1563年-4
誤字報告有難うございます。
短い話になっています。
あれから走り去った殿は、早馬で稲葉山まで使者を走らせ三国同盟を提案して即答を求める。
義兄の立場を使いもう無茶苦茶であるが、美濃三人衆に竹中殿が偶然にも登城していて殿の無茶振りに対応、即決で了承してくれた。その返事を待って赤尾殿に三国同盟を提案!
「何ですとぉ!」
驚く赤尾殿の表情を楽しみながら提案を続ける。
斎藤家から浅井家に嫁を迎え、浅井家から織田家に嫁を迎えて三国同盟の出来上がりである。其れで三国で力を合わせて助け合って行くのが基本である!これだけでも浅井家と斎藤家の小競り合いが減り、両家が落ち着くそして、対六角家では強力な味方が出来るのである。
赤尾殿と色々と話し合い結果“我の一存では判断がつかぬ!”と言われて持って帰る事となった。その後、市様からの手紙で文句を言われ落ち込んだ殿がいた事を付け加えておこう!
「殿、ご提案があります」
状況が動き出す。この流れに乗らなければならない。
赤尾殿が帰った翌日に殿に面会を求めた!殿と小一郎の二人の悪巧みが始まった。
まず、伊勢志摩での募集だ。常備兵、役人、工作兵と鉄砲鍛冶の募集をかける!絶対的に数が足りない“戦いは数だよ兄貴”と某司令官も語っていて正に同感である。
ちなみに、戦に勝つために必要な物はと問われると"コメと金!"答える小一郎です!
そして、その面接官には過酷な訓練を耐え抜いた北畠家重臣方も参加してもらう。
話は少し脱線する。訓練を終え帰国した北畠家重臣達は新しい当主である北畠信包様と霧山御所で面会、信包様は皆に語りかけた「良く、あの過酷な訓練を耐え抜いた」と何故か遠くの方を見ながら。
「殿、どうされたのですか?」
「いや、私もあの訓練を一月だけだが受けた時の苦しさを思い出してな」
「殿もあの訓練を受けたのですか!」
重臣達は驚いているい。あの、身分の関係無い訓練をまさか、織田一族の殿まであの訓練を受けていたと!結果的にはその事がきっかけでお互いの心の距離はグッと近づき、良い関係を作る事の足掛かりはうまく行ったのであった。
その後の宴会でさらに親睦(訓練での愚痴を語る)を深めるのであった。
史実では、面従腹背の北畠家であったがこの世界では織田家の大切な戦力になってくれるであろう!
それは霜月に入ってしばらくしての事であった。
「ただいま帰りました」
「・・・・・・」
小一郎と小ちゃな男の子が帰って来た。
その男の子は、3、4歳に見えるが落ち着きがあり良い所の子息だったと一目で分かった。
「お帰りなさいませ」と出て来たさきは、二人を見て全て何かを悟った。
「千熊丸と申します。母様よろしくお願い申しあげます」
「千熊丸殿、さきと言います。よろしくね」
千熊丸の目の高さまでしゃがんで優しく挨拶をして“さあ、早く上がって下さい。此処では話も出来ませんから”と促し新しい木下家はスタートしたのだ。
「さき、すまんな」
思わず出る言葉に首を振り自分を諫める。
「千熊丸殿は驚いていましたね」
笑いながら話す。事実三人で晩御飯を食べている事に驚いていましたね。それでも良い所の御子息と分かるのだ。また敷布団と掛け布団に???で子供らしく興奮してましたね”ふふふ“と笑うさき!その笑顔に癒される小一郎だが・・・表情を変えて語り出した。
「千熊丸の事だが、千熊丸の父上が歳若く亡くなってな・・・本来なら後継ぎになるのだが年少を理由に家を継ぐ事が出来なくなって、その後色々あって我が家に来てくれたのだ。すまぬがよろしく頼む」
「まだ、こんなに小さいのに・・・まかせてください!」
さきの瞳に炎が見える。この子の母親になる覚悟か見えるのだ。
立派に木下家の跡継ぎに育ててみせると決意が見て取れたのであった。
「御免!」
翌日の朝、親方が訪ねて来てくれた・・・二人の子供を連れて。
蜂須賀殿の長子(養子)の鶴松丸殿で後の蜂須賀長存殿と実子の一茂殿で後の蜂須賀家政殿である。千熊丸の遊び相手に頼んでおいたのだ。
挨拶もそこそこに千熊丸の手を引いて、三人で外に遊びに行った。
少し心配そうなさきだが、みつに頼み遠目から見守ってもらう事にした(らしい)
「では、行ってくる」
そして自分は蜂須賀殿と共に清須に向かうのであった。
「小一郎、三国同盟が成立したぞ!」
殿に呼び出されて、三国同盟の成立(予定)を聞き発案者としてはホッとする。同盟の骨子は織田家と斉藤家と浅井家が婚姻を結び、お互いに助け合って行く事である。これで浅井家と共同で六角家と対峙が出来るし浅井家は後ろの心配をする事が無いのでwinwinだ。では、南近江に流れる噂をもう少し過激にしよう!と悪い顔の男が居ったそうな。ニヤリ
あと、募集も年内に終わるめどが立ち、年明けから訓練に・・・総勢3万の常備軍をもって六角攻略に挑むのであった・・・。
追伸、この年末も近衛様と山科様が尾張までお越しくださりました。
殿と関白様と鷹狩などで友情を深めるのであった。
それから来年は別の人も誘ってもらい、公家内に親織田派を作るのも良いなぁと考える小一郎が居たそうな!
つづく。
三好義資殿の幼名を千熊丸殿としました。
蜂須賀長存殿(東嶽殿)の幼名を鶴松丸としました。
お二人の幼名をご存じの方の情報提供をお待ちしています。




