逡巡
もし、あのときAではなくBを選んでいたら?
もし、あのとき右ではなく左を選んでいたら?
もし、あのとき黒ではなく白を選んでいたら?
もし、あのとき肉ではなく魚を選んでいたら?
もし、あのときあの子に勇気を出して告白していたら?
もし、あのとき……
と、言い出したらキリが無い。
人生は選択の連続である。
これは確かシェイ・クスピアの言葉だ。
我々は普段何気なく生活しているときでも常に何かを選択している。
もしあのとき別の選択をしていたら?
ありもしない妄想を広げ俺は笑う。
そんな俺の前にある男が現れた。
「選択を変えることできますよ?」
男と会ったのは渋谷のスクランブル交差点だった。
俺はその時、特に目的も無く、ぼーっと歩いていた。
俺に目的なんてものはない。
ただその日を生きているだけ。
周りを見渡せば活力に溢れキラキラと生きる人々が目に入る。そんな彼ら彼女らを見ると俺は自分がなんと不甲斐ない事かと己を卑下し心の底からこの世から消えて無くなりたいと思っていた。
そんな俺の目の前に、キッチリとしたスーツに身を包んだ男が笑顔で語りかける。
「後悔しているなら貴方の選択を変えてみませんか?」
俺は目の前の男の唐突過ぎる言葉に絶句すると共に、渋谷特有の喧騒が無くなっている事に驚いた。
周りを見渡すとさっきまで忙しなく動いていた人々が止まっている。
理由は分からないが、今、この時を動けるのは俺と目の前のスーツ男だけだった。
「選択を変える?」
俺は素直な疑問を投げる。
「はい。AからBへ。右から左と言った風に貴方の後悔している選択を変えることができます」
スーツ男はサッパリとした印象で言った。
「そんな話信じられるとでも?」
「最初は皆さんそう言います。ですがいいんですか?現状を打開できるかもしれないんですよ?」
現状を打開。その言葉に俺の気持ちは揺れる。
俺は現在フリーター。追う夢もなく、今後正社員になれる目処もない。結婚も諦め、三十を間近に控え人生に対する焦りを感じていた。
最近では、夜寝る前に現実逃避をしている。
本当にこれは俺の人生なのか?誰か別の人間の人生を歩んでいるんじゃないか?と、考え出したらキリが無く寝付けない日もある程だった。
「こ……高校のとき……進路選択で俺は就職なんてして平凡な人生を歩みたく無いと思って、とりあえず保留にして今まで歩んで来たんだ。そしたら、まあ、この有様で、だから……」
「だから?」
「だから、あのとき就職を選んで平凡でもそこそこの人生を歩んでいたらって……」
「なるほど、ではその時の選択を変えましょう」
「そんな事、本当にで……」
俺が言い切る前にスーツ男は指をパチンと鳴らした。その音と同時にスーツ男は姿を消し、渋谷の喧騒が帰ってくる。辺りを見渡すといつもの通り街は忙しなく動き出していた。
俺は一瞬妙な頭痛に襲われる。
痛みが引くと……あれ?俺は今まで何をしていたんだけ?
数ヶ月が経ったある日、俺はいつもの様に職場へと向かい仕事に取り掛かる。
高校卒業後から務める会社で俺は、残業は当たり前、ボーナスなんてものは無く、昇給の見込めない安月給、そして上司から課せられる達成見込みのないノルマに追われていた。
「順調ですか?」
デスクワークをする俺の目の前に、キッチリとしたスーツを着た男が立っていた。
俺は首を傾げる。
目の前のスーツ男は順調ですか?と、尋ねてきたが俺には全くもって彼との接点を思い出すことができなかった。
どこかの取引先相手だろうか?
あまり失礼があってはいけない。
「えっと……どこかでお会いしましたっけ?」俺は「ごめんなさい少し思い出せなくて……」と、申し訳無いという仕草をしてスーツ男に問いかけた。
するとスーツ男は「いえいえ、いいんです。今の貴方が覚えてるわけないので。それよりも、その後どうですか?順風満帆な人生を歩まれてますか?」
スーツ男の前半の言葉の意図は分からなかった。
その後とは一体?
が、俺は順風満帆な人生を歩まれていますか?と問われた事にこう返した。
「自分でもビックリするくらい平凡な人生を歩んでいます。俺にはもっと他の道があったんじゃないか?って、考えたり、まるで別の人間の人生を歩んでいるんじゃないかって……そうだな……こんなクソ会社選ばないで自分の夢でも追ってたら……って時々思います」
するとスーツ男はニコリと微笑み俺に問いかけてきた。
「もし、人生の選択を変えられるとしたらどうしますか?」
俺は「冗談だろ?」と、笑いながらも、頭の隅で、もしあのとき……と考えずにはいられなかった。
大半の人は、普通を望むが平凡を嫌う。




