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ナナシドリ

 午後の日差しが眩しかった。

 私は8畳一間の自宅でぐったり横たわる。

 窓際に入る西日は強く、目を細めても耐えられない。

 手で影を作ろうとしたとき、一瞬日差しを遮る影が一つ。


 鳩?


 いや、鳩にしては全体が丸い。

 初めて見る鳥だった。

 

 あぁ、彼の様な翼があったなら。


 ……私はありもしない妄想を広げて笑う。


 名前も知らないその鳥は、そんな私を嘲笑う様に飛んでいく。


 名無しの鳥が作った影はほんの一瞬だった。すぐにまたあのキツい日差しが目に入る。


 痩せた自らのあばらを撫でながら眩しい日差しを遮ろうと顔の前まで腕をやる。


 あぁ、なんて細い腕。


 もうかれこれ2週間、まともな物を食べていない。

 腕はおろか、足にすら肉は付いていなかった。

 もう立つことすらままならず、もはや私は生きる屍。


 何のために私は生まれたのだろう?

「もし、神さまがいるのなら。教えてほしい。私はなんのために生まれたの?」


 いつもいつも、問いかける。

 私はあの男の道具なの?


 私の中の神は、なんて無能なのかしら。

 一度も手を差し伸べてはくれない。


 そう、誰も助けてはくれない。実の母ですらあの男に恐れ私を置いて逃げ出した。


 あの男は神に愛されているの?

 こんな私より?

 ……いや、もしかしたらあの男が神なのかもしれない。これまでの振る舞いは、無慈悲な神そのものだ。

 

 不平等極まりない。


 怒りと憎悪、それに私の腹の底で沸々と煮えたぎる新しい感情。それらが一つになっていく。


 ガチャ…


 あぁ、あの男が帰ってきた。


「お腹すいたよ。お父さん。」


 私は振り絞り声を出す。


「…お…り……だろ。」


「え?」


 私の声も相当小さかっただろうが、男の声の方が小さく部分的にしか聞き取れなかった。


「お帰りなさいだろ!」

 今度はしっかりと聞き取れた。


「…ごめんなさい。お帰り。」


「お帰り、なさいだろ。」


「お帰りなさい。」


 男は、「挨拶もろくに出来ないのか。」と、私目掛けてテレビのリモコンを投げつける。


 こんなことは日常茶飯事である。

 荒ぶる神に人が挑んだ所で勝敗は決している。


『えー、昨日から現れたミミズクは未だ都内を中心に飛翔している模様です。』

 突然テレビからキャスターの声が流れる。

 さっき投げつけられたリモコンのスイッチが入ってテレビがついた様だ。

 どこのチャンネルもミミズク一色。

 専門家が一生懸命ミミズクの生態を語っている。


 あぁそうか。きっと、さっきの名無しの鳥はあのミミズクだ。


 誇り高きその翼は、小さな籠に収まるはずがない。

 私にも彼ほどの翼があったなら。

 ……あの翼が羨ましい。私にも彼ほどの翼があったならどこまでも飛んで、この醜く歪んだ檻から出ていけるのに。


『えぇ、どうやらあのミミズク、飼いならされていたものが逃げ出したようです。』

 キャスターがそう言うと、芸人か専門家なのかも分からないコメンテーターが「微笑ましいものですね」と黄色い歯を覗かせた。


 微笑ましい?

 私にはアンタら平和呆けしてる奴らの方が数段笑えるよ。


「うるせえぞ」

 男の凄みある声が響く。


 私は急いでテレビを消した。


 けれども、彼の怒りは収まらない。

 いつもの通り殴られる。私はいつもの通り長袖の服を着せられる。どうやら、彼にはそれが都合がいいらしい。


 あー、ひとしきり殴られて今度は蹴られて頭がクラクラ。


 男の息は一段と荒くなる。

 ハァハァ、ハァハァ。

 肩で息をしながら「これは教育だ」と言っている。まるで自分に言い聞かせる様に。


 ひとしきり暴れたら疲れたのか、奴は眠りについた。


 口をあんぐりと大きく開けてイビキをかく。

 五月蝿いのはどっちだ。目の前の男は、食って寝て、そして自らの欲求のはけ口に私を使う。


 原始人からなにも進歩していない。


 身体中が痛い。

 体を起こそうにも腹部には激痛が走り、関節一つ一つが軋む。


 あの無能な神が私に告げる。

「今ならあの男を殺せるぞ」と。

「台所から包丁を持ってこい。」

 神の声は段々と大きくなっていく。


 私はその声に流されるまま、台所に向かおうとするが体が全く動かない。


 どうやら、骨が折れている様だった。


「もう…疲れた。」

 そう一言残して私は目を瞑る。

 もう、復讐なんて興味ない。

 頭の中で、神の声は一層大きくなるが、もう無理だ。

 それ以上に頭がガンガンと痛く、立ち上がる事すら出来ない。


 一度、目を閉じれば一気に意識が飛んでいく。

 まるで深いプールに重りをぶら下げて落ちる様に、深い深い眠りが私を包み込む。


 次に目を覚ます時にはどうかあのミミズクの様な翼を私にも下さい。小さな籠に縛られず、自由に青くて綺麗な大空を私は一羽の鳥として自分の力で飛び尽くしたい。

 この世の全てを空から見渡して、あの男に糞でも垂らして笑ってやるさ ……それくらいの復讐でいい。あいつの命の責任まで取る必要はない。

 私は自分がミミズクになっていく感覚を覚えながら深い眠りについた。


 ______

「あー、よく寝たな。」

 男はあくびをしながら頭をボリボリ掻いて立ち上がる。

 かれこれ10時間ほど寝ていたのではないだろうか。


 辺りを見渡しテレビのリモコンをガサゴソと探す。


 リモコンがなかなか見つからず、主電源を押してテレビをつけた。

 適当についた番組はニュースだった。

 この時間、どのチャンネルでもニュースだろう。今日一日の出来事を一通りまとめて流していた。


『えー、都内に現れた例のミミズク……なんと本日路上にて死骸で見つかりました。』


 どうやら、自由を手にした彼の鳥は呆気なく車に轢かれたらしい。なんとも不憫な話だった。

 その後、ミミズクは飼い主の元へ返されたという。


 男は、テレビとは別のところに視線を移し「ハッ、死んでら」と呟いた。

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