御客人
大鍋の中でグツグツと音を立てて煮込まれる亀。
あり合わせの葉物も入れて和えるとそれらしい煮込み料理が出来上がった。
地下室を見つけてから二日連続で私は亀料理を作っている。
「わぁ! すっごくおいしそう!」
「にゃう」
流千は椀に料理を取り、勢いよくそれを口に運ぶ。
神獣様も地下室で見つけた亀やヤモリをおいしそうに食べていて、こちらも食欲旺盛だった。
見た目は猫だけれど、猫以上に何でも食べるらしい。
最初は「本当にこんな物を食べさせていいのだろうか?」と思っていたが、白銀色の毛並みはどんどん艶が出て元気そうなので「こんなに食べたがっているんだし、まぁいいか」と深く考えないようにした。
「おいしい?」
「みゃ」
私の問いかけに、短い答えが返ってきた。本当に私の言葉がわかるんだ、と思うと嬉しくなる。
流千と神獣様が料理を味わっているのを眺めながら、私は地下で見た光景を思い出す。
石造りの殺風景な廊下が続くあの空間はとても寂しげで、得体の知れない不気味さがあった。
これから仁蘭様が部下たちと調べると言っていたが、一体何が出てくるんだろう。
もしかすると、あそこに美明さんも……?
仁蘭様もきっとその可能性を考えているはず。
美明さんが行方不明になってすでに四カ月以上、陽の光の届かないあんな場所に閉じ込められているとすれば一刻も早く救出してあげてほしい。
あれから仁蘭様の姿は見ていない。
きっと地下を調べに行っているんだろう。
黙り込む私に気づいた流千が、食べる手を止めて声をかけてくる。
「美明さん、見つかるといいね」
私が何を考えているのかわかったらしい。
その言葉に私は少しだけ笑って頷く。
「ええ、無事に見つかってほしい」
「そうなったら僕らの役目もおしまいだね~。范家も潰れずに済んで、采華も後宮から出られるんじゃないかな。思ったより早く店に戻れそうだ」
「そう、ね」
流千が口にした未来は、すべて私の望んだとおりのものだった。後宮の下級妃としてではなく、街へ戻って薬屋の范采華として暮らせるこれまで通りの生活。
何の不満もないはずなのに、なぜかしっくりこなかった。
「采華?」
「あ、うん。何でもない」
どうして心の底から喜べないのだろう?
私はここでの暮らしを気に入っているわけではないし、人の命の軽いこんなところはおかしな世界だと思う。ずっとここにいるなんて考えられない。
それなのに、どうして釈然としない気持ちになるのか?
まるで心残りでもあるみたいな……何がひっかかっているの?
目を閉じて首を傾けながら、自分自身の心に問いかける。
そのとき、宮の門の方から誰かの声がした。
──せんか?
「ん?」
「あれ? 誰か来た?」
気のせいかと思ったけれど、流千も私と同じように顔を上げてそう言った。
神獣様も椀から頭を上げて反応する様子を見せ、本当に人が訪ねてきているのだと気づく。
こんな寂れた宮に何の用だろう?
春貴妃様の宮の人たちが食事を運んでくれるときは、姿は見せずに籠を扉の前に置いていくので声をかけられたことは一度もない。
流千と私は目を見合わせ、二人揃って扉の方へと向かう。
神獣様は私の後ろからトコトコとついてくる。
玄関にやってくると、扉の向こうから今度ははっきりと声が聞こえた。
「范采華様、朱流千様はいらっしゃいませんか? 仁蘭様の遣いで来ました」
その声は少し掠れていて、男性とも女性とも思える声だった。聞き覚えはなく、私の知っている人物ではない。
そういえば、仁蘭様が神獣様の保護をしたいから人を寄こすと言っていたような?
どうやらその人がやって来たらしい。
私が扉に近づくより先に、流千が返事をしながら扉に手をかける。
「はい、今開けます」
建付けの悪い引き戸がガタガタッと軋んで開く。
そこに立っていたのは、濃茶色の髪を後ろで一つにまとめた背の高い女性だった。
おそらく二十代前半で、私が着ている女官服と似た装束は美しい青紫色。春貴妃様に仕えている女官だと思われる。
抜けるような白い肌に黒い瞳の楚々とした美人で、その神秘的な雰囲気につい見惚れてしまった。
彼女は、出てきた流千と私を見ると温和な笑みに変わる。
「あぁ、よかった。ここで間違いなかったようですね」
思わずといった風に出た言葉。おそらく仁蘭様から聞いていたよりずっと古くて寂れた宮に驚いたのだろう。確かに私も最初は「こんなところに住むの?」と思ったから、この方も「本当にここなのだろうか?」と疑っていたんだと思う。
「私は馬史亜と申します。仁蘭様の命令でお二人の下へ参りました」
胸の前で合掌した史亜様は、その一挙一動が美しく完璧だった。
女官とはいっても、かなり身分が高い人だとわかる。
流千はいつもの人たらしの笑みを浮かべ、女官の方を中へ招き入れた。
「こちらは確かに范采華妃の宮です。私は仙術士の朱流千でございます。ようこそおいでくださいました」
「ありがとうございます」
にこりと笑った史亜様は、優雅な所作で扉をくぐる。
そして私と目が合うと嬉しそうに目を細め、さっきと同じように恭しく合掌し、もう一度名を名乗って挨拶をしてくれた。
その丁寧な対応に驚き、私は恐縮しながら挨拶を返す。
下級妃とはいえ、貴族でもない私にこんな風にしてくれる人がいるなんて意外だった。
「どうぞ、こちらへ」
この宮に高貴な方を迎えられるような特別な部屋はなく、流千の部屋は食べかけの食事が卓を埋めている状態で、私の部屋にお通しするしかなかった。
急いで桑の茶を淹れ、三人で円卓を囲む。
「おもてなしできるような物がなく、すみません」
高貴な方々は多くが青茶や花茶を好み、安価な桑の茶を出すのは失礼かも……と肩を竦める。
「いえ、突然来たのはこちらの方ですからお気になさらず」
史亜様は躊躇いなくお茶を口にして、「おいしいです」と言ってくれた。
自分で出したお茶なのに、あまりにあっさり飲んでくれたので拍子抜けしてしまった。
「あの、よろしいのですか? このような場所で出されたものを口にしても」
流千が不思議そうに尋ねる。
出したのはこちらだけれど、仁蘭様なら初対面の人間が淹れた茶を絶対に飲まないだろう。
史亜様はにこやかに答えた。
「構いません。仁蘭様が信用なさっている方の宮ですから、おかしなものが出てくることはないと信じています」
「え?」
一体どんな風に私たちのことを聞いているのだろうか。仁蘭様から信用されている、とは?
驚きを隠しきれない私たちの顔を見て、史亜様はくすくすと笑った。




