ロジック論理サイコ
思考を止めたら死んでしまう。
だから僕はいつも思考を止めることはない。
「君はいつも何をそんなに考えているの?」と、問われれば「よく自分でも分からない。けれど思考が頭を支配しているんだ」と、返す。
すると大抵の人はおかしな物を見る様な目をして僕の前から去っていった。
常に思考を止めてはいけないと自分の中でのルールがあった。
それは日常における些細なことだったり、頭の中で物語を進行させてみたり、人間は何のためにこの世界に存在しているのだろうか?
といった漠然とした大きな疑問に捉われる事もしばしばあった。
きっかけがあったとすればあの人だ。
バイト先で、ある先輩と出会った。
彼は30歳でフリーターだった。
別にフリーターがいけないとかそういうことでなく彼は惰性で生きている人間だったのだ。
「人に言われたからやった。よく分からない。知らない。考えたこともなかった」彼が口癖の様に言っていた言葉だ。
彼は自ら考えることを放棄して只々言われたことだけをこなす人だった。
僕はそんな彼の様になるのが嫌でいつも何かを考える様になったのだと思う。
街を行き交う人を見ても、その多くがイヤホンを耳に挿し、目は虚いスマホをいじっている。
外界との関わりを一切遮断して自分の求める情報だけを手に入れて、それが正しいと疑わない。
思考が停止している。
ひと昔前までは分からない単語は、辞書を引けと言われたものだが、最早それを言う者もいなくなり、皆一様にスマホで簡単に手に入る情報を鵜呑みにする様になった。
簡単に手に入る情報にどれ程の価値があるのだろうか?安易な手段で手に入れたそれは、すぐにチープな万能感に化ける。
なんと嘆かわしいことか。
鮪は回遊魚という分類に属し泳ぎ続けなければ自らの体重によって海の底へと沈む。
彼らは生まれたときから泳ぎ続けなければ死んでしまう生き物だ。
人も同じだ。
「人は考える葦である」パスカルのパンセの一節。
人は自然の中では小さな茎の葦にしか過ぎず弱い存在。しかし、思考する事で人間は自らに意義を見出し存在価値を示す。
「人々が思考しないことは政府にとって幸いだ」これはヒトラーの言葉。
独裁者の肩を持つつもりはないがこの言葉は正にその通りだろう。
盲目的に暮らし、自由だと思って遊んでいた遊び場は誰かが作り出した掌の上なのだ。搾取される者は搾取され続け一度落ちたら抜け出すことは叶わない。
いや、落ちているという事にすら気付かせてくれない。そう、思考を奪われているのだから。
すなわち人は何か思考を続けなければ存在意義を持たないのだ。あの先輩の様に日がな一日ただ惰性で毎日を辿れば後には何も残らず虚しさの後、死が待つのみである。
いや、僕から言わせれば思考しないということは、そもそも自分を持たないということであり最初から死んでいるのと変わらない。
泳ぐ事を忘れた回遊魚なのだ。
……人は思考を止めたとき生ける屍と化す。
街は既に生ける屍でいっぱいだ。
ゾンビ映画でゾンビを殺して捕まるなんてことあるだろうか?
あの先輩はすでに死んでいたのだ。
既に死んだ人間を殺したところで誰が悲しむこともなく罪に問われることもない。
僕は思考を続ける。
この死体いったいどう処理しようかと。




