1009年11月6日 早朝 ビルト城
戦の決着から一夜明けた、ビルトの街。
朝日が尖った光を撒き散らし、路地裏に濃い影を作る。
ジャンはビルトの城内から城下を見下ろしながら、ほう、と声を漏らした。
薄汚れた無骨な街が城から見るとこれほど美しく見えることを、ジャンは今初めて知ったのだった。
既に街の目抜き通りにはちらほらと人影がではじめている。
オルドナ王国が消滅した・・・いや、とうの昔に消滅していたというのを既に皆知っているはずなのに、近衛兵はいつも通りに見廻りをし、店の主人は開店の準備を始めている。
痩せた男は犬の散歩をし、老人は目的もなく徘徊し、子供は道で石を蹴りながら朝飯が出来上がるのを待ちわびる。
今までの生活が崩れ去る時、目的を見失った時、裏切られた時。
泣き叫んだり呆然としたりというわかりやすい行動を取る人間は、実は多くない。
大抵の場合、人はいつも通りの生活をし、その出来事を「普通のこと」として埋もれさせ、流そうとする。
(そうでもしないと心が持たないから。)
王が、随分前から死んでいた。
大将軍と将軍のひとりは此度の戦で死んだ。
コルテスとソラス、トケイト、ボナ、マスケア、それから王都ビルトが、わずか数日で落ちた。
生き残ったふたりの将軍は、北方に篭ってしまった。
オルドナという国がこの数日で無くなってしまった。
それなのに人々は、いつもの朝を演じようとしている。
(いや、他人事ではないな。オレも同じか。)
ジャンはそう気づいて、自嘲気味に笑った。
つい三日前、父親を殺した。
とっくに死んだと思っていた母親が生きていると聞かされた。
宿願であったオルドナ打倒を、ついに果たした。
代わりに多くの仲間や兵が死に、或いは傷ついた。
全てまともに受け止めたらきっと心が持たない。
だから、とにかく任務を果たす。
ユリースの見舞いにも行かない。
母親に会いに行くこともしない。
ただ粛々と、仕事をする。
軍の再編、守備の配置確認、物流の確保。
近衛や特攻の離反の可能性。
各地からの情報の整理。
ボナ、北方との境、コルテス、ソラス。
ソラスに考えが及んだところで、思考が滞る。
昨日の夜遅くになって届いた報告。
ソラスで将軍テテロが殺された。
殺したのはコボルトで、そいつも相討ちに死んだという。
否が応にもコビを連想させる。
コビであってほしくない。だがコビ以外であるはずがない、という気もする。
生きていたのか。そして、死んだのか。
直接ソラスに行って確かめたいが、それも叶わない。
トニに会いたい。
だがコルテスの戦況はまだ届いていない。
玉座の間に続く扉の開く大きな音がして、我に返る。
いつの間にか随分奥まで歩いていた。
扉の中に居たキャスカが気づいてこっちを向き、大きく手を振る。ジャンも軽く手を挙げ返して玉座の間に足を踏み入れる。
既に魔具の明かりは灯っており、何人もが中で検分の作業を行っているのが見て取れた。
中央の玉座に王の遺骸。
その周りにならぶ十八の椅子全てに、死体が座らされている。
皆豪奢な服装。死んでから何年も経っているのだろうか、皮膚はカサカサに乾いている。
腐臭は無い。
その代わりに、埃と黴と・・・何かの薬品のような、イヤな匂いが混じって漂う。
せり上がってくる吐き気を押し込めてから、ジャンはキャスカに話しかけた。
「やっぱり、元老院のメンバーか。」
キャスカが振り返る。
「そうですね。数も、ピッタリ会います。」
キャスカが眉をひそめて低い声を出す。
「だけど、なんで・・・いや、それより誰もおかしいと思わなかったのか?
気づかなかったなんて事があるのか?
王と重臣が一人残らず居なくなってるってのに・・・
おい、侍従長は!!?」
声を張る。少し声が大きくなりすぎた、とジャンはいっとき反省する。
奥の方にいた侍従長がおずおずと歩いて来た。
「は、はい・・・なんでしょう・・・」
あからさまにビクついて、背中を丸めている。
「なんでしょうじゃないだろ、こっちが聞きたいよ。なんなんだこの有様は。
この国はどうやって動いてたんだ!」
「それは・・・私は玉座の間からの勅を受け取って下達するのが主な仕事で・・・それ以外のことは何も・・・」
「いや、だって元老院のメンバーも王も出て来てないんだろ?気づくだろ!」
「いえ・・・あの、私はここに来て二年になりますが、元老院の皆さんを見た事は一度もなくて・・・
実は、そういう組織があったことも知りませんでした。」
「二年・・・もっと長く務めてる者は?」
「城勤めの者で、私より長いものはおりません。古い者はみな、辺境や砦に異動になりました。
次は私か、と覚悟しておりましたが、ある時期から異動はあまり、見なくなりましたね。」
「・・・なるほど」
絶句して口をパクパクしているジャンを見かねてキャスカが引き継いだ。
「長く勤める者が一人もいない。
つまり全員入れ替わっているのね。
引き継ぎも行われず以前の状況を誰も知らない。
・・・侍従長さん出身は?」
「え・・・ザ、ザクソンです。」
北方の奥地。
キャスカは合点がいった、という面持ちで頷く。
ジャンは全く意味がわからず、まだ間抜けな顔を晒し続けている。
「多分ほかの侍従さんも、城勤めの方で残っているのは辺境や他国生まれの人ばかりなんじゃじゃないでしょうか。
オルドナの王や元老の「いつもの」動きを知らない。ビルト城が以前からどういう形で動いていたのかを知らない。」
「・・・!
元老院の面々がいなくなっても、気づかない?
前からいたやつらは・・・
下手したら・・・」
ジャンが侍従長の顔を見る。
侍従長はなにがなんだかわからない、という顔。
そうだろう。この異常事態に気づかずに長い間働いてきた連中だ。
漫然、無関心、無気力。
観察力も問題意識もない。
そういう人間だけを周りに置き、簡単な仕事を与え、十分な報酬を支払うのが、独裁者の常套手段だ。
「相当頭の切れる悪党だな・・・」
ジャンが独りごちる。
その時、キャスカはなにか思い出したように顔を上げた。
「ジャンさん、お母様とは会いました?」
「・・・いや。ちょっと時間がなくてな。」
ジャンは咄嗟に小さな、絶対にバレない嘘をついた。
時間が無いのではない、会う勇気が出ないのだ。
「城内の・・・ここから先で生きていたのはあの方だけです。話を聞かないと。実は後で来て頂くようお願いしてあるのですが・・・」
「そうか。わかった。話してみよう。
キャスカ、悪いが同席頼みたい。」
「いいですけど・・・いいんですか?
久しぶりだけら親子水入らずとかの方が良いのでは?」
「久しぶりっていうか、初めてなんだよ。
顔も覚えてないし、死んだって聞かされてたのに・・・
いきなり母親ですって言われてもな。
よく分からないんだ。
冷静で居られる自信もない。
・・・頼む。」
「わかりました。じゃあ、一緒に。
とりあえず今はこの死体をどうするか、と・・・
オルドナの人達にこの事を・・・
誰からどう伝えるか、考えないとです。」
「そうだな。もうある程度噂は流れてるとは思うけど、今後の事も含めて正式に伝える必要があるな。
急ぎたいが・・・ユリースはまだ起きないのか?」
「はい、まだ・・・
マイさんにすぐ来てくれるように要請してあります。今日の夜には着くのではないかと思います。
あ、あと、城下の薬師さん。
トニさんの、お母さん?」
「ミーナさんか。懐かしいな。
元特隊以外でオレを知ってるのは、今やあの人くらいかもしれない。
トニが帰ってきたら喜ぶだろうな・・・」
「なんか想像つかないです。あの冷血男のトニさんがお母さんを抱きしめたりするんでしょうか・・・」
「ハハハ。確かに最近はああいう感じだけどな。立場がそうさせるんだろう。もともとは暑苦しくて優しい奴だよ。」
「まあ、そうなのかもしれないですけど・・・
んーとなんでしたっけ
ああ、住民や兵士への説明ですね。
事実を伝えるだけなら、ユリースさん無しでやっちゃってもいいんじゃないでしょうか。
城の中こんなんでした、その先の判断はこれからですって感じで。
ジャンさんやってくれません?」
「いや・・・
オレはこの国では裏切り者だからな。
ユリースでなければ・・・君だな。」
一瞬グランゼの顔が浮かんだ。
本当は、キャスカでは若すぎるのだ。
もちろんジャンでもトニでも。
年輪というものは、時に無条件の説得力を持つ。
兵でも民でも、ある程度歳の行った者は若造の言う事をまともに聞いてくれないことが多い。
メルケル軍の将校はみな若い。
ユリースも、幹部たちもみな若い。
それは強みでもあり、ときに弱みでもあった。
グランゼの死が、惜しい。
将校として、人間として、学ぶものも多かった。
目をかけてくれた。
決して威張らず出しゃばらず、後ろから支えてくれた。
単純に、好きだった。
それでも、やはり若い者の死よりは幾分マシなんだろうか。
ダリの顔がよぎる。
間に合わなかった。
あと数刻早く着いていれば、あるいは。
内通者となって門を開けたアクソも死んだ。
こっちはジャン自身が殺したも同然だ。
危険とわかって引き入れた。断る事を許さなかった。
自分の責任の重さを改めて感じて、ジャンは胸が締め付けられるような苦しさを覚える。
「どうなんでしょうね。こうなったらジャンさんの正当性に気づく人も多いのでは?」
キャスカの言葉でジャンは我に返った。
散らかった思考を巻き戻し、平静を装う。
「いや、やめておこう。オレが正しかったと証明する事は、住民や兵士が間違ってたと証明してしまう事と同じだ。そんなのは本意じゃない。
・・・そもそも父親を殺すなんて事、どうやっても・・・」
チクリと、刺すような空気の動きと後ろからの硬い足音に、ジャンは言葉を止める。
「ジャン・・・ジャンなの?」
呼びかけられてジャンは振り返った。
質素なベージュのドレス。
知らない顔。固い笑顔。
魔法封じの手枷を嵌められている。
少し苦しそうな表情はね怪我のせいか。
「そちらのお嬢様は先程お目にかかりましたね。
私はメイラ。
あなたの母親ですよ、ジャン。」
「・・・え、と」
ジャンがあからさまにしどろもどろになるのを見て、キャスカは笑いを噛み殺している。
「混乱するのは当然ね。
あなたには謝らないといけない。
わたしはある事情で、長い間この城の地下に幽閉されていました。
罪人として。」
「罪人?」
「私事のために禁呪を使った咎です。」
初めて聞く話だった。
産まれたばかりの頃にジャンが大病を患った。
宮廷魔術師だったメイラは禁じられた呪術でジャンを治した。
その罪で本来メイラは牢に入れられいずれ死刑となるはずだったが、メディティスの懇願により特別に城の地下に軟禁される事になった、と。
引き換えにメディティスは、母親の存在をジャンに知らせる事を禁じられた、と。
ジャンは母親の数奇な運命を、まるでおとぎ話でも聞く様な気持ちで聞いていた。
─── ─── ─── ───
絶対に油断はしない。彼女が本物かどうかは、わからない。
一挙手一投足を見ていたし、言葉じりに嘘がないか、矛盾がないかをつぶさに見ていた。
赤ん坊の頃の自分なんて、覚えていない。
だからこの人の話す事が本当なのか嘘なのか、判断する事はオレにはできない。
だけど彼女は、オレの背中にアザがある事を言い当てた。
オレ自身随分大きくなってから鏡で見て初めて知った、小さな、だけど濃いアザ。
信じていいのかもしれない。
キャスカの顔を見る。
からかうような、嬉しいような顔をしている。
彼女は手首を、時折気にするような仕草を見せていた。
ガッチリと嵌った、魔法封じの腕輪。
さすがに外す訳にはいかないんだろう。
まだ、完全に信じるには材料が・・・
「メイラさん、外しましょうか、それ。」
キャスカがこっちの気も知らずに脳天気な事を言う。
オレはそれを、素直にありがたいと感じた。
「いえ、これは皆さんの安心のためのもの。
牢で見つかった、素性もわからぬ女。
皆さん・・・ジャンですら、私を知らないのだから。
大丈夫。皆様の信頼を得るまで、つけておきますわ。
うっ・・・」
メイラは顔をしかめて腹を抑える。
確かナイフの刺し傷。
一日経ってただ痛いだけなら、急所は外れて居るのだろう。
けれど、痛いものは痛い。
「ほら、怪我もしてるのに・・・不便でしょう?」
キャスカがメイラに言葉をかけながら、こっちをチラリと見る。
どっちの味方をしてもなんだかおかしいような気がして、反応に困る。
「不便・・・ではありますね。色々と・・・」
「外しましょう。大丈夫、他の皆も賛成すると思います。
メイラさん、怪我が治ったら復興のお手伝いお願いしても宜しいですか?
それから、この城について知ってる事を全て教えて欲しいんです・・・」
言いながらキャスカは、持っていたカギでメイラの手首の枷を外す。
メイラは少しほっとした表情をして手首をさすっている。
「そんなもの付けさせて悪かったな、か・・・母さん。」
キャスカが噴き出す。
メイラは少し首を傾げて、今度は心底嬉しそうに笑った。
オレはキャスカに抗議の目を向ける。
そのとき、ふわっと空気が動いた。
玉座の間の入口にひとりの女性。
「ミーナさんか!」
「あ、そうだ、お呼びしてたんだった。」
ミーナ・メイダス。トニの母親。
10年・・・出奔以来初めてか。
「ミーナさん!元気そうだ。
悪かったな、迷惑かけちまっただろ。
元はと言えば、トニのやつが・・・
いや・・・ああ、なにから話したらいいのか。
とにかく、無事で何よりだ。」
よく知らない母親よりも、ミーナさんの方がよっぽど世話になってる。
色んな思い出が噴き出す。同時に涙が降りてくる感じがして、少し慌てた。
「久しぶり、ジャン。
立派になったのね。
大将軍の事、聞きました。
辛いでしょう・・・」
そう。ミーナさんと父さんは、お互いをよく知っていた。
仲が良かった訳では無いだろうが。
「ああ。
成り行きとはいえ、父親を殺してしまった。
・・・だけど、仕方が無かった。
なんて言ったらいいか・・・
オルドナを、放っておく事は出来なかったんだ。」
「わかっているわ。あなたは自分の信じた道を歩いた。
たぶん、トニもそうなんでしょう。
その結果こうなってしまったのは悲しいけど・・・
玉座がこんな状態だと知ったら、皆もあなた方が正しかったと思うのでは無いかと思います。
私もそう思います。
オルドナは間違っていたと。
あなた方が正しかったのだと。
時間はかかるかもしれないけど、あなた方も私達も、この結果にしっかり向き合わないといけないわね・・・
なにか困りごとや悩み事があったら、いつでも診療所に来て。お父様の替わりにはなれないけれど・・・
私はあなたを、息子だと思っているから。」
無邪気で無謀だった十代の頃を思い出して、また涙が出そうになる。
息子、か。
「あ、そうだミーナさん。」
「ん?なに?」
「こちら・・・
母さんの、メイラだ。
城の地下に幽閉されていたのが昨日見付かって。
ミーナさんとは面識があるんだっけ?」
しん、と空気が動きを止めたような気がした。
ミーナさんが暫しメイラを凝視する。
そして
「あなたは誰」
ミーナさんのその言葉の意味を理解するのに、随分時間がかかった気がした。
剣の柄に手をかける。
その瞬間、止まっていた空気が激しく動いた。
メイラ、いや母の名を騙ったその女は、足を全く動かさずに一瞬で玉座の間の出窓まで移動する。
オレは剣を抜き、駆け寄る。
しかし、向こうの方が疾い。
大きな出窓が開く。
風が入り込み、メイラ・・・
いや、女の長い髪を捲き上げる。
女は出窓の際に立ち、ニヤリと笑って言う。
「フッフッフッ。バレちまったね。
まさか知り合いが居るとは。
でもまあ手枷が外れただけ良しとするよ。
いい演技だっただろ?
本当のあんたの母親は、昨日死んだあの女さ。
悪いね、身代わりだ。
あたしはディディロ。
細かい自己紹介はいらないかね?」
斬り掛かる。
見えない力に剣が弾かれる。
女は何事も無かったように続ける。
「・・・あんた達、予想以上だったよ。
随分、楽しませてもらった。
非魔法にはびっくりしたよ。
あの若造、いいね。
なかなかやる。
さすがに危なかったわ。」
蹴りを放つ。
直前で、跳んで躱される。
女・・・ディディロは痛みに顔をしかめる。
怪我だけは嘘じゃなかったか。
「・・・無粋だね。
今回はあんた達の勝ちだ。
それで満足しときな。」
女の指が素早く印を描く。
早口の詠唱。
指先をこちらに向ける。
途端に体が痺れて、異常な眠気が襲ってくる。
「な、な・・・を・・・」
うまく喋ることが出来ない。
頭が重い。
膝から落ちて、うつ伏せに倒れる。
石の床。頬がやけに冷たい。
女が笑いながらなにか喋っている。
オレは・・・殺されるのか?
眠気に抗うのをやめたら、終わりだ。
だけど・・・





