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皇帝陛下は……

采華(サイカ)、怪我は?」

仁蘭(ジンラン)様、怪我は?」


 二人の声がほぼ同時に重なる。

 赤い髪がはらりと私の頬にかかり、その顔の近さにどきりと胸が鳴った。


「あ、ありません。左の肩だけ……?」

「それを『ある』と言うんだ」


 再会してさっそく怒られた。

 私は眉根を寄せて不満を訴える。


「……遅かったですよ」

「でも約束通り迎えに来ただろう?」


 仁蘭(ジンラン)様はそう言ってくすりと笑い、私を支えながら起き上がった。


「みゃう」

「神獣様?」


 流千(ルーセン)の肩にいたはずの神獣様がとことこと私に近づいてきて、手首を拘束していた縄を嚙み切ってくれる。


 しかも血の滲んでいた手首をぺろりと舐めれば、瞬く間に傷は消えていた。


「すごい……ありがとうございます!」

「にゃうみゃう、うう」


 まるで「もう大丈夫か?」と聞いてくれているみたいだった。

 私は笑顔で頷き、神獣様を抱き上げる。

 気づけば辺りには仁蘭(ジンラン)様の部下が散らばっていて、喜凰(きおう)妃様や武官たちを拘束していた。


 腕を斬られた禅楼(ゼンロウ)様は血塗れで蹲っていて、唖然とした表情でこちらを見ていた。


「うぐっ……! そ、その虎を寄こせ……!」


 私は咄嗟に神獣様を隠すようにして抱き締める。


「贄を、最上級の贄を」

「まさか神獣様を妙薬づくりの贄にするつもりだったの?」


 禅楼(ゼンロウ)様は痛みで呻きながらも、もう片方の腕を必死に伸ばしている。

 喜凰(きおう)妃様も縋る目で神獣様を見つめていた。

 この状況でもまだ若さや永遠の命に執着する二人の姿にぞっとする。


「よかった、爺さんが吹き飛んでなくて」


 まったく緊張感のない声を発しながら、流千(ルーセン)禅楼(ゼンロウ)様に近づいていく。

 そばに片膝をついたので腕を止血をするのかと思いきや、やや乱暴に禅楼(ゼンロウ)様の体を起こした流千(ルーセン)はその袖の中を探り始めた。


「何をするっ!! 離せ!」

「あ、これだ。ありました、仁蘭(ジンラン)様!」


 流千(ルーセン)は満面の笑みで奪った物を掲げる。

 それは白い紙で作られた人型の呪符で、数十枚はありそうだった。


「もしかして、それは美明(ミメイ)さんたちの?」


「うん、これをきちんと浄化して無効すれば元の姿に戻れる」


 一度、美明(ミメイ)さんに盗まれそうになったから肌身離さず持っていたのだろう。

 流千(ルーセン)は呪符が見つかれば用済みだと言わんばかりに、禅楼(ゼンロウ)様をほかの人に引き渡す。


 禅楼(ゼンロウ)様は斬られた腕をもう片方の手で押さえているだけで、もはやこれまでと抵抗しなかった。


 呪符が奪われたのを見て動揺したのは、若さを奪っていた喜凰(きおう)妃様の方だった。


「嫌! 返して! だめよ、それは……!」


 仁蘭(ジンラン)様の部下に取り押さえられているのに、それを振りほどこうと必死になって手を伸ばす。


 美しさに固執した彼女は、男性たちが驚くほどの力で抵抗していた。


「やめて! 私は、私は美しくなければいけないのよ! 呪符を返しなさい!」


 簪が床に落ち、髪を振り乱して呪符を取り返そうとするその姿を見て、私の胸には虚しさが込み上げる。


「お父様、お父様が許さないわ! 私にこんなことをして……! 離しなさい!」


「おまえは己の罪に気づくこともできないのか」


 喜凰(きおう)妃様の泣き叫ぶ声が響く祈祷殿に、突如聞こえてきた低い声。掠れたようなその声は、静かな怒りを孕んでいる。


 声がした方を振り向くと、大きな黒い扉の前に豪奢な黄色の装いに玉冠(ぎょくかん)を被った人がいた。


 大勢の武官が付き従うこの方こそ、当代の皇帝陛下なのだと直感する。


「陛下……?」


 喜凰(きおう)妃様は驚いて目を見開き、うわ言のように呟く。そして次第に歓喜の表情に代わり、頬を染めて言った。


「ああっ、陛下。お会いしたかった……! ようやく私のところへ来てくださったのね!」


 きれいに結い上げていた髪はその一部が垂れ下がりはらりと頬にかかっていて、襦裙(じゅくん)は肩の一部が破れて無残な姿になっている。


 そんな状態でも、彼女の目には皇帝陛下しか映っていない様子だった。

 何と哀れな……と誰もが感じている中で、喜凰(きおう)妃様だけは自分の状況に気づいていない。


喜凰(きおう)妃、ならびに仙術士禅楼(ゼンロウ)。先帝殺害および後宮での宮女拉致監禁などの罪は重い。おまえたちには相応の罰を下す」


 皇帝陛下は、玉冠(ぎょくかん)の飾り越しでも鋭い目で喜凰(きおう)妃様を睨んでいることがわかった。


 喜凰(きおう)妃様は脱力し、涙に濡れた顔で陛下を見つめている。


「陛下? なぜ? 私に会いに来てくださったのでしょう?」

「黙れ」


 皇帝陛下は、喜凰(きおう)妃様に一切の発言をお認めにならなかった。

 これには喜凰(きおう)妃様も口をつぐみ、床に手をついて涙を流す。


 美しさにこだわるのは貴族女性として当然だけれど、あまりにも行き過ぎた執念だった。

 項垂れる喜凰(きおう)妃様をただ見つめることしかできない私は、ふいに皇帝陛下がこちらに顔を向けたことに気づき、慌てて合掌して頭を下げる。


 今、確かに目が合った……!


 どうしよう。まさかこんなところでお会いするとは思いもしなかった……!

 動揺していると、ふっと笑った声が小さく聞こえた気がした。


采華(サイカ)妃よ、此度はよき働きであった」


 その声にさきほどまでの険しさはない。

 落ち着いた、頼もしい声音だった。


 陛下は私を見て『采華(サイカ)妃』と言った……?

 仁蘭(ジンラン)様から私たちが皇帝陛下を召喚しようとしたことは耳にしているはず。いくら仁蘭(ジンラン)様と取引したとはいえ、そのやましさで心臓がばくばくと激しく鳴り始める。


 以前は「陛下にお会いできたら(ハン)家の窮状を訴えたい」とか思っていたのに、いざこうして対面すると頭が真っ白になってしまった。


 そんな私に陛下は静かに話しかける。


「助けに入るのが遅れてすまなかった。この者たちの本性を炙り出し、皆の前でそれを晒すにはこれが最も確実だと思ったのだ。だが、恐ろしい思いをさせた」


「い、いえ。そのようなことは……! ご厚情を賜り、ありがとうございます」


 為政者としての判断で、私を囮にした。

 陛下のおっしゃったのはそういうことだったが、きちんと間に合う頃合いを見計らって踏み込んでくれたのだからむしろ優しいと思う。


「今宵はゆっくりと休むように。仁蘭(ジンラン)采華(サイカ)妃を任せる」

「かしこまりました」


 陛下は、私たちにお怒りではなかった。それどころか、まさか謝られるとは……!

 皇帝陛下はとてもお優しい方だった……!

 ほっと安堵すると共に、胸の中に一つの疑問が生まれる。


 この声にあの背格好は確かに覚えのあるものだったのだ。

 合掌したまま皇帝陛下の方へちらりと目をやれば、去っていく背中だけが視界に入る。目で追っているうちに、思わず呟くが漏れた。


史亜(シア)様……?」


 皇帝陛下は今のお姿こそ男性だが、女官の史亜(シア)様だとわかった。

 でも史亜(シア)様は女性のはず。私の宮で会った彼女の声も姿も、振る舞いもどう考えても女性だった。


 その上で改めて陛下の背中を見つめれば違和感がある。


仁蘭(ジンラン)様、あの方は一体」

「…………」


 答えは返ってこない。

 何も言えない、という空気を感じた。

 あぁ、やはりそういうことなのだ。


 ──皇帝陛下は即位の儀で『妃はいらぬ』とおっしゃられた。


 私が仁蘭(ジンラン)様に「なぜ皇帝陛下はどの妃のもとへも通わないのか?」と聞いたとき、彼はそんな風に話した。


 陛下が妃はいらぬとおっしゃったのは『妃は持てない』という意味だったのでは?

 事情はわからないけれど、陛下が女性であったのなら辻褄は合う。

 絶対に後宮へは来られないし、妃を持てるはずがない。


「ん? でもそれなら召喚術は……?」


 召喚術で仁蘭(ジンラン)様が喚ばれてしまったのはどういうことなんだろう?

 最初は髪の毛が仁蘭(ジンラン)様の物だったからだと思っていた。

 でも流千(ルーセン)はずっと「呪符に記した条件と髪の毛の持ち主が違うのならなぜ発動したのか?」と不思議がっていた。


 何かがおかしい。


 私は俯いて考え込む。


「どうした?」

「……」


 皇帝陛下は女性だった。だから召喚の条件には合わない。

 仁蘭(ジンラン)様が召喚された理由は実に単純で、皇帝の地位に最も近い男子がこの方だったから……ではないの?


 まさか(コウ)家の二男というのは仮の身分で実は先帝様の隠し子とか……? そこまで情報を整理して、一気に血の気が引いていくのを感じた。


采華(サイカ)

「はいっ!」


 仁蘭(ジンラン)様に呼びかけられ私はびくりと肩を揺らす。

 恐る恐る顔を上げれば、仄暗い目でにやりと笑う仁蘭(ジンラン)様がいた。


 あっ、まずい。踏み込んではいけない領域に踏み込んでしまったらしい。


「何ですか……?」


 怖い。怖すぎる。


「逃げるなよ」


「ひぃっ!」


 こ、これは気づいている。私が気づいたことに、気づかれている!

 一歩下がろうとしたそのとき、神獣様がするりと私の腕を抜け出ていく。白銀色の尻尾をぴんと立てながら走っていったと思ったら、流千(ルーセン)の背にぴとりとくっつくのが見えた。


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