第四領域:悲嘆自縛荒野・『セプテムミノス』
第四領域:悲嘆自縛荒野・『セプテムミノス』
この領域の支配者であるテラスは、巨大な生首だけの姿に蛇で出来た髪を持つメドゥーサと呼ばれる怪物であった。
彼女は、最初に自身の領域ごと引き上げられたときに狂乱して以降、誰一人自身の”魔眼”に巻き込まないようにしようと、瞳を閉じながら黙して今回の闘争には一切かかわるつもりがない事を示すかのように、この『セプテムミノス』に閉じこもっていた。
そんな彼女だったが、自身に科した戒めを破り、驚愕を浮かべたまま目を見開いていた。
彼女の周囲にいるおつきの蛇達も、固まったかのようにただひたすら一点を凝視していた。
彼女の眼前には、一人の初老の男性が立っていた。
彼は苦悶の表情を浮かべ額から大粒の汗を流しながらも、自身の底から絞り出すように笑顔を浮かべてぺチン!と、自身の禿げ上がった頭部を叩く。
「ハハッ……このハゲ頭で鏡のように反射出来るかと思ったが、やはり世の中そう上手くはいかんの!!男、藤原 ペン蔵、一生の不覚!と来たもんだ……!!」
藤原 ペン蔵。
彼は、元・国会議員からライトノベル作家へと転向を果たした異色の経歴の持ち主である――!!
ペン蔵はもともと、暖簾と言う結界で区切られたこの世(全年齢向け)とあの世(R-18指定)の境目を破壊し、現世に異界を呼び込むような『全年齢向けで過激な性描写を平気で行うライトノベル』を激しく敵視していた政治家であった。
彼は現世への深刻な被害、また、自身がこれまで長年総理大臣になれなかった不遇と近年規制に悩まされているアダルト業界の人々の姿を重ね合わせた事により、日陰で頑張ってきたアダルト業界を活性化させようと考えるようになっていた。
そのため、現世に深刻な影響を与える異界や魔王を呼び込み、卑劣にアダルト業界のシェアを奪う『全年齢向けで過激な性描写を平気で行うライトノベル』を規制しようと躍起になっていた。
だが、とある出来事からペン蔵は『ライトノベルの作者はどうあれ、その作品に出演しているヒロイン達にも、過激な性描写の作品に出なければならないやむにやまれぬ事情』がある事を知ると、すぐさま議員辞職を行い、実名名義で『初老の元・国会議員の男性が、過激な性描写のライトノベルに出演していたヒロイン達を一人残らず保護して人生丸ごと救い上げる』作品を”小説家になろう”内に投降し始めたのだ。
当初はペン蔵を馬鹿にしたりネタ扱いする書き込みが相次いだが、作品を通じてライトノベルに出ているヒロイン達の実情が周知されていくようになると、『自分達の娯楽のために、そこまで未来ある子供達の人生を食いつぶしちゃいけないよね』という風潮が出来始め、なろうの読者を中心に人々はアダルトコンテンツを楽しみたいときは、キチンとR18の暖簾の先にある商品を手に取るようになった。
かくして、ペン蔵の活動により現世と異界を繋ぐ境界は塞がり始めたうえに、彼の作品は書籍化した結果大ヒットし、”老害”で終わるはずだったペン蔵は数多のラノベヒロイン達に囲まれながらの過密な執筆スケジュールに追われる、という慌ただしくも幸福な余生を過ごしていた。
そんなペン蔵が、幸福に背を向けるかのように、苦悶の表情を浮かべながらゆっくりと重くなった足を前へと進めていく。
彼の腰から下は既に、テラスの石化の魔眼の影響で既に石同然になっていた。
だが、それでも前に進まなければならぬ、とペン蔵は強靭な意思の力で足を持ち上げ、一歩一歩着実にテラスのもとへと近づいていく。
何故なら――。
「――儂の眼前で、一人の女の子が悲しんでおるんじゃ!!……目の前の少女一人救えずして、何故に『全てのヒロインを救うラノベ作家』などと名乗れようか!」
藤原 ペン蔵という男にとって、自身の眼前にいるテラスという存在は、邪悪な世界の廃滅者でもなければ、異形の怪物でもない。
悲劇の宿業に囚われた、救うべき一人の少女だった――。
そんな彼女の存在を諦め、後悔し、無視して、忘却しながら何食わぬ顔をして生きていけるほど器用だったのなら――藤原 ペン蔵という男は、国会議員を辞めてラノベ作家に転向するような道を選んだりするはずがないのだ。
「本当に……アイツって馬鹿なんだから……!!」
「えぇ。……でも、それでこそ私達の自慢の”ペン蔵”様です……!!」
「ふん、分かってるわよ!そんな事くらい……!!」
苦笑を浮かべながらも言葉に寂しげな響きを含ませた女性に、気丈に振る舞いながらも目じりに涙を浮かべた勝ち気な少女が答える。
見れば彼女達だけでなく、多くの少女達が涙を流しながらも、それでも『自分達が愛した人は、こんなにも凄いんだ』と自慢するかのように誇らしい表情を浮かべて自分達に背を向けているペン蔵へと両手を翳している。
彼女達は皆、ペン蔵によって人生を救われた『過激な性描写のライトノベルに出演させられたヒロイン達』であった。
彼女達は自身の力を振り絞り、ペン蔵の背後から彼に向けて力を与え続けていく――!!
「頑張ってください、ペン蔵さん!!」
「帰ったら、一緒にバターロールケーキを食べるって約束したんだからねー!!……忘れたりなんかしちゃ、絶対にヤダッ!!」
「ペン蔵殿……私が見込んだ男は、こんなところで終わるような存在ではないと見せてみろッ!!」
降り注がれる力と共に、ペン蔵に降り注がれる数多の声援。
これまで自分達が歩んできた軌跡を感じさせる彼女達の呼びかけこそが、今のペン蔵にとってはどれだけの援軍を得ることよりも、遥かに心強かった。
ペン蔵は彼女達の献身の加護によって、テラスの強大な”魔眼”で瞬時に石化することもなく、テラスの力に抗いながら必死に身体を動かす事が出来ていた。
とはいえ、テラスは魔王:古城ろっくの”悲哀”の廃滅因子の力によって強化されているため、このまま行けば……いや、今更この場から離脱したところで後は早いか遅いかだけであり、彼が石像になることは最早避けられない事象である。
今のテラスに出来る事は、少しでもペン蔵の石化を遅らせるために、自身の瞳を閉じることくらいである。
――なのに、それなのに。
「――――――――――――ッ!!」
この男から、目を逸らす事が出来ない。
どんな宝石や首飾りよりも、眩く輝く禿頭から。
そして、自身の石化の魔眼からそらすことなくまっすぐと見つめてくる強い眼差し。
テラスにとって、このように自身の瞳を見つめ返してくる者は初めてであった。
これまでテラスが出会ってきたのは全て、自分の魔眼に恐怖し絶望し、彼女に怨嗟の声を上げながら睨みつけてくる者達ばかりだった。
ごめんなさい、ゴメンナサイ――。
私は貴方達から未来を奪う事しか出来ない醜い化物です。
外見の事だけじゃありません。
そのくせ、それでも誰にも受け入れられないなら、せめて綺麗な首飾りだけでも欲しい――。
そんな浅ましい望みの一つも捨てられず、惨めに泣き続ける事しか出来ないような意気地なしの卑怯者、それがこの”怪物”という自分――。
そんな想いを抱えながら、自身の意思が続く限り、永劫にこの荒野で悲嘆に暮れ続けるのが、自身の因子によって科せられた運命なのだと諦めていた。
だが、そんな彼女を見つめる眼前の男は違った。
もはや、目を逸らしようもなく真正面にまで到達した男が、息を切らしながらゆっくりと口を開く。
「――君は、何も悪くない。君は、自分ではどうしようもない力でそういう”役割”を押しつけられただけの”ヒロイン”なんだ。……君は絶対に、悪くなんかない……!!」
ペン蔵は、かつて若い頃小説家になる志を諦め、親の地盤を引き継いで国会議員へとなっていた。
そのような鬱屈した感情もあり、過激な性描写のライトノベルの作者は全て『大して熱意があるわけでもないくせに、安易な金と人気欲しさに中高生相手のポルノコンテンツを量産するクズの集まり』と認識しており、それはラノベ作家として大成した今も拭いきれていない。
だが、それでも――いや、全てを知ったからこそ、そのような作品に出演しているヒロイン達を憎むことなどペン蔵には出来なかった。
「ラノベ作家の小遣い稼ぎに過激な性行為同然の事をやらされる作品のヒロイン達も、魔王:古城ろっくの廃滅因子とやらで、自分の意思とは無関係に人々を石像に変える存在にさせられた君も、勝手な奴らに”役割”とやらを押しつけられた普通の少女だ!!……大人が、保護すべき少女達にそんな理不尽を押しつけて平然としている社会など、絶対に間違っておるッ!!」
それが世襲議員であろうと、感情任せな規制派だろうと。
『子供達が腹いっぱい満足にモノを食べられる豊かな社会』を目指し、理不尽に晒され続けてきた多くのヒロイン達を救ってきた元・国会議員のラノベ作家:藤原 ペン蔵という男の在り方であった。
ペン蔵は、優しくテラスの頬に触れる。
「だから、テラス君。……君は何も悪くなんかない……!!君が自分ではどうする事も出来ない宿命に囚われているというのなら、この儂、藤原 ペン蔵が!!世界を敵に回してでも、君を救い尽くしてみせる……!!」
何の根拠もない発言だった。
感情任せ以外の何物でもなかった。
――けれど、確かな力強さがあった。
――そして、彼と共にあったヒロイン達は皆全て、彼がそれを実行してみせた事を知っていた。
ペン蔵の背後にいる数多のヒロイン達が――。
テラスを守るように囲んでいた蛇達が――。
固唾を呑んで見守っていた。
「――――――――――――ッ」
瞳を逸らすことなく、声も上げることなく。
テラスの両眼から、静かに涙が流れ落ちていく――。
だが、それは今までのような悲しさに満ちた涙ではなかった。
この感情が何なのか、テラスには分からない。
けれど今のテラスは、自身を長年縛り続けた”悲哀”の想いが雲散霧消し、自身の中に温かい感情が急速に広がり満ちていくのを実感していた――。
※本作の執筆にあたって、『古城ろっく』さんの名義を使用させて頂く許可を、古城ろっくさん本人から頂きました。
慎んで、深く御礼申し上げます。




