1572年-2
誤字報告ありがとうございます。
尾張国 清須城 文月
「う〜ん」
仕事に隙間時間が出来てしまうと、眉間に皺を作り考えてしまう。
服部殿をはじめとした伊賀衆から上がってくる情報では、軍を立て直した武田家は秋の年貢(収穫)を待って再び侵攻する計画らしい(極秘)。ただ、この情報は弥七殿達からの報告は無い。伊賀衆がどれだけ武田家の奥深くにまで忍び込んでいるのか考えると恐ろしい事である。
(味方に成ってくれてよかった~!)
まぁ歴史的に見ても、武田家は西上作戦を決行しているのだが...あっ...二回目はなかったけど...
そして現在の小一郎には、饗談・伊賀衆からもたらされる情報を基に思案をしているが、織田家(とその仲間達)が武田家・今川家との決戦を確実に勝利に導く戦術は思いつかない。今はひたすら守りを固めて時間切れを狙い武田家を撤退させる。勝つのではなく引き分けを狙う戦術しか思いつかないのである。
いくら情報を整理しても、今の織田家では武田家に勝てない。時間が必要である。
時間とは...そう武田様の遠行そこまではひたすら我慢の一手である。
そしてそれは、来年か再来年に起こる事だと思っている。
(小一郎は、武田家様の遠行は先代北条様の少し後ぐらいにしか記憶していない。うろ覚えの為だ。そして武田家の西上作戦もはっきりとした年月日などは覚えていないのである)
あくまでも、耐える!守る!の一点張りである!
そしてその後は、永遠に織田家のターンではあるのだ。
それは武田様は過去に勝頼様に対して致命的で取り返しのつかない失敗をしている。其処に付け込む作戦?である。
尾張国 清須城 葉月
ドカドカと足音が近づいて来る。
「待たせた」と言ってドカと殿は腰を掛けた。
小一郎は、静かに首を垂れながら...ダークモードを発動!して。
「殿、ご提案がございます!」
そう言って、殿の言葉を待つ。
「カッカッカッ、久しぶりに小一郎の悪い顔を見たのう...」
乾いた笑い声がを響かせながら殿は殿で、小一郎のダークモード発動に引っ張られて、第六天魔王モードが発動していた。
可哀想なのは、小姓である。
人外の魔物でも見たのか、腰を抜かし震えてしまっているのだ。
これぐらいで驚いていては殿の小姓など務まらないのだが...と思うが仕方がない。這うように退席をする小姓を待ってから話を始めた。
「殿、武田家・今川家に対してああして、こうして、あぁやって、こうなるように仕向けたいのです。
ご許可頂けますか...?」
小一郎の策を聞き考え込む殿がいる。
眉間にシワを作り、難しい顔をしながら...
・・・
・・・
・・・
「ふん小一郎らしいは、で武田家はこの作戦が成功すれば引くしか無かろう。
しかしいつまでも守ってばかりと言う訳には行くまい。現に先の戦いで、織田は武田家に勝ったのだから」
!?
はぁ~殿でも勝ったと思っているのか!このまま戦になれば取り返しのつかない事になりかねないと強く思い釘を刺す事に...
「・・・・・・殿、其れは違います。
あくまでも撤退させただけであって、戦は続いているのです。
事実として武田家は出兵準備をしているのですから。
あの、最強武田家は健在なのです!」
がぁぁぁぁぁぁぁん!!!
小一郎は殿に会心の一撃を放った!
武田家に勝ったと思う殿に対して、戦で勝利したという武家にとって一番大切な物の一つを否定したのだ!
ガシッと左手に刀を掴み、殿の目に凄まじい殺気が!しかし此処で引き下がる事は出来ない。
小一郎は下腹に力を入れ、気合いで殿と向き合う...(オレ...逝くのかな~)
「殿・・・
言い方を変えるならば、武田家には勝ち切ってはいないのです。
再び織田領に大軍を擁して、必勝体制で攻め込んで来ると思われます。
そして前回のように、武田家を精神的に追い詰める一手はございません。
次の戦いで負ければ、全ての事が水泡に期するのです!
武田軍を退けた事など忘れて下さい。
殿!!!」
小一郎は冷静に言葉に想いを乗せて語り、殿は左手に刀を掴み眉間にシワを作りながら考え込む...
・・・
・・・
・・・
「フン...
小一郎...命がいらぬと見えるわ!
・・・
しかし...次で負ければ元も子もない...か
・・・
・・・
小一郎!「ハッ!」
お主の提案を採用する!
直ぐに取り掛かれ!」
「ハッ! 最善を尽くします」
そしてなんとか命を長らえた(セーフ)小一郎は、殿の了承の下に悪だくみを始めるのであった...
尾張国 清須城 葉月
伊賀衆に饗談から、武田家の動きがいよいよ現実味を帯びて来たと報告が上がって来る。
小一郎は「今だな」効果的な時期と判断してみつと春を通じて、伊賀衆・饗談と打ち合わせをしていた作戦の決行にGOサインを出した。
すると...今川領・武田領・北条領・上杉領・能登畠山領に土佐国長曾我部領を中心に、噂話が広がって行くのである。噂話は朝廷第一の功臣である織田家に敵対している大名家に対して朝敵と認定されて、討伐令が朝廷より発せられるかもしれないと言うものであった。また各大名家の徴兵に応じた村々も朝廷に弓引く者と同じように扱われるかもしれないと噂が流れ出したのである。
伊賀衆や饗談からの報告によると、各村々では噂話を信じて混乱や領主に対して不信感などが起こるのであった(長曾我部領を除く)
そして、その噂話を聞いた北条家・上杉家の敵対勢力や不穏分子が秘かに微笑んだそうだ。
すると今度は、各家が秘かに織田家と休戦や和解をしようとして、他の家に秘密で動いているともっともらしい噂が立ち始める。この噂話を聞き付けた武田様は同盟国に使者を出して、ともに最後まで戦う覚悟と足利義秋様一党と共に、同盟国の引き締めに掛かるが4か国同盟で織田家討伐に兵を挙げた頃の熱さは無く、各家がどこか冷めた対応をされたと報告が上がってきている。
小一郎の作戦は、それだけでは収まらなかった。
武田様が同盟国の引き締めに躍起になっている頃に、武田領では今川家と北条家が秘かに和解したと噂話が...そして収穫が終わり次第に3ヶ国の連合軍で武田領に攻め込む手はずになったと囁かれ出したのだ。
また、今川領では武田家と織田家の連合軍が今川家に攻め込み、領土を半分ずつ分け合う話が纏まったとか。北条領では武田軍・今川軍に里見軍・佐竹軍が兵を上げる事となったとか、上杉領では、武田軍・北条軍が兵を挙げて、それに合わせて越中国の反上杉派と北越衆が反乱を起こす手はずと噂話が流れたのである。(能登畠山家...聞かないで下さい)
葉月から長月にかけて流れた噂話によって、各家は疑心暗鬼に陥った。
そして、書状(報告書)を読みながら「ふふふ」と笑いが止まらぬ小一郎が。
足利義秋様を神輿として担ぎ、武田様を中心として纏まっていた四ヶ国同盟(+能登畠山家)の信頼関係はギクシャクしたものとなって行き、かなり無理があった同盟ではあるが、武田様の人望と実力+神輿で纏め上げていたのだが、噂話ひとつでガタガタになって行く。
しかしさすが戦国時代を生き抜いて来た戦国大名達である。各家の上層部は織田家による欺瞞工作だ!と多分理解しているだろう。まさかこんな稚拙な嫌がらせを見破る事が出来ないとは考えたくは無いが、どの様に話しても下級の将兵や一般兵に民達にまで広まった噂話は嘘偽りであり、心配することは無いと話をしても理解される事はなく無駄であろうことは想像がついていた。
その為、武田家は噂話はデマであることを証明する為にも、また同盟国を纏め上げる為にも行動で各家にあるであろう一抹の不安を取り除く為にも出陣!をする事を決定したのである。いやするしかなかったのである。しかも武田様は足利義秋様を本陣にて同行させる決定をしたらしいと報告が上がって来たのであった。
そして噂話の対応に追われている武田家と今川家を尻目に、小一郎は別の作戦を指示していた東美濃に派遣した商人達と、今川領に派遣していた饗談の忍達が帰って来たのである。
報告では東美濃の寺や神社達は非常に乗り気であったそうな。また、反対に今川領の寺・神社ではいまいち食い付きが悪かったそうである。まぁ常識的に考えて当たり前の話であったのだが...
えっ?...何をしたかっというと、東美濃と今川領のお寺・神社の余剰米(新米)を売ってくれと交渉したのだ。ただし普通では無理なので東美濃では市場価格の二割ましで、また今川領では五割ましで購入すると声を掛けたのだ!今川領では購入する気は無い。ただ今川家に対しての嫌がらせである。しかし織田方からこの金額で米を買うと言われていると聞けば、米糧の確保が必要な今川家は織田家以上の金額で購入するしか無く、戦が続いている状況では寺神社の言いなりで買うしか無く少なからず財政にダメージを与える事が出来るかもしれない。と饗談に動いてもらったのだ。また、東美濃には商人を通じて購入に動いてもらっているが、ほぼ全ての寺・神社からの余剰米の購入に目星が立ったと報告が後に上がって来たのであった。これで対武田家(四ヶ国同盟)に対して打てる手は打ったのである。
神無月に入り、小一郎の下には饗談・伊賀衆から武田家出陣と報告が上がってきた!その報告は殿の下にも届いて「ついに来たか」と呟き矢継ぎ早に指示を出して行くのであったし、小一郎も佐久間様と打ち合わせの後に親方達(工作兵)に出動を依頼、国境線の陣地の構築をお願いしたのである。
「木下様」
至急の案件があると、弥七殿と清須城の城下町で落ち合った。
(流石にお城の中で会う事は出来ない)
素早く裏通りに移動すると...
「木下様、東美濃の国人領主達の下に武田家の密使が訪れて織田方の国人領主の切り崩しに動いております」
「それでどの程度の国人領主達が、武田方に味方をするだろうか?」
「はい、それが裏切ると言うよりは一族の存亡の為に、家を二つに割る国人領主達が殆どだと報告が上がっています」
「...そうか」
国人領主達も必死なのだ。無敵の武田軍の再来に織田家・武田家のどちらの家が戦に勝つのか予想できない。そして生半可な対応(勝ち馬に乗る)では一族の存続が危ぶまれるのだ。
戦国の世の習いとはいえ、大国に挟まれた国人領主達も必死なのである。
「それと...」
弥七殿の言葉に迷いがある。
歯切れのが悪いのだ。
「木下様、今川家にこれといった動きは見られないのですが、何か違和感を感じます。
詳しく調べるように指示をしていますが、ご注意をお願いします」
今まで、東国の国々で忍び働きを行って来た弥七殿達(饗談)が違和感を覚えているのである。何かの作戦が武田家と連動して動いているのであろう。
神無月 月末
美濃国国境の国人領主(織田方)から、第一報が届いく。
武田軍、山形隊東美濃に到着!武田方に鞍替えした国人領主が兵を率いて合流、総兵力7000人を越える模様と知らせが来た。(東美濃国国人領主の兵2000から2300を含む)
「山形隊か...順次武田本隊が到着するであろう。
権六!
「ハッ!」
先方を申しつける!尾張国国境線にて山形隊を叩きのめせ!」
「ハッ!」
歴戦の強者の柴田様が腹の底から、気合の入った返事に清須城内は一気に緊張感は高まっていったのである。
柴田様を先鋒に殿自らが兵士40000人を率いて、織田軍主力部隊が出陣して行く。また、早馬にて斎藤家・北畠家に援軍の要請をして織田家・斎藤家・北畠家の連合軍で武田軍を撃退する。そして後詰めとして清須城(周辺)に兵士20000人が待機、何時でも援軍を出せる体制を整えたのである。
現在の状況を確認しておこう。
尾張国国境に、殿自らが率いた織田諸将と兵40000人。
沓掛城に兵5000人に将として織田信治様と森可成殿を配置。
鳴海関所に、織田信広様と兵5000人を配置。
紀伊国国境の雑賀衆との戦に、蒲生様を大将とした南近江衆と兵15000人を配置。
北の守りで、織田信光様に兵5000人。
織田領内の関所の守りに兵20000人を守備兵として配置。
そして、清須城に佐久間様と予備兵力20000人の総兵力110000人の兵数である。
また、兵士とは別に蜂須賀殿が率いる工作兵5000人が、殿達と入れ替わる様に清須城に帰還している。
それと、伊賀国より兵2000人が尾張を目指して進軍中であった。
そして、伊賀衆・饗談の報告によると、武田方の総兵力約27000人(うち約2300人は東美濃国兵)で東美濃を目指して武田家本隊が進行中と報告が上がっている。
最初から、兵数に絶対的に劣る武田家は決死の思いで出陣をしていると報告が上がって居るのだ。
前回の西上作戦では兵35000人の動員していたのだが、小一郎の小細工で総兵数はかなり減ったのであった。
それからしばらくして、斎藤家兵10000人と北畠家兵5000人が到着。それと時を同じくして武田家本隊が東美濃に着陣!役者は揃ったのである。
また、其れとは別に上杉軍が軍勢10000人を率いて越後を立ったと報告が上がっている。目的地は加賀国の一向一揆衆であり、畠山軍の援軍での出陣であった。
ちなみに、今回は上杉様の出陣は取りやめになったとの事である。
「ごめん 木下様はご在宅かな?」
服部殿が小一郎から頼まれていた情報を持って、自宅まで来てくれたのだ。
城内での接触は、極力控えているためだ。
「ご無理を言いました」
小一郎の言葉に「問題ございません」と柔らかく答えてから、調べ物を手渡す...
「これは、軍役規定通りかな?....」
そんな事を呟きながら、服部殿に質問をぶつけていく。
武田方の小荷駄の数に小荷駄隊の人数、それに駄馬の数などの様子である。
そして、津島・熱田商人からの東美濃での新米の買い付け状況などを加味して、武田家の継戦能力を図っているのであった。
「良くて、2ヶ月半かな?(希望的観測)
年内に撤退してくれれば良いのだが...」
服部殿との質疑応答でおおよその現状を掴む。
武田家を撤退に追いやる一手なので非常に気になる所でもあった。
また、食料が足らなければ...考える事は多分同じになるだろう...だとすると...
「服部殿、もう一仕事頼まれてくれるかな?」
「はっ」
「では、武田軍内に噂を流してもらおう。
内容は、食料不足の為に兵士達に配る食料を測る枡を小さくしていると!」
「ふっ、木下様もお人が悪い...」
そう話しながら、小一郎と服部殿は目線を合わしてニヤリと笑うのであった。
伊賀衆の報告によると、着陣をしてからの武田様は機嫌が悪かった。
予定通りのはずの出陣だったが、着陣早々食料不足で対応に追われる羽目に。
小荷駄隊に命じて、木曽との往復で食料を確保するようにと命じたが、まさか着陣早々兵糧攻めを食らうとは予想していなかったのである。
また、そんなのは関係ないと言わんばかりの足利様が頓珍漢な事を話し、武田様の機嫌は増々悪くなっていくらしい...
その上、武田軍内に流れる噂話で食料を切り詰めようと考えていた所での出端をくじかれて、兵士達の食料配給に対する目が厳しくなっていったのである。
霜月に入ると、武田方は積極的に動き出した。
野戦での決戦に持ち込もうと、あの手この手で織田方を挑発!綻びを作ろうと必死になっていた。
しかし、殿は防御に徹するようにと厳命している。その上で斎藤軍・北畠軍とも意思の疎通を図っていて、守り勝ちの方針を徹底してたのであるのだが、武田家の猛攻に両軍とも多数の死傷者を出していたのである。
そして、あまりにも積極的すぎる理由が判明した。
それは武田家と時を同じくして、鳴海関所と沓掛城に今川軍が猛攻を仕掛けて来たのだ。
清須城に救援依頼の早馬が到着すると、城内は一斉に慌ただしくなっていった。
今川家の猛攻など予想していなかったからだ。
いや、国境付近で同数の兵力で睨み合っている(小競り合い在り)のだが、織田方は、鳴海関所と沓掛城はガッチガチに防御を固めているのである。同数で攻められてもびくともしない!と小一郎は考えていた。だから今川家が猛攻を仕掛けて来ると予想していなかったののである。
「喝っっっっっ!!!」
アタフタしている清須城の諸将達に、留守居役を任されている佐久間様は一喝!!!をした。普段は温厚で穏やかな方だが、流石織田家の筆頭家老であるしめるところを判っている。慌ただしかった城内大広間に静けさが広がって行くのだ...
「詳しく申せ!」
伝令に、現状と城将からの要請を確認後、戦人の表情に変わった佐久間様は...
「小一郎!あとは任せた!
諸将は、急ぎ鳴海関所と沓掛城の援軍に出陣する!
急ぎ出陣じぁ、皆の者ワシに付いてまいれ!」
その言葉を残して、佐久間様と側近達は直ちに清須城より出陣をして行くのだ!
兵をそろえる事はしない。いや猶予は無いのだ。付いてこれる者だけで良い、正に時間との勝負と判断した為であった。
佐久間様の一喝で落ち着きを取り戻した諸将は、手勢を引き連れて佐久間様の後を必死に追いかけて行く。また、冷静さを取り戻した小一郎も後詰の各部隊に指示を出し、順次援軍を送りだしたのである。
そして、佐久間様に追いついた援軍の部隊(約4000人)は、どうにか鳴海の関所を死守する事に成功したのだが、沓掛城は損害を顧みない今川軍の猛攻を支えきる事が出来ずに落城、織田信治様と森可成殿は討死されたのであった。援軍は間に合わなかったのだ。
何とか死守する事の出来た鳴海の関所も、織田信広様の負傷(重体)はじめ多数の死傷者が出いいる為、佐久間様が織田信広様の代わりに兵10000人と共に守りに付いたのである。
佐久間様が使者を出した。
使者は今回の国境線の攻防と、守将の交代と留守居役の交代を伝える為のものであったのだが、その報告を全て聞いた時、軍扇を落とす殿がいたのであった...
殿は少しの間、放心状態であったがなんとか気持ちを立て直す(いや、立て直した)
そして、殿の瞳にはどす黒い何かが宿ったように使者は感じたそうだ。それは、織田信治様と森可成殿の仇は必ず取るという強い誓いに見えたそうだ。
小一郎は、佐久間様と緊密に連絡を取りながら、鳴海の関所の修復に着手した。
親方達工作兵5000人を派遣して関所の修繕と防御陣地の改良に取り掛かっている。
また幸いな事に、沓掛城を攻め落とした勢いで再び鳴海の関所に攻勢をかけて来るかと思われたが今川方にその動きは見られなかったのである。
そしてその合間を縫って小一郎は、落城した沓掛城から落ち延びた兵士達から色々と聞き取りをしていた。そして、まんまと出し抜かれた事を再確認する。
今川方は、上手いこと国境付近の兵力増強を果たしていたのだ。
それは、織田方の伊賀衆・饗談の目を掻い潜り、巧みにまた強かに行っていたのだ。
そして、小競り合いを何時もの事とする様に、ほぼ毎日、決まった時刻頃に攻め寄せて深手を負う前に退却していく。武田方(足利義秋様)に攻め寄せてますよ~という口実を作っているかのようであり、今川方に本気を感じなかったそうだ。そんな日が続いているといつの間にか僅かな気の緩みが起こりそこを見事に突かれたのである。
そして、その日は明け方に奇襲を受けて兵士達は動揺、今川方は被害を鑑みることなく力攻めで防御陣地を突破、見事に城攻めを成功させたのである。
何人もの兵士達に話を聞いて、小一郎は「見事」というしかなかった。
そして、今の今川家には「黒衣の宰相 太原雪斎」の弟子がいる。そう松平元康殿である。
此処に来て、頭角を現し始めたのであろう。今川様の信任も厚いと聞くしな。
これから対今川戦線は山場を迎えるのであった。
沓掛城攻略の一報を受けた武田軍(足利義秋隊を含む)の士気は大いに上がった。
自軍の二倍以上の兵力と対陣しているのも関係ないと言わんばかりに、積極的に動き出す。
こうなると手が付けれないぐらい武田軍は強かった。
士気の高い強兵に、武田様の神がかった用兵と見事な統率力で攻め寄せて来る。
陣地を抜かれる部隊も出て来て、その度に柴田様を筆頭とした織田家の諸将に斎藤軍の竹中殿や美濃三人衆の活躍でなんとか押し返しているのだ。
はからずも当初小一郎が立案して、殿に提案した守り勝つ戦の様相を呈している。
そして戦は師走の中頃になっても状況は変わらなかった。
ただ武田軍は何かにせかされるように積極的を飛び越えて、無茶?ともとれる作戦行動を取っていたのだが、ある日を境に作戦行動が鳴りを潜めたのである。それは小一郎が待ちに待った武田軍の活動限界の予兆であった...
つづく。




