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1568年-5

38話・39話(1568-5.6話)を削除して、新たに投稿させて頂きます。


「小一郎を呼んでまいれ!」


殿の眉間に深いシワが・・・

たった今まで、美濃斎藤家からの使者と面談していたのだが、執務室の雰囲気が重い。

う~んと唸りながら、殿は地図に目を落としていたのだ。


「小一郎、お呼びにより参上いたしました」


執務室に入室後に殿は語りだす。

それは斎藤家が、越前国との国境沿いに軍を派遣できないと伝えて来たというものである。

その理由は、美濃国内の本願寺派の寺院に不穏な動きが有る為であった。


「いやらしい手を打ってくる」


苦虫を噛み潰したような表情の殿がいる。

それもそうだ、このまま行けば越前国から朝倉軍が全軍押し寄せて来る。流石の殿もやる気満々の敵勢力との決戦のダブルヘッダーは避けたい(まだ兵士達にまで自分の軍(家)が朝敵になった事は広まっていない)そして、あの作戦が成功するまでは時間を稼ぎたいのだ!


「小一郎、何か良い手はないか・・・」


流石の小一郎も唸り声しか出ない。

起死回生の一手は、存在しない相手の打った手が上手かったのだ。


「殿、ここは若狭国の信光隊には時間稼ぎに徹してもらうしかないかと。

要地に、陣を設けて守りに徹してもらいましょう」


報告によると、朝倉軍は三万人にも及ぶ大軍で出陣しているのだ。

それに対して、兵1万5千人の信光隊では数の力で押し込まれてしまう。今現在打てる手は、其れしかなかったのであった。



その夜の事だった。


「百地様、藤林様ご無理を言って申し訳ない」


小一郎は二人にご足労を願ったのだ。


「お二方にしか頼めない事なので宜しくお願いします」


そう言って打ち合わせに、その後二人は部下を引き連れて越前国、加賀国に向かった。

そんな中、とある人物達が陣中を訪ねて来てくれた。

それは前田殿(ぎりのあに)と伊勢志摩より尭慧殿であった。

そして、挨拶もそこそこに文を手渡されたそれは・・・本願寺顕如殿が書いた檄文であった。

其処には、織田家が仏教界に行った仕打ちは仏教界を滅ぼす、その為に仏敵織田家討伐の為に立ち上がれ!と犬猿の仲の真宗高田派にまで文を送っていたのだ。


「まあ、こんなに好き勝手書けますなぁ」


呆れながら、檄文に目を通す。

ただその激文が元で、美濃国が不穏になったのかと納得がいく小一郎だが、ここで一つ疑問が起こる。

それは、尾張国・伊勢志摩国では不穏な動きはない。それは何故?だった。


義兄(あにうえ)、尾張国や伊勢志摩国での動きは・・・」


「小一郎殿、問題はない。いや正確には笛を吹いても民は踊らなかった!が正しいかな」


「正にそうですな」


そう言って尭慧殿は頷いた。


事実はこうであった。

願証寺住持証意殿や本願寺の檄文によって長島で一斉に蜂起・・・しなかったのだ!

史実の長嶋一向一揆は願証寺住持証意殿や本願寺の檄文により、立ち上がった北勢の小豪族の一部と信者に坊官の下間頼旦殿達の活躍があったが、この世界では北勢の小豪族はいない、民は立ち上がらない、坊官と願証寺住持証意殿だけでは何も出来なかったのだ。

結局は、守備隊の関殿の部隊が鎮圧して何事もなく終わったのである。

ただ、この計画が成功していれば織田家は進退が窮まったであろうと容易に想像が出来た。

一揆は起きた。いや起きなかった。ただ民達が立ち上がらない理由が判らない。そんな疑問に尭慧殿が答えてくれる。


「木下様、民達もバカではないのです。

 今まで年貢を取られて戦に駆り出されていたのに、織田様が治められてからは年貢が安くなり、徴兵さ

 れない事は民にとってどれだけ幸せな事か、その上、新しい農法を積極的に広めて収穫量が増えている。こんな幸せを手放すはずがない。

 それに本願寺派と言っても一枚岩ではない。本願寺殿が檄文を書いても無視する寺院も沢山あるので

 す」


尭慧殿の話を聞いて頷いている義兄(あにうえ)、正直に言って助かったのである。結果的には三公七民のお蔭でもあった。

その後、殿が乱入してきて尭慧殿と面会!その事で織田家と真宗高田派との間に信頼が生れたのであった!




「伝令!」


その会談の後、各地から戦況の報告が届きだす!

報告を聞く事に、殿の機嫌が悪くなる(胃が痛い)

各地の戦況は思わしくない。唯一の救いは本願寺軍が出陣できてない事だ。

この時、本願寺軍が大軍で押し寄せていたら防衛ラインを山崎の関所まで下げる必要が出て来る。佐久間隊と柴田隊が側面を付かれて崩壊する恐れがあるからだ。

本願寺顕如殿が発した檄文の反応が悪い。尾張国や伊勢志摩国ほどではないが、農民が二の足を踏んでいるのだ。


「対馬守(三雲様)小一郎!山崎(ここ)を頼む」


「「ハッ!」」


殿は入って来る戦況で決断をした。本来は三好軍と本願寺軍を打ち破った後に朝倉軍討伐に軍を動かすつもりであったが、動きの悪い本願寺軍を無視して朝倉軍との決戦に臨む事を決断する。

また、三好軍は佐久間隊と柴田隊で対応させて信光隊の後詰めを選択したのであった。


「では、兵庫頭(蜂屋様)次郎左衛門尉(目賀田様)左京亮(長野様)行くぞ!」


「「「ハッ!」」」


殿は兵二万と重臣達を率いて、朝倉軍征伐に出陣!していった。


「木下殿!

 力を入れ過ぎずに、どっしりと構えなされ!

 お主が要ぞ!そのお主に落ち着きがなければ、士気に係わる」


落ち着きのない小一郎に、歴戦の武将からのアドバイスである。

小一郎は余りにも戦場で過ごした時間がない為に、落ち着きに欠けるからであったが・・・


「では、木下殿・・・隠し事無しに現在の状況すり合わせをしようかのぅ」


そう言って人払いをした後に、三雲様と隠し事無しにすり合わせた情報で今の状況が手に取る様に見えて来たのである。伊賀忍者と甲賀忍者による情報のコラボレーションが目の前で起こっているのだ。

そして、時間にして一刻以上過ぎた頃であろう、2人の目が合いお互いがニヤリと笑う。其処には勝ち筋の見えた戦人がいたのであった。

小一郎はこの時に初めて知ったのだが、甲賀忍者の一団が松永軍と畠山軍が全軍で出陣出来ない様に活動していた事だ。また摂津国・河内国・和泉国で色々なうわさ話を流して、敵方を翻弄する作戦を決行中だそうだ。だから本願寺軍の兵が集まらない理由の一端がそこにはあった(かもしれない)

また、この時には三好軍は摂津国内の北畠家領と上杉領を占拠して支配下に、逃れて来た武将たちを保護して山崎関所の防衛を手伝ってもらう事になった事を記載しておこう。




摂津国での戦は、一進一退で両軍に決定的な動きは無かったが、今更ながら本願寺軍が動き出した為に、三雲様が兵8000を率いて本願寺軍を牽制する為に出陣をしたぐらいであった。


そして霜月に入る・・・


「殿はいらっしゃるか」


山崎の関所をある人物が訪ねて来たのだ。

それは織田家の勝利を告げる使者でもあった。


「服部様!」


小一郎は山崎の関所で全軍が円滑に戦に臨めるように、補給活動を取り仕切っていた。

勿論、京都所司代の村井様と共にだ。

其処には、親方に木造殿・増田君・前田殿・佐々殿と木下組が揃っている。

そして、陰には服部殿が控えていた。


「服部様!ご無事で重畳

 この度は、ご無理を言いました」


平身低頭の小一郎に、いやいやと言ってから報告に移る。


「木下殿、作戦は成功だ!

 足利義栄様は降伏された!」


この言葉を聞いて、拳を握り締めてガッツポーズをする小一郎。

これで敵方は大義名分を失ったのだ。敵方の大義は足利義栄様を将軍に据える為に軍を起こした!

その為に、将軍就任に邪魔な勢力の織田家に宣戦を布告したのだ。

そして、それに賛同した各家達(本願寺を含む)が共闘した形である。室町時代(いままで)に幕府といや権力者と結びついて美味しい思いをして来た者達が、再び夢を見たのが今回の作戦の根本であろう。


「だれか、至急じゃ!殿に伝令を!足利義栄様は降伏されたと!」


そして、この大戦の潮目が変わった!と感じた小一郎は勝負手を打つ!


「服部様、ご子息と一緒にこの作戦を実行して頂きたい」


そう言って、ああで・こうで・そうで・こうなるんですと作戦の説明をすると、ニヤリと笑い「承った」と言って親子で消えていった。

そして、入れ替わりで使者が走り込んできた!


「百地様、藤林様から此方の文を預かっております」


使者をねぎらった後に、急ぎ文に目を通すと・・・ニヤリ

作戦成功の知らせで合った。


「先程の殿に出した伝令を暫し待たせよ!」


そして、文にて新しい作戦(おねがい)を殿にしてから、木下組+太田殿に事の顛末を話する事となる。

その作戦は開戦時に始まっていたのだ!

殿が許可を出して、九鬼水軍と北畠軍の合同作戦で少数で阿波国平島荘古津を強襲!したのだ。そして相手方大将の足利義栄様と親族を確保して速やかに、伊勢志摩までお越しいただくまでが作戦であった。無条件降伏をしたのであった。ただ残念な事に伊勢志摩国まで来た事で体に負担がかかり体調がとても悪くなっているのであった。

その話を聞いた前田殿と佐々殿は目を白黒さていたが、最終的に二人とも叔父上や兄者が敵わないはずだと再認識をしている。また親方や増田君に木造殿は「ほぉ」とか「流石」言っているのだ。

付き合いが長い親方や増田殿にとっては何時もの事で、木造殿は親方から聞いていたのだろう。

そして、雰囲気の軽くなった山崎の関所から、織田家反抗作戦が始まった。

敵連合軍の兵士達にある噂が流れ出したのだ。

三好軍では朝倉軍が敗退、三好家が朝敵になった、総大将の足利様が降伏した、本願寺軍が裏切ろうとしているなど、真実と嘘が混じったがどれも信憑性のある噂であった。

本願寺軍や朝倉軍に松永軍・畠山軍も同様で兵士達の不安が噴き出す。またそれを否定する各諸将達は一部の事実を知っていても、必死になって否定して無理矢理力で抑え込んだのであった。



時は少し前後する。


「殿、小一郎はなんと?」


信光様は殿に来た文に付いて、秘策が書いてあると期待しているのである。そして陣中の為に殿と呼んでいた。

実際には、作戦の成功と攻勢に出るタイミングだけなのだが・・・

殿より手渡された文を確認して。


「初雪が降ったら攻勢に出てくださいとは、どうゆう事だ?」


殿も信光様も知識としては知っていても、実体験は無いから仕方がないが雪が降り始めたら朝倉軍は本国に帰還が出来ない。その事を逆手に取っているのだ。噂話で三万人の朝倉軍を翻弄しているが、そこに雪が降ると兵士達は望郷の念に駆られるだろうと計算している。そこに織田軍が攻勢を仕掛けたらどうなるか、朝倉軍は敵方だけでなく噂話や天候とも戦わなくてはならない。そして加賀国と越前国でも、小一郎の作戦が成功していて導火線に火がついている状態である。あと少しで朝倉家は進退に困ることであろう。


そして初雪が・・・日ノ本に冬将軍が訪れ始めた。


「出陣!」


織田軍が攻勢に出だす。

三万五千の織田軍に対して三万の朝倉軍、今まで以上の激しい戦いが始まったのであった!


そしてタイミングの悪い事に、越前より使者が朝倉軍に到着していた。

使者より文を貰った総大将の朝倉景鏡殿は、文を読み天を仰ぐしかなかったのだ。

其処には、撤退命令と一向衆の討伐命令が記されていたのだ。所詮は儚い同盟であったという事だった。積年の恨みを両家の婚約で収めたがそれは表面上だけで、腹の中では両者とも同じことを考えていた。そして此処に来て織田軍の攻勢である・・・


「我らは嵌められたのかもしれぬな」


ボソッと話した後は、使者殿に織田家との戦闘が終わり次第帰国する旨を言づけるのであった。





その頃、摂津国でも動きがあった。

三好軍に本願寺軍と畠山軍が合流、兵力が3万人強になったが問題が起こっていた。それは軍隊として統一されていた三好軍と畠山軍、軍として統一されていない本願寺軍が合流したのだ。問題が起こらない方がおかしいのである。それに対して佐久間隊一万(右側)と柴田隊一万(左側)は正面から対陣、それを補うように遊軍として三雲隊八千が柴田隊の左側後方に布陣している。そして戦端が開けば横やりを入れる体制である。その状況に各地に散っていた三好軍三千が集結、最終的には三万五千人に及んでいた。

そして、戦力的には有利な状況になっても頭を抱える三好家ご当主と重臣の篠原殿がいた。


「殿、ここは撤退を!」


篠原殿は冷徹に判断をして、進言していた。

この時には、平島公方様が織田方に奪われた事が伝わっており、大義を失っている。その上、無能な味方の為に大敗を被ることは無いと考えたからだ。事実として三好軍と本願寺軍での連携は不可能で、出来る戦闘は数の暴力で撃破する事位だった。しかしご当主の三好殿は、この機会を逃すと二度と天下を狙う事は出来ないと考え撤退の判断が出来ない。まだ負けていないからだ。

また、本願寺側も焦りがあった。それは禁教令である。

本願寺派の公家を使って撤回させようにも、動きはないし使者も帰って来ない。その為に本願寺殿や本願寺派の首脳陣は焦っていたのだ。業を煮やした坊官の下間殿や七里殿は勝負を急ぐあまり三好軍との合流を進言して、織田家との決戦という手を打って出陣したのである。

  

このチグハグな連合軍の内情は、三雲殿を通じて佐久間様と柴田様に届けられていて、敵の事ではあるが三好家と畠山家の諸将が哀れに思える。そして両軍ともが予期せぬ形で戦端が開かれたのであった・・・・





「伝令!」


山崎の関所に走り込んで来た。


「未明に朝倉軍と戦闘に入りました!」


そう、開戦の知らせで合った。

伝令を下がらせた後、指示を出そうとした時だ!


「伝令!

 佐久間隊と柴田隊がなし崩し的に、三好・畠山・本願寺軍と戦闘に入りました!」


北と南でほぼ同じタイミングで戦闘に・・・

小一郎は、すぐさま伝令を走らせる。

まず一手目の命令はこうであった。浅井軍の佐和山城を攻めている蒲生隊と平井隊にだ!城は包囲しつつ蒲生様と平井様に浅井領の奥深くまで進軍して浅井軍の目を引き付けて頂きたい、そして織田家本隊に対する横槍を未然に防いでください!とお願いをする。

二手目は、内藤様と平手様の伊賀大和の国境の部隊に、松永軍に対して積極的な攻勢をお願いする。それは援軍として摂津国に進軍(佐久間隊・柴田隊・三雲隊・橘隊・池田隊に横槍を入れさせない為)させない為である。

三手目は、守備兵を残して橘殿・池田殿に槙島城より出陣して頂き、敵軍の後方の遮断をお願いする。戦況によっては参戦OKと指示を出した。

四手目は、近江国、伊勢志摩国、尾張国の守備隊に本願寺派の武装蜂起の可能性ありと注意喚起の使者を走らせた!

五手目は・・・


「親方、木造殿!兵1千を率いて佐久間隊の右側に出陣!敵軍別動隊の横槍を防いでください。状況次第で参戦も許可します。

 前田殿と佐々殿を先駆け大将に任命します!よろしくお願いします」


そう言って、兵一千のほかに工作兵一千も一緒に急遽出陣!摂津国の決戦に挑んだのである。

打てる手を打った小一郎は、山崎の関所で天命を待つのみであった・・・



なし崩し的に始まった、摂津国平野部での戦闘は本願寺軍が統一の取れない戦闘を柴田隊と行っていた。

強硬偵察部隊同士が戦闘に陥り、敗退した本願寺軍が逐次部隊を投入、柴田隊を撃退しようしたが、柴田隊は無暗に戦場を広げる事なく、相手を誘うかのように撤退!それに引きずられて吐出してきた部隊を柴田隊各隊が叩き、其処に救援部隊を本願寺軍が投入するという愚の骨頂の用兵であった。

柴田隊が、次々と本願寺軍を撃破していく中、本願寺軍救出の為に三好軍が部隊を投入!柴田隊の側面を攻撃しようとしたが、佐久間隊の部隊が三好家の部隊に攻撃を仕掛けてそれを阻止する。するとそれを参戦と勘違いした本願寺軍が増々部隊を投入して、戦線は無茶苦茶な様相に・・・


「ここに至っては、是非も無し!」


三好殿が重い腰を上げる。負けない戦を行う事は可能であったが、決戦に踏み切ったのだ!

三好殿は連合軍の状況は現在が一番有利な状況で、織田軍本隊がいない今しかないと判断をしたのだ!決死の思いは三好軍本陣から、次々と伝令が各諸将に伝えていった。

三好殿のいや、三好軍全体が決戦に舵を切ったのだ!

 

決死の覚悟の三好軍は兵力の優勢を活かした戦いを佐久間隊相手に展開しているし、本願寺軍が危なければ前線の維持の為に柴田隊に横槍を入れたり、縦横無尽の用兵を行っていた。蜂須賀隊の活躍と三雲隊の救援もあり佐久間隊は粘り強く三好軍相手に健闘いや必死になって守っていた。

佐久間様も、此処で持ち堪えなければ戦線が崩壊してしまうのが分かっているから、必死に各隊に指示と直営部隊を投入していた。

そんな無茶苦茶な戦闘も二刻が過ぎた頃であろう敵軍に動揺が走った!織田方の橘・森隊が戦場に到着して敵方の後方遮断の動きを見せたからだ。其れは一瞬であったが遊軍として待機していた三雲隊(本隊)がチャンスと判断、三雲様自らが先頭に立ち直営を引きいて突撃して行く!本願寺軍に横槍をかましたのだ!目の前の戦闘に必死な本願寺軍は対応が出来ず三雲軍の攻撃を受けきる事が出来ずに分断されて混乱を起こして崩壊!した。それまで佐久間隊と互角以上の戦いをしていた三好軍は、右側に布陣していた本願寺軍の崩壊に巻き込まれて、大混乱!三雲隊の横槍にも突破されて収拾がつかない事態に・・・

この状況になり、各諸将は撤退を始めたが其処に佐久間隊と柴田隊と三雲隊・橘・森隊が容赦なく襲い掛かったのであった!



時を同じくして、若狭国では織田軍と朝倉軍が激突!互角の戦いを繰り広げていた。

攻勢に出ている織田軍に対して、先手は取られたが直ぐに挽回!朝倉宗滴公の鍛えし将兵達は存分に力を発揮していたのだ!激しい攻防が夕暮れまで続き、お互いがこれ以上は無理と暗黙の了解で判断し兵を引いたのである。

初戦は互角の戦いで、再戦に闘志を燃やしている織田軍!それから五日間のあいだ両軍は激しい攻防を行うも決め手はなく、互角の勝負を行ったが六日目の朝の事であった。朝倉軍の陣所には人影がなくもぬけの殻に・・・織田軍のスキを突いた見事の撤退であった。

殿を始めとした織田の諸将は、この地でお互いが決着をつけると考えていたが朝倉軍は違ったのだ。

撤退命令を完遂する為に、秘かにチャンスを伺っていたのだ。そして五日間のあいだ積極的に戦闘を行う事で明日も戦闘があるものと仮定していた織田軍のスキを突き、見事に撤退したのだ!

ただ、可哀想なのは撤退しても本国防衛の為に一向一揆勢との戦に参戦させられるのであるが。

その事で朝倉軍を退けた織田本隊は、朝倉軍が撤退した事で敦賀郡を難無く占領!越前国の主要港のひとつの敦賀港を支配下に置いたのであった。

その後、殿は信光隊14000に浅井家攻めを指示して本隊は山崎の関所を目指して転進したのであった。




吉報は立て続けに、山崎の関所に届き小一郎は安堵の表情をした。

山場を越えたのだ!事実、織田軍は一杯一杯で予備兵力も無く、万が一が起こると畿内より撤退も考えられたからだ。そして今回の大戦の山場を越えたが、落ち着いている暇はなく、諸将に残敵の掃討と本願寺との攻城戦に浅井家・松永家・畠山家との戦に備えて使者を走らせる。

そして師走に入った頃に、織田本隊19000人が山崎の関所に着陣したのであった。


「殿、見事の勝利!おめでとうございます」


その言葉を聞くと殿の機嫌は悪くなった。

そう、勝ったのではない。勝ちを譲られたからだ!


「小一郎、何か言わなければならない事は無いか!」


機嫌の悪い殿は、朝倉軍撤退の理由を小一郎が何かをしたと考えている。それでないと敦賀郡を手放す事になるからだ。朝倉家にとって敦賀港は非常に大切な港の筈、それを捨ててでも本国にに帰る理由が知りたかったのだ!


「ハッ

 事後報告になりましたが、加賀国と越前国の国境で小競り合いが起こりました!

 これにより、一向衆と朝倉家の同盟が崩壊!再び敵対関係となりました」


ギロリと睨みながら「ご苦労」と言葉を掛けるも小一郎は知らぬ存ぜぬで忍びからの報告であって、自分はなにも関与していませんとしらを切り、腹芸をこなす。

こんな場所(山崎の関所の広間)で認めようものなら、敵方に小細工してますと教えるようなものだ。何処に敵の目が潜んでいるか判らない。用心に越したことは無いのである。


そんな中でも、次々と伝令が走り込んでくる。

北近江では、浅井家の支城を落城or降伏などの良い話である。

大和国近辺では、松永軍と一進一退の攻防を繰り広げていると報告が上がって来るし、摂津国周辺では、三好軍、本願寺軍、畠山軍の残敵掃討が順調に進んでいると知らせが来ている。


「あとは・・・石山本願寺の攻略か・・・」


小一郎は呟く、この時の石山本願寺はハッキリ言って城である!

これを落城!or無力化しなければいつまでも本願寺派との戦が続くであろう!

最後の詰めを誤って歴史から転落していった者は多い。ここは慎重に慎重を重ねて攻略を進めて行くと強く思い、尾張国に使者を走らせたのであった。




つづく。





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