プロローグ:魔法に傾倒した老人、ドクラスの最期
「……フ、フフ……完成した、か」
小さなロウソクの赤い炎が、頼りなさげにゆらり揺らめく。そこから発せられる光量は、この広すぎる部屋の全てを照らすにはあまりに不十分で……しかし、既に十分すぎるほどの異常さを浮き彫りにしていた。
――白、白、白。
ロウソクが置かれた、大きな木製の机。その上はびっしりと同一サイズの紙で埋め尽くされており、机の周りにも同じ紙がうずたかく積み上げられている。万が一にもロウソクが倒れれば、紙に火が燃え移って即大惨事となるであろうに――その中の1枚の紙を満足気に凝視する、見るからに不健康そうな老人は気にも留めていない。
老人の名は、ドグラス。髭、眉毛、頭髪、その全てが真っ白に染まり、頬は痩せこけ肌は青白い。充血して落ち窪み、しかしカッと大きく見開かれた双眸は、不気味な光を爛々と湛えていた。
……ただし、老人は決して邪な考えを持った人間ではない。ただ純粋に魔法へと傾倒し、魔法の研究以外のほぼ全てを遥か彼方へ投げ捨ててしまっただけの、究極の天才とでも言うべき人物なのである。この場面だけを切り取って見れば、もはやマッドサイエンティストにしか見えないのは同意するが……。
「……フ、フフフフフ……」
あまりに不気味な笑みを浮かべつつ、ドグラスは凝視していた紙を手に取る。
――黒、黒、黒。
縦30センチ、横40センチほどの長方形の紙には、謎の模様が黒インクでびっしりと描かれていた。円・三角形・ひし形・台形、五角形・六芒星・その他様々な図形や記号が紙上にてひしめき合い、複雑に重なり絡み合い……そうして出来上がった図形の内側に、落書きとも文字とも言い難いナニかが大量に書き込まれている。
その呪術的な模様は、ともすれば人の根源的な恐怖心さえ呼び覚ましてしまうほどに混沌とした見た目でありながら……見る者が見れば、その目的がすぐ分かるほどの単純明快さを併せ持っていた。
「ああ、ここまで長かった。フフフ……ぐっ、げぼっ」
くつ、くつと笑った後、ドグラスが小さく湿った咳を溢す。
……ドグラスの口端から、血の帯が一筋垂れた。咳に混ざった血痰が、手に持つ紙の端を赤く汚していった。
「……フ、フフ……老いた身とは、実にままならぬものだ」
ドグラスは、治療法の無い伝染性の病を患っている。罹った瞬間に余命は1年も無くなる、とまで言われるほどの苛烈な死病だ。寝食する間も惜しんで研究に没頭し、さらには老いて免疫力が落ちた結果得た貧弱な体では、常ならば1ヶ月とて保たなかったであろう。
それを、ドグラスは執念で耐え抜いた。死病を患ってより3ヶ月、驚くべき気力と精神力でもって彼の命はどうにか現世へと繋ぎ止められていたが……もはや、それも限界に近付いていた。
「もはや一刻の猶予も無い、か。付加したい機能はまだたくさんあったのだが、根幹部分が間に合っただけで良しとしよう。このまま何もできず、何も残せず、ただ死ぬだけよりはずっといい」
ドグラスは口端より零れる血を人差し指で拭い取り、紙に描かれた呪術的模様の周りを囲うように塗り付けていく。
……やがて、濁った血色の輪が呪術的模様をすっぽりと囲った後。ドグラスは最期の力を振り絞り、呪文を唱え始めた。
「我が命よ廻れ廻れ、生命の転輪を乗り越えて、我が魂の一片でも後世に遺せ……起動・輪廻転生の秘術」
ドグラスが一息にそう小さく呟くと、どういう原理なのか呪術的模様だけが紙から剥がれ、宙をフワフワと飛び始めた。
それは、実に奇妙な光景だった。正面から見れば、確かに呪術的模様はそこにあるのだが……真横から見ると、模様はまるで消えて無くなってしまったかのように見えるのだ。
実はこの呪術的模様、厚みという概念が存在しない。3次元空間の中にあって、現実に存在する全ての物体はどれほど薄くとも"立体"であるのだが……その模様は普通ではあり得ない、完全なる"平面体"としてこの世に現出している。
「……さて、鬼が出るか蛇が出るか、我が悪運を試してみるとしよう。分の悪い賭けは、昔から嫌いではないからな。"リィンカーネーション"」
ドグラスが、最後の呪を紡ぐ。
瞬間、宙に浮いた呪術的模様からまばゆいばかりの白光が溢れ出て……ドグラスを包み込んでいった。
……やがて、白光が収まった頃。そこには生気が失われた目を見開き、机に倒れ伏す老人の姿があった。ドグラスが行使したリィンカーネーション、輪廻転生の秘術により、魂のみが輪廻転生の生命の輪へと旅立っていったのだ。
今の老人の体は、いわゆる脱け殻の状態だ。心臓が動いている、という意味ではまだ生きてはいるものの……死病に蝕まれた体は、やがて本当の死を迎えるであろう。
もっとも、体が燃え尽きてしまう方が早いのであろうが。
ドグラスの体が机に倒れた時の衝撃で、机の上のロウソクもまた倒れてしまったのだ。その小さな火が、机の上に散らばっていた紙へと燃え移り……炎となってあっという間に燃え広がっていく。
最初に、老人の体が炎に覆われていく。老人が身に着けていたローブに、この熱量を耐えられるだけの性能は無く……炎に包まれ、焼け落ちていった。
続けて、木製の机とその周りに積み上げられた紙の山が燃えていく。勢いに乗った炎が紙へと燃え移り、凄まじい勢いで広がっていき……煌々と燃え盛る炎の圧倒的な光量で、部屋の様子を隅々まで照らし出した。
紙だらけの領域の外は、金属の塊が大量に転がる空間だった。その金属は黒くくすんだもの、赤色に輝くもの、白く光るもの、など様々で……ドグラスがいた机に近いものほど人の形に近く、また金属そのものも希少なものとなっていた。
しかし、机のすぐ近くに横たえられたソレ。ちょうど机の真裏にあり、ロウソクの光でも照らし出されなかったソレは完全に人の形をしており、全身が薄黄色に鈍く光っている。見る者が見れば、驚愕の声を上げていたことだろう。
なにせ、ソレは"伝説の金属"とまで呼ばれる世界最高の金属、オリハルコンでできていたのだから。高熱、冷気、酸、アルカリ、打撃、摩擦、風化、錆、腐食……金属を劣化させるありとあらゆる要因に対して、オリハルコンは異常なほどの強さを見せつける。実際に、とある帝国の国宝となっている宝剣は全てオリハルコンでできており、約2000年もの間その美しい造形を留め続けているのだ。
一方で、オリハルコンはその規格外の強靭さゆえ、精錬・加工が非常に難しい。熱を加えても全く溶けず、削ろうにも硬すぎてダイヤモンドすら弾かれてしまう。
唯一、地属性魔法を極めた者だけがそれを可能とするのだが。現代には、そのような魔法士は存在しない……いや、存在しなくなった、と言う方が正しいか。
リィンカーネーションを行使し、今しがたこの世に別れを告げた老人――ドグラスを除いて、オリハルコンの精錬・加工が可能な地属性魔法士はもはやこの世に存在しないのだから。
……やがて、火の手は部屋全体に燃え広がっていく。アダマンタイト、ヒヒイロカネ、ミスリル、アイアン、ブロンズ――あらゆる金属が業火の中で溶け、あるいは焦げて黒ずんでいく中、オリハルコン製のソレだけはなんら変化無くその場に佇んでいた。
「……ドグ…………ラス………サマ………」
ソレの口が小さく動き、ぼそぼそと言葉を発した……その次の瞬間。
――バキバキバキッ!!
柱や壁に炎が燃え移り、重量を支え切れなくなったことで巨大な天井がソレの上に降ってくる。その場から全く動けないソレが、落ちてくる天井を避けられる道理などなく――そのまま崩落に巻き込まれ、天井ごと床を突き抜けて深く深く地下へと落ちていった。
……そして、ドグラスの魂は輪廻転生の奔流の間を揺蕩い続け――やがて、とある場所へとたどり着く。
ディオニソス大陸西方、アルカディア王国。ディオニソス大陸3大国の一角に数えられてはいるものの、前王が急性の病により崩御した結果、王位継承権争いが勃発。その最中に仇敵・ヴィルヘルム帝国による侵攻に遭い、今まさに国力が低下している状態の国だ。
その攻めにくく守りやすい立地ゆえ、王都まで攻め込まれることは無かったものの……国土の約2割をヴィルヘルム帝国によって奪われ、ディオニソス大陸3大国の地位さえ危うい状況へと追い込まれている。
そんな危機的状況の国に生まれたとある赤ん坊の体に、ドグラスの魂が定着したその時から。
後に大陸へ覇を唱え、アルカディア神聖王国と名を変える超大国の快進撃の幕は、切って落とされるのであった。
(2025.4.22)文章を一部修正しました。
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