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人獣見聞録-猿の転生 Ⅰ・猿猴が月に愛を成す  作者: 蓑谷 春泥
第2章 ビースト・マスト・ダイ
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第22話 鬼の影、緑の鎧

「グラムシ……、テメェ豚箱にぶち込まれてたんじゃなかったかよ?」


 ユーメルヴィルが吠える。


「兄貴は脱獄したんだよ、若頭クン」


 ニミリと呼ばれた色眼鏡がずいと顔を突き出した。無数の釘を打ち付けたこん棒のような武器を肩に担いでいる。グラムシと呼ばれた力体型の野風が眠たそうに続ける。


「そこの飼い猿君のおかげで警備に隙が出来てねえ。看守長殿を半殺しにして正門から帰らせてもらったよ」

「南面の酋長はどうした?」


 ユーメルヴィルが尋ねる。


「あいつは南の外れに軟禁させてもらった。グラムシの兄貴が戻って来たと知って、手向かいせずすぐに降伏したって話だ。若頭クンもそうしてくれないかなァ」

「長老……、君のお爺さんだっけ? 彼はうちの老いぼれと違って呆けが酷いねえ。えらく抵抗して手を焼いたよ。すぐ降伏すれば楽に逝かせてやったのになあ」

「テメェ……ッ! 誰に喧嘩売ってんのか分かってんのか!?」


 ユーメルヴィルの握りしめた拳から血の雫が垂れる。彼は歯をむき出しにして屋根に飛びついた。ニミリが首で周囲の猿に指図する。辺りの野風たちが飛び掛かってユーメルヴィルを突き落とした。「ユーメルヴィル!」俺は叫ぶ。


「君らこそ状況が分かってないなあ。君らが暢気に中央教区へ遠足している間に、僕らは東面の長を血祭りに上げちゃったんだよ。もう東面の領土は手に入れたわけだけど……、君らを殺して仕上げにしようか」


 叫び声と共に、あばら家の戸を蹴破って凄まじい数の猿たちが飛び出して来た。街路が灰色の毛並みで覆われる。途轍もない猿の数だった。野風たちは灰色の雪崩となって俺たちに襲い掛かってきた。


俺は絡みつく敵勢を殴り飛ばしてリリの方を振りむく。まだ背面は囲まれていない。俺は部下の野風たちに指示を出す。


「リリを連れて走れ! 診療所まで送り届けるんだ。一人は砦に戻って応援を連れて来い!」

「安心しろよ稀人クン。こっちの狙いは残党と君だけだ。メシアは二人もいらないからねぇ」


 屋根の上からもう一つ人影が差して、俺は見上げた。緑の長い葉で出来た鎧をまとった、1人の男が立っている。ニミリは彼を恭しく手で示す。


「我らが予言の救い主、緑衣の(グリーン・ゴブリン)さまだ。」

「……緑衣の(グリーン・ゴブリン)?」部下たちに引き連れられていたリリが振り返る。


「リリ、かまうな! 早く逃げろ!」俺は部下たちに檄を飛ばす「リリを頼む!」


 部下たちは肯いてリリを急かした。リリはこちらを後ろ髪惹かれるように見ていたが、彼等に連れられて角の先に姿を消した。


「今緑衣の(グリーン・ゴブリン)って聞こえたが、」猿の波からずぼりと顔を出してユーメルヴィルが空を睨む。「本当にあの(ゴブリン)か? ヒト攫いの?」

「そう、あの第一級犯罪人の鬼だ。重犯罪者どうし通じるものがあったんだろうねえ。僕に協力を名乗り出てくれたんだよ」


 グラムシが説明する。


「ヒトに裁きを下す鬼さまこそ俺たち野風の救世主だ。お前は偽者なんだよましらクン」


 猿の波は捌いても奥から奥から現れて切りがなかった。


「多勢に無勢だ、一度退くぞ!」

「ここまでされて引き下がれってのか!」


 ユーメルヴィルが猿を投げ飛ばしながら吠える。


「敵の規模も実力も未知数だ! 撤退して立て直すしかない」


 折よく強い南風が吹いて、砂埃を巻き上げた。


「よし、今だ!」

「くそッ!」

 

 俺たちは砂塵に身を隠し、東面の村落から姿を眩ました。




「それでおめおめと退き下がって来たわけか」


 ドストスペクトラが言う。


「聞く限りその状況では妥当な判断ですな。潮時を見誤らぬことも兵法においては必要な能力。腕を上げましたな」

「しかし、敵の将が3人全員揃っていたのだ。しかもこちらはドクターの加護を受けられる状態にあった。……随分慎重な判断だな?」

「何が言いたい?」


 俺はスペクトラを睨む。


「なに……、今一度確認したいだけだ。我々はあなたに力を与える。あなたは我々に希望を授ける。その契約は忘れていないな?」

「言うまでもない」俺はぶっきらぼうに返す。「それで、その兵が必要な時が来たようだぜ。敵は大群だ。こちらもそれなりの軍勢で応じるべきだ」


 ドストスペクトラは渋面で腕組みする。「大隊は動かせない」


 俺は驚いて尋ね返す。


「どうしてだ? 放っておけば奴らは中央にも進軍してくるぞ」

「今は北と睨み合ってる……。本部の護りを手薄にすれば北面の連中が攻め込んでくる。主力部隊の不在がいかにリスクを伴う行為か、たった今目撃したばかりだろう」


 彼はユーメルヴィルを見て答える。ユーメルヴィルは苦虫を嚙み潰したような顔をした。


「なら何か? 俺たちの村は見殺しか」


 ユーメルヴィルは立ち上がり、部下たちに合図する。


「待て、何処へ行く」


 踵を返すユーメルヴィルの背に、スペクトラが呼びかける。


「増援が無くても俺たちは行くぜ。このままやられっぱなしにはいかねぇ」

「今の君たちの指揮官は私だ。それは認められない」

「俺らが付いたのはましらの下だ。お前じゃねぇ」ユーメルヴィルがじろりとスペクトラを見返す。「文句があるなら直接拳を交わしな」


 二人の間に無言の火花が散る。ボアソナードが咳ばらいをして遮った。


「二人とも矛をお納めください。……ユーメルヴィル殿、僧督殿は聡明なお方です。手に入れた東面の地と民をみすみす明け渡すような沙汰は、下しませぬ。この場を去るのは、最後まで耳を傾けてからでも良いのでは」


 ユーメルヴィルは眉間に皺を寄せたまま、鼻を鳴らして椅子に付いた。


「……聞こうか。どういう考えだ?」


 ドストスペクトラは軽く息を付いて続ける。「私は大隊を動かせないと告げただけだ。援軍を送らないとは言っていない」

「少数精鋭で対応しろってことか」


 俺の指摘に彼は肯いた。


「たしかに西面の僧兵の数は魔境(スラム)でも最大級だ。そこに南面の兵も加わるとなればその規模はかなりのものだろう……。しかし所詮は寄せ集めの集団。西南の連中と他勢力の大きな違いは分かるか?」


 俺は首を横に振る。スペクトラは答える。


「統率力だ。東面の仰臥派と我々福音派、それに北面の邪宗門の信徒でさえも、それぞれの民が共通した信仰に属している。しかし西面は違う。彼の地は混住地帯。それゆえに数も多いが宗派はばらばらなのだ。連帯して軍を立てるには向かない……。緑衣の鬼など持ち出して予言の救い主を演出することがその証拠……。共通の偶像を立てる必要があったのだ」

「予言の主ということでは、こちらも同じじゃないか?」

「少し違います。我々福音派はましら殿が現れる前から統率のとれた宗派でした。ましら殿を予言の稀人として取り立てているのは、あくまでも民草に希望を与えるため。言い換えれば兵の士気を高めるため、ですな」


 ふむ。ボアソナードの説明に俺は納得して引き下がる。


「もう一方の南面の連中は、そもそも信仰の対象を持たないからな。加えて強引なやりくちで首がすげ代わった。進んで付き従っているわけではないだろう」

「要は連携のとれた集団じゃないってことだな。とはいえあの物量はさすがにきついぞ。長の2人はそれなりに腕も立つだろうし、緑衣の鬼とか呼ばれている奴もどんな能力を隠しているか分からない」

「いや、単に連携のもろさを指摘しているだけじゃない。兵たちの連帯が弱いということは、頭さえ潰してしまえば瓦解するということだ。だから生真面目にあの数の軍勢を捌ききる必要はない。暗殺……とまではいかずとも、直接頭の3人を叩くことが出来れば寡兵でも勝機はある。むしろ隠密には少人数の方が都合良い」

「なるほどな……」

 

 ユーメルヴィルが顎に手を当てて唸る。


「しかし問題があるぜ。敵将連中がどこにいるか分からねぇってことだ。本拠地に帰ってるかもしれねえし、3人が固まっているとも限らねえ」

「そこは俺が何とかできるかもしれない」


 俺は手を挙げる。


「ユーメルヴィルとの戦闘では使わなかったけど、俺には未来の音を聴く魔法があるんだ。敵軍の動きは大体予想できる。上手くすれば敵将の所在も掴めるだろう」

「ンなご大層な能力を抱えてたのかよ……。さっきの会敵は予想できなかったのか?」

「特定の時間帯の音を聴くには狙って予知を発動する必要があるんだ。自動的に予知が降りてくるもあるけど、タイミングにばらつきがある」


 俺は席を立つ。


「そういうわけだから、少し奥で集中させてもらう。皆はその間に編成を練っていてくれ」




 薄暗い廊下を渡っていると、後ろからアテネが付いてきた。


「子供は寝る時間だぞ。……リリはどうしてる?」

「空き室で(やす)んでいるわ。しばらくここに泊めおくって聞いたけど、本当なの?」

「ああ。東面のルートが少し危険な状態でな。すぐに安全な帰路を確保するのが難しい状態なんだ」

「西南の連合軍が占拠しているんでしょう?」


 俺は立ち止まる。「聞いていたのか?」


 アテネはばつが悪そうに目を反らす。


「立ち聞きとは感心しないな」

「だって、頼んでも教えてくれないでしょ?」

「当たり前だ。子供を巻き込むわけにいくか……」


 アテネはもどかしそうにこちらを見る。


「あなたの世界がどうだったかは知らないけれど、この世界では子供は「小さな大人」なのよ。立ち会う資格があるわ」

「駄目だ。君らは巻き込みたくない」

「君ら、ね」


 アテネは顔をしかめた。「それってあの(ひと)のこと?」

「あの人?」


 俺は少し間を開けて尋ねる。


「知ってるのよ。貴方が東面の村から交戦せず引き上げてきた理由。形勢でも味方のためでもなくて、本当はドクターを守るためだったんでしょう?」


 アテネは少し寂しそうな表情で目を反らした。


「……大した騎士道精神ね。予言の救い主が聞いて呆れるわ。情にほだされて集簇全員を危険にさらすなんて。まあ無理もないわね、貴方は別にここの住人たちを守る理由なんてないんだもの。ただ契約のために力を貸しているだけ。……でも私が気になってるのはその契約なのよ。中央が制圧されれば貴方の後ろ盾は無くなって、それだけ帰郷が遠のくはず。そこまでしてあの(ひと)を守る必要があったの?」

「俺は……、あくまで戦略的な判断のもとに撤退しただけだ。リリの安全を図ったのも、彼女が非戦闘員だからだ。君を助けた時と同じだよ」

「たしかに貴方は、咄嗟の状況で英雄的な選択をとる傾向にあるわ。恐らくは自分の理想のために。……でも今回は少し違う。自分の目的のためじゃない、何か私的な感情が混じる込んでいる。もしかしたら自分自身でも気が付いていないのかもしれないけれど……、貴方は少し変わりつつあるみたいだわ。出会った頃の貴方は、理想のために全てを投げうてる、そういう覚悟と危うさを感じた。でも今はどうやら、失うものが出来てしまった」


 俺は胸を突かれ、自問した。……そうだ。俺は「あいつら」のために現世に帰らなくちゃならないんだ。それが俺に与えられた生の理由のはずなのだ。……にも関わらず、別の気持ちが生れつつある。


「少し、複雑な気分ね。自分の意志を持つことは、素敵なことだと思う。でも、理想に殉ようという貴方の覚悟も私は認めていた。貴族として……、誇りのために生きる私たちと、近しいものを感じたから」


アテネは胸をきゅっと掴む。「それに、あの(ひと)のことも……。何故かしら、少しだけ、胸がざわめいてる……」

「アテネ……」

「……これが胸騒ぎというやつかしら? 分かったわ、貴方と一緒に遠征に行けということね」

「待て、どうしてその結論に達した?」


 俺は目を白黒させて訊いた。話が飛躍し過ぎている。


「何か本能が告げているのよ。もちろん貴方の未来知のような魔法じゃなくて、ただの勘だけど。……心配しないで。隠密なら私の能力は足を引っ張らないはずだわ。後方支援に徹するつもりだし……、スペクトラもゴーサインを出してくれると思うの」

「良いわけがない。ここならスペクトラもいるし安全だ」

「いいえ、きっとここに居残るより貴方と外に出るべきだわ。スペクトラに掛け合ってみましょう。多分ボアソナードも味方してくれるわ」


 アテネは俺の説得も聞かずに廊下を駆けだした。


「……大体どうして俺の方に付いていく必要があるんだ。本部の方が守りも固いし、僧兵たちも大勢詰めてる」

「貴方には幾度も助けられたからね。その点は信頼しているわ」


 俺は呆気に取られて彼女の後姿を見送った。……分からない。あの年頃の子が考えることが……。


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