第3話 モルグ亭の殺人
警察隊が来ている――。俺を売り渡すつもりか、などと警戒したが、診療所に戻ったリリの話を聞く限りそれは杞憂なようだった。
「これからお見えになるカミラタさんは警察隊のトップ、特務隊長です。私は検死の依頼も受け付けているので……、事件が起こると、遺体を運びに来るんですよ。今日はその回収ですね」
彼女は俺の隣の棺桶を指し示した。俺と一夜を共にした骸だ。
見つかると面倒だから、という理由で、俺は警察隊の連中と鉢合わせないよう奥の階段に通された。
「カミラタさんはけっこうなお偉いさんなんですけど、大きな案件では現場の指揮も執る律儀な人なんです。ほんとは椅子の上で指示を出すだけで良いくらい、偉い人なんですけどね。名誉貴族の位を受けるくらいですし」
「ってことは、今回は特別な事件ってことか?」
「詳しい事は、まだ分かりませんが」
言いつつリリは肯く。
「しかし検死が外注とはね。君の他に、医者はいないのか?」
「いるにはいますよー。特に私の民族は多いみたいですね、代々。アリエスタ族の宿る家は病気知らずという言い伝えさえある程です」
「それじゃ、何故わざわざ君に頼むんだ?」
「大陸の知識を持ってますからね。この辺りでは本草学……、薬草による医術が一般的なんですが、私はそれ以外のアプローチも研究しているんです」
リリの部屋は病室の消毒液の匂いとは違って、夏の草原めいた緑の香りがした。部屋は整頓されていて、生活感はあまり無い。書棚には難解そうな書物がぎっしりと並べてある。文字はのたくったような角ばった文様が並んでいて、読めない。が、『失われた都市:古代兵器の継続調査』『第三次猿人戦争』『王宮公領図』『新編 量子器官解剖図録』……。リリにタイトルを読み上げてもらううちに何となく法則性が掴めた。いくつか当て推量で読んでみるとリリは驚いたように当たっていると言った。
「手に取ってもらってかまいませんよ。カミラタさんに見つからないように、大人しくしててくだされば」
彼女は俺の唇を人差し指で押さえて悪戯っぽく笑うと、足音も静かに部屋を去っていった。
書棚には少し違った材質、記号の本もいくつか置いてある。外国の本だろうか。こちらは読み方を教わっていないので、タイトルは見当もつかない。この国の文字で書かれた書物は……、少しだけ分かった。日本語で言えば、平仮名といくつかの漢字は読める、みたいな状態だ。しかし文字にしろ言葉にしろ、異世界の言語でこうも簡単に意思疎通できるとは、どうしたことだろう?
文字……は、まだ分かる。俺はもぐりで大学の授業を受講していたのだが、未解読文字の解析法についても半年ほど勉強したことがあるのだ。あと、インターン先で暗号解読の技術も身に付けさせられていた。その経験が妙な所で役に立ったわけだ。だが言葉が分かるのはさすがに不可解だった。リリの話している言語が現代日本語でないことは明らかに分かる。だが俺は彼女の言葉を理解することができるし、なんなら自らで語ることすらできているのだ。外国語に堪能な学生も何人か見てきたが、彼らですら新規の言語を習得するのに20時間はかかっていた。今の俺の状況はちょっと説明がつかない。
少し考えた末、俺はこの猿の肉体の記憶が知識として残っていたのだろうと結論付けた。あるいは俺を呼び寄せた「魔法使い」の魔法だろう。別世界を横断させることができるくらいだ、もう何ができても不思議じゃない……、と半ば投げやりな決着をつけ、俺は書棚から適当に一冊を抜き出して開いた。
羊皮紙は日に焼けていたが、埃の積もってないところを見ると、ちゃんと掃除しているか、度々読み返しているようだ。
それは警察隊の活動記録だった。何年か分の事件や事故の統計情報や概要が、大雑把にまとめられている。多分検死の参考に持っているんだろう。城下における猿族の検挙数・死亡事故数まで記録されている。多少読めると言っても断片的な情報から文意を推測できるくらいだ。表やグラフの載っている資料は眺めるにちょうどいい。しばらく数字を目で追っていて、おや、と俺は思った。この数値の遷移は……。
階下から幾人かの人声がした。作業が始まったみたいだった。俺はドアを薄く開けて階下の様子を窺った。遺体を運びこむためだろう、警察隊が何人か来てさざめいている。
「……頸椎が折れていました。直接の死因は窒息ではなく脊髄の損傷によるものでしょう」リリの声がした。検死の所見を報告しているようだ。「犯人は相当な握力の持ち主です。首にくっきりと手形が残っている。その大きさから判断するに、上背はそう大きくありません。私の胸にも届かないでしょう」
「ほう、小柄ですか」
男の声が答える。
「ええ。そして手形の角度と首の曲がり方からして……、犯人は被害者の首を掴んで持ち上げ、そのまま片手で縊り殺したようです。こんな怪力が出せるのは、そうですね、猿族かレオンブラッド族くらいでしょうか」
「怪力か。まあ部屋も無茶苦茶に荒らされていましたからな。いやはや、嵐の過ぎ去った後の様だった」
古ぼけた暗褐色のコートに身を包んだ男が、布を掛けた担架の横に立ってリリに話しかけていた。歳はそれほど若くないが、老け込んでもいない。鋭い目つきや所作に、叩きあげのベテランの風格が漂っていた。
あいつがカミラタか。俺は思った。
「被害者はたしか、モルグ亭の奥さんでしたね? 旦那さんの血族は?」
「アクアライム族です。ですから彼は白でしょうな。彼の行方も目下捜索中ですが、おそらく細君同様下手人の凶手に落ちたのでしょう」
「犯人の行方について進展は?」
問いかけるとともに、リリの純白の髪が流れる。
「二階の窓から、逃亡する犯人の影が目撃されとりました。部屋にも野風のものとおぼしき体毛が複数散らばっていた。ドクターの見立てと合わせて、犯人は野風の者で間違いないでしょうな」
「となると、宿泊客の線ですか」
「たしかにあの宿は、猿族にも部屋を提供しています。しかし犯行現場は、亭主の管理人室だった。獣毛も部屋の入口付近には無く、窓枠のあたりに散らばっていた。外部からの押し入りといったところでしょう。だが、金目のものに手は付けられていなかった。動機は怨恨かもしれませんな」
カミラタは難しい顔をして唸った。
「しかし不可解なのは、旦那が忽然と姿を消したことです。犯人による誘拐の線もありましたが、逃げ去る人影には、誰かを抱えている様子など無かったという証言です。まるで神隠し。緑衣の鬼が一枚嚙んでいるという噂まである……」
「鬼ですか」リリが言葉を切る。「緑衣の鬼……、連続拉致犯の通り名でしたね。身代金を要求するでもなく、煙のように人々を連れ去って行くとか……。実在したんですか」
「なに、ただの風説ですよ。近頃失踪事件が多いですからな。誰かのせいにしたいわけだ。たしかに誘拐のプロなら、ここまで鮮やかな手口にも納得が行くが……」
今度はカミラタが言葉を途切れさせた。「しかしどうでしょうな。巷の噂では、殺しはやらんというのが鬼の信条というではありませんか。もし本当に斯様な奴が潜んでいたとして……、下手人は別にいると考えるべきでしょう」
首が疲れてきた。俺は体勢を変え、反対側の耳を扉に付ける。
「……大方、教會のやつらでしょうがね。集団なら誘拐もスムーズだし、特に北面の連中は質が悪い」
「スペクトラさんは?」
「奴は中央の教主ですから、関わりないでしょう。原祀霊長教會の中では、穏健派ですしな……」
二人は地下に降りていったのか、声は尻すぼみに聞こえなくなっていった。警察隊……。たしか森の周辺は奴らが巡回していると言っていた。特にカミラタは抜け目ない男のように見えた。
カミラタがふと階段の前で立ち止まり、こちらを振り向いた。俺は慌てて首を引っ込めた。角度の問題で互いの顔は見えていなかった。しかし……、気配を勘付かれた。
……カミラタ、恐ろしい男だ。
俺は奴の顔と風貌をしっかりと記憶する。
扉の端に静電気が走り、空気に小さな火花を散らした。




