1008年12月15日 メルケル北の平原
今日の訓練がようやくおわった。
汗だくのユリースは、大きめの石を見つけて座って休んでいる。
周囲には兵たち。メルケル自警団と傭兵の優秀なものに声がけして集めた、騎馬のみの精鋭部隊だ。
訓練の内容は、ユリースが命じた通りに兵が動く。それだけ。
言ってしまえば簡単だが、その精度が兵と将校の質を決める。
将校が的確な命令を出す。
命令通りの方向に、命令通りの速度で、即座に兵が動く。
この部隊に求められるのは、考えうる限り最も高い水準だ。
ユリースの剣の動きを熟練の伝令兵が察知し、旗と音で全体に伝える。
瞬時に全体が同じ動きをする。
緩やかに前進。
右前方に倍の速度で前進。
その場で停止、待機。
その方向を向いたまま、緩やかに後退。
反転し、全速力。
剣を振るでもなく弓を射るでもない。
ただ馬上で命令通りの方向と速度で移動する。
そんな訓練をもう一か月も繰り返している。
「良くなってきてるぜ。期待以上だ。」
ジャンが冷たい水を汲んできた。
もう冬だが、訓練後はやっぱり暑い。
こういう時の井戸水はありがたい。
「まだわかんない事だらけ。
剣の振り方を間違えることは減ったけど・・・
思うタイミングよりちょっと早めに指示出さないと遅れるよね?」
「そうだな。馬も兵も一つの動きを止めてから次の動作に入るまで結構時間がかかる。
だから一瞬の先読みが大事になってくる。」
「相手がどういう動きしてくるかって予測できないよね?どうしてるの?」
「・・・・・・勘。」
ユリースはむっとした顔で黙ってしまった。
「悪い。けどこればっかりは・・・経験がものをいう。
でも大丈夫、今回のユリースの役割は突撃と王城の占拠だけで細かい作戦がないだろ?
自分が先頭に立って、相手の兵士をガンガン倒して前に進むだけ。
実際には多分「止まれ」と「進め」くらいしかないからさ!」
なぜか言い訳を始めるジャン。
ユリースは首を振る。
「大丈夫、わかってる。でもできるだけやっとかないと。
・・・私がモタつけば、それだけ死ぬ人が増えるから。」
その通りだった。
もし王城の占拠と王の捕縛ができれば、無条件で戦が止まる。
戦争はその瞬間に終わる。
たとえ王城占拠に失敗しても、混乱に乗じてマスケアとソラスまで落とせる可能性はある。
そうなれば戦自体に勝てる可能性は十分にあったが、その場合戦は長期化し泥沼になる可能性が高い。
「何人死ぬんだろう・・・・」
ユリースは遠く東・・・オルドナの空を見上げて呟く。
「戦の時は、それは考えないほうがいい。兵士は死ぬものだ。
兵士一人の死で逡巡するともう一人の兵士を殺すことになって、それが拡がれば千人が死ぬ。
作戦を立てる時も、死人の数はあくまで要素のひとつとして捉えたほうがいい。」
「そうだね、軍人であればそれでいいよね。
でも私は違う。
戦争をするかしないかを決める立場だから・・・
考えないわけにはいかないよ。
戦を起こすってつまり、誰を殺して誰を生かすのかを支配者が選ぶって事だと思うから。」
「そうか・・・そんなふうに考えたことは無かったな。」
ジャンは考え込む。
ジャンにとって戦はいつも傍にあるもので、戦をしないって事自体がわからない。
黙ってれば隣国は領地を掠め取ろうとしてくる。民のためにそれは守らなければならないし、牽制のために常にこちらの力を誇示しなければならない。
実際その準備と覚悟がなければメルケルは守れなかった。
だがトニと昔話した「理想の国」はどうだったか。
豊かであれば、他の国のものを欲しがらなくて済む。
貧しい国があれば、そこも豊かにしてしまえばよい。
そんな事ができるのかどうかは、わからないが。
ふとあの日・・・崩壊寸前のトラギアの風景が浮かんだ。
千年紀の祭りの準備で活気に溢れた街。人々の笑顔。
あの国には、戦が無かったのではないか。
「あ。」
ジャンは何かを思い出したような声を出した。
水を飲んでいたユリースが首を傾げてジャンの方を向く。
玉のような汗が、太陽の光をキラキラと反射する。
美しい・・・
と思った刹那、ジャンは何を話そうとしていたか忘れそうになった。
慌てて気を取り直す。
「・・・・・ひとつ聞いていいかな。気になってたことがあってさ。ずっと。」
「なに?」
「もしかしたら辛い事思い出させるかもしれないんだけど・・・ユリースと、ユリースの家族の事。」
「構わないよ。さすがにもう冷静に捉えられる。悲しいけどね。」
「うん・・・オレさ、何度かアンリ王子とも、君とも手合わせしたよな?」
城の中庭。まだあどけなさの残る二人。
アンリ王子は14歳、ユリースは11歳。
「覚えてるよ。異国の剣技を習うのはとても楽しかった。」
ジャンは少し意外に思った。
が、それは口にせず続ける。
「オレが感じたままに言うけど、アンリ王子はユリースより腕がよかったように思うんだ。
君は・・・悪いが、凡庸に見えた。」
ユリースはジャンが何を言いたいか解ったようだ。
「でもあの日、ドラゴンが来た日・・・裏口から出てきた君は、恐ろしく強かった。
それはどういうことなんだろう、と思ってね。」
「・・・・」
ちょっとユリースは考えて、意を決したように言った。
「隠してた。」
「なにを?剣の腕をか??
なんで!勿体ないじゃないか。」
「・・・考えてみてよ。王位継承権一位は兄さん。
次の王は兄さんだとみんなが思ってる。もちろん本人もね。
そして私は女で、妹で、王位継承権が下。」
「そんなの!関係ないだろ!」
「あるよ。女に負ける。妹に負ける。それがどれだけ兄さんを傷つけるか。
周りがどんな風に噂するか。
そして明らかに私が強いとわかると「王女を次の王に」なんて言い出す輩が必ず出てくる。
・・・実際一度勝っちゃってるの。もっとずっと小さい時に。
見よう見まねで剣を振ってみたら、簡単に勝ててしまった。
でもそれが兄さんを深く傷つけたし、ちょっとした騒ぎになっちゃった。
だからその時はたまたま勝っちゃった事にして、それから私は剣の腕を隠し続けた。
なかなかの演技だったでしょ?」
「確かに・・・わからなかった。」
「王族になんか生まれずに、最初から兵士なら良かったのにな。本当は思いっきりやりたかったよ。
そうだ、忘れてた。トラギア騎士団の手甲を作れないかな?あれが有れば私もっと強いよ。
素材は出来るだけ硬い方が・・・ドラゴニウムがいい。付与はなくてもいい。」
「お、おう、たぶん用意は出来るけど・・・ええと、今より強くなるのか?」
「格段に。防御がほぼ完璧になるし、打ち込みも強くなる。馬上でも使える。
あまり他国の人に見せられないからあなたには誰も見せなかったけどね。」
「そうなのか・・・いつか教えてくれよ。オレも使ってみたい。」
「厳しい訓練になるけど。覚悟してね。」
「ははっ怖いな。よろしく頼むよ。」
ジャンにはまた、ユリースが微笑んだように見えた。
「あ、私もひとつ気になってた事があって。
もしかしたら嫌なこと聞くかもしれないけど。」
「お互い様だ。気にしないでくれ。」
「あの時、もうひとりいたでしょ?亜人の。
コボルト?
あの子は、今どうしてるの?」
「・・・・」
ジャンが、今まで見たことないような怖い顔をしたのを見て、ユリースは慌てた。
「ごめん!言いたくなかったら言わないで!」
「違うんだ。
コビは、行方が解らないんだ・・・」
「どういうこと?」
「ちょっと長くなる。詰め所に戻って着替えて、飯でも食いながらでいいかな。」
返事を待たずにジャンは立ち上がって、移動の準備を始める。
(やっぱり、聞いちゃまずかっただろうか・・・)
ユリースは少し後悔していた。