読み切り ーオクニモノカタリー
昔ある凄惨な事件があった小さな郷。
失われゆく日本を見つめる異人。
そこに現れた謎の杖を持つ男。
二人の男の会話は巡り、いつしかあの事件の核心に迫って行く。
異色の伝奇ロマン読み切り、誕生!
2004年10月23日金曜日午後三時。谷あいの町は、秋の日差しを浴びていた。少し坂を上がったところに一つの小さな集落があった。その中の一件の民家の前に、一人の男が立っていた。暗い色のスーツに帽子、背は高く痩せていて、大振りの重そうな杖をついていた。年は50才程だろうか。
「ああ、ついに来た。・・・18年振りに。」
男はそうつぶやいた。そして玄関の横の作業場らしきところを確認すると、黒縁眼鏡の目を涙ぐませた。
男はしばらくそのままたたずんでいたが、突然「あっ」と声を出し、左手の杖を見た。手がかなり激しく振えているようだった。杖がほのかに光を発しているようにも見えた。
その時、家の作業場から男が出てきた。半袖の作務衣に頭に手ぬぐい、足は長靴である。田舎には珍しい西欧人で、年は40才くらいに見える。背は杖の男よりも頭半分ほど高かった。
「いらっしゃい。」
「こんにちは。いやすいません。足が悪いものでね。いやいやもう大丈夫です。ほらもう振えも収まった。ああいや、ここが工房でしたか。案外小さな・・・、いやすいません。私は吉田六郎といいます。あなたは有名な紙漉き職人のダエンハルトさんですね。ここで有名な雪山和紙が作られているんですか。」
「はい。有名じゃないけど、ぼくパオロ・ダエンハルトです。ここは雪山和紙工房。ぼくの工房。」
「いやいや、突然お邪魔します。でもお仕事中でしょう。どうか作業を続けてください。私はふらっと立ち寄っただけなのです。いやいや、ああ、すいません。」
吉田と名乗った男はパオロに招かれ、わびながら作業場から奥の座敷に入った。二人はお茶を飲みながら少し世間話をした。パオロはしばらくして紙の原料を叩く作業に戻った。吉田は、その作業と作業所を丁寧に見ていた。
秋の短い日が暮れて暗くなった。吉田とパオロは座敷で話し込んでいた。
「ぼくは那須に行った。10年くらい前。楮(筆者注。手漉き和紙の原料のひとつ、クワ科の樹木)畑も見た。」
「ではその時私も近くにいたかもしれませんね。ただ、那須楮といっても私のいたところは県境を越えた茨城県のダイゴというところなんです。そこの方が楮畑は圧倒的に多いんです。那須には紙問屋があって、そこに楮を集めていたんですよ。」
「ぼくはダイゴには行ってない。ダイゴには20年くらいいた?」
「18年ですね。」
「その前は、この小国郷にいた?」
「そうです。だから、昭和61年までですね。1986年です。」
「1986年はここで大きい事故あった年。ハイスクールの事故。」
「ありました。大勢亡くなって。」
「ぼくが小国郷に来たのが1989年だから、よく知らない。聞いただけ。ぼくは15年います。始めは小国郷和紙組合にいました。」
「ああ、小国郷和紙ね。幸四郎、元気にしていますか?彼とは同級生なんです。」
「幸四郎さん。元気です。カンパニーも昔と変わらない。」
「そう、相変わらず、か。」
「あのカンパニーは小国紙の製法を受け継いでいる。一番良い紙の製法。ぼくもそれを教えてもらった。幸四郎さんは先生。」
「先生の幸四郎より、良い紙を作っていますね。」
「カンパニーは大きい。たくさん紙を作るのが仕事。ぼくは自分の好きな紙を作るのが仕事。」
「その通り、向こうはこの郷の産業の一つになっている。田舎の紙作りを残しつつ、雇用を生んでいる。大したものだ。」
「ぼくは日本の紙は日本を作ったと思う。日本の昔の道具は、紙で作った。油とか漆で強くして、道具にした。ぼくはそういう昔の日本の紙が好き。」
「だからこんな田舎にきたんですね。まあ、紙作りは大抵田舎にありますが。」
「今は機械で作る紙も和紙という。手漉き和紙でもクレゾール(筆者註、保存剤のこと。)を使う。乾かすのも鉄板で温めて乾かす。これは昔の紙ではない。今、日本の大きな紙作りは、みんなそう。そうじゃないのは、小さなところ。この郷の紙は昔の紙。」
「一部は、そうでしょうね。全部じゃないですが。まあ少なくともここのように湧水が豊富じゃなきゃいけない。」
「・・・あなた、よく知っている。この郷の紙のこと、知っている。」
「・・・まあ聞きかじりです。」
「私の想像、多分、あなたは紙を作ってた?」
「・・・あ、いや、ばれましたか。実はそうなんです。昔、紙漉きを少しやっていたもので。ええ、小国郷和紙組合でも。自分でも少しね。この郷に山の田っていう集落があって、そこでも教えてもらいました。一番始めがそこでした。1980年ですから、24年前ですね。大分昔話です。」
「この工房、私が来る前、和紙工房だった。・・・あなた、多分、ここで?」
「・・・ええ、はいそうです。ここで紙を作っていましたね。」
「おお、すばらしい!ぼくはあなたの道具を使っている。ありがとう。とても便利。」
「ああ、いえいえ、道具が腐らずにありがたいことです。これからもずっと使ってあげてください。」
「楮畑も使っている。まだ木は元気。もう30才くらいの木。」
「そうですか、楮もだいぶ年を取りましたねえ。実はあれを植えたときに・・・。」
話は夜遅くまで続き、二人は意気投合したようだった。そして吉田が相野原村の宿に帰る時は、パオロが車で送ってやった。
翌朝、吉田の宿にパオロがやってきた。寝間着姿の寝ぼけ眼で寝坊をわびる吉田に、パオロは言った。
「昨日の約束。私とイレイいきましょう。さあ。」
それから15分経って、パオロの軽トラックは宿を出発した。彼の運転は非常に丁寧だった。
「まず上小国高校。次は苔野島のお墓。最後は大貝の橋。」
「よろしくお願いします。でもお仕事を休ませてしまって、すいません。」
「大丈夫。この季節、楮の収穫までは紙作りは暇。でしょ?」
車は走って約5分で、上小国高校に到着した。二人は来賓用のエリアに車を停め、歩き出した。教室では授業が始まっているようだった。小さな校庭の片隅に、小さな石の慰霊碑が建っていた。二人はその前に立ち、合掌した。しばらくしてパオロが顔を上げた。
「このハイスクールの生徒は10人くらい亡くなった。」
「12人です。そしてさらに、渋海川下流の柏崎農高分校で15人、下小国高校で8人が犠牲になりました。」
「バスの事故。」
「ええ、大変な事故でした。」
「この郷の人、ぼくが来たときこの話をたくさんした。ぼくはたくさん聞いた。今でもみんな、この話をする。」
「ここでは、戦争を抜かすとかなりの大事件ですからね。これからも語られ続けるでしょう。」
「吉田さんも忘れずに、イレイに来ている。」
「おかしいとお思いでしょう。18年も一度も戻らずにおいて。何をしていたんだと。」
「おかしいとは思わない。」
「・・・いえ、いいんです。実は私、亡くなった彼らを知っていたんです。それでショックでね、なにかこう信じられない思いがあったもので・・・。」
「この事件を信じたくないのはみんな一緒だと思う。家族とか。ぼくは高校生の家族とも話したことある。」
「・・・ありがとうございます。昨日は亡くなった彼らの墓参りをしましてね。ご遺族の方にも会いました。やっと18年ぶりに事件の痕跡を目の当たりにして、あの事件は実際にあったんだなと、思えてきました。」
「あなたもつらい思いした。」
「いえ、彼らに比べたら私のことなんて・・・。」
「吉田さん、休みましょう。朝ご飯も食べてない。」
「そうでした。ちょっと休みます。ちょうどそこの木陰で宿で包んでもらった朝飯をいただきましょう。あなたは、ああ魔法瓶のお茶をお持ちですね。」
「マホウビン?ジャーはマホウビンっていう?」
二人はしばらく校庭の片隅で休憩をした。
「私がこの郷にいた頃、1980年代もいろいろありました。2000年代の今と同じくらい目まぐるしかった。でも当時は米ソの冷戦時代でした。そこが一番違うところですね。」
「はい。ぼくが日本に来た頃。日本中いろいろ行って紙作りを勉強した頃。アメリカとソビエト、戦っていた。」
「この郷も田舎とはいえ、やはり核戦争の恐怖は感じていました。最終的に人類は滅んでしまうのではないかと、心配したものでした。今とは別の心配ですね。」
「今は911(筆者注。2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロのこと。)あった。アメリカはテロリストと戦う。小さな戦争をたくさんする。原子爆弾は心配ない。」
「そうですね。今はイスラム過激派との戦いです。アフガニスタン戦争やイラク戦争とかはそうですね。人類を滅ぼす核戦争の心配は少なくなった。しかし別の心配が出てきた。」
「別の心配?」
「不必要な戦争に巻き込まれるかもしれない心配です。」
「テロリストとの戦争は、いらない?」
「いらないとは断言できませんが。これはアメリカが作った戦争でしょう。CIAでもいいですが。少なくとも、彼らは戦争をするきっかけを自ら作り出した可能性がある。例えば、911テロの多くの疑問です。中でも世界貿易センタービルの崩壊です。爆発といってもいい。あの1号棟と2号棟と、あと7号棟ですね。火災で崩壊した鉄筋コンクリートのビルは、歴史上あの3棟しかない。さらに7号棟に限って言えば、飛行機が衝突さえしていない。ただのよくあるビル火災にすぎなかったのに、崩壊した。」
「誰かが爆弾使った?信じている?」
「ええそうですよね、疑われますよね、正気かと。これはいわゆる陰謀論なのかもしれません。しかし、陰謀論とは証拠の無い妄想のことです。私のいうことは、証拠があります。」
「・・・。」
「まず、アメリカの軍産複合体は兵器の在庫処分のために、定期的な戦争を必要としている。そしてアメリカが戦争を始める時、必ず敵国からの攻撃を食らい、それが戦争の引き金になる。例えば、メキシコからテキサスを割譲させるきっかけになったアラモ砦の戦い、日米戦争のきっかけの真珠湾攻撃、ベトナム戦争のきっかけになったトンキン湾事件など、多くの歴史的事実がある。トンキン湾事件に至ってはアメリカ側の自作自演だと、当のアメリカさえ認めている。」
「吉田さん、それは難しい話、いろいろな意見がある。」
「そうですね。すいません。面倒なことを話しました。まあ、この話は気にしないでください。大体どなたもついてこない話なんでね。ええと、何の話でしたか?・・・」
二人はしばらくして車に戻り、次の目的地へと発進した。秋の朝日が明るい。ほんの5分くらいで、その場所に到着した。苔野島村の大塔塚跡である。ここは南北朝時代、大塔宮護良親王の墓所として伝わっているところであるが、細長い石碑が立っている以外に、畑がある山際にその痕跡は見当たらない。一説によると、江戸時代に地滑りで埋まってしまったらしいが、真相は不明である。
「吉田さん、ここは偉い人のお墓。偉い人をイレイする?」
「いえ、そうじゃないんです。ここは、別の理由があってきました。」
吉田はそういうと山際まで杖を突きつつ歩いた。パオロもすぐ後ろからついて行った。
吉田は立ち止まると、ススキの繁るやぶに向かってその杖をかざした。吉田の杖は、持ち手の部分は普通の丁字だが、棒の部分が杖にしては平たく板のようになっていた。1分ほどそのままの姿勢でいたが、特に何も起こらず、杖を下げて元来た方向に歩き出した。パオロも少し距離を置いてついて来た。
「吉田さん、今何かした?」
「ああ、いえちょっとね、何か反応があるかなと思ってね。結局何もなかったんですけど。」
「・・・イレイはしない?」
「ああはい、慰霊ではありません。ただ確認をしたかったんです。」
「・・・あなた不思議なことする。ぼくわからない。」
「気味が悪いですか、今確かに私は異様なことをしましたよ。でもあなたを怖がらせるつもりはなかった。これはどちらかというと、信頼の証なのです。あなたは素直で真面目な方だ。なにより貴重な同業者だ。そうですね、やはりお話しましょう。私の本当の目的を。私がなぜこの郷に戻ってきたのかを。」
そういうと吉田はパオロの車を通り過ぎ、苔野島村ののどかな道を歩き始めた。
「この大塔塚には、あるとんでもない宝物が隠されていたんです。日本中がひっくり返るような宝です。我々は、それを手に入れた。」
「それは本当?我々は誰?」
「信じられないですか。あなたは私が正気じゃないと疑っている。・・・まあ、いいでしょう。でも、狂人の話が案外面白いかもしれませんよ。聞いて損はありません。その宝を手にしたのは、1985年のちょうど今頃の季節で・・・。」
1985年10月上旬午後3時頃、苔野島村大塔塚周辺。小国紙同好会所属の高校生20名が山際を掘り始めて2時間近く経過していた。当時28才の吉田は会の外部顧問で、この課外活動を引率していた。村の老人から聞きだした山際には、大きな穴が空いていて、ジャージ姿の男子15名が中で土をかき出していた。同じくジャージ姿の女子5名が穴の中を覗いている。女子の中でひときわ目立っているのが雪村ゆき、高校二年生、小国紙同好会の会長である。目立っているのは、彼女のかわいさや堂々とした姿勢からくるものではなく、彼女の放つ力のようなもののせいだった。
その時、穴の中の小国沢明がスコップを投げ出して雪村会長に言った。
「雪村!何も出てこない。あの爺さんに担がれたんだ。」
「明くん、まだ掘りが足りないのよ。もう少し頑張って。せっかくタマを授かっているのに、こういう時に使わなきゃ。」
「タマを持っているとはいえ、さすがに疲れた。汚れちまうし。俺はキレイ好きなんだよ!」
「もうちょっとしたら休憩にしましょう。それにあの老人の言うことは信用できるわ。掘る位置はいいってミヤさんも言っているし、間違いなくもう少しで見つかるはずよ。」
「はあ、またミヤさんかよ。あんな薄い透け透けの神のいうことなんか信じちまって。俺はいまいち奴が信用できん。・・・それに第一タマなら雪村が一番でかいのを持ってるじゃねえか。お前が率先して穴を掘れよ。」
「文句を言わないで、これは鉄と血の使命を帯びた小国紙同好会の活動なのよ。私は会長で、あなたは記録係兼雑用係。いくらあなたでも、会律を甘く見ていると命がいくつあっても足りないわよ。」
「チッ、わかってるよ。ただタマツカイとはいえ、さすがにタマを使い過ぎだ。疲れた!休ませろ!」
「そう、そんなに言うなら一旦休憩にしましょう。まあ大体2時間くらい経ったし。」
穴の中から「アー」という悲鳴にも似た男子達のため息が上がった。穴から出てきた男子たちの様子を見ると、明以上に汚れ疲れているようだった。ゆき達女子は、地面にそのまま転がった汗だくの男子達に麦茶入りの大きなやかんを手渡した。男子達はそれらを順番にラッパ飲みした。
人一倍体の大きな男子がやかんから麦茶を飲んでいる。訓練係長兼雑用係の上岩田仲良である。
「うー生き返った!」
「お疲れ様、仲良くん。どんな感じかな?」
「ああ会長、訓練係の長としては良い訓練といえる。雑用係の一員としては辛いところだが、わははは。」
「何か出そう?」
「そうだな、ここら一帯はよく縄文土器が出るが、ここからはまだ出ていない。」
「うん。」
「それだけだ。まあこれから超古代文明のオーパーツでも出てくるかもな。」
「そう。ミヤさんも自分が埋めた宝があるっていうだけでそれが何かは教えてくれないのよね。いつもの調子で。ただ、私たち紙同会(筆者註。小国紙同好会の略称。)の活動には役に立つって。」
「値打ちがあればまあ役には立つな。しかし、スコップ片手の高校生の調査でここまで露天掘りするとは、だれも思わないだろうな。」
「そうね、タマ以外の道具を極力使わないのが私たちのやり方だから。」
「目立たずに活動が出来て都合も良いしな。」
20分程経ち、男子達はまた穴に入っていった。女子の一人、諏訪井泉がその背中に声をかけた。
「さあ頑張って。男子のみんな。」
紙同会で一番かわいいと評判の泉に励まされ、男子達は気合を入れたようだった。
15分後、野球係兼雑用係の原朝雄が声を上げた。
「みんな来てくれ!穴だ!空洞だ!」
穴の中の男子が集まって見ると、朝雄の足もとが崩れており、空洞が現れていた。朝雄はその奥を懐中電灯で照らしたが、すぐにはその空洞が広いのか狭いのかわからなかった。
その後、空が暗くなるまでの1時間でその空洞の概要はわかった。それは地下3メートルの位置にある大きな石を積んで出来た石室で、大体、縦2メートル横1メートル高さ1.5メートルの空間があった。明らかに大昔の墳墓の様式と思われた。そしてその中にひとつの長細い石の箱があった。だがそれは棺ではなかった。棺にしてはあまりにも小さすぎた。その箱の大きさは縦1メートル横30センチ高さ30センチほどだった。そのほかに、その石室には何もなかった。
「雪村、これは盗掘か?だったらまずいな。ピラミッドを掘った奴らは呪い殺されたらしいぜ。この箱の宝も呪われているかも。」
「明くん、あれは迷信よ。事実と異なる作り話。それにこれは盗掘ではない。ミヤさんが埋めたものを掘り返すのを手伝っているだけ。」
「それはわかっているが・・・。なんか不気味な雰囲気だ。周りも暗くなってきた。」
男子達はその石の箱を地上に上げた。みんなが見守る中、ゆきはその石の箱を開けた。その箱の蓋はスライド式で、アリミゾを彫ってある大変精巧なものだった。その中には、赤い砂が詰まっていた。
「がっかりだな。錆びた土しか入ってない。」
「いや待て、ひょっとしてこれはベンガラかもしれない。金目のものをしまうときに一緒にいれるんだ。」
ゆきはみんなを見てから、思い切って赤い砂に手を入れた。手首まで埋まった手が何かを掴んだようだった。ゆきはゆっくり手を上げた。その手には青黒い一振りの剣が握られていた。懐中電灯の明りを反射しているからか、その剣は青く発光しているように見えた。
「クサナギノツルギ?」
パオロの発音はたどたどしかった。
「そうです。草薙の剣、神話の頃からこの国に伝わる神剣です。それがここに埋まっていた、高貴な人物の墳墓に偽装されて。」
「ここはお墓じゃなかった?」
「はい。石室はあったが、棺は無かった。村に伝わる伝承も宝を隠蔽する役割を果たしていた。神剣を隠すための装置だったのです。」
「それが本物の神のソードだったらすごい宝物。でも、なぜその剣とわかる?調べた?学者に聞いた?」
「それがわかったのは、その剣の持ち主に直接聞いたからです。」
「それは誰?」
「それは、以仁王です。」
「・・・それは誰?」
「以仁王とは今から800年ほど前、治承寿永の乱、一般に源平合戦という大乱のきっかけを作った人物です。」
「大昔に死んだ人?」
「そうです。この国では死んだ人とも話が出来ます。そういう技術が残っているから。」
「それは宗教の話。作り話。」
「まあ今は信じなくても結構です。話を聞いてください。死んだ人物、以仁王と話すには技術がいるのです。我々はそれをタマと言っています。一般的には、心霊術とか降霊術とか、まあその類のオカルトと認識されていますが。」
「信じません。あなたの昔話にも出てきたタマとは、サイキックパワーのこと?」
「そうとってもらって結構です、厳密には違いますが。我々の言うタマとは、超常の力であり、人の心であり、死者であり、神々であり、物理法則を超えた法則でもあります。いや、まだ認められていない物理法則といったほうがいいか。」
「ぼくはサイキックパワーは無いと思う。」
「あなたの意見は尊重しましょう。どうしましょう、話を続けますか?」
「・・・サイキックパワーは無いと思うけど、話は聞く。」
「いいでしょう。では・・・。」
1985年10月上旬、剣を掘り出した翌日。その日は日曜日だったが、上小国高校旧校舎小国紙同好会室には会員全員が集合していた。狭い会室に20名が輪になっている。その中心に例の剣があった。
「これが草薙の剣か、明るいところで見るとやっぱ雰囲気あるな。」
「鉄剣、にしては錆がないな。」
「青銅だったら緑色になるらしいが。」
みんなが雑談している中、記録係長の島屋敷博行が話し出した。
「雪村会長の守護タマであるミヤさんの言うところによると、これは草薙の剣、かつて天の叢雲の剣とも言われた神剣で、三種の神器のひとつです。草薙の剣について記録係が図書館で調べたところを掻い摘んで言うと、
一、草薙の剣は神話の時代にスサノオがヤマタノオロチを倒した時にその尾から出てきた剣。
二、その剣はスサノヲからアマテラスに奉納された。
三、天孫降臨の際にニニギに手渡され、それ以降皇居内にアマテラスの神体とされる八咫鏡とともに祀られた。
四、崇神天皇の時代に皇女豊鍬入姫により八咫鏡とともに皇居の外に祀るようになった。
五、垂仁天皇の皇女、倭姫に引き継がれ、現在の伊勢神宮の内宮に安置された。
六、倭姫から東国の制圧へ向かうヤマトタケルに渡された。ヤマトタケルは尾張国で結婚した宮簀姫の元に剣を預けたまま伊吹山の悪神を討伐しに行くが、途中で亡くなった。宮簀姫は尾張国に熱田神宮を建て、そこに剣を祀った。
七、668年、新羅人が熱田神宮から剣を盗み出し逃走。犯人は捕まり、剣は皇居で保管することになった。
八、宮中で保管後すぐに天武天皇が崩御し、草薙の剣の祟りによって崩御したとされ、熱田神宮に返還された。
ということです。」
「・・・ちょっと待った。草薙の剣は熱田神宮というところにあるってこと?じゃあこの剣は?」
「熱田神宮ってどこにある?」
「たしか、愛知県の名古屋市だったかな。」
「その通り、愛知県です。すいませんが今の話は定説部分で、異説があるんです。
異説その一、崇神天皇の時代に草薙剣の形代が造られ、形代は天皇の側に残り、本来の神剣は伊勢神宮に移された。形代の草薙剣は、源平合戦の壇ノ浦の戦いにおける安徳天皇入水により関門海峡に沈み、失われた。その後、朝廷は伊勢神宮より献上された剣を草薙の剣とした。現在、その神剣は皇居に祭られている。」
「その説では剣は二つあるのか。本物が皇居にあって、形代が壇ノ浦に沈んだと。」
「いえ、紛らわしくてすいませんが違うと思います。本物というか本来のというか、まあ元々の草薙の剣はやはり熱田神宮にあって、形代が宮中にあったと、でその形代が壇ノ浦に沈んで、新たに伊勢神宮にあった剣を草薙の剣にして皇居においている、という説です。」
「今皇居にあるのは壇ノ浦の形代よりも新しい形代ってこと?で、熱田神宮に本物がある。」
「一応そういう説もあるということです。さらに異説もあります。」
その時明が博行を遮って言った。
「まあうんちくはいいよ。いろいろ古いものにはいわれがあるよな。で、実際こいつは何なのよ。目の前のこの古い剣は?三個目の草薙の剣なのか?」
「あなたも記録係なんですが・・・。まあいいか、この剣がなんなのか、別のおもしろい説がありました。
異説その二、天武天皇が672年の壬申の乱で政権を取ったとき、伊勢と熱田の軍勢が多大な戦果を上げた。その後、伊勢には伊勢神宮が、熱田には熱田神宮ができた。日本神話の中心である古事記、日本書紀もこの頃に編纂されている。日本神話の最高神はアマテラス大神、伊勢神宮の祭神です。そして日本神話最高の英雄といえばヤマトタケル。彼が使った武器が草薙の剣で、熱田神宮の祭神です。」
「その話とこの剣はどういう関わりが?」
「この剣との関わりはですね、熱田神宮は天武天皇からのご褒美でヤマトタケル伝説を作ってもらった。それが古事記と日本書紀。この時熱田に草薙の剣がもうひとつ作られたか設定され、皇居にあった本来の草薙の剣は形代とされた。だから、熱田の草薙の剣とされるものは神代からの草薙の剣とは別物である、ということなんです。」
「うーん。それだとヤマタノオロチから出てきた草薙の剣ってホントは無かったんじゃってならない?そもそも作られた伝説なんでしょう?」
「オロチ退治はスサノオです。そもそも草薙という名前は蛇神を表すともいわれています。ナギは古い言葉でナガイ、つまり長い物、蛇です。沖縄では今も使われている。また、古インド文化圏の蛇神「ナーガ」にも通ずる。そしてクサは腐りただれたの意味。ヤマタノオロチの腹は擦れて血でただれていた。つまりクサ・ナギとは腐りただれた蛇、ヤマタノオロチを表すと。」
「じゃあクサナギという名前の剣が元々あって、後から剣で草を薙いで勝利するヤマトタケル伝説が作られた、ということね。」
「はい、ですから熱田の剣が本来の草薙の剣かどうかに疑問符が付きます。また、この異説その二を補強するエピソードもあります。
壇ノ浦に草薙の剣が沈んだ時、源頼朝は日本全国から腕利きの海女を呼び寄せ、大捜索をさせています。結局見つからず、平氏との戦に勝ったにもかかわらず将軍の源義経はそれを総大将の頼朝に激しく叱責されています。後の頼朝と義経の確執はこの草薙の剣喪失が原因という見方もあるほどです。」
「ああそうか、熱田神宮に本物があるなら、壇ノ浦で無くなった形代を必死に探すかな?」
「まさにそこが大きなポイントなのです。形代を無くしても本物があればそんなに困らないはずです。逆に、無くなった剣が本物だった場合を想定するとどうでしょうか。三種の神器の一つが無くなるということは、あまりに大きな喪失です。でも誰かが熱田の神剣を見つけてきた。本来の草薙の剣は無くなってなかったと。記紀にヤマトタケル伝説として本物は熱田にあるとも書いてある、と。当時の人々はこの話を受け入れやすかったんじゃないでしょうか。だから信じた。」
「なるほどねえ。」
「でも客観的に考えれば、多分壇ノ浦に沈んだ剣が、本物だと思います。私はこの異説その二が合っていると思います。」
「その説だと本物は壇ノ浦で無くなって、熱田にある剣は別物、皇居にある剣はさらに新しい形代ってこと?」
「そうなりますね。もう無くなってしまったと思います、本物の草薙の剣は。」
「じゃあ、目の前のこの剣は、何だろう?」
みんなが黙ってしまったので、会長のゆきが話し始めた
「ええと、記録係長の博行くんのおかげでみんな草薙の剣についての概要はわかったと思います。では、これからミヤさんが教えてくれたことを通訳して言います。ミヤさんの言葉がまだ聞こえない会員もいるので・・・。
この剣は確かに天皇家に伝わる三種の神器の一つ、草薙の剣です。そして、私こと後白河院第三皇子高倉の宮以仁王は、本来正統な皇位継承者・最勝天皇、つまり三種の神器の正当な持ち主です。ですから治承4年、西暦1180年4月に私自ら竜巻を操って甥宮の言仁(筆者註。安徳天皇のこと。)の皇居を襲い、この神剣を手に入れました。たまたま石箱が重かったので、中身の神剣だけ取ってもばれなかったようです。鏡と勾玉は時間が無くて持って来れませんでした。
その二週間後、拙速にも私は挙兵し、敗れ、平家に殺されました。しかし、強力なタマツカイだった私のタマは強力な怨霊となりました。そのタマの残りかすが今の私です。その頃の私は怨みで我を忘れ、養和の飢饉を起こし、熱病を流行らせ、多くのものが死にました。その影響で平家は兵の動員が出来なくなり、源氏に敗れ壇ノ浦に滅んだのです。この話は長くなるので、また別の機会に話したいと思いますが、概略が知りたい方は平家物語の諸本がある程度参考になると思います。
先ほどの話の通り、平家が壇ノ浦に沈んだ時、草薙の剣はそこにはなくただ石の箱があるだけでした。だから源頼朝がいくら捜索しても見つからなかったのです。そして本物の草薙の剣は、私の遺命により、渡辺党が船で難波から越後の源頼行の所領である小国保に運ばせ、そこに隠しました。小国保とは今の小国郷のことです。昨日みなさんにその剣を掘り出してもらいました。だから今目の前にある剣は、800年前に私が甥宮の言仁から取り戻した本物の草薙の剣なのです。」
会員一同はゆきから聞くミヤさんの話に感銘を受け、あるいはついてこれず、静まり返っていた。
「タマツカイとは因果なものです。自らが強力であればあるほど、周囲に強力な敵対的タマツカイを生んでしまいます。この因果により、私は平家に敗れました。最強のタマツカイであり、最強の草薙の剣を持ちながら、私は天下を治めることが出来なかったのです。
先ほどの話のように、すぐに私のタマは怨霊となり、宿敵平家に復讐し、これを滅ぼしました。復讐は甘美と人はいいますが、私の経験上それは成し遂げても空しく無意味なことでした。貴重なタマと情熱をかけるに値しないものでした。その後私は燃え尽きたように、ただ虚しく現世に漂うタマになりました。私はこの国が滅びゆくことにすら無関心な燃えカスでした。
さて、800と4年経ち、この地で雪村会長に出会いました。タマとして燃え尽きる寸前だった私は、かつての活気を会長に見ました。全盛期の私に匹敵するタマを、会長は持っていました。この人に憑りつき、この人を良く導くために動こうと思いました。私が犯した失敗を繰り返させないためです。会長は私の生きがいになったのです。しかし困った問題がありました。私にはもはやほとんどタマが残っていなかったのです。これでは若く大いなるタマの手助けができません。しかしそのときふと思い出しました、800年前、私が使いこなせずに埋めて隠した神剣がこの郷にあると。そこで私は会長に提案したのです。あなたの周囲に生まれるタマツカイを結集し、仲間に引き入れ、鍛え上げ、そののち神剣を掘り出そうと。タマを結集してその神剣を使いこなせば、この地獄に落ち行く現世を変革できると。この目論見は今のところ順調です。今日、会長のもとにあなたがた当代最強のタマツカイ達と最強の剣が揃いました。ですから今日は祝福すべき記念の日です。小国紙同好会のみなさん、是非目標に向かってがんばってください。そしてこれからも会長を支え、世の変革にまい進してください。それでは今後ともよろしくお願いします。
雪村会長の守護タマ ミヤさんこと最勝天皇より。」
ゆきが話し終わってもしばらく誰も何も言いださなかった。
「っていうことです。だからこの剣は、本物の草薙の剣ってことで、よろしくお願いします。」
その時明がぼそっと言った。
「・・・800年前の皇族の口調にしては貫禄がない気がするが、まあいいか。俺の守護タマ蓮胤さんも賛同しているようだしな。」
「明の言う通り俺の守護タマ様も乗り気だぜ。」
「じゃあ早速具体的に計画を立てようぜ。せっかく強力な武器が手に入ったんだ。」
「おう、そうだな。」
「あそうそう、ミヤさんが言うには、この日本にはまだ埋もれた強力な武器や防具がいくつかあるらしいのよ。それを手に入れる計画も考えたいわね。」
それから、紙同会の今後の活動について話し合いが始まった。顧問の吉田は会室の片隅で、盛り上がる会員達をほほえましく見つめていた。
吉田とパオロは苔野島村の神社の石段に腰掛けていた。
「今の話、なぜぼくにする?信じると思う?」
「いや、なぜでしょうね。あなたになら話しても良いと、ただ思ったのです。あなたは信じなくても、馬鹿にしたりはしないと思ったのかもしれません。」
「はい。馬鹿にしない。ただ、ファンタジーと思う。」
「それで十分ですよ。やはりあなたは私が見込んだ人だ。」
「でもどこが作り話?」
「作ってませんよ。私は本当に当時小国紙同好会という高校生のサークル活動の顧問をしていました。」
「・・・そのサークルが神のソードを掘り当てたとして、それは今どこにある?ミヤサンとは何?守護タマとは何?」
「剣は私がちゃんと保管しています。ミヤさんというのは、以仁王のあだ名です。以仁王はさっきも言いましたが、800年前に平家に討たれた皇族、天皇家の一族です。最勝天皇とも名乗っています。彼は会長の雪村ゆきに憑りついた守護タマです。守護タマとは、その人物を守る神様、守護霊のようなものです。」
「まだよくわからない。タマは、サイキックパワーで、スピリッツ(霊魂)でもある?」
「まあそんな感じです。紙同会ではタマを操れるタマツカイを集めていました。不思議と雪村会長の周囲にはそういう人がたくさんいました。最後には総勢で30人以上にもなりました。これはちょっとすごいことだったようです。ミヤさんがいうには、通常は全世界で10年に1人か2人タマツカイが現れればいい方らしいです。それがこの小国郷で同時に30人以上ですから。野球でいえば長嶋とかイチローレベルの選手がこの郷の草野球に30人集まったようなものですよ。いや次元が違うかな。」
「日本の野球はわからない。・・・あなたは昔はコモン?サークルのコーチのこと?」
「まあそうですね。当時はコーチみたいなものでした。」
「あなたはタマツカイ?」
「いえ、残念ながら私はタマを持っていませんでした。いつも彼らのタマを驚きの目で見ていました。」
「そのサークルは、今もある?」
「いえ、今はありません。」
「メンバーは今どこ?」
「そうですね、今はわかりません。私から連絡を絶ってしまったので。」
「吉田さん、コーチを辞めて、ダイゴに行った?」
「そうです。辞めざるを得ぬ事情がありまして。」
「なにがあった?」
吉田は黙った。パオロは何かを察し、吉田の顔を見つめた。吉田はしばらくしてまた話し始めた。
「彼ら紙同会の活躍は、目を見張るものがありました。まさに超人的活躍でした。私は彼らをスーパーヒーローだったと思っています。誰も知らないことですが、実際この郷は一度彼らに救われているんです。一歩間違えば大参事になるところでしたから。あの力は、確かに世界を救う力でした。」
「この郷を救った?なにから?」
「大地震からです。あれは1986年の2月のことです。その年は3年連続の豪雪で、普通だったら雪の重さで多くの家屋が潰れていたでしょう。」
「地震を止めた?」
「いえ、地震発生そのものは防げませんでした。彼らのタマと草薙の剣の働きで、建物の倒壊を防いだのです。」
「どういうこと?ちょっとよく分からない。」
「あれは大した活劇でしたよ、スペクタクルでしたね。ただ代償も大きかった。雪村会長をその時失っていますから。・・・詳しく話しましょうか。あ、いや、陽も大分高くなってきましたね。ひとまず次の場所に向かいましょう。時間もあまりありませんので。」
そういうと吉田はすっと立って、大塔塚近くの道端に駐車しているパオロの車に向かった。
その足取りは軽やかだった。パオロはいぶかしげな顔つきをして、吉田のあとについて行った。
車は大貝村にほど近いトンネルの入り口付近に止まった。車を降りた吉田は秋の山の景色を楽しみつつ歩いた。パオロはその後ろについている。
「ミヤさんというスピリッツ(精霊)、なぜこの郷にいた?」
「おや、少し信じはじめましたか?いやいや冗談ですよ、すいません。・・・お察しのように、タマという存在は縁も所縁もない所には現れません。でも少しでも関わりがあれば現れる可能性がある。ミヤさんは一般には以仁王という名前で知られていますが、平家に殺された以仁王が実は生きていたという伝説や史跡は日本各地に残っています。そして、この郷からも以仁王伝説を記したとされる古文書が1980年代に発見されています。二つの旧家から相次いで見つかったその古文書には様々な新事実が記されていました。それらをまとめた『以仁王逃亡伝説』という本も1993年に出版されています。」
「この郷はミヤさんと関わりがあった?ここに逃げてきた?」
「当時実際にミヤさんが逃げてきたかどうかはわかりません。なぜか雪村会長にも言葉を濁していたようですから。ただ、タマにとって重要なのは関わりがあるということです。」
「・・・吉田さん、もうひとつ質問。ミヤさんという神様、世界が滅ぶといった?」
「そうですね。世界が滅ぶというより、日本という国が滅びゆくと言っていたようです。タマの言葉はタマツカイしか聞けませんから、私が直接ミヤさんの言葉を聞いたのではありません。ミヤさんはそう言っていると、会長の雪村が言っていたんです。彼女はお告げを伝える巫女のような存在でした。ただ他の会員にもそれぞれ守護タマが憑いていたようでしたから、紙同会そのものが巫祝の集団だったといえるでしょう。」
「サークルのメンバーで日本が滅ぶのを防ごうとした?」
「まあそうです。会員は一丸となってこの国を守ろうとしていました。」
「何から守る?誰が攻撃する?」
「実は、それは当時から問題でした。結論をいうと、はっきりとしませんでした。雪村会長はミヤさんの言葉として、『我々のタマを強大化させれば、それは必ず接触してくる』と言っていました。」
「でもそれとはなにか、わからなかった?」
「そうですね。当時の我々はわかっていませんでした。」
吉田は一呼吸おいて話し出した。
「かつて田中角栄という人物がいました。」
「・・・知ってる。昔の日本のプライミニスター(総理大臣)。この近くで生まれた人。」
「そうです。西山町(現柏崎市)に生まれ、その天才的頭脳と情熱で時の権力の頂点に立った男です。惜しくも1993年に亡くなって早や10年以上経ちます。彼はミヤさんが言うには、タマツカイの可能性があった。そして生き急がなければもう10年は日本の為に働いてくれたと、惜しんでいました。」
「なにか関係ある?」
「あると思っています。角さんを政治的に葬ったのはロッキード事件です。この事件は冤罪の可能性が高かったが、政財官やマスコミの様々な反田中勢力によってとうとう有罪になりました。そして国外にも反田中を助けた勢力がありました。」
「吉田さん、陰謀が得意。」
「まあ、そうですね。これも主流じゃない見方です。ですが証拠もあるし説得力もありますよ。つまり、それはアメリカ、CIAです。アメリカとその飼い慣らされた勢力が、反田中勢力でした。」
「アメリカが同盟国の日本を滅ぼす?」
「そういうことです。ただ、アメリカはそれが目的ではないでしょう。日本を滅ぼすことは、自らが繁栄するための手段に過ぎない。」
「サークルのメンバーはアメリカと戦った?」
「当時彼らはアメリカを敵とは考えていなかった。あの活動はまだターゲットを特定できていなかったのです。だから敵にとっては、いくら強力なタマを操る集団でも強制排除は容易でした。先に攻めれば、強烈な不意打ちになったからです。」
「彼らはアメリカに攻撃された?」
「物的証拠はありません。が、私は確信を持っています。」
「攻撃ってなに?」
「・・・日本は60年前大東亜戦争でアメリカに負け、占領された。GHQという占領政府が7年間この国にのさばった。その占領時に今の日本国憲法は制定され、国そのものが改造された。今もその爪痕はくっきりと残っている。」
「大昔の政治の話。関係ある?」
「1949年の下山事件、三鷹事件、松川事件などの未解決事件は在日米軍の関与が指摘されました。これは確かに昔の話です。しかし、アメリカは占領時に日本国憲法の上位に日米合同委員会を設立し、毎月在日米軍と日本政府高官の会合を持っていて、2004年の今もそれは続いています。憲法の上に在日米軍が君臨する体制です。心ある人は憂うわざるを得ない、独立国として極めておかしな状態なのです。戦後60年間、その異常な状況下でアメリカの様々な意図が超法規的に実行に移されています。ロッキード事件もその一つでしょう。日本は、アメリカに食われつつあるのです。CIAが関与するイラン・コントラ事件が起こる最中、1985年8月群馬県で日航ジャンボ機が墜落しました。技術的な矛盾、当時の中曽根首相と在日米軍や自衛隊の奇妙な行動。さらにはその一月後、中曽根首相のプラザ合意をきっかけに、日本は戦前から独自に準備されていた経済的繁栄を手放し始める。当然アメリカが裏で動いたはずです。」
「今はサークルの話、政治の話は関係ない。」
「その後裏の動きは活発化しました。その動きの中で、紙同会は1986年3月にこの場所で、アメリカ海兵隊特殊部隊の攻撃を受けたのです。」
パオロは驚きの表情をして、しばらく沈黙した。
「当時バス旅行中だった紙同会総勢36名は、飲料水などに睡眠薬を入れられ熟睡中に、突然銃撃を受けた。警察は、バスは谷に転落し炎上、35名は死亡し、1名は行方不明、運転手の居眠り運転が原因と発表した。事故現場は、ちょうどこのあたりでした。」
「バスの事故・・・。」
「そうです。18年前のバスの事故で亡くなったとされる高校生とは、紙同会の会員35名のことだったのです。」
吉田はまっすぐパオロを見た。
「なぜ私があのバスの事故が米特殊部隊の犯行だと思ったのか、もうお分かりでしょう。私は紙同会の顧問、あのバスの運転手でした。あの時谷に落ちて行方不明になったのは私です。」
「あなたが、運転手・・・。」
「私はあそこにあった飲み物や食べ物は一切口にしなかった。満腹になると眠くなるということもありましたが。運転中に、私は突然左足に二発弾丸を食らいました。危うくバスごと谷に落ちそうになりながらも、私はなんとか橋の上に停車しました。客席の会員達は全員熟睡していました。外には何か大勢の人の気配がありました。私は会員達を守ろうと考え、思い切って外に転がり出ました。しかし私はそのまま足を踏み外して谷に落ちました。落ちる時、黒ずくめの特殊部隊と銃撃されるバスを見ました。私は渋海川に落ち、そのまま流れ流され、信濃川まで浮かんでいきました。それから人目を避け野宿を繰り返しながら、越後山脈を越え、茨城県のダイゴにたどり着きました。楮が特産品のダイゴです。その後の経緯は昨日お話しましたね。だから私は彼らがどうなったか、報道で知るしかありませんでした。」
「・・・。」
「そしてなぜこの話をあなたにするのか。これもお分かりですね。パオロ・ダエンハルトさん。あなたはドイツ出身だが、アメリカのヒューミント(スパイ活動)をされていますね。多分、CIA(アメリカ中央情報局)、ですか?」
「・・・。」
「図星でしょう。なぜそれがわかるか・・・。18年前もいましたよ、あなたのような人が。その人もやはり手漉き和紙にかかわっていた。彼女はロザ・プジョールと名乗っていた。スペイン人の美術家でした。当時は大分親しくさせてもらいましたが、我々にはそれは致命的でした。彼女の任務は、おそらく紙同会のタマの強大化によって乱れた磁場や波動の観測と報告だったでしょう。しかしある時任務は観測では済まなくなった。その原因不明の力のようなものを研究するべく、会員達は拉致されることになった。そのために彼女はあの日、会員達に睡眠薬入りの食べ物を与えた。」
「拉致?」
「そうです。報道では、亡くなったとされた高校生たちの遺体は損傷がひどく、身元判定にDNA鑑定が用いられた。つまり、遺体は偽物の可能性があった。本当の彼らは、多分米軍の研究施設で今も生きている・・・私はそう思いたい。」
「それは・・・。」
「まあそうです。希望的観測です。ですが可能性はあります。この旅で、事件の現場に来て、その思いは強くなりました。どうです、当たっていませんか?」
「・・・吉田さん、あなたは少し当てたと思います。しかし、私はただの調査員です。大きな組織の末端にすぎない。私の役目は、18年前のバス事故を調べる人がいたら報告する、というだけです。それ以外のことは、私の使命ではない。私の雇い主の意図、そんなものは知る由もありません。前任者の存在も知らされていませんし、引き継ぎ業務もなされていません。私はただの調査員なのです。しかしあなたの話の通りならば、あの事故に私の組織が関わっていたならば、それは見逃すことはできません。許されざることです。」
「パオロさん、あなた・・・。」
「これからどうされるおつもりですか?なにかお手伝いできることはありますか?私の知る範囲のことはお話しますよ。」
パオロはそう言いながら、おもむろに右手を上げた。その手には小さなピストルが握られていた。次の瞬間、パンッと乾いた音がして吉田はうずくまった。
「うう・・・。」
「普通の人が知らない方が良いこと、近づかない方が良いことはあります。諜報機関とはそういうものです。ご存じだったはずです。吉田さんあなた、なぜ戻ってきたのですか?優秀な紙漉き職人だったあなたを、我々は何年も探しました。我々は特に和紙業界をくまなく調べた。優秀な職人というものはその腕を発揮したくなるものだからです。が、あなたの行方は分からなかった。まさか和紙の原料の楮農家になっていたとは、裏をかかれました。紙漉きと楮農家とは、紙問屋が仲介するのみの希薄な関係です。お互いにほぼ交流はない。足取りがつかめなかったわけです。我々はあなたの捜索を中止していました。だからあなたがこの地に近づかなければ、せっかく拾った命を無駄にすることもなかった。私も人の命を奪うことはなかった。あなたがここで死ぬのは、あなたが悪いのです。」
パンッともうひとつ乾いた音がしたが、同時に高い金属音も響いた。下を向いていた吉田は、大振りな杖をかざしてた。木の杖には弾丸が2発食い込んでいた。次の瞬間、そこから亀裂が走り、木の杖は砕けて落ちた。するとそこに青黒く光る芯が姿を現した。それは杖というより剣に見えた。吉田はそれを見ながら言った。
「この草薙の剣はタマの無い者には使いこなせないという。だから以前の私には使えなかった。18年もの間全く無反応だった。」
パオロはあわてて2発立て続けにピストルを撃った。吉田は剣を軽く振って、その弾丸を後ろに弾いた。吉田はパオロをじっと見据えて言った。
「無駄です。草薙の剣を手にしたタマツカイに普通の人間がかなうわけがない。たとえ戦闘の訓練を受けた人間でも。」
「草薙の剣?タマツカイ?あなたは、サイキッカーだったのですか?そのような能力者はすでにここにはいないはず!」
「いえ、だったのではなく、なったのです。それも昨日ね。」
驚きを隠さないパオロに、吉田はゆっくり話し出した。
「昨日あなたの和紙工房に行った瞬間、私は雪村会長のタマに憑りつかれたのです。彼女は、18年間タマを託せる者を待っていたのです。タマツカイなら、私のそばにいる守護タマの彼女が見えると思いますよ。」
「雪村・・・?そうか、彼女は研究所にはいなかった・・・。」
「雪村会長はあなた方に襲われる1月前の1986年2月に、すでに失踪していました。大地震の被害を防いだときにね。タマを使い過ぎて生身が異界に持って行かれたと、彼女は言っていますが。」
「高次元へと物質を転移できるほどのパワー?そんなことが可能なのか?やはり彼女の能力を調査できなかったのは、痛恨の失敗であったか・・・。」
「・・・あなた、やはりただの諜報員ではないようですね。」
「そうですよ。私の存在自体が在日米軍の高度な機密なのです。でも、もはやどうでもいいでしょう。あなたは今ここで死ぬのですから!」
パオロは恐ろしい形相でピストルを構えた。しかしその弾丸が発射されるより早く、草薙の剣は彼の長身を二つにしていた。
たたずむ吉田の横から、雪村会長がひょっこり姿を現した。18年前と全く同じ姿である。
「この人、死ぬ気だった。こうなると分かっていたはず。」
「雪村会長、いや、ゆき。私もそう思う。この男はどうやらタマの研究者だったようだ。もしかしたらかなり上の人間だったのかもしれない。だから当然タマツカイの危険性は認識していただろう。ピストル一丁でかなうわけがないと。」
「うん、・・・で、どうする?」
「この男のこと?」
「この人は手厚く葬ればいい。そうじゃなくて、これからのこと。」
「これからね。」
話をしなくても、これからするべきことは分かっていた。しかし、二人には会話それ自体が18年の空白を埋めるために必要だった。
南の山のすぐ上の秋の陽が、六郎とゆきを照らしているように見えた