1568年−2
誤字報告ありがとうございます。
「殿、ご提案があります!」
この一言で織田家が動き出すのだ。
「殿、本拠地を織田領の中心地に移しましょう!
先ずは此方をご覧下さい♪」
殿の前に地図を広げて説明をし出した。
「今現在の織田家の中心地は尾張国の清須ですが、領土が広がり中心地にするには非常に不便になりました。また、西で戦などが起こった場合には派兵するのに時間がかかり、後詰が着く頃には戦局がかなり不利になってしまいます」
殿は腕を組み厳しい顔だし、堀殿は驚いている。本拠地を変える考えを持っていなかったからだ。
前にも提案した事があったが、立ち消えになっていたのを再提案をする。ただし領地の広さがかなり違うのだが。
「街道が通り京に摂津に尾張を守備範囲に置いて四方に睨みを利かす場所、織田家の新しい本拠地は・・・安土此処以外に考えられません!」
「殿、発言宜しいでしょうか?
木下様、安土の横には観音寺城があると思いますが、其処では駄目なのですか」
堀殿は殿の許しを待ってからの発言で質問内容はもっともである。
今ある物の有効利用するのが簡単で、有効だからだ!
「堀殿、観音寺城は場所的には間違いない場所だと思います。しかしあの城を利用すると六角家の影といつまでも戦っていくことになります。それを払拭する為にも新城が必要だと思っています。
そして、構想としては鉄砲での守りを考えた日の本で一番最初の天守閣と石垣を使った城を考えています」
「「天守閣!」」
「そして費用を浮かす為に観音寺城を解体、再利用出来る物は使いたいと思います。
・・・・・・如何でしょうか?」
「あっ・・・着工は山崎の関所が完成した後と考えています」
(予算的に)
「誰を使う?」
「丹羽殿と森殿が適任かと・・・」
「分かった!」
キラリと目が光る殿。
「あと・・・」
「あと〜?」
不安な影が殿には見えるが・・・
「殿、狼煙台を作りたいと思います。緊急時に連絡が届いて次の手が直ぐに打てます!
如何でしょうか?」
「そうだな、これは既存の城内に造る事で対応が出来るな!
あとは山か・・・急ぎ対応させよう!」
史実でも武田家が導入している制度である、真似をしない理由はない。広くなった領地の防衛には必要な設備である。
それと山城国、和泉国、摂津国を村井様達が引き継いでくれたおかげで、伊勢志摩国・南近江国で遅れていた案件を積極的に実施!今年からは南近江国での米の増産(塩水選に正条植え)に取りかかったのである。
小一郎は思っていた。ここ数年で急激に織田家の領土は広がったそれを安定させて、織田家に心服させるのには今後数年かかるだろうと。
「木下殿はご在宅かな!」
水無月に入り、農民が田植えを頑張っている頃に、チョイ悪おやじ3人組(服部様、藤林様、百地様)が自宅まで訪れて帰りを待っていた。
そして、対応してくれた女中は腰を抜かして驚いたそうだ!
何故か不思議だが、チョイ悪おやじ3人組に千熊丸は気に入られて、色々な話を聞かせてもらっていたのであった。この子は不思議と皆にかわいがられる星の下に生まれたみたいだと伊賀の上忍3家の棟梁に気に入られているのだ。人たらしの才能が有るのかもしれない。
「お待たせ致しました」
名残惜しそうに席を立つ千熊丸を見送った後に、おもむろに話始める百地様。
「木下殿の与力となって早三ヶ月が立とうというのに、一向に指示が来ない!からお節介で此方から出向いてきたわけじゃよ」
木下家に来たという事は、何が起こる?いや起こすのだろう!
三人が頷いた後に、恐ろしことが語られた。
「木下殿、若狭の武田家・大和の筒井家・播磨の赤松家・丹波国の波多野家を取り込みませんか?」
「ふぁい?」
動揺しまくっている!返事がおかしいし、三人(服部様、藤林様、百地様)が言っている事もおかしい。
ただ、三人は涼しい顔である。
そして、具体的に説明してくれた。
「まず、若狭国の武田家ですが一言で言ってありゃーダメだ。国内はバラバラ一揆もその内に起こるだろうその前に、織田家の物にしてしまおうとの算段よ」
闇落ちした、小一郎の目が光る!頭の中はフル回転だ。若狭武田家を家臣に取り込み小浜湊を取り込めば、日本海側の商人達に絶大な影響力を及ぼす事が出来る。そして、蝦夷地からの食料品(昆布など)は輸出にも使えていう事なしだ。ただ歴史的には朝倉家が兵を出して若狭国を治め武田殿は一乗谷で軟禁状態にされたはず・・・だったら織田家で家臣として召し抱えた方が上か!しかし武田殿をどうする?そこが問題だな!
「・・・武田殿をどうするかだな」
「だったら、御伽衆は如何かな」
「御伽衆か・・・旨く行ったらその方向で」
「いや、成功させるのじゃよ」
百地様がニヤリと笑い目を光らすのであった。
「では、次に筒井家だがここは風前の灯火だ。
休戦してから頼みの三好家が畿内から一掃されてどうにも行かない状態だ!
松永家と畠山家から威圧を受けまくり、家臣達もご当主を見捨てる一歩手前だな」
惨い話である。史実では三好家と連携し松永家をボコボコにして大和国に一大勢力を築くのだが、今は頼みの綱の三好家にも見捨てられて、筒井城を失うのも時間の問題と思われる(戦があれば)そんな状態である事を藤林様が語ってくれた。
(あっ、そうだ!)
「ご存じなら教えて貰いたい、筒井家に島清興殿という武将はおられるか?」
三人とも?であった。この時はまだ無名の若武者であろう。
旨い事行けば、織田家で才覚を発揮してもらえるかもしれない。
「筒井家を取り込むのは」
「問題ない」
自信たっぷりの藤林様がそこにいた。
「次は、波多野家だが・・・」
今度は服部様が話始める。
話はこうだった。
「三好家が居なくなった丹波国は、国人領主がしのぎを削っているが絶対ではない!
そこで、丹波国の最大勢力である波多野氏を織田方に取り込み、京の安定につなげたらどうかと思っている。家臣は無理だが従属国には出来るだろうし、して見せるが如何かな?」
確かにそうだ、丹波国の波多野氏を傘下に収めて京の北の守りに用いれば我が軍を割く必要がない。
そして、織田家は利でもって従属関係を築く為に、一度結んだら離れる事か難しいのだ。(物流が途絶えてしまうと民から反発が激しいし物価が上がるからだ)
「そうですか、斉藤家とか武田家と同じで離れられなくするのですね」
頷く服部様。
「では、この件も進めます。
それと、播磨国ですが赤松家内で勢力争いをしていて、赤松政秀殿と別所安治殿の勢力が赤松義祐殿と争っておる。
それに介入して、赤松政秀殿と別所安治殿を我が陣営に加えて播磨国に影響を及ぼす事が出来ますが如何かな?」
事も無げに播磨国の内情の説明をされる服部様、やっぱり伊賀衆を味方にできて良かったと思う。
どんなに良い手を思いついても、裏から潰されては策にならないからだ。
そして、服部様の提案は播磨国も織田領にする為の足掛かりでもある。
ただ、問題は若狭国の一部を領地としたら朝倉家ともめ事が起こるだろうその時に二方面作戦になったら厄介だなと思う小一郎であったが・・・ここはチョイ悪おやじ3人組に小一郎自身が試されている思う。だから全部の提案を同時進行で受けるしかないと考えるのであった。(あとからと思ってもチャンスを逃すだけだ!)
この機会に小一郎も負けずに無茶振りをする。
「御三方、三好家で親織田派を作ることは可能でしょうか?」
「えっ・・・・・・」
流石の御三方でもビックリしている。
この前戦って畿内より追い出したのだ。流石に無理かと思っていたら・・・
「三好家に波風を立たせてくれたら、どうにか出来るかもしれませんなぁ」
ちょい悪小一郎がにやりと笑いながら。
「立たせてみましょう、波風を!」
「では、服部様、藤林様、百地様よろしくお願いいたします」
この後は飲みケーションをして親睦を深めたのであった。
翌日、殿の許可を取った後に無茶振りされる可哀想な二人がた。
「前田殿、佐々殿のおふたりにお願いがあります」
「「はい、何でしょうか?」」
かしこまって小一郎の話を聞く二人に試練が訪れる。
「三好家にこの手紙を届けに阿波国の勝瑞城迄行って来てください」
「エェェェェェェェェェェェl」
にこりと笑いながら。
「殿の許可は取っています。よろしくね!」
簡単な感じで話して準備が出来次第出発してもらった。
(ガンバレーと心の中でエールを送るのであった!)
「弥七殿、服部殿、わざわざ来て頂いて申し訳ない」
屋敷に二人の忍び頭が揃うのが異例である。
そして早速、本題に入る。
「二人にお願いしたい件があります。
弥七殿には武田領の越中国、飛騨国、信濃国東部で。
服部殿には、若狭国、越前国、京で」
「内容は、朝倉家が若狭国(若狭武田家)に攻め込む準備を秘密裏にしていると・・・
夏には攻めて来るだろうと」
「理由を聞いてもよろしいでしょか?」
冷静な弥七殿らしい意見である。
「詳しい事は言えないが、今ある作戦を実行しているのを援護する為の作戦です。
お二方が頼りです。お願い出来ないだろうか?」
「「ハッ、かしこまりました」」
その後、三人で色々話した後におみやげの清酒を持って帰ってもらったのであった。
(職権濫用とは言わないでね!)
文月に入る頃には、朝倉家が若狭国の武田家を攻めて来ると噂が広がり既成事実とかしていた。
服部殿からの知らせによると、密かに準備をしていた軍事行動が明るみに出た為に裏切り者がいると朝倉景鏡殿が躍起になって探しているそうだ!
そしてバレてしまった為に大胆に準備をしているらしい。
(やめる気無いんかーい!とツッコミを入れたのは秘密である)
史実でも若狭国に軍事行動を起こして、当主である武田殿を一乗谷にて軟禁した様に思うが、今回の噂話はあくまで百地様の内部工作の援護であり、朝倉家の軍事行動を覚えていた訳ではなくたまたま一致したでけであった事を付け加えておこう。
また、若狭国武田家では此処に至ってはどうにもならないといった意見が大勢を占めている。その理由は若狭国内はすごく不安定な状態で国人領主の中には独立を果たした者までいるのである。
そんな状況の中、朝倉家に臣従するか織田家に援軍を頼むかの意見が出ているが織田家を頼る意見が圧倒的な状況であると服部殿から報告が上がっていた。
小一郎は報告書を読みながら、百地様の多数派工作に感心するのであった。
つづく。




