1009年8月27日 マリーアス堤壁
西日が熟れた柿のように膨らんで眩しいので、ふたりはオルドナ側を向いて腰掛ける事にした。
祖国を守る高い壁の上には、北からの熱くて乾いた風が吹きつける。
「また何人か兵が死んだって聞きましたよ。」
天気の話でもするような声で、コーラスが切り出す。
テテロは苦い顔をする。
「小言を言いに来たのなら帰ってくれ。
兵は死ぬものだ。訓練だろうが死ぬ時は死ぬ。」
「ひとりはあなたが殺したと。」
「気の抜けた動きをしていたからだ。戦ではああいうのが味方を殺す。
だったら今殺しておいた方がいい事もある。
実際、そのあと他の兵の動きが見違えるようになったぞ。」
「戦の前に死ぬのでは浮かばれません。力の足りぬものは他へやるなどで対処して頂きたい。
兵は、民でもあるのです。」
「農民兵ではない、職業兵だ。甘いことは言わせない。
マリーアスは、我々で守るんだ。」
「テテロ殿。」
窘めるようにコーラスが言う。
歳はコーラスのほうが二つ下だが、二人で話しているときはコーラスの方が年上に見える、というのがもっぱらの評判だった。
「それでは、兵が萎縮します。
どうか、あまり気負わずに。
・・・先日ジャン・バウムと会ってきました。
やはりオルドナは秋も不作です。
兵糧が持たない。兵力を維持出来ない。
既にこの戦、こちらが有利に動いています。」
「多少の有利など。
ジャジール将軍は圧倒的に有利なはずの戦で死んだ。
そしてあの時我が軍は絶望的な状況からガスパスを追い返した。
それが戦。
間者の情報など鵜呑みにして油断しているのなら、あの男も二流という事だ。」
しばしふたりは睨み合う。
ふっとコーラスが表情を緩めた。
「確かにその通りです。気を引き締めないといけませんね。
ですがテテロ殿。兵は殺さずに。
この戦が終わったら、多くの兵は民になるのです。
民は国の力。なにとぞ。」
「わかったよ。」
テテロも表情を緩める。
「いよいよか。」
テテロがトケイト砦の方角を睨む。
「いよいよです。十年の悲願の時。」
コーラスも同じ方向を見る。砂煙のような靄で砦は見えない。だがテテロにははっきりとその姿が見えているのだろう、と思った。
「女王陛下は、お元気かな。」
「病が芳しくありません。ここ数日は伏せって居るようで・・・」
「先王と同じ病気とは、因果なものだな。
あの馬鹿がかかれば良いものを・・・」
王弟の事だろうが、コーラスは微笑むだけでそれには答えなかった。
「乾季が終わって、秋の収穫が終わったら、動きます。
待つのは辛いでしょうが・・・それまでは練兵ですね。」
「焦って動いてもしょうがない。メルケルを歩調を合わせねば仕方がないからな。
義勇兵の集まりは?」
「まだまだ止まりません。全部で六千は越えたかと。
西方からも予想以上に集まってきています。
我々の想像以上に、あの王女の「銘」は大きいようですね。」
「メガネの小娘の檄文もあるな。あれはいい。
ああいうことが出来るのは才能だな。
君にもああいうのは書けまい。」
「あれは書けません。私は誇張が嫌いですし、想像で物事を断ずることも好きではない。
自分の書いたものに少しでも嘘があるのが嫌なんです。
だから、ひとを感動させるような文章は書けません。
報告書などは得意なのですが。」
「ははは。わかるよ。
俺もそういうところがあるからな。
ジャジール将軍は、兵を乗せるのが上手かったな。
真似できんから、俺は徹底的に兵を訓練する。
・・・裏付けが欲しいんだろうな。
ある意味、俺と君は似てるのかもしれないな。」
「なるほど。そうかもしれませんね。」
コーラスがニッコリ笑う。
テテロは遠くに目をやる。
「君や皆の勧めもあってマスカードの名を貰った。将軍にもなった。
だけど俺は将軍に追いついたなどとは思っていない。
追いつこうなどとも思えない。
ただ、覚悟はできた。
自分が凡庸だろうが何だろうが、マスカードを名乗る以上この国を守らなければならない。」
「凡庸ではありませんよ。あなたにはその資格があった。
皆が認めるところですよ。」
テテロは少し寂しそうに笑う。
「さて。今日はもう上がるよ。
君はどうする?」
「今日はここに泊まります。
メルケルで酒をもらってきました。
後で少し、どうですか?」
「それはいいな。
君と飲むのも久しぶりだ。
だが、小言は勘弁してくれよ?」
コーラスは意地悪い笑みを浮かべる。
「仕方ないですね。今日はやめにしておきます。
ああ、一緒に砦まで馬車に乗りますか?」
「自分の馬にするよ。
どうも馬車は苦手でな。」
「そうでした。
では、のちほど。」
そういってコーラスは堤壁を降りて行った。
テテロはもう一度トケイトの方角を眺める。
いつの間にか完全に陽は落ちて、紫の幕を掛けたように昏い。
幾度となく想像した場面。
あの砦を包囲し、一気に占拠する。
オルドナ兵を片っ端から殺す。
一番高い所にマリーアスの旗を立て、勝鬨を上げる。
それだけを望んで、もう十年経った。
一瞬ガスパスの顔が浮かぶ。
ぐっとこぶしを握り、すぐ表情を緩める。
(せっかく友が来ているのだから。たまには抜かないとな。)
そう思い至って、コーラスがわざわざここまで来た意図が解った気がした。
(まったく、世話の焼ける将軍様だな。)
やや自嘲気味な、だがさわやかな笑みが自然に漏れた。
この季節、空気はカラカラに乾いている。
メルケルの苦くて薄い酒が、多分ひどく美味いだろう。





