忠告
喜凰妃様に仕える女官は、私を含め全部で十名。
掃除や裁縫、灯火などの雑事を行う宮女たちも含めると、六十人ほどが喜凰妃様のために何らかの役割を担っている。
女官の仕事は少なくて時間が余りある……なんて思っていたのは最初だけだった。
「文はこれですべてなの?」
今、私の目の前で厳しい視線を送ってくるのは女官長だ。
「四妃様および九嬪の皆様宛にお作りしました」
季節の挨拶から始まる初夏の茶会の招待状は、主に上位の妃たちに送られる。
私が代筆した文を揃えて差し出すと、女官長は一通り目を通してから目を細めた。
「文字が太いわ」
「え?」
用意された筆を使ったのに、文字が太いとは?
心を込めて丁寧に書いたけれど、まさかそこを指摘されるとは思わなかった。
「全部書き直しなさい。それから、もっと紙に香のにおいをしっかり付けなければ文が届く頃には何の香りもしないわ。喜凰妃様の女官に、このような半端な仕事は認められませんよ」
紙の香りのことまで言われると、完全に言いがかりである。
女官が勝手に香を焚くことはできないし、しかも紙に……となればそれはもう後宮に物を運んでくる商人の仕事だった。
私にどうしろと言うのだろう?
「夜までに書き直すのよ、わかったわね」
嫌がらせだとはわかっていても、女官長には逆らえない。
私は理不尽さを受け入れ、一から書き直すことにした。
「すみません、筆の種類と紙を先に確認させていただきたいのですが……」
「自分で考えなさい」
あっ、さらに理不尽!
これでは何度やり直してもダメだと言われるに違いない。むしろ、認めるつもりなどないのだと伝わってくる。
「はぁ……どうしてこんな役立たずがここへ来たのかしら? 私の親族を推薦しておいたのに」
どうやら私に個人的な恨みがあるらしい。
心の中では「八つ当たりはやめてほしい」と思いつつも、これ以上怒りを増幅させないようにおとなしい態度を心掛ける。
女官長は私を一睨みすると、さっさと部屋から出ていってしまった。
これはもう、指が攣ろうが腕が痛もうが書き続けるしかない。向こうが根負けするまで、文を書き直すしかない。
「命を取られるわけじゃなし、書き直せばいいなんて甘いくらいよ」
自分自身にそう言い聞かせ、私は机に向かった。
けれど夜になり、女官長を探している際に廊下で喜凰妃様とばったり会って告げられた事実に愕然となった。
「あなたが書いてくれた招待状を昼に女官長から見せてもらったの。采華はとても字がきれいなのね。ありがとう、ゆっくり休むのですよ」
「!?」
私が最初に書いた文はすでにお妃様方の宮へ運ばれていた。
つまり、今の今まで書き直していた物は何の意味もなかったということだ。半日以上、無駄なことをさせられていたとわかる。
上機嫌で寝所へ歩いていく喜凰妃様と女官たちを見送り、私は一人でがっくりと項垂れた。
女官長め……!
でも私には、愚痴を零すことすらここでは許されない。
食事を取ったら、神獣様に癒されにこっそり宮へ戻ろうと思った。
「あなた、今から部屋に戻るの?」
「え?」
突然に背後から話しかけられ、驚いて振り返ればそこには李慈南さんが立っていた。
彼女は周囲にほかの女官がいないことを目で確認してから、一歩私に近づいて小声で伝える。
「あなたの部屋、扉の取っ手に何か塗ってあるわよ。女官たちが話していたのを聞いたから……。扉を開けようとして触れると、指の皮が爛れるって」
「そんなことが!?」
信じられない。嫌がらせでそこまでするの?
私はため息交じりに言った。
「指の皮が爛れるってことは、樹液か蕁麻ですかね。医局から取ってきたのかな? 虫や蛇を置くだけじゃなく、とうとうそこまで来ましたか」
「蛇!? あなたどうして平然としていられるのよ」
慈南さんが呆れた目を向けてくる。
虫はどこにでもいるものだし、蛇は使い道があるからいいんですよと言ったらさらに呆れられそうなので苦笑いでごまかした。
「慈南さんは、なぜ私に危ないって教えてくれたんです?」
話しかけられたのはこれが初めてで、今までも私が一方的に挨拶をするだけだった。
先日初めて挨拶を返してくれたけれど、世間話をするような仲には程遠い。今回だって、女官たちにこの姿を見られる危険を冒してまで私に忠告する必要はないと思うのに。
私が尋ねると、慈南さんは少し申し訳なさそうに目を逸らす。
「さすがにやりすぎだから……。あなたはきちんと仕事をこなしているのに、怪我をさせられるのは可哀そうだと思ったのよ」
慈南さんの言葉に私は嬉しくなる。
仁蘭様! 私がまじめに仕事をしていたことを見ていてくれた人がここにいますよ!
ここへ潜入した直後、女官の仕事ばかりするなと暗に叱られたけれど、今こうして慈南さんが私に声をかけてくれたことに胸がじんとなる。
「ありがとうございます! 慈南さん」
満面の笑みでお礼を伝えると、彼女は気まずそうにして黙っていた。
「では、扉の掃除をしてきます。多分、拭いてしまえば大丈夫なので」
女官たちに見つかったら慈南さんの立場が危うくなる。そう思った私は早々にここを去ろうとしたが、背を向ける前に呼び止められた。
「あ、待って」
「はい」
「この間あなたが赤髪の尚書と一緒にいるのを見たの」
「っ!」
仁蘭様のことだ。
私はうまい言い訳が見つからず、愛想笑いを浮かべたまま黙り込む。
「あの人には近づかない方がいい」
「……え?」




