恋人同士?
風が止み、竹林の空気がしんと静まり返る。
これ以上報告すべきこともなく、私はそろそろ喜凰妃様の宮に戻ると切り出した。
「それではまたご報告しますね」
逃げるように去ろうとする私。
でもそれを流千が引き留めた。
「あ、采華。宮廷の食堂で蒸した包子をもらってきたから食べなよ。肉入りでうまいから」
「えっ、ありがとう!」
「嫌がらせで食事を抜かれる頃かなって思って持ってきたんだ」
「すごい、よくわかったね!?」
食堂でごはんをもらうには、支給された銅の細長い板が必要だ。今朝、女官用の寝所で起きたら引き出しに入れてあったそれが盗まれていて、今日はもう食べられないと覚悟していたところだったのだ。
初日の挨拶で反感を買ったというのはわかっているので、犯人は女官たちの誰かだろう。
でも揉め事を起こして首になってしまうと困る。今はひたすら耐えるしかないと覚悟していた。
「僕は女心がわかるからね」
「それを女心と言われるのはちょっと嫌だわ」
嫌がらせも女心のうちなの?
私は複雑な気分になるものの、流千が差し出した茶色の包みを受け取る。
流千は、ほかにも袖から灰色の粉や小さな呪符を取り出した。
「虫除けの粉と悪霊除けの呪符も作ってきた」
「あ~、呪符は受け取るけれど虫除けはいらないかな。昨日部屋に置かれていた箱の中に、生きのいいヤモリと大きな蜘蛛、それに切り取られた百歩蛇の頭が入っていてね? 薬や酒にできそうだからありがたいなって思って」
「あぁ、そうだね。虫除けを置いたら弱っちゃうか~。死にはしないだろうけれど」
鮮度にはこだわりたい。
私はそのありがたい贈り物を自分の宮にこっそり運び、別々の籠に入れて保管した。
「そんな物を贈られたら嫌がるのが普通だろう? 逞しくて何よりだが……薬や酒を自分で作れるのか? 作ったそれらはどうするつもりだ?」
仁蘭様が呆れた顔でそう言った。
これには流千が語気を強めて答える。
「後宮を抜け出して街に売りに行きます。生活するには金がいるんで!」
「抜け出すな!」
「ちゃんと帰ってくるから別にいいじゃないですか」
「そういう問題ではない」
おまえはそんなことをしていたのか、と仁蘭様が呆れかえっていた。
でも妃になったとはいえ、生活費は生家の援助に頼らなければならない。妃に支給される食糧や布だけではとてもやっていけないからだ。
名家のお嬢様方は何の心配もいらないけれど、妃にかろうじて滑り込んだ私は裕福ではない。女官の方が給金がしっかり出るので、下級妃よりもいい暮らしができる気すらしていた。
尚書省に直接的な恨みはないが、流千は仁蘭様に対し不満げな視線を向けた。
「腹が減って死んだら元も子もないじゃないですか? これくらい見逃してもらわないと」
流千は堂々とした態度で、むしろ「妃が飢えるような制度が悪い」と言いたげだった。
「僕らは『命を大事に』を最優先で生きていますから。あ~でも采華が食事をずっともらえなくて飢え死にしたらどうしましょうね? 美明さん、捜せなくなりますね~」
最後の一言に、仁蘭様の眉がかすかに動いた。
さすがにそれは困ると思ったらしい。
「食事については部下に運ばせる」
「ありがとうございます!」
流千は笑顔でお礼を言う。
私はまさか食事の手配までしてもらえると思わなかったので、驚きすぎてお礼を言うのが遅れてしまった。
「あ、ありがとうございます。助かります」
流千が脅して食糧をもぎ取ったのではと少々罪悪感を抱いたものの、本当にありがたかった。
「美明のことは絶対に見つけろ。取引のことは忘れるな」
仁蘭様はそう言い残すと、私たちを置いて去っていく。
死んだらそれまでと言っておきながら、こちらの要望を聞いてくれるのは彼が本当は話の通じる人だったのか、それともよほど彼女のことを見つけ出したいのか……?
すでに遠く離れた仁蘭様の背中を目で追っていると、流千がふと気づいたように言った。
「もしかして恋人なのかな。仁蘭様と、いなくなった美明さん」
「え?」
それは予想外だった。
女心なんてどうでもいいという風に見えたのに、実は恋人がいなくなってつらい思いをしている可能性がある……とは目から鱗が落ちるとはこのことである。
「お可哀想に、仁蘭様。きっと心配で堪らないでしょうね」
本当ならご自身で探しに行きたいのに、男であるから後宮に女官として潜り込むこともできない。彼の苦しみを想像すると胸が痛んだ。
「まだそうと決まったわけじゃないよ。下手に同情したら損するよ」
一体何を損すると言うのだろう?
何でも損得で考えるのはよくないと窘めるも「はいはい」という気のない返事が寄こされた。
「采華、人の心配より自分の心配した方がいいよ」
「それはそうかもしれないけれど……恋人がいなくなったのならやっぱり可哀想だわ」
美明さんの手がかりをなるべく早く見つけてあげたい。
また強く吹き始めた風が長い黒髪を揺らし、私は右手でそれを押さえながら竹林の中を歩いて戻っていった。