1562年-2
誤字報告ありがとうございます。
"ズズズ"とお茶をすする音が・・・何故か殿が家にいる。
「さき殿、おかわりを貰えるかな」と・・・なごんでいる・・・何故だ?
「待っていたぞ、帰って来るのを・・・」ニヤリ
"呼び出せばいいじゃないかー"と心の中で叫びながら。
「殿、何かご用事"ゴン"でも」
「いたぁ「サッサと次の作戦を話せ」い」
停戦から約二か月が立ち文月も終わろうとしていた。
僕は、役人達を動員して三公七民の下に北勢の検地と工作兵を用いて東海道を始めとする街道の整備に乗り出している。
勿論、関銭の無効は織田領と同じにしているが・・・織田領外の商人達にはそれは適用していない。
(一部例外在り、美濃斎藤家の商家数件と甲斐武田家の商家数件には関銭無効にしているし、当家の数件の商家も関銭無効にしてもらっている)
そうなると、津島、熱田の商人達は街道を使い六角領に販売網を広げ始めた。
すると六角領でも、伊勢商人・近江商人を抑えて一人勝ち状態に・・・商魂逞しいのである。
「このままで、もう少し待っていたら何か動きがありますよ」
と痛い頭をなでながら話をするし、新しい領地を安定させるのが最優先なのだが・・・そう言ってから早くも二ヶ月が経つのであった。
"おかしいな、僕の予想ではもう少し早く接触があると思ったのだが"そんな事を思いながらも殿に今は内政に力を入れましょうと話するしかない。
此方から話を持って行っても、相手にされないか足元を見られるからだ。
それから、親方にお願いして饗談を北畠家と今川家(駿府に派遣)六角家が打てる手を事前にキャッチしようと動いている。
打てる手はこれしかない遠交近攻作戦だ。
何故て思われるだろう、単独でも攻めてこれると考えるだろうが、六角家から北勢に進軍が出来るルートは、伊賀街道・八風街道・東海道の3街道だが、山道を進むために有利な迎撃地点に陣取られれば抜くことはかなり大変になるし、それが一か所とは限らないからだ。そこで今川家や北畠家と共同作戦を取り一方が敵兵を引き付けている間に、他方が侵略して成果をあげると考えるのが普通だろう。
実際に対今川戦でやられてますから!
其れとは別に、六角家では停戦後に親子喧嘩が起こり、ご隠居様と弟の六角義定殿を観音寺城から追放!増々自分の首を絞めているご当主が居たのだ。まるで裸の大将であった。
其れとは別に、尾張に移った九鬼殿達は着々と自信を取り戻していくのであった。
「殿、松永殿がお越しになりました」
佐久間様と一緒に三好家重臣の松永久秀殿がやって来た。いや、やっと来たと言い換えたい。
ここ数年、上洛して帝に献上するついでに三好家にもコンタクトを取っていたのだ。
そして、面識のある佐久間様を頼り松永殿がやっと来たのだ(小一郎的には)
「お初にお目にかかります、三好家家臣松永久秀にございます」
「うむ、信長じゃ、遠い所良く来られた。
でだ、回りくどい話は良い、本題を聞こう」
そう言ってから黙り込む二人、お互いがお互いを見定めようとして、会見の場は一瞬で恐ろしい程の緊張感に包まれている。その中でも松永殿は涼やかな顔をしている。
流石、三好様の右腕である。
「「ワハハハハハハハハ!」」
二人の笑い声が会見の場に響き、緊張感が取り除かれたが。
「六角家とその他の戦での共同戦線をお願いしたく、まかり越しました。
お互いに助かるのでは・・・・・・」
「・・・・・・利用価値はあるか」ニヤリ
「お互いに」ニヤリ
「それでだ、六角の動きに付いて教えて貰えるかな?」
「では、六角家が畠山家との関係修復を図り三好に対抗するという事を再確認して、北畠家を加えた3か国で同盟を結んだ模様です」
何食わぬ顔で話をする。そしてその話を聞いた重臣方が動揺したのをしっかりと見ていたのは、此方の器量を見定めようとした?のかもしれない。
まずっいですよと思ったのはナイショだ。
「佐久間、松永殿の接待役を命ずる」その言葉をもって会談は終わりを告げたのだ。
「小一郎!」
会談後に執務室に呼ばれた僕は、三国同盟の件を聞かれたが首を振るしかなかった。
現に弥七殿からの報告も無い。
殿の情報網でも把握できなかったみたいだ。三好家の情報網恐るべしである。
「でだ・・・・・」
「・・・・・・・」
「何か言わんかー!」
殿の怒鳴り声と共に拳骨が降る・・・(´Д⊂グスン
"では"と断ってから一言・・・
「知らんぷりです!」
「はぁ?」
「作戦はこれから考えますが、今の時点で相手の同盟を知っていますよって分かる動きは損です。これを逆手に取りましょう。
理想を言えば、北畠家が攻めてくれれば南伊勢と志摩を織田領にして伊勢湾を内海化が理想です。
ですが、いま現在では大義名分がありません。
今まで大きな問題が無かったのにここ数ヶ月間領地が接しただけでは、ゴリ押しもできません」
「では、小一郎に命じる。
対北畠の攻略作戦の立案をせい!」
「はっ、畏まりました」
再び無茶ぶりを言い渡された小一郎、今度はどんな作戦を立案して六角・北畠・畠山に対抗していくのだろうか・・・
「取りあえずは、情報収集からか」
また、弥七殿達に苦労を掛ける、そんな事を思いながら帰宅するのであった。
しかし、中央の政権争いに巻き込まれてしまった織田家と小一郎達には作戦立案や有利な状況を作ってからという時間は与えられなかった。
葉月には、幕府の政所執事であった伊勢殿が畠山家・六角家と手を組み京で兵を挙げたのだ。
松永殿が討伐の任に当たり二ヶ月と掛からずに平定するも、織田家は六角家が本格参戦しない様に八風街道の国境沿いまで軍を動かし牽制をすることになり、国境を挟んで六角軍(蒲生軍)と睨み合いを二ヶ月する羽目になったが、小競り合いも起こらず撤収するも三好家に上手いこと使われたのである。
「木下さまぁ、人手が足りません」
神無月に入って役人の一人が、泣きついて来た。
自分の仕事が忙しく、そこまで気が付いていなかったのだ。
「村井様、募集を掛けていいですか」と許可を取り付け、役人と工作隊の増員の為に北勢で募集を掛けると・・・とある人物が仕官して来たのだ。
マジですか?て思える人物であった。
「良くお越し下さった関盛信殿」
清洲城での面会に殿もどこか嬉しそうだ。
何故って?それは家臣の心が六角家から離れて行っている事の表れだからだ。
だが疑問点もあるから・・・
「仕官を受ける前に聞きたいことがあるが、よろしいか!」
「はい、ご存分にどうぞ」
関殿に緊張感が走り、殿が頷くと丹羽殿が話し出す。
「では、お伺いする」
その言葉で、質問が始まった。
普通なら六角家(蒲生家)の力を借りて旧領地の奪還を目指すのが普通に思うのだが。
それに対しての答えは・・・
「お答えいたす」
「先日、重臣の後藤殿親子とその家臣達を殺害!理由を聞くとこいつらが裏切ろうとしたとかワシを馬鹿にしたとかで、ほとほと愛想が尽きました」お茶を飲み間をとってから「その上、ご隠居様と弟君を城より追放して好き勝手始める始末、我慢しきれない者は浅井殿にも何人も寝返っております」そして不満が爆破するかの様に、ああで、そうで、こうであれはダメだと独演会を始めてしまい丹羽殿が止めるまで悪口を言いまくるのだ。ぜぇぜぇぜぇ
「お見苦しい姿をお見せしてしまい失礼した。」
「もう一つ、なぜ織田家なのだ!」
「はい、それは旧領地の民の顔が穏やかだからです。
私では出来なかった。・・・・・・」
少し悔しそうな表情の関殿。
「うむ・・・では今後織田家に忠節を尽くす様に。
それと、伊勢衆のまとめ役として重臣に加えると共に村井の下で仕事を手伝え、良いな!」
「はっ、有り難き幸せ」
此れにて一件落着!+人材確保、殿ナイスです。はい。
(伊勢のスペシャリストゲットだぜ!)
因みに、初仕事は役人と工作兵の面接で「もう無理〜」と疲れはて大の字で寝転がるのであった。
これで役人総勢300人、工作兵総勢500人これで仕事は回るかなぁ~~。
激動の永禄5年も師走を迎えた頃、ある方々が尾張を訪れる。
「近衛様、山科様、尾張までお越しくださりありがとうございます。
しかし、驚きました関白様までお越しくださるとは・・・・・・」
「ほほほ、山科殿が尾張に行くと聞いてな、今噂の尾張守殿にお会いしたいと思ってな」
「ホホホホ」と扇子で口元を隠して笑う二人に、無表情だが立て板に水が流れる様に言葉を紡ぎ出す殿のスペックの高さを垣間見た。
そして僕は・・・清洲城の台所に立っていた。汗をダラダラと流しながら。
本職を差し置いて、関白様と山科様の料理の担当を殿に命じらた織田屋の料理を出せと!
「そ そ そ それは何だー!」
フライパンを持ち、野菜炒め三種類を作っている僕に驚きの声が飛ぶが・・・スルーする。
それどころではないからだ。
「塩、醤油、味噌野菜炒め、あがったよう!」
そして、なんちゃって餃子を作る。
「そ そ そ それは何だー!」
再び驚きの声が・・・しかしスルーする。
餃子の焼き音が聞こえなくなるからだ。
「餃子、あがったよう!」
次は焼き鳥にフライドポテトと移る。
此れには驚きの声は無い。尾張の定番メニューだからだ。
最後のデザートはあんこ餅とお茶のセットだ。
「終わったー!」
全力を出し切って“ほっ”としたかったが質問責めに・・・だが「おかわり」の声に救われた小一郎はその後の追求を逃れる事に成功したのだ。
そして、非常に気に入ってくれたのは良いのだが、お忍びで大衆食堂に来るのはやめて欲しかったと従業員から報告が上がって来たので、臨時ボーナスを出して労をねぎらうのであった。
「織田殿世話になった」
「関白様、また鷹狩りをしよう」
大の大人がしっかりと抱擁をして別れを惜しむ二人!
関白様と殿がマブダチに・・・この関係フル活用させてもらいますよ殿と悪巧みをする男がここに居た。
そして、帝への献上品を持って京に帰って行くのを家臣一同で見送るのであった・・・・・・
つづく。




