押し売り
少しの沈黙の後、仁蘭様は怪訝な顔で尋ねてくる。
「嘘をついているようには見えないが、なぜ本当のことを話す必要が?」
「なぜ……?」
私はやや首を傾げる。
隠し立てできないのであれば、巻き込んだ側の責任としてきっちり説明するしかないのでは?
彼は、私がどうして本当のことを話したのか理解できないようだった。
「正直に話したところで、どうせ処罰を受けると考えなかったのか?」
「でも今ここで嘘をつく意味もございませんし、巻き込んでしまって申し訳なかったと思いまして。何より、悪いことをしたら謝るのが当然でしょう?」
「当然?」
「は、はい」
会話が嚙み合っていないというよりは、互いの価値観が重ならない。そんな気がした。
しばらくの静寂の後、流千が真面目な顔つきで言った。
「確かに、僕たちの行いはよくないものでした。ですが、やむにやまれぬ事情があって……! 妃の誠意に免じてどうかお許しを……! 僕たちは仁蘭様の敵ではありません。どうかそれだけは信じてください」
心から反省している空気を醸し出しているが、私は気づいていた。
流千、絶対に謝りたくないのね?
まだごまかせるって思っているのね?
私が呆れた目を向けても、流千はじっと仁蘭様を見つめ続けていた。
「刀を奪っておいて信じろと?」
仁蘭様は薄く笑いながら、冷たい声でそう言った。
「あっ、刀!」
そうだった。仁蘭様と共に落ちていた刀は、預かったままだった。
私は「少々お待ちくださいね?」と断りを入れてから、厨房に置いてあった刀を取って戻ってきた。そして、寝台に近づき刀を彼の前に差し出した。
「どうぞ。錆びるといけないのでカタバミの葉で軽く拭っておきました」
後宮にはカタバミがたくさん生えていて、春の訪れと共に少しずつ花を咲かせている。鏡を拭くために葉を集めていたらそれが役立った。
彼は本物かと疑っている様子で、右手で刀を受け取った。あっさり返されて意外だったのかもしれないが、物取りじゃないんだから刀なんて奪ってもどうしようもない。
仁蘭様は鞘を抜き、刀の状態を目で確かめてから静かにそれを戻した。
「刀まで返すとは」
何だか呆れられている気がする。
でもこの方は流千の無礼な態度にも怒ることはなかったし、もしかして話の通じる人なんじゃないかと思い始めていた。
少なくともいきなり斬りかかってくるような人ではないと思う。
「おまえは自分の状況をわかっていないのか?」
「わかっていますよ」
「ならば刀は返すべきではなかった」
「今さらそんな風に言われても」
流千の視線からも、「返さない方がよかったのに」という思いが伝わってくる。
「私は何も考えずに刀を返したわけではないですよ? 仁蘭様は目覚めたときにちょっと暴れただけで私を殴ったり蹴ったりしませんでしたし、刀を返しても大丈夫だと思って」
「おまえの『大丈夫』の基準が理解できない。俺のどこに信じられる要素があった?」
「勘です。昔から私の勘は当たるんです」
「わかった、では勘が外れたということでお望み通り今すぐ斬ろう」
手にしたばかりの刀を抜こうとする仁蘭様。
私は慌てて一歩下がる。
「すみません、やめてください。助けて……!」
話の通じる人ではなかった!
必死の形相で命乞いをしていると、立ち上がった流千が私の肩をそっと掴む。ごく自然に私は流千の背中に隠された。
「あの、仁蘭様に一つ提案があります」
この状況と合わない明るい声だった。
仁蘭様は不信感たっぷりの目で流千を見る。
「提案だと?」
「はい、ここで僕らを斬ったところで何の得にもなりませんので、もっと利のある話をしませんか? こちらにも色々な事情がありますが、仁蘭様にも何か複雑な事情があるように見えました」
「…………」
「ご自身で祖呉江へ行かなきゃいけないくらいお忙しいみたいですし、強力な護符を刀につけるほど誰かに心配されていらっしゃる」
流千は、仁蘭様の刀の柄についていた薄青色の石を指さしていた。私には飾りの宝石にしか見えなかったけれど、護符と表現したということはそこに神力が込められているらしい。
仁蘭様は流千の言葉を否定することなく、その真意を探るように睨んでいた。
「ここは穏便に取引をしましょう? 僕はけっこう使えますよ」
まさかの押し売りが始まった。
笑顔で話す流千は、仙術士ではなく商人に見える。
すごいわ、流千。こんなに信用の低い取引は初めてよ?
我が弟ながらどこまでも図太かった。
「取引ね……それはおまえたち二人を見逃せと?」
「はい、何もなかったことにしてもらいたいんです。それから、皇帝陛下への嘆願書も仁蘭様から渡していただきたい」
「随分とおまえに都合のいい話だな」
二人のやりとりを、私ははらはらしながら見守る。
流千の言った条件で取引ができるなら、願ってもいないことだ。ただし、あまりにこちらに都合が良すぎて、一体どれほどの代償を払えばいいのかわからない。
そもそも取引に応じてくれるのか?
仁蘭様は刀を握っていた手を顎に持っていき、神妙な面持ちで何かを思案していた。
私たちはじっと彼を見つめながら答えを待つ。
「確かに、使える仙術士は欲しい。人質がいればそう簡単には裏切らないだろうし、悪くない話だ」
人質って私のことですか?
仁蘭様がじっとこちらを見てくるので、居心地が悪くなり目を逸らした。
「仙術で人捜しはできるか?」
予想外に、仁蘭様は前向きだった。
その『人捜し』を手伝えばもしかして……と期待が込み上げる。
「はい。術が使える条件はありますが、首都の中であれば僕の気の届く範囲かと」
「場所は後宮の中だと言ったら?」
「後宮は無理です! 誰かが強い結界を張っているので」
「自分はけっこう使えると言ったそばからそれか!」
「できないことをできないと正直に言うところは美点ですよ!」
なぜ堂々としていられるんだ、と顔を顰める仁蘭様。眩暈がするのか、右手でこめかみを押さえる仕草を見せた。
「大丈夫ですか? ちょっと冷めてしまいましたが桑の茶を飲んで落ち着かれた方が……」
桑の茶は手に入りやすいのに体にいいとされていて、范家の店にも置いてある人気の茶だ。
私が茶を勧めると、仁蘭様は何かに気づいたように顔を上げてこちらを見る。
「な、何ですか……?」
私には神力もなければ、仙術も使えないんですけれど!?
嫌な予感がする。
「お茶、淹れ直しましょうか?」
引き攣った笑みを浮かべながらそう言うも、さらりと無視された。
「范采華、おまえに仕事を命じる」
仁蘭様の威圧感に、断ることは許されないと直感する。
仕事の内容が何であろうがやるしかないのだ。
緊張で両の手を握り締めながら、私は「はい」と答えた。