第37話 白い記憶(ホワイト アルバム)
「……くん。雪くん、起きな」
トラックの揺れの中に、俺は目覚める。瞼をぱちぱちと重たく上下させる。先輩の手が肩に触れているのが分かった。俺は車窓から景色を確認する。天に向かって延びる5本の電波塔が見える。その中でひときわ小さく、足場と布幕に覆われた東京タワーが、みすぼらしい赤い灯りを湛えている。
「……すみません、寝てました」
「いいよ。……もう着く」注連野先輩はハンドルを握りながら答えた。縦横に並んだ高架橋が生み出す陰が、水色とピンクの派手な髪を暗く染めていた。
「雪くんが寝てるとこ見て安心したよ。ほんと、いつ寝てるのって感じだったからさ……。今、何連勤目だっけ」
「……16連勤です」
先輩は嘆かわしそうに軽く呻いた。信号で車を停止させ、移動式歩道を流れる人の群れを見送る。
「先輩はもう上がりですか?」
「いや、君を送ったら小一時間ほど休憩して……、一件こなしたら上がりかな」
「本社ですか?」
「ん-、いや、研究所」
先輩は欠伸をして答えた。時刻はもう22時を回っていた。
「そもそもさ」緑い光を見て、先輩がアクセルを踏みなおして聞く「君みたいな良いとこの学生が、どうしてうちみたいな『運び屋』の『インターン』に参加してるわけ?」
「仕方ないですよ。戦後からこっち、不況でどこも人を雇う余裕がない……。時代が悪かった」
俺は窓の外を見て答える。
「まぁ、うちみたいな『ギリ合法組織』の見習いさえ黙認されてるんだから……、狂ってるよね、今の世の中は」
先輩はこの世の終わりのような長めの溜息をつき、ハンドルをばしばしと叩く。
「見なさいよこの車、今時手動操縦なんて見たことないでしょ。正規品じゃないんだよ。足が付かないよう、闇で仕入れた車を使ってるんだ」
「じゃあ事故らないでくださいよ。足が付くから」
「はは、まぁ事故起こせる車なんてこの子くらいかもね」
先輩は自嘲気味に笑う。それから荷台に目を走らせて言う。
「——今日の現場見ても分かったでしょ。私らが出入りしてる施設は、どれも危いって。軍事目的で改造され始めてるタワー、人体実験施設……、運んでるのは、公にできないものばかりだよ。あの研究所からいくつずた袋を運んだか知れない」
〇
「……ほんとにこんな場所で良いの?」
先輩は人気のない公園の前に車を止めて尋ねる。
「もう夜も遅いし、家まで送ってくよ?」
「いえ。今日は……」
俺は公園の端に手向けられた花束を見て口ごもる。
「ああ……、今日だったか、命日……。ここ、君の孤児院だったんだね」
「もう、跡地ですけどね」
俺は伏し目がちに呟いた。
「まだニュースを覚えてるよ……、ひどい事故だったね、バスが土砂に巻き込まれるなんて……」
先輩は俺に憐みとも慰めともつかない視線を送る。
「私も家族とは早くに死に別れたからさ、君の境遇は分からないでもないよ。だからこそ、悪い事言わない、真っ当な企業に就職しなよ。普通に生きていくのが一番難しいんだから。でないと浮かばれないよ……。君の、家族が」
注連野先輩はまだ何か言い足りなそうだったが、言葉がまとまらなかったのかそのまま走り去っていった。
トラックの赤い光を遠くに見る。「……浮かばれない、か」俺は花束の前にしゃがみ込んだ。
今日で10年が経つ。俺は手を合わせながら数える。孤児院の仲間や先生が逝ってから、もうそれだけの時間が経過した。歳月は俺の肉体を絶えず大人の世界へと押し流すが、俺の心はまだこの場所に立ち止まったまま彷徨い続けていた。
俺は「特別」になりたかった。……いや、ならなければならなかった。輝かしい人生が、誰にも代えようのないただ一つの人生が欲しかった。俺は生かされた。一人だけ残された。そこには意味が無ければいけない。だってそうじゃないか。俺の人生に意味が無いのなら……、俺を生かして死んだあいつらは、なんのために死んだんだ?
そう、だから俺の一生は決して、凡庸なものであってはいけないのだ。「特別」でなければならない。……「特別」になる奴は皆、若くして突出した何かを持っている。才能、環境、巡りあわせ……。大人になり、社会に出てしまえば、そこに待っているのはありきたりの判で押したみたいな人生だ。「特別」な人間はその前に非凡の片鱗を見出されている。成功への切符を掴まなければならない。己の中に才能の芽を、世界に幸運の切れ端を見つけること。俺はその期限を22歳に定めた。
その22歳に、あと2時間で、なる。
公園の横を、自動運転の車が走り抜けていくのが見えた。俺は自分の乗っていたシートの感触を思い出す。「……事故を起こせる車、か」
山道を抜け、木々に囲まれた研究施設の前に辿り着いた。道はろくに舗装されておらず、喧噪の欠片ひとつ寄り付かない。こんな所に建物があることすら、外目にはわからないだろう。
「エデン製薬」。
「運び屋の上客だ。表向きは国内有数の大企業だが、出入りする品物はどれも黒いものばかり。注連野先輩は本部から出向してきた「雑用係」らしい。俺はと言えば正規のメンバーですらないので、「運び屋」の上位組織である「本部」が一体いかなる団体であるかもしらない。まあ裏社会の大きな勢力なのだろうなと想像するくらいだ。「運び屋」を担当する前はどんな仕事を任されていたのか、それは頑なに教えてくれない。「『子育て』だよ」以前少しだけ口を割ってくれたことがあったが、何の隠語かは分からなかった。
門の外では、麻酔銃を片手に持った守衛らしき男が、目を光らせている。やはり後ろ暗い所のある施設なのか、警備の物々しさが異様だった。だが、もはや今の俺にとって、そんなことはどちらでも良いことであった。
「生き方」は決めていた。22歳になるまで懸命に生き、自分が「特別」に成りうる存在であるか、見極める。そこから先は同じ。大成する日まで、ひたすらその道を突き進む。
だが、もしも……。「特別」になる可能性が見いだせなかったら? ……答えは一つしかない。
「死に方」を決めるだけだ。
前照灯が路地をほのかに照らす。門が開けられる。「運び屋」のトラックが、勢いよく走り込んでくる。ぼんやりと先輩の顔が浮かんだ気がした。
膝に付いた土粒を払い、立ち上がる。擦り切れた街灯の明りに、夜光虫が群がっていた。俺は眩しい光を求めて、ふらふらとヘッドライトの中に飛び出していった……。
——激しい衝撃。草いきれのする石道の上に、俺の肉体は投げ出された。遠ざかる意識の中で、夜空にはただ黒々とした穴がぽっかりと開いているばかりだった。無数に散らばっているはずの星の光を、一つ残らず街のネオンが掻き消していた。唯一浮かんだ小さな月だけが、そこに確かに存在し、眩しかった。
俺はゆっくりと瞬きする。意識が切れ切れになって行くのが分かった。「——中に運び込め、お前は『運び屋』だろ」守衛の舌打ちと必死に何かを訴える注連野先輩の声が、朧気に聞こえる。「ここに呼ぶ救急車はない。……孤児? 好都合だ。誰もこいつを探さない」
もう一度、瞬きする。景色が変わっていた。麻酔を浴びたような朦朧とした感じだった。身体の自由が利かず、感覚もなく精神だけがふと浮上してきたような気分だった。厳めしいライトの下で、術衣を来た連中が動き回っている。執刀医のような年老いた男が、俺を覗き込んだ。
「おめでとう第5号、真白雪君、君は生き残った」子供のような笑みを浮かべた、黒目がちな老人の顔が続ける。「機械戦が飽和し……、核や水爆すら遥か上空で撃ち落とすこの時代……、次の主役は生体兵器だよ。君たちの出現で戦争は変わる。素晴らしき人外……、ヒトならざる者……、僕たちは畏敬の念を込めて、君たち被験者をこう呼んでいる。『12人の怒れる男』と……」
術衣の老人が狂気じみた光を目に宿らせ、にたにたと笑う。
「今から君に埋め込んだ『量子器官』の出来栄えを確かめさせてもらうよ。快適な未来への旅を、楽しんでくれるといいな。君がもし帰ってこれたならば……、君は人類の生命に永遠の可能性をもたらす、最も『特別』な存在となるだろう。真白雪君、君は英雄になるんだ」
俺の肉体と精神は七色の四次元空間の中を彷徨った。視界が千切れ、音は五線譜の上をめちゃくちゃに飛び回った。球体の鏡の中に閉じ込められたような、中毒者の白昼夢のような夢幻の世界を狂奔し……、何万年もの歳月を飛び越え、いつしか俺は、古びた廃虚の街に立ち尽くしていた。
俺は掌を見つめる。肉体も、衣服も、見た目には変化なかった。それからぼんやりとあたりを見回す。……実験は、失敗したのだろうか。そこは東京の街並みによく似ていた。だが……、全てが荒廃していた。俺は理解した。実験は成功した。俺だけではない、12人全員。戦争は次のステージに進んだ。そして世界は……、滅びたのだ。
「あら?」
廃虚から、緑の人影が見えた。緑衣に身を包み、長い銀髪を乾いた風にさらした緑の瞳の女が……、俺の目の前に現れた。
「こんな禁則地に光が……と思って来てみれば。珍しいお客さんですねー。どこから入ってきたんです?」
彼女は俺に近づき、興味深そうな表情で覗き込んでくる。「俺は……」口ごもる。なんと説明すればよいのだろう?
「……あぁ、その目……」彼女は俺の瞳の中に自分を写した。「素敵。あなた、迷子なんですね」
俺はその時初めて、彼女の手が紅く湿り、何か……、湿った肉塊のようなものを握っていることに、気付いた。だがそれに目を止めた時には、既に彼女の指先は、俺の体を貫いていた。
「……ちょうど、被検体を探していたんですよ。先日、やっと試作品が上手く仕上がったところで……。あなたは、きっと第一号の完成品になってくれます」
俺は遅れて沸き上がって来た激痛に、叫びを上げた。肉体が内側から灼熱で覆われていくような、細胞が沸騰して塗り替わって行くような感覚があった。筋肉が隆起し、固い毛が伸び出し、脳が衝撃に震盪し前後の脈絡を失っていくのが分かった。
俺は訳も分からず彼女を突き飛ばすと、本能のままに街を飛び出した。彼女が追いかけてくる気配を背後に感じていた。生き延びなければ。生きて帰らねば。ただその一念だけが俺を駆り立てた。帰り着いたなら俺はやっと、英雄に……。「特別」になれるのだから。
やがて透明な硝子のような樹々にあたりが覆われた。既にそこがどこなのか、どうしてそこにいるのか、誰に追われているのか、俺には分からなくなっていた。
俺は木の根に躓き、地面を転がった。その上を、弾丸のごとく緑の拳が飛ぶ。……俺の目の前を掠めた拳が、暴風のように樹の胴を叩き崩した。




