手のかかる鬼上司
もしかして、この方は獲物を追いつめて喜ぶ性格なんだろうか?
そうだとすれば、鬼もびっくりの残虐性である。
とはいえ宦官から助けてもらった上に、今もこうして私の手当てが終わるのを待ってくれていて、それを思えばさほど酷い人ではないような気もする。
「仁蘭様はどういう人なんですか?」
「俺に聞くな」
一体こいつは何を言っているんだという顔をされた。
じっと見つめて何かわかることもないのだが、ついその横顔から目が離せなくて見つめてしまう。
「……きちんと眠っていますか?」
聞かなくても答えはわかる。
見れば見るほど、あまり健康そうには見えなかった。
召喚術を使ったあの日から、いや、そのずっと前から十分に休んでいない可能性があるなと思う。
「俺は平気だ」
そっけない返事は、彼が彼自身をどうでもいいと思っているようだった。
「昔から人より丈夫なんだ」
「そういうのがいけないんですよ!」
私は右手の人差し指を立て、真剣な顔で訴えかける。
「薬屋の娘として言わせてもらえば、人の体はすべて平等に労わるべきなんです。人より丈夫だから? そんなの関係ないんですよ。粗雑に扱っていい体なんてありません」
若い人はすぐ自分の健康を過信する。
俺は大丈夫だと自信満々で笑っていた人がある日突然に倒れるなんてよくあることで、怪我も病気も軽いうちに対処しておくのが本人のためなのだ。
「ちゃんと寝て、食べて、自分を労わっておかないといざというときに動けませんよ?」
「…………」
あぁ、おそらく仁蘭様は今「口うるさい女だな」と思っている。
何も言わずとも目でわかった。
こういう人にしつこく注意しても無駄なことはわかっているけれど、ほかに誰も言わなさそうなので私が会うたびに言うしかないんじゃない?
これは当然、仕事の範囲内ではないけれど……。
「少し粗雑に扱ったくらいで死んだら、それこそ諦めるしかないな」
「何てこと言うんですか」
私は顔を顰める。
その言葉は仁蘭様の強がりでも何でもなくて、本気でそう思っているのが伝わってきた。
もしかしなくても、仁蘭様は自分を労わるということを知らないのでは?
だとしたら、彼が私にも「死んだらそれまで」「何かあっても助けが来ると思うな」と言ったのも理解できる。
あれは仁蘭様の信条なのだ。
私は無意識のうちにぎゅっと軟膏の筒を握り締める。
「お可哀想な仁蘭様」
どんな生き方をしてきたら、こんな風に自分の命を軽く考えるようになるのだろう?
仁蘭様のように名家のご子息として生まれ育ったら、他人はともかく自分の命は大事にしそうなものなのに。
「自分を大事にできない仁蘭様はとても可哀想です……」
視線を落としやるせない気持ちで呟くように言うと、仁蘭様は私を見て鼻で笑った。
「足の裏を火傷している女より? 俺が可哀想だと?」
「…………」
それを言われると返事に困る。
そういう意味じゃなかったんですよ、そういう意味じゃ……。
自分の体を粗末に扱うことに慣れた、可哀想な人だなと思ったのだ。
余計なお世話だろうがこの人をこのままにしておけない。
でも、私に何ができる? 悩んでいると、仁蘭様に叱られた。
「早くしろ。なぜそのようにおかしな顔をしている?」
「おかしな顔……!?」
文句を言おうにも、この方の麗しいお顔に比べれば誰だっておかしな顔である。
私は赤く腫れた右足の裏に軟膏を塗り、包帯を巻いて靴を履き直した。そして改めて仁蘭様にお礼を告げる。
「ありがとうございました。助けてくださって、火傷の手当ても手伝っていただいて」
「あぁ、道具はきちんと手入れする性分だからな」
「道具って……」
手当てを手伝ってくれたから、ちょっと優しいところもあるのかなって思ったのに!
むっとした私は投げやりに言う。
「はいはい、そうですね。道具も大事にすれば魂が宿ると言いますから、大事にしてくださいね!」
仁蘭様は私の態度に怒ることはなく「あぁ言えばこう言う」と笑っていた。
いつもみたいに意地悪でも高圧的な感じでもなく、面白がって笑っているように見える。
こんな風に普通に笑えるなんて知らなかった。つい見入ってしまったが、あまり凝視するとまた怒られそうだから見るのをやめた。
私は軟膏や包帯の残りを戸棚に片付ける。
そのとき小さな桐の薬籠が視界に入り、迷いながらも指を伸ばして薬袋を一つ掴んだ。
「仁蘭様」
「何だ」
振り返れば、いつも通り表情のない美麗な青年が立っている。
私はゆっくりと近づき、その手に薬袋を押し付けた。
「あなたにとって私は道具でも、私にとって仁蘭様は人間です。──命はお大事に」
仁蘭様の真似をして、余裕のあるように嫌味なようににこりと笑って言ってみた。道具だと言い放った哀れな女に同情されるくらい、自分がひどい状態だと気づいてもらいたい。
あぁ、でも無理だろうな。
理解できないといった顔をされた。
「俺は怪我などしていない」
薬をもらう必要はない、そう言いたげだった。
いかに問題があるか、一つ一つ指摘しなければわかってもらえないらしい。
「しっかり眠っていないお顔です。食事も疎かにしているのではありませんか?」
「…………」
「これは地黄から作った薬です。白湯に溶かして毎晩寝る前に飲んでください」
さすがに一度飲んだくらいでは劇的な変化はないけれど、続けて飲んでいれば血の巡りがよくなり、栄養が体に行き渡るとされている。
召喚術で神力をたくさん使った流千のために、と作っておいたこれは仁蘭様に差し上げることにした。
「私はあなたが心配です。きちんと飲んでくださいね」
仁蘭様は私が無理やり押し付けた薬袋に視線を落とし、少し戸惑った様子だった。その反応を見るに、飲むか飲まないかは五分五分に思えた。
きっぱりと「不要だ」と言わないところから、自分でも体が弱っている自覚はあるのだろう。でも「こんなものが効くのか?」とも疑っていそうだった。
でも私にできるのはここまでで、あとは仁蘭様に任せるしかない。
「次の報告でお会いするときまでに飲み切ってください。お願いしますよ?」
「……」
答えはない。
それでも押し付けた薬をつき返されることはなかったので、おとなしく飲んでくれると信じたい。
こんな約束とも言えない約束をして、私たちはそれぞれの場所へと戻っていった。




