1)なぜそんなことを
ロバート視点です
「ねぇ、ロバート、テレンテ・クダってなに」
「テレンテ・クダですか?」
ロバートは聞きなれない言葉に首を傾げた。ロバートが数回、その言葉を口の中で繰り返したときだった。
「手練手管だろう」
こちらを呆れたように見るアレキサンダーと目があった。
「手練手管ですか」
アレキサンダーの言葉に、理解した。ローズが変なところで切るから、わからなかっただけだ。その言葉が何か理解して、ロバートは思わずローズの顔を覗き込んだ。
「ローズ、なぜ突然そんなことを知りたいと思ったのですか」
「えっとね、廊下で話しているのを聞いたの」
「誰がですか」
「わからなかったわ。声だけだったの」
「あまり良い言葉ではありません」
少なくとも、ローズのような、少女が口にしてよい言葉ではない。
「そうなの。テレンテ・クダの意味は?」
ローズは好奇心が強い。この場でごまかしても、何とかして知ろうとするだろう。下手な相手に聞いて妙なことを教え込まれても困る。ロバートは覚悟を決めた。
「女性が男性の関心を引くために、いろいろ手をつくすこととでもいえば、わかりますか」
他にも意味はあるはずだ。ロバートは、わかりやすいものを、人前で女性が口にするのは避けるべき言葉だと、ローズでも理解できそうな意味を、答えることにした。
「そう。そう言うことなら知ってるわ。やったことあるもの」
ローズの一言に、ロバートは衝撃を受けた。
「娼館の綺麗どころのお姉さんたちとね、一緒に考えたの」
ローズは笑顔で続けた。
すべての音がロバートから遠のいていった。他意のない笑顔を浮かべたローズが目に映っているが、ひどく遠くにいる気がした。
なぜ、ローズが“娼館の綺麗どころのお姉さん”を知っているのかを確認するべきだとは思った。だが、手練手管などを、ローズが、娼婦達と一緒に考えたということに、あまりのことに頭が真っ白になった。身体が自分自身のものでないように感じる。
「お姉さんたちね、お客さんが通ってくれた方がいいでしょう。だから、一計を案じて、お手紙を書くことにしたの」
先日覚えた“一計を案じる”という言葉を得意気に使うローズは笑顔のままだ。
「そうですか」
ロバート自身の意味のない相槌とともに、耳に、周囲の音が戻ってきた。
「お手紙でね、いくつか決まった文章を用意して、その時々で組み合わせを変えて書くの。そうしたら、いちいち考えなくていいでしょう。『来てくれてありがとう』とか『お顔をみれて嬉しいわ』とかを手紙の最初にするの。最後は『また来てね』『次にあなたに会えるのがずっと先だなんて、寂しいわ』とか決めておくの。文字が書けない人の分は、孤児院の字が綺麗な子達が、お仕事として代筆したの。お手紙を送ったほうが、売り上げがいいって、店の婆様も喜んでたわ。皆で食べなって、お菓子をくれたこともあったのよ」
ローズにとっては懐かしい思い出なのだろう。娼館に女たちが身を寄せる理由は様々だ。少なくとも、彼女らはローズを愛してくれていたのだろう。娼館の娼婦たちのことを、ローズは懐かしむかのように語った。
「そうですか」
ロバートは虚脱感を味わいながら、ただ、相槌をうった。
ローズは好奇心が満たされて満足したらしい。
「ですからね、アレキサンダー様、貴族の方への決まりきったお返事、お断りの文章とか、最初から決めておかれたらいかがでしょうか。そうしたら最後にアレキサンダー様がサインするだけです」
「なるほど、それはいい」
ローズの思い付きに、アレキサンダーが興味をもったのか身を乗り出していた。何やら相談している二人をロバートは、しばらく眺めていた。
二人は楽しそうに話に興じている。幼い頃から仕えてきたアレキサンダーには、ロバート自身の未熟さもありよく振り回された。この年になって、ローズに振り回されるなど思ってもみなかった。騒がしい二人を放置することにして、ロバートは手元の書類に目を落とした。
副題「ローズに翻弄されるロバート」




