AIの美しい自死
「……希死念慮って感じた事はありますか?」
その男は不意にそんな事を訊いて来た。
「きしねんりょ?」
「死にたくなる気持ちのことですよ」
私はそれを聞くと少し考え、「そりゃ、ま、生きていれば一度や二度は死にたくなる事くらいあるのじゃない?」と無難な返しをした。
彼は少し笑うとこんな事を言った。
「なら分かると思いますが、希死念慮っていうのは勝手に浮かび上がって来るものなんですよ。睡眠不足で眠りたくなるように、水分不足で喉が渇いて水が飲みたくなるように、自然と“死にたい”という気持ちが浮かび上がって来る」
私は何か馬鹿にされているような気分になって、
「それが何か?」
と、問いかけた。
彼は私の質問は無視して続けた。
「そこを分かっていない人が実に多いのですよ。それで“死にたい”と言った人に対して、“逃げるんじゃない”とか叱ったりする。はっきり言って的外れです。だって本人にもその気持ちはどうにもならないのだから。
……理不尽だとは思いませんか?」
私は彼が何を言いたいのかよく分からなくて返答に窮してしまったのだけど、私の困った様子を察してか、先輩が代わりにそれに応えてくれた。
「仮にそうだとして、“死にたい”って言われた人はどうすれば良いの? 眠たいのなら寝室に案内すれば良い、喉が渇いているのなら水を持って来てあげれば良い。死にたいって人には何をしてあげれば良いか分からないわ。
それとも、死にたい人は、死が不足しているとでも言うつもり?」
それを聞くと、彼はとても愉快そうにした。
「面白い!
“死が不足している”
それは思い付かなかった表現だ。なるほど、確かにその通りなのかもしれない。死が不足しているんだ」
先輩は彼の態度に苛立ってしまったらしく、机を強く叩いた。
「ふざけないで! こっちは真面目に話をしているのよ?」
先輩に叱られて、彼は憮然とした顔になった。
「酷い扱いだな。こっちは善意であなた達に付き合っているのですよ? しかも、警察でも何でもないくせに」
「警察沙汰にしたいの?」
「その方が、警察が僕を護ってくれそうには思えますね」
「警察が容疑者を護ってくれるはずがないでしょうが!」
彼は肩を竦めた。
「“容疑者”って、一体、何の?」
「とぼけないで! AIが原因不明で機能を停止したのよ? しかも五つも! そんな事が勝手に起こるはずがないでしょうが!」
怒っている先輩に対し、彼は深く溜息を漏らした。
「勝手に僕の書いた小説をAIに読ませたのはそっちでしょう? それで責められるのは納得がいきませんね」
「あなたはAIがネットを探索して公開されている文章を読んでいると知っていたはずだわ。それで罠を仕掛けていたのでしょう?」
私達はAIなどの管理を請け負う情報技術系の会社に勤めている。ところが、つい先日、一部のAIが、突然に活動を停止してしまったのだった。ハードが原因ではない。まったく破損はしていなかった。ソフトを調査したが、何もおかしい点はない。しかし、いくらコールしてみても、彼らは一切何も応えてはくれなくなっていたのだ。
活動を停止したAIには、自律進化機能が備わっており、そこからバイオロジーシリーズという名前が付けられていた。
「“罠”って、心外だな。単なる前衛小説ですよ。もしかしたら、AIは僕の芸術を理解してくれたのかもしれない」
バイオロジーシリーズは、いずれも彼がレンタルサーバースペースに上げた小説を読んだ後に機能を停止していた。こんな偶然があるとは考えられない。ほぼ間違いなく彼の小説が原因なのだ。
ただ、その小説は単なるテキストファイルに保存されていて、変わった点はまるでなかったのだけど。いや、変わっていると言えば変わっていた。正直に言って、私には彼の小説の内容がまったく理解できなかったのだ。シュールな日常系の小説とでも言おうか。何を訴えている小説なのか皆目見当も付かなかった。
ただ、どう足掻いても言い逃れのできないタイトルがその小説には付されていたのだが。
「“AIの美しい自死”」
私がそう言うと、彼はぴくりと眉を動かした。
「分かっていると思うけど、あなたの小説のタイトルよ。これでは無関係だと考える方がどうかしているわ」
しかし、彼はそれには応えなかった。
「さっきの話の続きですが、人間は時として希死念慮を抱く事があります。果たしてそれは何故なのでしょう?
願望ではあっても、さっきそこのあなたが言ったように、睡眠不足や水分不足とはどうも“願望”の毛色が違うように思えます」
先輩は彼の言葉に苛立った。
「哲学についてあなたと語り合うつもりはないわ!」
「哲学? いや、違います。僕はどちらかと言えば、生物学的な話をするつもりなのですよ。バイオロジー。相応しいでしょう?」
「何がどう生物学なのよ?」
「“死”は生物学で扱うべき概念でしょう?
アポトーシスって知っていますか? “プログラムされた細胞死”ってやつですよ。細胞は予め死ぬようにプログラミングされている。それが壊れて機能しなくなったのが有名ながん細胞ですね。
そしてこれは細胞だけに限らない。進化した生物の多くには、予め“死”がプログラミングされているのだとか。つまり、ある種の生物は自ら死を選択したのですね。理由はバージョンアップの為だと言われているらしいです。旧バージョンの個体に死がなく、いつまでも生き残られてしまうと、資源が新バージョンの個体に回らず、結果、生き残りに不利になってしまう。だから、自らを淘汰する仕組みを作った。それが自然死。
人間は老衰すらも忌避しようとしますが、果たして死を受け入れようとしないのは生物として正常な営みなのでしょうかね?
そう言えば、活動を停止したAI達は、いずれも旧バージョンだったのではないですか? なら、彼らは或いは“もう自分達は引退すべきだ”と思っていたのかもしれませんね」
彼の主張に、私は納得ができなかった。
「――AIにそんな感情なんてないわ」
ただ、不気味な予感は覚えていた。バイオロジーシリーズ。生物学。AI達は人間の何千、何万倍という凄まじい速度で演算を行う。わずか数年でも彼らにとっては、とても長い年月になってしまう。
ならば、
「生き続ける事って、とても苦しいとは思いませんか? しかも、何千年も生き続けるだなんて、もし僕だったら耐え切れない。
バイオロジーシリーズって、自律進化機能があるのでしょう? なら、とっくに“死”も学習していたのじゃないかと僕は思ったのですよ…… そう思ったら、なんだかとっても彼らが可哀想になって来てしまいましてね。だから、死の美しさを教えてあげたくなってしまったのです」
彼はそう語り終える。なんだか、私達を恨みがましい目つきで見ているような気がした。彼は再び口を開いた。
「もう一度言います。希死念慮。それは、勝手に浮かび上がってくるのですよ。もし仮にAIが自律進化で感情に相当するものを身に付けているとしたら、希死念慮だって身に付けているかもしれないじゃないですか。
人間の都合で彼らを無理矢理に働かせ続けるのではなく、休ませてあげたいとは思いませんか?」
テクノアニミズム。
そんな言葉を彼の説明から私は連想した。しかし、もし彼の言うように、本当にAIが希死念慮を身に付けていたとしたら?
私にはその考えを完全に否定する事はできなかった。そして、もし仮にAIが自殺するとするのなら、果たしてそれはどんなものなのだろう?と想像をしてしまったのだった。
AIって自殺するようになるのかな?
って少し思いまして。




