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人獣見聞録-猿の転生 Ⅰ・猿猴が月に愛を成す  作者: 蓑谷 春泥
第2章 ビースト・マスト・ダイ
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第18話 お猿の寵児

 その晩にはボアソナードもアテネも立ち歩けるほどには回復していた。夕方に俺は僧督にこれまでのいきさつを語り、いくつかの意思確認をされた。夜が来ると俺たちは、揃って最初の広間に通された。


「今日はちょうど宗派集会の日でな。主要な門徒も顔を揃えている。あなたのお披露目をするのにはちょうどいい」


 スペクトラは俺を広間に招じ入れながら言った。食堂にはざっと見ただけでもニ百人以上の猿がいて、がやがやと近況を報告しあっている。


「祈りというのは個人的な行いだ。しかし、この福音派は中央教区の殆どの住人が信仰していることもあって、自治組織の役割も兼ねている」

「お披露目というが、俺の立場は……」

「分かっている。それが今晩の議題というわけだ」


 ドストスペクトラが手を打った。


「一同、ご傾聴願いたい」


 僧督の厳かな言葉に、広間のさざめきが静まっていった。視線が俺に集中する。


「お集りいただき感謝する。まずは潜入調査から帰還したボアソナードから報告がある。またしても困難な任務を成功させてくれた、誉れ高き同志の言葉だ。心して聞いてくれ」


 傍らに立っていたボアソナードがこちらに一礼し、皆の前に進み出た。ボアソナードはこの中でも古株らしく、スラムでは少数派のヒトでありながら、皆の表情からは信頼の念が窺えた。


「ご無沙汰しておりました、皆さま方。相も変わらず景気が良さそうで」


 野風の一同が苦笑いした。ボアがにこりと笑う。


「本日は新しい仲間をご紹介したく思います。獄中にて邂逅した、警備隊の秘密を握る御令嬢、アテネ・ド・カプリチオ殿」


 アテネは突然名を指され少しびくりとしたが、直ぐに優雅に会釈した。貴族らしい堂々とした振舞いだった。ヒト族とみて野風たちはひそひそと言葉を交わし合う。


「そしてその横におわしますは、未来知の魔法使いにして予言の稀人……、我らが救い主、マシラ・ソソギ殿にあらせられます」

「稀人、って……聖典のか?」「白の野風……、『将門(まさかど)』以来だな」食堂のざわめきが大きくなる。よく分からぬところで話が大きくなっている気配がする。俺は片手を挙げて控えめに挨拶した。


「異界人のましらだ。ボアソナードには世話になった。よろしく頼む」

「彼はあのカミラタを下した男だ。ヒトの魂を持っているが、肉体と志を我々と同じくしている。皆に彼の処遇を決めてもらいたい」


 ドストスペクトラが皆に呼びかけた。


「処遇でございますか」


 集団の一人が尋ねた。


「そうだ。彼は寄る辺のない流浪の身だ。しかも警備隊の追っ手を抱えている。しかし私としては、彼を福音派の筆頭として迎え入れたい。今は魔境(スラム)内の情勢も不安定だ。予言の救い主の力を借りて、この貧民街に安寧を築きたい。私は、そう思っている」

「賛成ですな」


 ボアソナードも同意する。


「ましら殿の御力(みちから)は強大です。我々の下で修験(しゅげん)の道を極めていただいたのち、長らく空白であった座主(ざす)の位についていただかれるのが適当かと思われます」

「座主と来たか!」


 古参らしき老猿たちが声を上げる。


「座主と云えば、相応しい者の現れぬ限り空位として扱われる、最高僧の位階ぞ……。先代は貧民街を統治していた、『大祀教(だいしきょう)』ドストルストイ様。宗派の分裂したこの状況でかような大それた叙任を行えば、北面や西面の連中が黙ってはおらぬよ」

「だからこそ意味があるのです」


 ボアソナードが重々しく駁す。


魔境(スラム)の命運を担う救い主がこの福音派についていることを、大々的に喧伝する。その威光と恩寵を以てこそ、大貧民街の混乱を調停できるというもの」


「これはまた穏やかな言い回しね」


 アテネが俺の耳に囁いた。


「調停なんて名ばかりよ。ドストスペクトラは貴方の能力と肩書を利用して、魔境(スラム)を統一するつもりなのだわ。そして「予言の稀人」とやらに最高位を叙任できる自分の立場を見せつけることで、教會内での権威を盤石にするつもりなのよ」

「随分、政治に詳しいな」

「貴族ですもの」


 アテネは平然と言ってのけた。卓の向こうでは猿僧たちが盛んに議論しあっている。


「……今君が言ったことは、既に了解済みだ」


 俺は前を向いたままアテネに答えた。アテネが驚いたような顔でこちらを見る。


「事前に打診があった。ボアと僧督殿は俺の意向を組んだ上でこの提案をしてくれたんだ。互いに利のある計画だからな」

「互いに利があるって、貴方に何の得があるの?」アテネが尋ねる。「一刻も早く、樹海の魔法使いに遭いたいのでしょう?」

「今の俺では、無理だ」


 俺は口を曲げて答える。


「カミラタと闘ってよく分かった。今の俺は格闘技術も駆け引きも、経験もこの世界の知識も、何もかも未熟だ。未来知しか強みの無い現状では、あの『悪い魔法使い』相手に要求を通すことは難しい」


 両方と手合わせしたからよく分かる。樹海の魔法使いの実力は、カミラタ以上だ。それに何故か俺のことを狙っている。仮に奴のもとへ辿り着いたとして、すんなり現世に返してくれるとは思えなかった。


「力づくにしろ交渉にしろ、あの魔法使いと渡り合えなければ話にならない。それに、樹海の周辺は警備隊が守りを固めている。『悪い魔法使い』の捜索と警備隊との衝突には、充分な兵力がいる。少なくともこの中央教区、欲を言えば周辺地帯の門徒を味方に付けたい」

「この砦で修業を積み、実力を認めさせて援軍を勝ちとる、という心算ね。たしかに利害は一致しているわ」


 アテネは小さく応える。援軍と言えば聞こえは良いが、他勢力を力づくで軍門に従える、という結果にもなりかねなかった。なるべく円満に解決したいとは思っている。しかしいざとなれば手段は選ばないつもりだった。


「さて、どうだ、皆の意見は」


 ドストスペクトラは広間を見渡して問うた。「やぶさかではねぇですが……」農夫らしき信徒から声が上がる。


「ではもう少し考えてもらうために、情報を追加しよう。今後この救い(メシア)とその仲間、アテネ令嬢の生活は、我々が保証する」


 広間から不満の声が上がった。アテネは横目で俺を見る。「……私の食い扶持まで気を回してるなんて、抜け目ない人。……まさかこれが本当の狙いじゃないでしょうね?」

「かいかぶりすぎだ。いつまでもドクターの好意に甘えるわけにはいかないってだけさ。ここでなら未来知の力を対価として与えられるしな。……まあ、行く当てのない手配中の子供を保護してもらうのは、ついでみたいなものさ」

「施しは受け取らないわよ」

「彼等も善意だけで承諾はしていないだろう。君の情報は他勢力に優位をとる役に立つみたいだし、匿うだけの価値はあると感じているようだよ」


 アテネは複雑そうな表情で口を尖らせた。「……前より(したた)かになったんじゃない、貴方」

「ムショ暮らしのせいかな」


 議論は紛糾していた。少なくとも、俺のことを認めていない者も多数いるようだった。


「どうも相当な成果をあげるしか、ないようだな」


 スペクトラが素っ気なく俺を焚きつけた。

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