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人獣見聞録-猿の転生 Ⅰ・猿猴が月に愛を成す  作者: 蓑谷 春泥
第2章 ビースト・マスト・ダイ
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第21話 西南連合

 ユーメルヴィルは大の字に転がったままま低い呻き声を上げた。ヒカリゴケの薄明かりに眩しそうに瞼を上下させる。


「若頭ァ!」


 配下の猿たちが痛切な悲鳴を上げる。俺は笑う膝を気力で誤魔化しつつ、卓の上からユーメルヴィルを見下ろした。ユーメルヴィルは苦し気にを身を起こそうとしたが、悔しそうに顔をしかめて溜息をついた。「動けねぇ」


 卓を取り囲んでいたボアソナードたちが、一斉に歓声を上げる。俺は安堵に深く息を吐いて、崩れるように卓の上に寝転がった。


「よくやったな」


 ドストスペクトラが満足そうに俺の肩を叩く。


「期待以上の内容だ。誇りに思っていい。あなたは中央教区を守り抜いた」

「すぐにドクターに見ていただきましょう。その負傷でよく粘り抜きましたな」


 ボアソナードが感銘を受けたように言う。アテネの方に目をやると、野風たちの後方で腕を組み、やれやれという顔でこちらに片目をつぶってみせた。どことなく安堵の表情に見えなくも無かった。


「そのことなんだが……」


 俺は赤毛の取り巻き連中をちらりと見て答えた。彼らは漢泣きに歯を食いしばり、ユーメルヴィルを助け起こしに駆け寄っては来たが、俺たちに手を出してくる気配は無かった。俺は言葉を引き継ぐ。


「彼にも治療をしてやってくれ」


 ボアソナードが目を少し見開く。俺は難しい表情をするスペクトラに言う。


「大丈夫だよスペクトラ。こいつらはちゃんとケジメの分かる連中みたいだ。治してもちゃぶ台返しはしないさ」


 ユーメルヴィルに目配せする。「だろ?」


 ユーメルヴィルは参ったなと言いたげに口角を上げた。


「敵わねえな。純粋な殴り合いで敗れた上に、傷の手当までされちゃあよ……。認めてやるよ。……すまねえな、お前ら」


 ユーメルヴィルは取り巻きの連中に申し訳なさそうに詫びる。連中は拳をついて頭を振った。


「そう悲観するな。悪いようにはしない」


 ドストスペクトラが重々しく口を開いた。ボアソナードも肯く。


「ええ。東面の流行り病も、協力して対処しましょう。幸い中央には新鮮な山水もあるし、領地が広がった分住居の隔離も行いやすい」

「そういうことだ。あんたらも訳ありみたいだし……、何も隷属させるつもりはない。でも下に付くっていうなら、俺たちも責任をもってあんたたちの生活を守るよ」

「やれやれ、とんだお人好しの救世主様だな」


 ユーメルヴィルは取り巻きに担がれながら立ち上がった。


「だが、他の居住区の連中はそう甘い対処はできないぜ。北面の邪宗門に南面の過激派無神論者ども、策謀家のニニギニミリが率いる最多勢力の西面……。どいつもこいつも癖のある面々だ」


 彼は取り巻きたちに首で出口の方を指し示した。「どこへ行く」ドストスペクトラが咎め立てる。


「決まってンだろ。案内するんだよ、新しい頭をよ。……俺たちの村に」


 ユーメルヴィルはこちらに目を向けた。


「気を付けろよましら。予言の主の登場にどの勢力も浮足立ってる。ぎりぎりで保たれていた均衡は既に崩れだした。……スラムはこの国の『火薬庫』だ。あんたはそこに火を付けちまったのさ」




「傷だらけで帰ってくるのは結構ですが……」


 リリは快癒した俺の背中をはたきながら言った。「死なない程度に戦ってくださいねー」


「そう言うなドクター。本気の闘いは死と隣合わせだ。強者同士がぶつかれば、図らずして死に至ることもある」

「あなたがそれを言いますか。聞きましたよ、本気でましら君を絞め殺そうとしたそうじゃないですか」


 リリは咎めるような目でユーメルヴィルを見る。ユーメルヴィルはすっかり傷の塞がった顔を背けた。


「気にしないでくれ、リリ。俺もとっくに覚悟は決めてる。住民の生活がかかった戦いなんだ。無理もないよ」


 俺たちは十数人の赤毛の取り巻きと、数人の手勢を連れて東面の村落に向かっていた。福音派のメンバーは野風に加え、帰路のリリも同行していた。


 寂しい砂の通りを抜けると、東面の村落が遠くに見えてきた。粘土質の穴倉のようなたてものが疎らに並び、禿鷹の骸骨のような鳥が群れを成して飛んでいる。


「それにしてもドクターはえらくメシア殿にご執心だな。こいつがドストスペクトラにとられて、妬いてるのか?」

「医者として責任を持っているだけです。それにましら君はあくまで修行の身として、一時的にスペクトラさんの下に付いているだけです」

「しかし残念ながら、今日からこいつは、俺たちの(かしら)なんだよなァ。東面に住んでもらうのも悪くねぇよ」

「いえ、私の患者です。私の目の届く所にいてもらいます」

「いや、誰のものかはともかく……、俺は現世に帰るから……」


 俺の主張は二人の諍いの上を通り過ぎていった。


「……若頭、妙ですよ」


 赤毛の一人が鋭い声で警告する。ユーメルヴィルはさっきまでのふざけた表情を引っ込め、顔を引き締める。


「どうした?」

「もう村の入り口だっていうのに……、詰め所に誰もいません」

「東面は疫病が流行ってるんだろ? 皆臥せってるってことはないのか」


 俺は尋ねる。赤毛の部下がかぶりを振る。


「たしかに病は流行っているし、老人だらけの村だが……、昼間から境界の監視を怠るとは……」

「たしかに奇妙だな」


 ユーメルヴィルも肯く。


「見ろ。詰め所の屋根に砂が積もってる。日に一度砂降ろしをしないと通気口が詰まるんだ。数時間は誰も来てないみたいだぞ」


 先の通りを見に行った赤毛の一人が叫び声を上げてユーメルヴィルを呼んだ。


 砂埃の向こう、曲がり角の先には武装した大量の野風たちがぞろぞろと大軍で行進している。手には金品や作物の詰まった薄い麻袋を携え、足元には幾人もの老猿が転がっている。


「若頭!」

「くそッ、見りゃ分かる! ンだこの兵の数は! 賊ってレベルじゃねえぞ!」


 ユーメルヴィルが声を荒げる。見ると家屋の中ではめちゃくちゃに倒れた家具とその下敷きに子供や老人たちが呻き声を上げていた。兵たちが声に築いてこちらを振り返る。


「……なんだ、もう帰ってきちゃったか」


 頭上から声が降ってくる。俺たちは視線を屋根の上に走らせる。俺は目を見開いた。


 そこにはかつて監獄を仕切っていた、巨躯の囚人の姿があった。


「おい、お前ら退き上げだ!」


 囚人の後ろに1人の野風が現れた。オールバックに撫でつけた灰色の髪に、色眼鏡を掛けた男が、屋荒らしを続ける猿たちに呼びかける。兵たちは俺たちを一瞥すると、野次を飛ばしながら足音も荒く街路に出てきた。かなりの数だった。ユーメルヴィルが顔をしかめて怒鳴る。


「西面の族長ニミリ……、それに南面の元酋長グラムシか! つい昨日まで対立してた西面と南面の連中が……、どういう風の吹き回しだ?」

「血の巡りが悪いな、若頭クン。まだこの状況が呑み込めていないのか?」


 ニミリと呼ばれた色眼鏡がこめかみの辺りを人差し指で叩きながら、ほくそ笑む。グラムシがその肩に手を置いた。


「東面は既に陥落したんだよ。この『西南連合』の前にね」


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