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人獣見聞録 猿の転生・Ⅰ 猿猴が月に愛を成す  作者: 蓑谷 春泥
第3章 キャッチミー・イフ・ユーキャン
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第35話 裏切り

「勝負あったな」


 カミラタが廃墟を見下ろしながら言う。「ご苦労だった、モルグ捜査官」


「モルグ……、何故……」


 それから俺ははっとして叫ぶ。


「スぺクトラは!?」


 フェンスに駆け出しかける。


「大丈夫だ! 来るな!」


 スペクトラの声が飛んでくる。どうやら屋上の縁にぶら下がっているらしい。


「その体勢からでは、反撃もできないだろう。次の放電で詰みだ。門徒たちに投降を命じろ」


 カミラタはフェンスから身を乗り出して、手を差し伸べた。あちこちの遺構から激しく揉みあう音が聞こえてくる。階下からは夥しい絶叫が続いている。この建物内の戦闘が一番激しいようだ。


 スペクトラは凄まじい怨嗟の声で唸る。


「施しを受けろというのか。俺に手を差し伸べていいのは天上の神だけだ!」

「ここで落雷を受ければ痺れて落下する。手をとれ! 意地のために死ぬつもりか?」

「殉教は聖職者の本望だ!」


 スペクトラの叫びが響き渡る。「強情者が……!」カミラタの体が雷をまとう。「ならば帯電し防備したまま貴様を引き上げる! だが貴様が衝撃で手を離せばそれまでだ、命は約束できない! 投降しろ!」

「スペクトラ!」


 俺はカミラタに突進する。帯電状態に突っこんでくるとは思わなかったのか、カミラタは避けそこなっって転がった。


 隙をついたスペクトラがフェンスを乗り越えていた。「詰めが甘かったな」彼はフェンスから飛び降りると素早くモルグを組み伏せた。


「モルグ捜査官のボディ・アーマーか……、抜かったな」


 カミラタが俺の抱えた葉の鎧に目をやり、口惜し気に言う。焼き切れていて完全ではなかったが、それでも彼の電流をある程度防いでくれた。


「さて……、聞きたいことは山積みだな、ましら」


 俺の目はスペクトラでもカミラタでもなく、モルグの持つ白衣に吸い寄せられた。


「それ、まさか……、血か?」


 白衣の赤は……、しっかりと見れば、血だった。滴る程に湿っている。これだけの出血……。俺は最悪の事態を想定した。


「お前……リリに何をした?」

「違う、俺はやってない」スペクトラの腕の中で、モルグが悲壮な声を上げる。「さっき言った通りです。これは道中拾っただけ……」

「お前が鬼なのか……?」俺はモルグの胸倉を掴んだ。「おかしいと思っていた……。お前は俺たちと反対側からここに上って来たよな? この混戦の中、鎧を剥がれたお前がこれだけ戦地の深くにまで入ってこれるなんて不自然だ。隠しているのか? あの化け物じみた力を?」

「違う! カミラタ隊長の電撃を受け、戦線から離脱し……、俺は安全なところまで撤退するつもりだった。でも戦況が乱れて押し流されるうち……、戦いの終わっている地帯にぶつかったんです」

「この戦場にそんな空隙があると思うか? 背信者ならもっとらしい嘘を付け」


 ドストスペクトラが脅すように低く呟く。


「本当なんだ! あの塔からここに続く一本道……、ヒトも猿も皆倒れていた。まるで嵐でも通り過ぎたみたいに……」

「通るかそんな話が! 答えろ! リリはどこだ!」


「落ち着いて下さいましら君……。彼は(ゴブリン)ではありません」


夜気の中に、聞きなれた声が飛び込んできた。


「……!」カミラタとスペクトラが揃って息を呑む。「ドクター……!」


 俺は声のした屋上の入り口に視線を走らせる。白い肌が霧の中に浮かぶ。……リリだ。間違いない。治した後かも分からないが、見たところ傷は負っていない。紅いローブに包まれた体はヒトのままだった。


「リリ!」俺は既に駆けだしていた。リリもこちらに向かって歩み出す。銀の髪が白い霧の中に揺れる。


「無事か? 何もされなかったか?」


 俺は彼女を腕を掴んで聞いた。「ええ、私は平気です」リリが微笑む。顔色は悪くない。鬼から逃げてきたのか……、少しだけ息が上がっている。だが、想像よりずっと無事なようだった。


「良かった……」俺は声を震わせて言った。安堵で膝から崩れそうだった。


「やっと会えましたね。探しましたよ、マシラ君」


 リリが背伸びをして、頭を傾ける。骨が小さく響いて、俺の額と触れ合う。


「俺もだ。俺もずっと探していた……」


俺は頭を離して、彼女を間近に見下ろす。「……?」にわかに湧きかけてきた疑問符を、涙が覆い隠す。


「なにを泣いてるんですか」

「なんだか、安心して……」


俺は照れ笑いして、目を拭う。


「無事で何よりだ、ドクター。緑衣の鬼は近くに?」


 ドストスペクトラが冷静に状況を確認する。リリが額を離して、彼の問いかけに応える。


「鬼はもうここまで来ています」

「……! 感傷に浸る間もないとはな……」俺は少し落ち着いて、カミラタを見た。


「……カミラタ、ここは一時休戦といかないか? 見ての通りリリは鬼に攫われていた。俺たちが彼女を救出に来たのが嘘じゃないということも、分かっただろう。今なら俺たちで協力して第一級犯罪者を捕まえることができる」

「ああ……、しかし……、まだ状況が上手く呑めんな。説明願えるか、モルグ捜査官」

「その前にその『捜査官』の件から説明してもらおうか。手短にな」


 ドストスペクトラがモルグを締め上げる。「手荒な真似はよせ」カミラタが制止する。


「彼は引き抜きの制度を利用して私の部下になった囚人だ。収監されたのは、ましらやグラムシたちの集団脱獄の少し手前……。容疑はモルグ亭の細君殺し。たしかに物証は揃っていたが……、私の長年の経験からは、彼は人に殺意を向けるような人間には、どうしても見えなかった」


 モルグが頭を振る。俺はあの頃モルグ亭事件の犯人が捕まっていたことを思い出した。


「ましらは脱獄したが……、私は野風の警備隊を育てることを、諦められなかった。それは野風とヒトの溝を埋める、良い懸け橋になってくれるはずだったからだ。そこで次に白羽の矢が立ったのが、彼だったというわけだ」

「登用までの監視期間は1年間……、たしかに彼がスラムに現れた時期と一致する……」


 俺は過去の時系列を遡って肯いた。


「収監当初はグラムシのグループについていた彼だ……、奴の再逮捕のため、南面に潜り込ませた。そこから先の展開は予想を上回るものだったが……、最大の捜査対象であるアテネ・ましら・ボアソナードの3人のもとに辿り着いた。そして魔境が統一され……、古代都市への侵攻が始まる、王都周辺の警備隊をかき集めろとの警告が入った」

「待ってください。俺の渡した情報と違う」


 モルグが慌てて口を挟む。


「俺が最後に送った手紙では……、貧民街連合は緑衣の(グリーン・ゴブリン)討伐とドクター捜索のために古代都市へ向かう、その前に警備隊で鬼とドクターの捜索を、と、そう書いていたはずです。先に見つけてしまえば、連合と警備隊が衝突する心配もない」

「待て。脱獄囚を捕まえるのであれば、スラム軍をおびき出した方が好都合だったはずだ。治外法権で警備隊の踏み込めない貧民街から引っ張り出すには、それしかない。なぜそうしようとしなかった?」

「それは……」モルグが口ごもる。俺とスペクトラの猜疑の視線が向けられる。


「そんな眼で見てやるな。お前たちに情が湧いたのだ」


 カミラタが諫めるように言う。「彼はそういう男だ……。潜入捜査などやらせるには、優しすぎた」


「……しかし、彼の話が本当だとして……」スペクトラがいくらか視線を和らげながら、カミラタに問う。「報告書は誰が改竄したんだ?」

「おおよそ検討は付く」俺は怒りを抑えて出口へ歩き出した。「捜索に向かう俺たちと警備隊が共倒れして得をするのは……、緑衣の(グリーン・ゴブリン)だけだ」


「マシラ君、落ち着いて」リリが離れかけた俺の手を控える。俺は振り向く。彼女は俺の頬にそっと手を寄せた。


「一度冷静になりましょう。目を瞑って」言われた通りにする。……たしかに、急展開の連続で、冷静な判断力を失っていたかもしれない。視界を暗くする。


「ゆっくり息を吸ってください」


 俺は深く息を吸う。何か、吐息のような小さい音がする。続いて、花の香りだ。とても心地よく、気分を鎮める良い匂い。筋肉のこわばりが解け、弛緩していくような……。


「?」


 固く冷たい感触が体に触れる。何だ? 目を開ける。壁……? 空が直立して見える。カミラタやスペクトラが横になっている。……壁じゃない、床だ。俺は目をしばたたかせる。床に倒れているのだ。


「ましら!」


 スペクトラの上ずった声が駆け寄ってくる。「何だ? 何をした?」


「香水をかがせました」


リリが小瓶を振りながら穏やかに答える。影が差して表情がよく見えない。俺は彼女の眼を見ようと瞼を細める。


「薬品か? 調合でも間違えたか……。効きが強すぎるぞ、弛緩しすぎだ!」


 スペクトラは俺の瞳孔を覗き込んだ。「意識はあるようだが……」


「調合は間違ってませんよー。ましら君にはここで、ゆっくり眺めていただく予定です」


 リリが事も無げに答える。俺はその時初めて、彼女のローブの紅が夥しい量の血痕であることに気付いた。


「眺める? 何をだ」リリの言葉に、スペクトラは困惑する。「(ゴブリン)戦も控えているんだ、戯れに付き合う時間はない。早く起こしてやってくれ」

「やだなー、まだ分からないんですか?」


 風の裂ける音がする。片頬を押さえたスペクトラの掌から、何かがこぼれた。

 

 耳だ。


 リリが涼やかに微笑む。霧を縫った満月の明りが彼女を照らす。


 月の光を受けて、その瞳は緑色に輝いていた。


「私が緑衣の(グリーン・ゴブリン)です」


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