1566年−1
誤字報告ありがとうございます。
「そうか・・・」
殿は少し寂しそうに手紙を読んでいた。
毎年、八丈島に食料をはじめ生活用品などを送っているのだが、その時に信勝様に手紙を頼んでいたのだが、その返事が来てションボリの殿が居た。"帰ることは出来ない(母まで)帰るとまた織田家に問題が起こる可能性があるからとただ息子たちを頼みたい"とお願いもしてきていた。
兄弟大好きな殿としては、信勝様に復帰の為の道筋を整えたかったのだが、信勝様が母上の暴走を起こす事を恐れて、断りを入れて来たのだ。
「仕方がない、津田の姓を与えて兄上に鍛えてもらうとするか!」
小一郎は、木村屋より預かった手紙+αをもって殿の下に来ていて一部始終を見ていたのである。
「そうだ、小一郎!今日はご馳走だ、飯を食べて帰れ!」
「えっ・・・・・・はっ、ありがとうございます」
恭しく お お お礼しか言えねぇぇぇぇぇ・・・今日の清須の晩御飯は・・・・・・勿論くさやですよね。
くさやの匂いが清須城を占拠したのだが、殿は嬉しそうにくさやを食べていたのであった。
弥生に変わった頃に、各地に使者に出た者達が帰って来る。
特に難しい交渉を任されていた、佐久間様と平井様だったが足利家一門の今川家と賛同を得る事ができ不戦同盟を結ぶのに成功、流石に出兵までは無理であったが三河国境線が安定したのは確かであった。それと北条家も賛同を得て不戦同盟を結ぶが、遠方を理由に出兵は断られたが、正直に言って期待はしていない。
浅井家・斉藤家・武田家は出兵まで了承を得て都の治安維持に一役を買って頂けることになる。
大変だったのは、上杉家である!足利将軍と面識(上杉家は足利宗家の外戚)があったため上杉輝虎殿が自ら兵を率いて三好一党を駆逐すると息巻いて、全員で押しとどめるのが大変であったと報告が上がった・・・
後は・・・朝倉家であったが好きにしろと言う態度で、邪魔はしないとの事だ。それもそうだ朝倉家には加賀一向一揆という天敵が存在しており、都に人員を出すのは出来るだけ控えたい事情がある。また史実では足利義秋様が和睦を取り持とうとしたりしたが、この時代では尾張にて覚慶様として修業をされている為に仲を取り持ち今回の事を働きかける人もいなかったのだ。
そして、弥七殿から今川家の事で報告が上がる。
今川家では、織田家出兵で手薄になった尾張に攻め込むべきと主戦論を唱える重臣がいたそうだ。
ただ、戦場の最前線で兵を率いる将の人数が質量ともに足らず大戦を起こす事が出来ない現状だと報告が上がり、その報告を聞きながら、1560年の戦から約6年たっているが指揮官を失うと大規模な軍事行動が出来ない事を再認識させられる。
「あと・・・・」
弥七殿は松平元康殿の事を報告してくれた。
「松平殿は今川一門衆に準じる地位を与えられ、非常に大切にされています。今川家御当主やご隠居様との関係も良いです。その理由としては三河の国人の中に名門の吉良家があるからだろうと推察致します」
「吉良家ですか・・・確か足利家の後に将軍職を継ぐ家ですね、そしてその後が今川家で正しいですか?」
「その通りです。ですから三河国を併呑する為に吉良家の対抗馬として松平殿は大切にされていると思われます」
その後、色々とお願いをして弥七殿と別れた。
今回の報告で、一番恐れていた今川家の宣戦布告が無理と分かり一息つけるが、尾張侵攻を諦めていない家臣の存在を確認出来たのは収穫であった。
また、服部殿からも定期的に報告がある。松永・畠山連合vs三好義継・三好三人衆の戦況が中心で同盟を結んでいる松永・畠山連合の旗色が悪く三好義継・三好三人衆連合軍に筒井家が参戦!大和国で暴れ回る筒井軍を抑える為に松永・畠山連合は全面に戦力を集中出来ない状況を作られていたが、ただ負ければ後がない松永・畠山連合はしぶとく食い下がっていると報告が上がっている。今後、この状況が急激に動くのは平島公方が畿内に上陸して、三好義継・三好三人衆達の士気が上がってからだろう平島公方の動きには注意が必要だろうが、現状は織田家が変えると強く思う。それと、三好方の忍びが織田領で積極的に活動していると報告も受けたのである。
松永家と畠山家との同盟は知られたみたいだ。これで電光石火での侵攻は無理だろうと思うが、ただ織田家でもこれだけの大戦である為に中々準備は終わらない。ここ数年で領地を広げて来た為に余力がなかったのと、南近江を安定させない事には山城国に出兵など考えられない。その為に小一郎は社畜魂を発揮して南近江に伊勢に伊賀に尾張を駆けずり回り内政に力を入れたのである。
「殿〜」
「奥方、ありがとう」
のほほんと家臣の家の縁側でお茶を飲んでいる殿がいた。
「待っていたぞ」
殿の鋭い視線が辺りを探る。
みつと春が頷くのを確認した後に、殿にアイコンタクトで大丈夫と返すと・・・
「小一郎、準備がほぼ整ったぞ!
いつから仕掛ける!」
殿も大勝負に出る事を理解している、その為に目つきが鋭い。
「では、吉日を選び敵に宣戦布告をしたいを思います。そして正義は我にありと天下に知らしめましょう! また大胆に(ピキィーン)・・・あっ・・・・・・」
大胆にでピキィーン!と閃きが!
・・・・・・改まる小一郎、そのしぐさに気が付く殿。
「殿、ご提案があります」
「うむ、申せ」
焦りもなにも無い、織田家の当主して堂々と小一郎の"ご提案があります"を受け止める。
「当初の作戦では、電光石火の進軍で山城国の三好勢力を撃退しようと考ましたが、(服部殿の報告により強襲は無理と判断している)遠征軍5万を威風堂々と進軍させ戦闘無しで三好家を撤退に追い込む事を進言いたします。
そして、山城国より打って出て畿内の三好勢と雌雄を決す戦いを行い、畿内の平定を行う事を進言いたします」
「織田家の力を見せつける訳だな」ニヤリ
「はい、今後の事を考えますと織田家は強い事を印象付ければ今後の交渉が有利に働きます。
如何でしょうか」
「良し分かった、織田家の力を天下(畿内)に見せつけるとしようか」
「はっ!」
小一郎は思い出したのだ!武将織田信長がどの様な戦を得意としているのかを。
それは相手を野戦に誘い出し致命的な一撃で撃退!再起不能かその後大規模な戦が出来ない状況に追い込む戦である事を、だとすると今後の為に織田の弱兵の噂は払拭しておきたい。織田軍は強い!この事を三好家を相手に証明しようと思ったのだ!
「殿ー!」
馬に乗り颯爽とひとりの激怒した武士が我が家の前に・・・
“あっ見つかった”と何とも言えない表情をして・・・逃げようとするが。
「殿!城にお帰り下さい!」
ピタリと止まる殿に、あの温厚な丹羽殿が大魔○の如く逃げ道に立ちはだかった!
「殿!帰りますよ!」
そう言って連行されるそこには先ほどまで威厳に満ちていた殿ではなく殿がいたのであった。
これを一部始終見ていた小一郎は心の底から思う、丹羽殿は怒らせてはいけないと。
殿が脱走していたのは意外・・・いや平常運転だろう。丹羽殿の苦労が忍ばれる。
しかし作戦の調整が出来て後は織田・松永・畠山の各軍が動き出すと畿内から三好家の勢力を追い出す事が出来ると思う。そして錦の御旗があれが敵方は朝敵に・・・すると手を貸す者もいなくなるだろう。そう宣伝するしね。巻き添えにされたくないしだろう!
葉月吉日
「出陣!」
「「「「「「「「「「「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」」」」」」」」」」」
出陣式が終わり、柴田様の腹の底より出る出陣!の掛け声、それに応える4万5千人の声が辺りに響き渡った!
観音寺城下を進む織田軍目的地は、槙嶋城と勝竜寺城だまずは2万人づつに分かれて攻城戦の予定だ!
この軍勢を見て、正面から戦う輩は自殺志願者だけであろうからだ。
目的地の一つの槙嶋城を預かる真木島殿は幕府に代々仕えていたが、今は三好家の傘下に収まり家を護っている。山城国防衛の重要拠点でもあるし、この戦の初戦を華々しく飾らせてもらうしようか!
しかし・・・
「殿!申し上げます!
槙嶋城主、真木島殿がお見えになりした」
「うむ、会おう!」
真木島殿は無駄な戦はせずに降伏を申し出たのだ。
織田家の大軍相手に三好家に義理立てする事はない。御家を残す事が最優先であるから恥も外聞も無いのである。今後は織田家の家臣として殿にお仕えしたいと申し出でがあり了承したのであった。
真木島殿の道案内で勝竜寺城攻略の為に動き出すと。
「申し上げます!勝竜寺城城外で三好三人衆の岩成隊が布陣しております。
兵、約1万!」
「ごくろう、下がって休め」
「権六!(柴田様)」 「ハッ!」
「兵庫頭!(蜂屋様)」「ハッ!」
「三左(森殿)」 「ハッ!」
「右近将監(坂井殿)」「ハッ!」
「喜三郎(後藤様)」 「ハッ!」
「各自兵を3000人率いて岩成隊を蹴散らして来い」
「「「「「ハッ」」」」」
「それと北畠家からもお願い出来るかな」
「はっ、喜んで」
伊勢志摩衆からは北畠家家臣の鳥屋尾殿が名乗り出た!
「では、敵方を蹴散らしてこい!」
「「「「「「ハッ!」」」」」」
殿の指示で6人が走り出す。
一万の敵軍に対して大義を掲げた初戦である臆することなく向かって行くのであった。
それは、織田軍と会敵する数日前の事だった。
「殿、忍びからの報告で観音寺城の城下に兵が集まっているとの事です」
「兵数は?」
「はっ、3万人以上で、まだまだ集まって来ているそうです」
「そうか・・・」
そう言って天を仰ぐ岩成殿がいる。
「殿」
家臣の呼びかけに、気を取り直して。
「各城と三好長逸殿と三好宗渭殿にもこの事を知らせい!」
「ハッ!」
家臣に指示を出した後、一人になり岩成殿は腕を組み考え込んでいる・・・どうするか?どの様に戦うか?をである。
最悪のタイミングであった。山城国の反三好勢力を一掃したばっかりだからだ。三好家はともかく山城国の親三好派の国人領主が再び出陣に応じてくれるか?それも織田の大軍を前にして・・・
それにいくら押し込んでいるとは言え、松永軍と畠山軍との戦の為にすぐには援軍は難しい。また織田軍の山城国に進行で相手方の士気が大いに上がって居る事だろう。"クッ"と呟く。今までの有利な状況が一変したからだ。
山城国からの撤退はありえない。平島公方を擁立して三好家が実権を握る為にも死守しかないが打つ手が無い。山城国は攻め易く守りにくい土地柄だが古淀城が籠城戦で耐えてくれれば、後詰めで織田軍を翻弄して士気を削ぐか、初戦で相手の戦意を削ぎ勝竜寺城で籠城して援軍を待つか、どちらにしても分の悪い戦いに臨むのであった。
数日後、織田軍の山城国に進軍の報がもたらされて、嫌でも緊張感が高まって行く。
そして・・・
「槙嶋城主、真木島殿が織田方に下りました!」
幸先をくじかれる報告が、勝竜寺城にもたらされてたのであった。
つづく。




