1009年1月14日 ビルト北西の山中 ボニエ川上流地域
鋭く鳴く山鳥の声で起こされた。
夜明け直後。
靄は相変わらず晴れない。
天幕にも木の葉にも、びっしりと水滴がついている。
空は冬晴れで明るいのに、この湿気。
なんだか自分たちだけ異世界に迷い込んだ気分になる。
石のように固いパンと昨夜の鳩のスープの残りを平らげて、一行は峰伝いをさらに北上する。
しばらく行くと、右側・・・谷の向こうから、何やら音が聞こえてきた。
ボウン・・・ ボン・・・
破裂するような。大きな太鼓を叩いたような。
それがこだまで辺り一帯に響き渡る。
不規則に、途切れることなく響く音。
「どっちからでしょう?」
チャイが耳に手を添えてみるが、まるで分からない。
「全然わからないですね。谷の向こうかなあ。」
ジョバが答える。ジョバはチャイに対してだけは丁寧な言葉遣いをする。
歳で言えばダリのほうが上なのだが、ダリには砕けた物言いをするのが不思議だった。
「うーん、もう少しこのまま登って、渡れるところを探しましょう。」
皆頷き、そのまま歩き続けた。
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「音がどんどん大きくなるな。もう近いのかもしれない。」
音だけではなかった。靄は濃くなり、気温は上がり続ける。
もう全員びしょ濡れで、汗をかいているのかどうかもよくわからない。
ボウン!! ボウン!!
ボボン!!!!!
「もう、そこだ。」
ジョバが確信したようにつぶやく。
「ちょっと待ってて」
そういうとジョバは、近くの高木を見て回る。
「なにしてるの?」
リーヤが皆を代表して尋ねると、ジョバはこっちを向いてニコリと笑って一言。
「木登り!」
あっけにとられる皆を無視して、ジョバは丁寧に木々を見て回る。
「これがいいな。ちょっと待ってて。」
そういうとジョバは、するすると木を登り始める。
あっという間に、人の背丈の7つ分くらいまで登ってしまった。
そして東の方向を凝視する。
「なんか・・・大変なことになってる。」
今まで聞いた中で一番低い声で、ジョバはそう言った。
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「じゃあ、この靄はやっぱり川の水か!」
ダリが驚きの声を上げる。
ジョバの説明によると、ここから東に見えるところで川の水がくぼみに落ち込んでいて、そのくぼみからもうもうと水蒸気が上がってこっちに流れてきているらしい。
音は、くぼみに落ちた水が溶岩にでもあたって出ている、爆発音のようなものか。
そして川はそこで完全に途切れていた。
ジョバは土や小石で山や谷、木の葉で川を表現し、周囲の詳細な地形図を地面の上に完成させた。
まるで空を飛んで見てきたように、正確に。
「ジョバ・・君はすごいな。木の上に上っただけでここまでわかるのか・・・」
ダリは舌を巻いていた。リーヤもチャイも目を丸くしている。
「想像で埋めたところもあるけど、大きく間違ってることは無いと思う。」
自信ありげ。そしてこの娘が大口を叩くような事は無いと、3人はすでに知っていた。
皆で改めて地形図を眺める。
川が東から南へ流れを変えた直後に、水は火口のような大きな穴に落ち込んでいる。そして、流れはそこで消えている。
さて、どうするか。
4人はしばし地形図に見入った。
「穴を埋めるのは、自然に土砂崩れでも起こらない限り不可能だな。大きすぎる。」
ダリが口火を切る。
「ここの、川が湾曲してるところ・・・・
西側は堤防みたいになってるけど・・・
堤防のこっち側はどうなってた?」
チャイが質問する。
「そこは、いま水があるところよりも低くなってます。そしてここの足元の谷に続いてる。
多分前に水が流れてた跡だと思います。」
ジョバが答える。
「この堤防・・・壊せないですかね?」
「ここ、崩せないかな・・・」
ダリとリーヤが同時に言って、顔を見合わせる。
「ちょっともう一回見てみます。待ってて。」
ジョバは言い終わらないうちにもう木を登り始めていた。
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結局遠くからだと、その天然の堤防の強度まではわからなかったため、近くまで降りて調査することになった。
こんな土の塊を壊せるのか。
道具は限られているし、強力な魔法もない。
ダリは絶望的な気分になっていた。
(カールが居たら、軽くぶっ壊してくれるかもな。)
一瞬そんなことを考えたが、そもそもこの話にカールが乗るわけがないと、思い直した。
今ある手ゴマでやるしかない。
「崩せないことは無いかも!でも、崩した瞬間にそこに水が落ちてく!
我々は生きて帰れないでしょうね!」
リーヤが堤防の中断にしがみつきながら、下の3人に向けて大声で言う。
「対岸の崖上からどうにかできないかな・・・」
ダリが考え込む。
「これ・・・・を、投げつける?」
チャイが出したのは、ミーナが持たせてくれた、岩の破砕に使われる魔具。
片手剣の柄のような形。
ふつうは手に握り、先端を岩に叩きつけて使うものだが、確かに投げつけてうまく当たれば効果はあるかもしれない。
「だけどこれ、先っぽで叩かないと魔法が発動しないんだよな・・・
投げつけても、逆側が当たれば意味がない。」
ダリが顎に手を当て考え込む。
「矢に括り付けて飛ばすのは?」
リーヤが言う。
皆が顔を見合わせる。
「それでいって見よう。」
ここはダリの一声で決まった。
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即席で木を切り出し、大きな矢を作った。
普通よりも大きい羽根。太さ、重さも倍以上。
矢じりに魔具を括り付ける。
それを、3本作った。
対岸の、一番近い崖上に陣取る。
弓はダリの物を使う。
反発力強化の付与魔法が掛けられた彼の弓は、普通の弓の倍近くの飛距離を出せる。こんな仕事にはうってつけだった。
弦を、いつもより強く張りなおす。
「撃つのも、俺がやっていいのかな?」
「ほんとは私がやりたいけど、譲ります。」
「ほんとはボクもやりたいですけど、譲ります。
「ええと、私は・・・遠慮します。弓は苦手。」
4人は笑いあう。
「成功させてくださいよ。3本しかないんだから。」
リーヤがわざわざ緊張を誘うようなことを言う。
「成功しなくても責めたりしませんよ。ちょっと見損なうだけ。」
チャイも乗ってきた。
ダリが苦笑いで返す。
出会って、たった二日。
だがもう4人は、確かに「仲間」だった。
「お、風が。」
風が止んだ。
ダリは立ち上がって、目標を見据える。
さっきリーヤが設置した目印の白い布。
一番弱く見える場所の、大きめの岩の下。
あの岩を下に落とせば、恐らく全体が崩れる。
矢は3本。
出来ればこのうち2本は当てたい。
構える。
ぐっと、弓を弾く。
いつもより少し重い。
風は吹かない。
(行け!)
指を離す。
バシュッ!!!!!!
付与魔法が発動する。
重く強い一矢が放たれる。
(・・・いい感じ。)
ダリは手ごたえを感じていたが・・・・
谷の中央あたりで、矢がブレる。
(風・・・!?)
矢は目標よりもかなり右下にずれて壁に当たる。
その瞬間。
バガッ!!!!!!!!!
周囲の土が、岩がはじけ飛んだ。
なにも起きない。
「外れた。」
ボソっとリーヤが言う。
「わざわざ言わなくてもわかる。」
ダリが苦笑いしながら2矢目をつがえる。
(あの辺だけ風が吹いてるのか・・・それを見越して・・・)
弓をゆっくりと引く。
的のやや左上を狙う。
(イメージだ。集中。)
放つ。
バシュッ!!!!!!
しかし・・・今度は風の影響がない。
真っすぐ、美しい軌道を描き、矢は的のかなり左に突き刺さる。
ゴウン!!!!!!!!
今度は飛び散らない。中で衝撃が伝わるのがわかる。
・・・・が、何も起こらない。
「・・・・」
リーヤが無言で、ダリに視線を送る。
「・・・・・」
ダリは、気づかないふりをする。
「次。」
3矢目をつがえる。
(やばいぞ・・・・・風は・・・吹くのか吹かないのか)
チラリと、ジョバを見る。
この娘なら、風すら読めるのではないか。そんな気がしたから。
そんな視線に気づいたジョバがニッコリ笑って言う。
「・・・私も風は解りませんよ。」
(クソッ!弱気になってるのがバレたじゃねーか!)
ダリは顔が熱くなるのを感じた。
とは言っても、黒いので赤面しない。だから誰も気づかない。
これだけは、黒くて良かったと思う。
(いい、忘れろ。集中。)
後ろではチャイとリーヤが何かを期待しているようなまなざし。
ダリはそれには気づかない。
(風は・・・・ない!!!)
放つ。
風が・・・向かい風が、強く吹いていた。
矢がブレて勢いをなくし、的のかなり下に、ぽとりと落ちる。
一応、といった感じで魔法が発動する。
ポフン
「・・・・・・プッ」
ジョバが堪らず吹き出すと、もうあとの二人も耐えられない。
「アハハハハハ!!!」
3人が、大声で笑う。
「・・・しょうがねえだろ!風なんか見えないんだから!!!」
必死で言い訳するダリ。さらに笑う3人。
絶え間ない笑い声が、谷間にこだまし、増幅する。
ぐわん
すこし空気が揺れたような気がした。
ポロッ
ボロロッ
壁の小石が落ちる。
異変に気付いて、3人は笑うのをやめる。
うわん うわん
ボウン
こだまがまだ谷間を巡っている。
それに川の水が爆発するときの音も加わる。
うわん
うわん
ごろり
的の布がはらりと落ち、大岩がゆっくりと転がる。
ごろん
ざら・・・ざら・・・
大岩の無くなった跡の土が、ボロボロと崩れる。
ざらざらざら
ぼろぼろぼろ
そしてそこからぷしゅっと、最初の水が噴き出した。
あとからあとから水が降ちてくる。
天然の堤防に空いた穴はどんどん拡がり、やがて壁は完全に崩壊した。
ざぁぁぁぁぁぁぁぁ
滝。
さっきまでとは違う、涼しくさわやかな霧と水しぶき。
落ちた水は谷をざあざあと流れていく。
うまくいったのか・・・?
4人はあっけにとられて言葉が出ない。
表情もなく川の流れを見つめる。
この量なら、多分下流までたどり着く。
暫くして、川に目を向けたまま、ダリが呟いた。
「・・・・・狙い通り。」
3人はまた、自らの意思と関係なく腹筋を鍛える羽目になった。
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こうしてボニエ川は以前の姿を取り戻し、ビルトの人々に最低限の生活が戻る事になる。
この時にできた滝は後に「三矢の滝」と呼ばれる事となるが、その由来は後世には伝えられていない。