ありがた迷惑
女官として喜凰妃様の宮に仕え、十五日。
朝の冷え込みも随分と和らぎ、午後は青空が心地よく過ごしやすい日が続いていた。
喜凰妃様は爽やかな水色の襦裙に白い絹の外衣を羽織り、父親である孫大臣が持ってきてくれた新しい装飾品を前に満足げな笑みを浮かべている。
珊瑚や真珠、紫水晶、黄水晶などの宝石類は異国の商人から買った物で、これから首飾りや冠にするらしい。
私も女官たちと共に小箱や布を持ち、喜凰妃様のそばに控えていた。
「お父様、ありがとうございます」
「あぁ……おまえのことが気がかりでな。つい買い過ぎてしまったよ」
「嬉しいです」
「こんな物でよければいくらでも持ってこよう。何か用事があれば、こうしてかわいい娘の顔も見られることだしな」
孫大臣は藍色の前合わせの補服に烏紗帽を被った恰幅のいい男性で、彫りの深い顔立ちは権力者としての威厳を漂わせている。
喜凰妃様に会いに来るのは、年の暮れ以来で約五カ月ぶりだそうだ。
後宮へ入ってしまえばほとんどの妃はもう二度と家族に会えないけれど、喜凰妃様の場合は孫大臣がやんごとなき御身分なゆえに特別に面会が可能になっていた。
こういった異国から取り寄せた品は疫病や虫の侵入を防ぐため本来はもっと制限されるのだけれど、喜凰妃様だからという理由で特例が認められている。
「陛下は相変わらず困ったものだ。我が娘の素晴らしさを知ればたちまち夢中になるであろうに」
「ふふふ、陛下はお忙しいのですよ。私ならいつまででもお待ちいたしますわ。それに私だけでなく、ほかの妃たちも想いは同じですから。いつか陛下が後宮にいらっしゃるそのときまで、私が皆を励ましてここを守っていきたいと思っております」
わずかに寂しげな目をした喜凰妃様だったが、でもすぐに穏やかな笑みに変わる。
女官たちも孫大臣も、気丈に振る舞う喜凰妃様に胸を打たれた様子だった。
「健気なことだ……さすがは天遼国一の妃。この父が陛下に口添えしておくから、今しばらく待ってくれるな?」
「もちろんです。お気遣い感謝いたします」
孫大臣の様子を見ていると、喜凰妃様をかわいがっておられるというよりは気遣っているといった方がしっくりくる。
「何かあればすぐに文を送るのだぞ? わかったな」
「はい、お父様」
何度も念を押す孫大臣は、娘を心配してやまない父親といった風に見えた。
どうやら、親子とはいえ孫大臣はなぜか強く出られないらしい。ここへ入ってきたときはいかにも権力者という横柄な態度だったのに、娘の前ではそれがすっかり消え去っている。
おそらく孫大臣は娘の境遇について負い目があるのではないか?
宮女たちから聞いた話から私はそう思った。
かつて、孫大臣はご自身とそう変わらぬ年齢だった先帝様の後宮に喜凰妃様を入宮させていた。
よくあること……といえばよくあることなのだが、慣例通りであれば皇帝陛下が代替わりすれば後宮の妃たちも一新される。
ところが喜凰妃様はそのまま後宮に留められ、現皇帝陛下の四妃となった。
喜凰妃様は『寵愛を受ける前に先帝様は亡くなり、その後で再び後宮入りするも皇帝陛下は現れない』というおつらい状況にある。
喜凰妃様がそれに対し不満を口にしたところは宮女の誰も見たことがないというが、父親としては娘が自棄にならないか案じている……?
「そうだわ、お父様。新しい女官が増えたのです!」
喜凰妃様が思い出したかのようにそう告げる。
目線はこちらに向けられていて、私はどきりとした。
「あの黒い髪の子です。宗樹果といって、とても元気で働き者なところが気に入っております」
「あぁ、そういえば報告を受けていた。ええと、新しい女官は確か礼部の祭事担当者の……?」
孫大臣が首を捻る。
私は持っていた布を掲げて頭を下げながら、早口で答えた。
「礼部、祭事担当者の官吏である呉の妻の従妹の夫の妹の宗樹果でございます!」
「……よきに励め」
用意された偽の身分を名乗れば、孫大臣は眉根を寄せて「いちいち覚えていられるか」といった風な顔をした。
私もこれが仕事上の役割でなければ覚えられない気がする。
喜凰妃様はにこにこと笑っておられて、いつも通り和やかな空気を放っていた。
「そうだわ。お父様、せっかくだから樹果に何かあげてもいいでしょうか?」
「ああ、構わない」
突然のことに驚き、私は喜凰妃様を見つめて戸惑う。
妃が女官に私物を下賜するのは珍しくないが、それはあくまで長らく勤めてくれていることに対する褒美であり、まだ数日しか勤めていない私に……というのは異例だろう。
でも喜凰妃様は笑顔で私に言った。
「この珊瑚なんてどう? 髪飾りにしたらあなたの黒髪によく似合うと思うわ」
「えええ!? いえいえ、その、私などには……!」
とても受け取れないと一歩後退る私に、女官らの注目が集まる。
まずい……! 新米女官が喜凰妃様の物をいただくなんて、しかも高価な物を……こんなの憎まれる理由にしかならない!
真面目に仕事をすることで女官たちの信頼を得ようと思っていたけれど、喜凰妃様の慈悲深さがすべてを無に帰そうとしていた。
「いいのよ、私があげたいの。もらってちょうだい?」
よくないです。困ります。
そんな言葉が反射的に口から洩れそうになり、不自然に口をつぐんで蒼褪める。
「樹果、遠慮はいらないわ。さぁ」
そう言って珊瑚を差し出されれば、いりませんとは言えなかった。
ここまで薦めてくださっているのに断れば、喜凰妃様に対しての無礼になる。
私は諦めて受け取ることにした。
「ありがとうございます……」
向けられる嫉妬に胃が痛むも、どうにか無理やり笑みを浮かべて珊瑚を受け取った。布の上に乗せられたそれは艶やかで、新米女官が持つには分不相応にもほどがある。
喜凰妃様は「ほかの皆にもそれぞれ分けますからね」と言ってくださったが、すでに私に対する憎悪は膨れ上がっているように感じ、どうにもならないような気がした。
孫大臣はそれからすぐに宮廷へと戻っていき、私たちは贈り物の仕分けを行うことに。
喜凰妃様の目があるここですら針の筵なのに、これから私はどんな目に遭うの?
今まで以上に気を引き締めて、警戒しなくては。
殺伐とした空気の中で私は密かに覚悟するのだった────。




