」
ばたん。唐突に地に倒れ伏すシンク。その頭を梓希はペシペシと叩く。
「もう限界かな?」
魔力増長の副作用。極度の心身疲労により、シンクは昏睡状態に陥った。
「お姉さんは大丈夫なの?」
「いやねえ、名前忘れちゃったの? メアよ?」
「あー、ちょっと記憶喪失やってまして……」
「え、そうなの? 大変ねえ。てか私の方ももう少ししたらヤバいかも。シュヴァイツにでも連絡しとくわ」
ひとまずお姉さん——メアがシンクのように速攻寝なくてよかったと梓希は思った。魔王が帰ってくれたから事なきを得たものの、二人の眠りに落ちるタイミング次第では非常にデンジャラスな状況に置かれてしまったことだろう。
「シュヴァイツって、さっきのイケメンか。なんか馬車的なのほしいー。あたしもお疲れちゃんだよー」
立て続けに言術使ったし。なんならメアより先に寝たいまである——へなへなと梓希は腰を下ろす。そのフォルムは由緒正しき体育座り。やはり疲れた時はこれが落ち着く。
「あー、タコパしてー。メアさんのおっぱい揉みてー」
「まずいわ、アズちゃんの言動が超絶自由になってる……!」
——そこへ。とぷん。一瞬にして、長身痩躯の人影が地中より現れる。
「二人とも、ご苦労様」
「わ、びっくりしたぁ!」
シュヴァイツが突如眼前に登場し、梓希の肩がびくっと跳ねる。
「腰抜かすかと思ったー」
「すまない。座っている時でよかったよ」
爽やかに笑うシュヴァイツの足元を見れば、街灯に照らされたメアの影があった。
——そう。彼は地中からではなく、彼女の影の中から現れた。その影が梓希の方に伸びていたから出現ポイントが近くなって驚かされたし、またスカートの中を見られてしまった可能性もある。
まあ体育座りしてたからね、しょうがないね、と梓希は自らを慰めた。
「近場に宿を取っておいた。今夜はそこで休むといい」
シゴデキな風格を漂わせ、シュヴァイツが朗報をくれる。これでケーキ大食い勝負せずに安眠できそう……と梓希は胸を撫で下ろす。いやちょっと食べたかったけど。あと今まで忘れてたけど。
「ふぅー。影を踏んでおいてもらってよかったわぁ」
メアも安堵の面持ち。もう結構眠たげに見える。
「シュヴァさんのワープってさ」
「シュヴァさん……?」
真顔で呟くシュヴァイツに構わず、梓希も真剣な表情で訊く。
「もしかして、踏んだ影から出てこれるってコト……!?」
「ああ、その通りだ」
「わお。似た魔術を知ってるんだけど、シュヴァさん制限緩くない? 影を踏んじゃえばフラグが立って、それからは自由に行き来できるんでしょ?」
「いや、一方通行だよ。私の影から、踏んだ相手の影までのね。とはいえ、さらに『墨下蒼深陣』の力を引き出せれば、あるいは違うのかも分からないが」
「あのねぇ……もう十分な性能してると思いますけど?」
メアが口を挟み、欠伸を一つしてから、
「宿ってどこかしら? あと5分で寝ちゃいそう」
「ここからすぐの酒場『ロスト・ジーニアス』の四階だ。私の名前を出せば泊まれる」
「あそこねー。りょうかーい」
眠たげボイスで緩く返事をし、メアは梓希の肩に触れる。
「アズちゃん、一緒に行きましょ」
「やったー! 休めるー!」
メアの手を取って喜ぶ梓希。
(……ん? 何か忘れているような?)
「まあいっか!」
「おやすみ、二人とも。シンクは私が運んでおこう」
「あー、そうだった」
梓希が視線を下げると、そこには地に横たわりすやすやと寝息を立てる自称元勇者の姿があった。
<空襲警報は解除されました。ご協力ありがとうございました。空襲警報は——>
防災無線が流れ、屋外に徐々に喧騒が戻ってくる。
「おー、シュヴァイツ様! メア様も! お疲れ様です!」
「おや、シンクは死んだんですかい?」
なんか一人だけ扱いひどいな、と梓希は思ったけど言わなかった。