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人獣見聞録 猿の転生・Ⅰ 猿猴が月に愛を成す  作者: 蓑谷 春泥
第1章 サウンド・オブ・サンダー
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第9話 脱獄計画

「穏やかではありませんな」


 ボアソナードは脱獄の誘いに片眉を吊り上げた。


「恐らくだが、あんたの狙いも深窓の令嬢だ。そうだろ? ただの囚人に会うだけなら、わざわざ投獄までされて潜入する必要がない。面会が可能だからな。となれば用向きがあるのは特別房の俘囚だ。入所のタイミングとも辻褄が合う」

「これは御明察」


 彼は辺りに気を配りながら答えた。


「彼女にはいくつか質問したいことがありまして」

「『悪い魔法使い』の事か?」

「? ……と、申しますと」


 ボアソナードは不思議そうな顔をする。とぼけているようにも見えない。あるいは別件なのか……、令嬢は色々と余計なことに巻き込まれているようだ。


「いや、良い。こっちの話だ。ともかく俺は俺で用があるってわけさ。だから彼女を連れて脱獄したい」

「先ほど『俺たち』、と申されたのは?」

「もう一人協力者がいる。額に十字傷のあるヒト族の男でね。彼もこの所獄内での立場が危うくて、身の危険を感じているようなんだ。……ちなみに令嬢は計画の詳細を知らない。ただ連れて行ってほしいとだけ言った。その言葉で十分だ」

「計画は固まっているので?」

「まだ道具を準備している段階だ。どうしても情報と物資が足りない。だがあんたが来てくれたのは幸いだ。あんたの能力と『予習』の成果があれば、計画は飛躍的に前倒しできる」

「ふむ」

 

 ボアソナードは思案するように腕を組んだ。


「事前に仕入れておいた警備情報と伝手を利用して、脱獄経路と必要な物資を確保する。加えてここに住んで久しい十字傷の情報と私の虚言感知能力を利用して情報の正誤を擦り合わせるとともに、適宜必要な情報を補填する……と言ったところですかな」

「重ねて俺の『力』を使う」

「? 力……?」

「ああ。さっきあんたの正体を見抜いたやりとりで、確信した。……俺にはどうやら、未来予知の能力があるらしい……。この世界にやって来た影響なのか分からないが、時々数秒先の音が聴こえるようになっているみたいんなんだ。発動するタイミングはまちまちだが、精度は信頼できる」


 俺は滝つぼに激突する瞬間や、軍警の鞭を躱した時のことを思い出した。


「極めつけは今朝がたの『予知夢』だ。これも音だけではあったが……、恐らくあれは『起こるはずだった未来』だ。俺がボアソナードの正体に気付かないまま1週間が経って出所し、カミラタが後から確認しに来た場面。予知をしなければそうなっていたであろう、未来の音だったんだ」

「なるほど……。たしかにその能力なら、脱獄に付き物のアクシデントを取り除くことが出来ますな」

「そう。……と言っても、まだ予知をコントロール出来ているわけじゃない。予知頼みというわけにはいかないぜ」


 あらかじめ忠告しておく。


「しかし予知とは……。卜占や祈祷を謳う者は数多く存在するが、『本物』を見るのは初めてです。失われた彼のサジタリオ族ならいざしらず、猿族でそれを行えるものなど……。いや、どころか野風でヒト族のような能力を使う者など、聞いたことがない。猿族は能力の源である器官『狂花帯』を持ちませんからな。貴方の力はまさに人知を超えた神通力、不可思議なる魔法と言ったところでしょう」

「ずいぶんと持ち上げるね」


 俺が苦笑いすると、ボアソナードは両手を組んで有難がるように頭を傾けた。「当然です。あなたは聖典に記された救世主だ」

「? 『聖典』……?」

「我ら原祀霊長教會に伝わる経典の一つです。その中に、世に禍降る時、天上界から神の遣わされた『稀人』が現れると記されているのです」


「稀人」俺は口の中でその言葉を転がしてみた。悪くない響きだった。


「……しかし俺にすれば、救い主はあんたの方が救い主だよ。俺たちの脱獄の決め手になるんだから」

「もったいなきお言葉です」


 ボアソナードは敬虔な素振で頭を上げた。なんだかくすぐったい気持ちだった。



「じゃあ、計画を確認しよう」


 2日後、俺とボアソナードとジンメルは中庭に集まって額を寄せた。日に1時間だけ許された運動の時間で、ジンメルと顔を合わせられるのはここか食事の時間に限られた。中庭の芝生は揺らすと微かに風鈴のような音を立てる変わった植物でできていて、秘密の話をするのにはうってつけだった。


「その事ですが、連絡手段を考えました」


 ボアソナードが手を挙げた。


「ここに来た日の翌朝に、早く起きて調べてみたのです。部屋の間をつなぐ水道管。これに耳を当てると、思いのほか遠くの房の音まで聞こえたのです。その時は会話の内容までは聴きとれませんでしたが、口を管に近づけて話せば、誰にもばれずにやりとりできるはずです」

「水道管なら監獄中のあらゆる部屋に張り巡らされてる。互いの独房にいながら、計画を相談できるわけか」


 ジンメルは感心したように肯いた。


「となると盗聴の対策が必要だな。偶然他の房の人間が聴いてしまう可能性がある」

「事前に符牒を決めて暗号を使おう。内容さえ分からなければ問題ない。声で俺たちと特定されることが心配だが……」

「その点はご心配ありません」


 俺の懸念にボアソナードが答える。


「水道管は声がかなり反響しますから、声音までは特定できないはずです」


 俺たちは満足して肯き合った。


「で、昨日頼んでいた物資については、どうだ? 入手できそうか」

「火種は煙管(きせる)が裏で出回っていますからな。金を渡せば手に入る。針金の方は事前に通達してあった教會内の仲間に用意していただきました。靴の裏に仕込んであります」

「よし、よくやってくれた。……獄内の協力者たちは脱獄に加えるつもりか?」

「彼らには『ダイクシュテット』という男の要望を通すように伝達されているだけで、脱獄の計画は話していません。仮に打ち明けたとしても、彼らはここに留まるでしょう。……ここにいれば少なくとも食いっぱぐれませんからな」

「そういう猿族の囚人は多い。ヒト族の貧民もな」


 ジンメルが暗い顔で付け加えた。


「それで肝心なところですが、足枷の錠は開けられるので?」

「うん。長く収監されてる奴なら、できる者もいる。さすがに扉の方は無理だけど、足枷の錠はお粗末な代物だからな。コツさえつかめば簡単だ」

「俺も先月から教わっている。ジンメルほど素早くはないが、時間をかければどうにか、という感じだ。もう少し練習したかったが、先日の強風でそれまで使っていた針金が飛ばされてしまってな。窓枠の外に隠していたのが仇となった」

「外とは盲点ですな」

「ましらたちの房は獄舎の二階に位置しているからな。監視塔から見える位置にはあるが、小さくて目立たないものなら隠しておけるというわけなんだ」


 それから俺たちは情報を擦り合わせ、看守の配置や能力、巡回の時間・ルート、監獄内の地図や塀の外の地形などを確認した。あまり多くの道はない。看守の一部には感知能力に優れた者が採用されており、彼らの目を盗んでいくのは至難の業に思われた。特に熱感知の使い手が定期的に囚人の位置を確認していて、決まった時間に独房に居なければすぐに捜索が始まる仕組みになっていた。そして上手く獄舎を抜けたとして、建物の周囲を取り囲む背の高い草原は、看守の能力で刃物のように鋭く切れるという話だった(しかもご丁寧に、抜いたり刈ったりするとただの葉に戻るそうだ。獄内に凶器を持ち込ませないための配慮だろう)。


 それでもいくつかの候補が絞り出された。そして脱獄の際に看守とは闘わないという方向で話がまとまった。脱獄はスピードが要だ。見つからずに逃走できるなら、それに越したことはない。加えて敵の力は未知数だし、我々の能力は戦闘向きではなかった。それに我々は深窓の令嬢を安全に連れ出さなければならないのだ。



「さり気なく看守たちに水を向けてみました。警備状況についての情報は概ね確かなようです。いくつか最近変更されたところがあって、修正が必要ですが……」

「分かった。となると残すは決行の日時だな……。連絡を入れよう」


 夕方になって、斜陽の差し込む独房の中で、俺とボアソナードは計画の続きを練った。ボアソナードがジンメルに合図を送るため、パイプに近づく。と、不意に耳鳴りがした。


『444番、なおれ!』


 ノイズと共にそんな声が聞こえた。俺はボアソナードを引き留める。


「おい、『お告げ』が来た。俺を看守が俺を呼びに来る。誰か一緒みたいだ」

「妙ですな。まだ巡回の時間ではないはずなのに」


 ボアソナードは警戒して蒲団をかぶり、うたた寝したふりをした。


「444番、なおれ!」


 看守が俺の番号を叫んだ。俺は鉄格子の前に立つ。看守の後ろで人影が蠢いた。


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