鬼上司は本気らしい
黒檀の卓上に、温め直した醬大骨と粥、それに私が淹れた熊笹茶の器が並んでいる。
話がひと段落したところで、飲み頃になった薄い色の茶に皆で口を付けた。
「……この味はあまりなじみがないが、うまいものだな」
仁蘭様の感想に、私は笑顔で答える。
「後宮の西側に生えている熊笹を使って茶葉にしました。寒さに強いので私がここへ来たばかりの頃でもたくさん自生していたんです。滋養にいいと言われているので、お金がかからず手に入ってありがたいです」
「おまえが作ったのか?」
「はい」
乾かして水分を抜くのは、流千の仙術で工程を省略している。
一人で作っているわけではないが、後宮の敷地内を歩いて熊笹を採ってきたのは私だった。
「茶葉は高いですからね。その辺りで手に入る草木を探しています」
「その辺りで」
仁蘭様はやや呆れていた。
名家のご子息にとっては、これもまた亀と同じく『出所のわからない怪しいもの』なのかもしれない。
「安全性の確認は取れているのか?」
「もう何度も飲んでいるので大丈夫ですよ。仁蘭様がご不安でしたら別の茶に……」
「俺ではなく、おまえだ。もっと慎重になれ」
まるで私の身を案じるようなことを言い始めた仁蘭様に、一体どんな心境の変化があったのかと困惑する。
骨付き肉を頬張る流千は、茶を呷るようにして一気に飲んでから言った。
「死んだらそれまで、なんでしょう? だったらいちいち警戒せずに何でも飲み食いしてもいいじゃないですか」
「くだらない死に方はまた別だ」
「わがままですね?」
「…………話を戻そう」
仁蘭様は流千を横目に見ていたが、私の方に向き直る。
「美明が新年の宴の夜にいなくなったのは、采華が話したその慈南という女官から証言が取れたということだな?」
「はい、そのようです」
後宮において、しかも喜凰妃様の宮では特にその発言は絶対である。
喜凰妃様が「美明は新年の宴の後もここにいた」と言えば、皆はそれに同調する。管理局は聞いた通りに報告したということが確実になった。
流千が次の肉を手で掴み、仁蘭様に尋ねる。
「喜凰妃様は、あえて嘘を吐いたんですよね?」
「だろうな。女官がいなくなればさすがに気づく」
「そりゃそうだ。十人しかいない女官が足りなかったら気づきますよね」
「あぁ、うっかり間違えたというには無理がある。……やはり俺たちの見立て通り、喜凰妃は美明の失踪に絡んでいる」
あんなに優しそうな方なのに、人に言えないことをしているの?
私の胸中は複雑だった。
「喜凰妃が美明の失踪した日を偽ったのはこちらの捜査の攪乱と、仙術のことが明るみに出たときにうまく言い逃れするためだろう」
「隠さなきゃいけないような術を使ったってことですよね。何かな……気になる」
流千は好奇心をそそられていた。
「美明さんはあの夜何かを見てしまった。だから連れ去られたんじゃないかと思っていましたけれど、もしかして喜凰妃様は僕たちと同じく皇帝陛下を召喚しようとした?」
「それはないって話だったよね? 流千」
あんな無謀なことをするのは私たちくらいだ。
第一、仙術はほかにもたくさんあると流千の方が私より知っているはずだ。
仁蘭様は呆れた目を流千に向けて言った。
「そんなことをするのはおまえたちだけだ。だいたい、召喚したところで願いを聞いてもらえるなんてどうして思えたのか不思議でならない」
「おっしゃる通りで……」
仁蘭様の辛辣なご意見に、私と流千は揃って目を逸らす。
普通に考えればわかることでも、あのときはとにかく必死でまともな判断力がなかったのだ。
あぁ、仁蘭様の視線が痛い。
しばらく私と同じように黙っていた流千が、ぽつりと呟いた。
「本当なら妃と共に新年の宴を一緒に過ごすはずなのに、『こんな日にも後宮に来ないなんて!』と逆上して仙術で皇帝陛下を操ろうとしたとか?」
「陛下を操るってそんなことができるの?」
「言霊で相手を縛って、思いのままに動かすなら可能だと思うよ。ただし、贄として人間や動物が必要になる」
「贄!?」
あまりの恐ろしさにぞくりとする。
どうしてそんな発想になったのかと顔を顰めるものの、でもこの人の命の軽い後宮でならそういったこともあり得ないことはないと思ってしまった。
でも流千は私の視線に気づき、あははと笑って否定した。
「あ、思いついただけだから! だいたい、美明さんが生きていることは呪符でわかっているんでしょう? さすがに贄として使ったら死んじゃうよ」
「……本当に?」
「それは絶対にそうだよ! 僕の知ってる限りだけれど」
一度芽生えた不安は簡単には消えなかった。
流千の言葉に少しは納得できたけれど、美明さんが今どうしているかと思うと心臓がぎゅっと掴まれるような心地になる。
そうだ、私より仁蘭様だ。
仁蘭様にとっては大事な人なのだから、私よりもよほど心配だろう。
ちらりとその顔を盗み見るけれど、心のうちはわからない。
「みゃあ」
すぐそばで鞠を追いかけて遊んでいた神獣様が、私の膝にやってくる。
頭と背中を撫でれば、気持ちよさそうに目を閉じた。
その様子を見ていると、不安に駆られた気持ちが少しだけ和らいでいく。
うん、私は私にできることをするって決めたんだ。
「仁蘭様、私はもう一度慈南さんと話してみます。彼女なら、喜凰妃様のことも何か知っているかもしれないので」
「ええっ、やめておきなよ采華。もう手を引いた方がいいよ」
先に反応したのは流千だった。
これ以上は危険だからやめておけ、その目がそう言っていた。
しかも仁蘭様までが眉を顰めて私を止める。
「後のことは俺たちが地下を調べる。おまえはここでおとなしくしていろ。美明の行方を知るきっかけにはなったから、取引はしばらく停止する」
「そんな……! でも私がいきなりいなくなったらそれこそ怪しくないですか!? 慈南さんには私が仁蘭様と一緒にいたのを見られていましたし、私がいなくなったことをきっかけにそのことが喜凰妃様の耳に入れば仙術士が恐れて証拠を隠してしまうかもしれません」
仁蘭様は相変わらず「死んだらそれまで」の主義なのかもしれないけれど、私とのことが仙術士の耳に入れば報復として呪われるといったこともあるのでは……?
そんなことになれば、私はきっと後悔すると思う。
私の火傷の手当てを手伝ってくれて、呪われた流千に神力を分け与えてもいいと言ってくれたこの方を今度は私が助けたい。
大した力にはなれないとしても、せめて彼が地下を調査する時間稼ぎくらいはさせてほしかった。
「自重しますから、女官として喜凰妃様の宮には行かせてください」
仁蘭様はずっと険しい顔つきで、流千もまた不満げな顔をしている。
「今まで通り、書物を運んだり代筆の仕事をしたりするだけですから。お願いします!」
決して勝手に動くことはない。次に「やめろ」と言われたら、ちゃんと引き下がる。
女官たちのからの嫌がらせも、まだ対処できる範囲内だから大丈夫だ。
「私なら大丈夫ですから! 警戒しながらおとなしく日々を過ごします!」
そう何度も誓って、ようやく二人は渋々ながら納得してくれた。
「う~ん、それならまぁ」
「もうしばらくの間だけだぞ」
ほっと胸を撫でおろす私。
しかし仁蘭様は悔しげに目を細め、刀の柄に手をかけて低い声で言った。
「少しでも異変があれば全員を葬るからな」
「やり方が極端ですね!?」
私の行動に全員の命がかかっている!?
ここにきて急激に責任が増し、緊張感が高まるのを感じた。




