1009年1月13日 ビルトから西 ボニエ川流域
馬で西へ。
右手には噴煙を吐き続ける火山。
左手には何処までも続く草原。
川底 ―元川底であったところ― をひたすら進む。
なんでこんな事になったのか。
自分でもさっぱり分からない。
体が勝手に動くというのが本当にあるんだな、とダリは変に感心していた。
オルドナ解放戦線の密偵としてビルトに入ったのが1週間前。
トルド火山の山体崩壊から1週間後、年が明けてすぐの事だった。
そこで街の惨状を目の当たりにして、ダリは愕然とした。
まず、街が異様に臭く、汚れている。
人々の顔には生気がなく、料理屋や酒屋はすべて閉店。
原因は、ボニエ川の水が枯れた事。
飲み水だけは井戸で何とかなっている。
だが、余剰がない。
例えば洗濯、例えば便所。
水撒き、掃除、水浴び。
小さなことでも不自由な状態が続くと、日々生活しているだけでも疲れてくる。
疲れてくると、争いが増え、病気が増え、笑顔が減る。
この1週間そうやって荒んでゆく街の様子を見てきた。
敵側の街。
だがダリはどうしてもこの惨状を「味方を利するもの」として喜ぶことが出来ないでいた。
民に罪はあるのか。
無くはない。おそらくこの街の人間が食べているもの着ているものは、他で誰かを虐げて作られ集められたもの。ビルトの人間は僻地の人間を、田舎者、土人などと蔑視する。他国の人間を馬鹿にし蔑むこともあるようだ。
だがそれは人の性だとダリは思っていた。
周りが皆そうだと、流されることもある。
周りが皆そうだと、気づけないこともある。
人はそれほど賢くない。
支配者が間違うと民衆も間違った方向に転ぶ。
何度でも問うた。
民に罪はあるのか。
確かにある。
だがその殆どは、元をたどれば支配者の罪ではないのか。
そんな時に、ミーナ・メイダス ―ビルトいちの薬師―に出会った。
優しい人で、診療所で使える清潔な水がないと嘆いていた。
メイダスという姓を聞いて、ダリは思い切ってトニの名前を出してみると、やはり母親だと言う。
もう離れ離れになって9年、一度も会っていないらしい。
最近のトニの様子を事細かに聞かせてやると、ミーナはさめざめと泣きながら聞き入った。
もちろんユリースの事と作戦の事は伏せたが、そこはさすがにあの男の母親。
明言はしないものの、ダリの目的や立場も瞬時に理解したように思えた。
だが昨日。
ミーナはダリにとんでもない依頼をした。
「ボニエ川に水を戻してほしいの。」
山歩きの経験や観察眼、様々な知識を買ってくれたのだという。
断れなかった。
いや、断るという選択肢が浮かばなかったと言ったほうが正確だ。
ミーナも断られるなどとは微塵も思っていなかったようで、ご丁寧に助手を一人と護衛を二人、それからいろいろな道具を既に用意してくれていた。
助手は診療所で見習いをしているジョバという娘。
聞けば山深い辺境育ちで、獣道などではかなり鼻が利くらしい。
護衛ふたりはオルドナ兵。ミーナは若い兵士たちに慕われていて、声をかけたところ二人とも快諾し、部隊から暇をもらってきたという。
道具は、小型の投石器、梃子やツルハシなど基本的な工具、それから、衝撃の付与魔法が掛けられた、岩などを砕くための魔具がいくつか。
水源から流れまで、どの部分がどうなって水が枯れたのかを調査し、その場で対処しろという事か。
(親子そろって人使いが荒い。)
そんな事を思いながらも、ダリは今の状況をかなり楽しんでいた。
これが成功したら、オルドナを利する事になる。
だがそんな事は関係ない。
何としても、成功させたい。
人々のために。そしてミーナや自分のために。
昨日、4人で1日かけて準備した。
今はボニエ川の跡を辿って、ひたすら西に進んでいる。
風は冷たいが、日差しがあるので寒くはない。
「きれいな肌ね。」
ジョバが隣に馬を寄せてきた。
聞けばまだ17歳。ダリより10以上年下で、まだ子供のあどけなさを残してはいる。
だが、そんな見た目に似つかわしくないほど馬の扱いが上手い。
「そんな事言われたことないぜ?真っ黒じゃないか。」
ダリは肌が黒い。黒い肌の人種はもともと西方に多いのだが、ビルトにもメルケルにも、かなりの数が住んでいる。
だが肌が黒い事をバカにされたことはあっても、褒められたことなどない。
いや、正確に言えば親に褒められたことは有るが・・・
まあ親は盲目ともいうので、数に入れていなかった。
この娘の肌はえらく白い。
「そっちのほうがきれいだと思うぜ?黒いと日焼けには強くていいけどな。」
「ダリの黒さは他の誰よりも深い。真っ黒でつやつやしてて。
白いのなんて嫌よ。そばかすは目立つし、ちょっと外で作業するとすぐに真っ赤になってしまう。」
「はは、そんなものか。お互い善し悪しだな。
だが黒いと夜は危ないぜ?馬車に何度轢かれそうになったか。」
冗談に一同が笑う。
兵士二人 ―チャイとリーヤ― も気さくな奴らで、剣や弓のウデもなかなかいい。
チャイは女で24歳。赤毛で良く日焼けした浅黒い肌をしている。最近小隊を率いるようになったという。
リーヤはチャイの一つ下。チャイの部隊で副長をしている。こっちは対照的に黒髪で白い肌。
線の細い印象だがその実よく鍛えているようで、馬に乗っても全く体がブレない。
「ダリさんは兵士にはならないの?どこでも通用すると思うけど。」
チャイがその見た目の印象よりずっと小さい声で言う。
「そうですよ。ウチの隊に来てくれないかなあ。皆に弓を習わせたい。」
リーヤも乗ってくる。
「はは、オレには軍は合わないよ。こうして山を歩いてるほうが性に合う。」
「そんな感じしますね。いいなあ自由で。」
リーヤが子供のようなことを言う。
「軍に居たくて居るんじゃないのか?嫌ならやめて旅にでも出ればいいじゃないか。」
ダリはリーヤに向かって言ったのだが、これにはチャイが答えた。
「オルドナじゃそうもいきませんよ。特に男はね。軍役から逃れて放浪なんて言った日には、恥ずかしくてもう二度とビルトになんか戻れません。家族もヒドイ苛めを受けるかもしれない。
女でも、一回軍役に付いた者が逃げだすっていうのは有り得ないですね。まあ子供が出来たら仕方ないけど。」
言いながら、チャイはちらっとリーヤのほうをじろりと睨める。
リーヤは下を向き、バツが悪そうにしている。
(なるほど、いまこいつは上官に叱られたわけか?)
オルドナ兵が日々感じてる重圧・・・
それはなかなかに強い物らしい。
しかも、兵卒に至るまで。
ちょっと意地悪な、いたずら心のようなものが頭をもたげて、ダリはトニの事も聞いてみたくなった。
「あのさ、ミーナさんには息子がいた気がしたんだが?どうしてるんだ?軍に居るのか?」
古くからの知り合いのような演技。
リーヤとチャイの顔がみるみる強張る。
リーヤは吐き捨てるように言う。
「トニ・メイダス。汚い裏切り者です。
10年ほど前、近衛を抜けてメルケルに寝返った。
ジャン・バウムという奴も一緒にです。
仲間が何人も奴らにやられてる。
ミーナさんは国のために尽くしてくれている、素晴らしい方です。
だからあの人の前では言わないけど、オルドナ軍で奴らを許す人間はいないでしょう。
ねえチャイさん。」
「そうね。ジャン・バウムなんて大将軍の息子でしょ?
裏切りなんてしてよくのうのうと生きてられる。
「ああはなっちゃいけませんよ」って言われて育ちましたよ。
オルドナでは皆そう言われる。
大将軍の耳には入らないようにこっそりね。」
「プッ」
ダリはたまらず吹き出してしまう。
エラい言われようだ。
伝説の嫌われ者ってとこか。
「あれ?なんかおかしかったですか?」
リーヤが口を尖らせてとがめる。
「いや、ちょっと全然別の想像して笑っちゃってな。
すまんすまん。なるほどな。いまは居ないんだな。
・・・ジョバはなんで薬師に?」
ダリは慌ててごまかし、話題を変える。
「前に怪我をした時にミーナさんに助けられたからです。人助けっていいなって思って。
でもあんまり向いてないみたい。失敗ばかりです。」
「まあ最初はだれでもそうさ。気楽にやればいいよ。」
「気楽にやれる仕事じゃありません!人の命がかかってますから!」
「まあな。だけど、気負いすぎるのも良くない。
病気やけがで人が死ぬのは仕方がないところもあるからな。」
「そうですね。やっぱりどうしようもない事もある。」
リーヤが遠くを見るような目をする。
「あ、見て。川の跡が埋まってる。」
ジョバが指さしたほうを見ると、確かに崩れた土砂が川のあった窪みを消している。
「森がそのまま落ちてきたみたいだな・・・」
ダリは呻く。
ごっそりと落ちてきた山肌。
とてつもない量の土砂、倒木、岩。
(この人数でどうにかなるような物じゃ無いんじゃないか?)
ダリは早くも、帰りたくなってきた。
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ジョバの提案で、さらに上流に向かうことにした。
ふつうは川がせき止められると直上に湖が出来るし、源から全て埋まった場合には数日すれば水が染み出して来るものらしいが、どうやらそれがない。
だから、上流で流れが大きく変わって北や西に向かったとか、地中に浸み込んで水が無くなるような現象が起こってるはず、との見立て。
ジョバの説明は整理されていてわかりやすい。
既にほかの3人はすでに彼女を指示役として認め、計画を立てるのを一任した。
この辺りはもともと、草原を西から東に向けて川が流れている。
もう少し西に遡ると、今度は谷のような地形になり、南北に流れを変える。
土砂崩れは北東の山頂側から来て、一帯をすべて埋めてしまっている。
一行は崩れやすい土砂崩れの上を歩くことは避け、一旦西の山を登って稜線沿いを大きく迂回して北上することにした。
むろんまともな道はない。馬は足をくじく可能性が高いので、置いていく事にした。
太陽は、すでに真上まで来ていた。
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想像より楽な道程だったのは、ジョバの案内のおかげだろうか。
夕方までかかったが、日暮れ前にトルドの山頂がちょうど東に見える「はず」の場所まで来ることが出来た。
この辺りは背の高い木がなく、見通しの良い場所・・・・のはず。
だが今ここは周囲にもうもうと白い靄がかかっており、視界が極端に悪い。
山頂どころか、手前にあるはずの丘の稜線も、すぐそこにあるはずの谷も見えない。
「なんだろな、この靄・・・」
ダリが絶望的な顔で東を見ながら言う。
「ただの霧にしては・・・暑いですよね・・・」
リーヤが汗を拭きながら答える。
そう、やけに暑いのだ。
普通の霧は、湿った空気が冷やされてできるので、ひんやりと涼しいはず。
「どこかで、大量の水が蒸発しているのかも。ボニエ川の水かもしれないね。」
谷を覗き込んでいたチャイは諦めて肩をすくめる。
「なるほどな。辻褄は合うよな。流れるはずの水が全部このあたりで蒸発してるって事か。」
ダリは大きな倒木に腰かけながらつぶやく。
「そんな感じだね。なんでだろうね。
うーん、今日はもう疲れちゃったからここまでにしよ。
野営の準備もしないと。
これだけ空気が湿ってると薪拾いに苦労するかもしれないし。
調べるのは明日明日!」
ジョバはすっかりリーダーの貫禄。
他の3人は彼女に敬意を払いつつも、微笑ましい気持ちでそれを見ていた。
「そうだな。準備して、メシにしよう。さすがに腹が減ったよ。」
「じゃあ私なにか捕ってくる!」
いうなりジョバは森の中に消えた。
「お、おう。気をつけて・・・・」
疲れたと言った直後にこの行動力。
3人は呆然と見送る。
この後、野ウサギ一匹と鳩二羽をぶら下げて帰ってきた少女を見て、大人たちは歓喜の声を上げるのだった。





