第三領域:混沌無法地帯・『イビルオオツ』
第三領域:混沌無法地帯・『イビルオオツ』
ストーカー殺人鬼・束縛因 飛鳥の歪な支配によって成り立つ暗黒領域:『イビルオオツ』。
現在、この領域にも”転倒世界”の勢力が押し寄せていた。
飛鳥の尖兵と化した警察官が同僚に向けて必死に叫ぶ――!!
「ク、クソッ!!……こっちは現在進行形で襲われているっていうのに、逮捕状はまだ出ないのか!?」
「む、無理です!!……この世界には彼らに適用できる法律が存在していません!!これは、現在の我々の権限を越える事態です!!」
イビルオオツの警察や探偵を襲撃している者達……それは、転倒世界において”妖怪”と呼ばれる者達であった。
”妖怪”。
人の想いから生まれ、闇の中で蠢く人ならざる者達。
彼らはこのイビルオオツにおいて、支配者である飛鳥や彼女の尖兵達によって闇に葬られた多くの者達の無念を晴らすかのように吸い上げ、強大化していた。
「困っている人達を、放ってはおけないニャ!!」
頭部から猫耳、臀部から二本に分かたれた尻尾を持つ猫又の少女:ヒナタの呼びかけに応じ、妖怪達が唸り声を上げて飛鳥の尖兵達を蹴散らしていく。
「……それにしても、間違いなく俺達の力が強くなっているっていうのに、どうにもこの世界は嫌な気分って奴が拭えねぇな~。そうは思わないか?相棒!!」
小柄な鬼の姿をした妖怪”捷疾鬼”が、警官たちを超高速で翻弄しながら大柄な妖怪に話しかける。
大柄な牛の姿をした妖怪:牛鬼は「誰が相棒だ」と言いながら、憮然と返す。
「決まっている。この世界の者達は人間だけを恐れているからだ。……暗がりを歩いていても、そこにいるのは俺達のような怪異ではなく、真っ先に自身への刃物と害意を持った何者ではないのか、とな……!!」
なんせこの世界ではストーカー殺人鬼が頂点に君臨し、自分達の治安を守り真実を明らかにするはずの警察や探偵がその手下に成り下がっているのだ。
迂闊に怪異などを持ち出せば、彼女や彼らにとって都合よくそれらの仕業として、自分達が被害に遭ってもそのように処理されるかもしれない……。
明日の平穏も知れぬこの世界の住人にとって、恐怖の対象はどこまでも飛鳥と彼らが率いる私兵達でしかなかった。
――牛鬼は、それが気に喰わない。
「……真に”畏れ”を背負って立つのは、それだけの力を示し、人間達が眼を背けるような闇の中の光景にも、真正面から向き合っていける者だけだ。……己自身からすら逃げてきたようなこんな奴らが、この世界で最も畏れられているなど、俺には到底我慢ならんッ!!」
牛鬼の豪快な一撃を受けて、彼を取り囲んでいた探偵達が一斉に吹き飛ばされる――!!
『グアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!?』
強烈な牛鬼の怒気を受けて気圧されている間にも、うめき声が上がる――!!
「グ、グハァァッ……!!」
次々と倒れていく仲間達。
その瞬間を目撃しているはずなのに残った警察や探偵達は、この凶行を引き起こしたのが、今自分達の前で刀をぶら下げて立っている”夜叉”の所業だとは見抜けなかった。
隠すつもりもなく、夜叉が残った者達に向けて言い放つ。
「……貴様らの”捜査”や”推理”とやらは、大層見事なようだが……果たして、自身に振るわれる我が剣技を見破る事は出来るのかね?」
ユラリ、と夜叉の身体が揺れた気がした。
警官が銃を構え、探偵がバリツの構えを行うが――全員が『自分達は最早助からない』という答えを導き出していた。
「ク……クッソォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!」
彼らの断末魔すらも――夜叉の流麗な剣技が切り裂いていく。
このような『妖怪達による警察・探偵達への一方的な蹂躙』という光景は、現在『イビルオオツ』の至るところで繰り広げられていた。
それというのも無理はない。
この世界で強大化した妖怪達が用いる妖しの術は、最新の科学的見地を用いた技術でも見通す事は出来ず。
自分達がどれほどの難事件を構築し圧倒的な権力で隠蔽しても、それら一切の人世の理を無視して、犠牲者・被害者の怨念を取り込んだ妖怪達は正確無比に過たずその罪業を暴き、飛鳥の尖兵達を引きずり出していくのだ。
――こちらからの攻撃は微塵も通じないのに、あちらの攻撃だけが常軌を逸した力で襲い掛かってくる。
彼らの中で久しく忘れていた、飛鳥に仕える事を選んだ当初のときのような『自身が告発されるかもしれない』という恐怖が鮮明に浮かび上がってくる――!!
それでも、まだ一矢報いる方法はあるはずだと思っていた警察兵と探偵兵の前に、一体の妖怪が姿を現す。
……いや、彼にすれば、警官や探偵を意識しているつもりはさらさらないのだろう。
何故なら、彼は道行くこの世界の女子高生に「今晩、これでどうかな?」と指を三本指し示しながら、援助交際を持ちかけていたのだ。
帰宅中のサラリーマンを彷彿とさせるスーツ姿だが、3メートルを優に超える体躯と、ツルリ!とてっぺんでまばゆい輝きを放つ禿頭、また、全身から放つ”妖気”とでもいうべきモノからしてこの男も”妖怪”に違いない。
一体でも多く敵戦力を減らそうと、自分達の眼前で明らかな犯罪行為に走っている妖怪に向かって、20名近くの警察・探偵が一気に押し寄せる――!!
「大人しくお縄につけ!!この条例違反の淫行ハゲヤロー!!」
「俺達に残っている”正義”を愛する心……今、ここで使わずして何とするッ!!」
だが、自分のもとに殺到する彼らを前にしても、巨漢の禿頭妖怪は特に動じた様子を見せなかった。
彼の名は――妖怪:”神待ち入道”。
女子高生の間に『"援助交際"は最先端のオシャレである!』という風潮を蔓延させる事によって、彼女達に安い賃金で売春させその身体を弄ぼうとする卑劣な妖怪である。
警察からの職質に真っ先に怯えるはずの彼だったが、ことイビルオオツの者達が相手ならばまったく怯みはしない。
迫りくる彼らを睨みながら、静かに呟く。
「……こんなことを日課にしているが、私とて自分が人様に顔向け出来ない事をやっているという自覚はある。だから、私のどうしようもない欲求から彼女達を保護しようとする世間様や警察の視線から逃げるように、隠れるように生きてきた……!!」
けれど、と神待ち入道は続ける。
「『イビルオオツ』の警察・探偵達!!貴方達は違う!……本来、彼女達の未来を守るべきはずの貴方達が、巨悪のもとで私腹を肥やしながら平穏に生きる事を願う彼女達の笑顔を脅かすことに積極的に加担している!!……そのくせ、私と違って何の後ろめたさも感じていないその在り方、断じて許し難し!!……貴方達に誰かを裁く資格など微塵もないと知りなさい!!つまり、私は無罪!」
そう叫ぶや否や、神待ち入道は瞬時に自身の懐から財布を取り出し、そこから抜き出した3枚の一万円札を右手の指の間に挟み込む――!!
「……フォォォォォォォッ!!……政治家がランチで3千円を使うのは不謹慎……だが、サラリーマンが援助交際に3万円を使うのは別腹……!!」
そう呟きながら妖気を溜め込んだ神待ち入道が、クワッ!と目を見開く――!!
「喰らえッ!!"神の厳粛たる裁きは、本番あり"――!!」
荘厳たる響きとは裏腹に、邪悪なる妖気を纏った3万円による斬撃が、飛鳥の私兵と化した者達に残った最後の矜持すら無残に打ち砕いていく――!!
『ウ、ウワァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!』
こんな明らかな不審者・犯罪者すら倒せなくなるほど、自分達の正義を求める心は曇りきっていたのか……。
そう打ちひしがれながら地面に倒れ込む彼らを無視するかのように、絶望的な光景が続いていく。
神待ち入道に声をかけられた女子高生が、彼を相手に満面の笑顔で腕を組みながらホテル街へと消えていく。
物陰から吊るされたこんにゃくや、道端に落ちている不審な宝箱を何の警戒心もなく開いて、中から飛び出してきた男性モノのファーコートを身に纏った”ミミック”少女に襲撃される無様な悲鳴を上げる探偵。
”百目鬼”と”見越し入道”の二人組による美人局行為に捕まり、高額な金品や自分達の情報を巻き上げられる警察官。
……かつて”正義”を信じ、それをこの世界に取り戻すために束縛因 飛鳥のもとに仕える屈辱を選んだ自分達の在り方とは、これほど脆いモノだったのか。
その果てに繰り広げられるのが、この醜態の数々が白日のもとに晒され、まさに無法が如く蹂躙される地獄絵図しかないというのか。
――それなら自分達は、本当に今まで一体何をしてきたというのだろう。
飛鳥の尖兵と堕した者達は、自身の魂がポキリ、と音を立てて崩れていくのを感じていた――。
「まったく、使えない方達ですわね……まぁ、今の彼らなら私が手を降すまでもなく勝手に自滅してくれるでしょう……クスクス♡」
そう言いながら、この暗黒領域の支配者であるストーカー殺人鬼の少女:束縛因 飛鳥は、現在『イビルオオツ』で繰り広げられている光景に背を向ける。
現在、彼女の側近クラスの者達は、工業系に特化した蟻の妖怪:”金槌坊”が作り上げた戦闘メイドロイド部隊や、”草履大将”の優れた指揮による妖怪達の集団戦術を前に、捜査や推理が入り込む余地もなく殲滅されようとしていた。
だが、彼女は微塵も焦りの表情を浮かべない。
なぜなら自身の配下とは言っても、寝首を掻くために集まっているような者達で構成されているため、目ぼしい者が多少いたとしても彼女に部下達への愛着といったモノはなく、この世界の好みの男性はあらかた既に愛玩し終えている。
ゆえに、彼女は自身が支配する世界を早々に放棄する事を決意した。
――自身の卓越した暗殺術があれば、単身でどんなところでだってやっていける。
そのような自負が、飛鳥にはあった。
後はこの世界でやった事と同じように、自分が気に入った殿方を自分好みに寵愛しながらその世界の治安維持組織の信頼を失墜させれば、自然と自分がのびのびと行動しやすくなる地位と環境が手に入るはずだった。
「次はどこにしようかしら……やっぱり、ダンディなオジ様は外せないわよね。ならば、ここでは警察や探偵の方々が相手してくださったのだから、今度は危険な香りのする方々も良いかも。……危険度もそんなにないと言われているし、マフィアの方々がたくさんいる『アングラケイオス』で次は決まりかしらね……!!」
飛鳥がそのように世界間を隔てた高跳び計画を企てていた――そのときであった。
「その目論見はそこまでッスよ。ここがアンタにとっての地獄の三丁目。……まさに、デッドエンドって奴ッス!!」
飛鳥が声のした方に振り向くと、そこに立っていたのは一人の少女だった。
赤いショートヘアに猫耳を生やしており、周囲に何故だか炎を纏わせているがそれが燃え広がる様子もない。
訝し気な表情を隠そうともせず、飛鳥が少女に尋ねる。
「貴方は……だぁれ?」
「冷奴……って、違ったッス!!初めまして、自分は七大妖怪王の一人、妖怪火車王:カリンっていう者ッス!!これから地獄で顔合わせするときは、どうぞよろしくッス!」
爽やかな表情かつ下っ端口調ながら、物騒な事を口走る少女:カリン。
彼女は転倒世界において、”七大妖怪王”と呼ばれる強大な妖怪のうちの一体である”火車”の少女だった。
軽いノリながらも、その居住まい・雰囲気から只者ではないと判断した飛鳥は、気づかれぬように取り出した愛用のナイフを握りしめる。
自身の卓越した高速の暗殺術と、この”追跡”の廃滅因子の力を練り込ませたナイフで切りかかれば、相手がどれだけ避けようとも必ずその首を掻っ切る……はずであった。
「おっと、そうはいかないッスよ……”幻想息づく隠れ里、いまここに顕現せよ”――!!」
「――ッ!?」
カリンがそう唱えるのと同時に、周囲が業火に包まれる。
いや、そうではない。
周囲の景色そのものが全て塗り替えられたかのように、業火に包まれた領域に変化していたのだ。
赤城てんぷという山賊が用いる”降誕の焔”とも違う、厳粛さを宿した業火。
そして、そこからいつの間に姿を現したのか、地獄の裁判官の如き風体と鬼のような表情を浮かべた十人の巨人達が、飛鳥を睨むように見下ろしいた。
あまりの異常事態を前に、飛鳥が戸惑いの声を上げる――!!
「な、なんですのこれは……一体、何が起きていますの!?」
そんな困惑する飛鳥とは裏腹に、カリンはニャハハッ!と笑いながら答える。
「自分達"妖怪王"と呼ばれる存在は、強大な”現代社会”でも拭い去る事が出来ない幻想息づく隠れ里――『幻想領域』って奴を展開する事が出来るんッス……どうッスか?渋いオジ様が好みらしいから、これって理想のシチュエーションって奴ッスよね?」
赤城てんぷのような"山賊"と呼ばれる存在は、自身の意思の力――"BE-POP"を燃焼させる事によって、自身が想い描く光景を"山賊領域"という縄張りとして、現実世界に展開する事が出来る。
ならば、人々の想いから生まれた"妖怪"と呼ばれる存在はどうなのか?
善・悪を問わず純粋な意思の力によって存在する彼らは、むしろ"山賊"以上にこのような領域を展開する素質があるといえた。
ただ、多くの妖怪達がこのような領域にまで自身の意思の力を到達させる事が出来ないのは――"妖怪"として存在している時点で自身の欲求や願いはあらかた叶えられるようになっているため、意思を燃やし尽くすほどの渇望を得る事がないためである。
そんな中で、人間との関わりの中で自身の魂を煌めかせるほどの意思の力に覚醒め、幻想領域を開花させるまでに至った七体の妖怪達。
彼女達を転倒世界では尊称を込めて『七大妖怪王』と呼ぶ――!!
「げ、幻想領域……?何よ、何よそれは!!ふざけた事言ってんじゃないわよ!!……このふざけた光景をさっさとやめなさい!!」
そう言いながら、ナイフを構えてカリンのもとへと疾走する飛鳥。
……だが、その刃がカリンに届くどころか、駆け出す事すら叶わなかった。
冷や汗を流しながら固まる飛鳥に対して、カリンがこれまでに見せたのとは違うゾッと底冷えするような表情と声音で囁くように言葉を紡ぐ。
「……自分の領域は、まさに灼熱の地獄そのものッス。この領域は相手がこれまで犯してきた罪業が重ければ重いほど、それに合わせて威力が上がる鬼仕様ッス。……と、どうやらお迎えは既に来ているみたいッスね?」
「お、お迎えって、何よそれ……!?」
飛鳥が顔面蒼白になりながら、おそるおそる振り返る。
そこには――苦悶の表情を浮かべながら、連なるように飛鳥の身体にまとわりつく数多の男達の姿があった。
彼らの身体は皆半透明であったが、皆脳髄がむき出しになった者や内臓を繰り抜かれている者、空洞になった両の眼窩を飛鳥の方に向けながら彼女の名を呟く者、四肢を失った状態で飛鳥の足に噛みつく者……。
みな、惨たらしい拷問を受けたような姿をした亡者達であった。
彼らの姿を見て、飛鳥が絶叫を上げる――!!
「な、何よこの化け物どもは!?は、放しなさい!!汚らわしい手で、私に触れるなぁッ!!」
飛鳥が必死の形相を浮かべて、振りほどこうとする。
だが、そんな彼女に「それで良いんスか?」と、カリンが訊ねる。
「何って……その人達はアンタがずっと一緒にいたがっていた人達じゃないっすか」
「わ、私が……かつて愛した殿方達……?」
そう口にしながら、亡霊達に振り替える飛鳥。
見れば目元や体つきに面影がある者達がいた。
損傷が酷すぎて全く誰だったか分からなくなった者はそれ以上にいたが、彼らの死因となった殺害方法は全て覚えていた。
彼らは紛れもなく自分が命を奪った、愛しい男達であった。
――何故、こんなにも儚く、散ってしまうのか。
――何故、みんな自分を置いて冷たくなってしまうのか。
――でも、これでずっとみんなと一緒にいられる。
激しく恋い焦がれ、それすらも失われるという無情な現実を前に悲嘆に暮れながら、それでも永遠に共にいられるようになった事実に安堵した。
そんなかつての男達が、怨みとも優しさともいえないような形相を浮かべながら、彼女がかつて自分に向けた想いを本物にしようと、自分達のもとへ彼女を引きずり込もうとする――。
「待って、待って……あ、貴方達の遺体は一人残らず、私の屋敷に保管してるの、本当なの!!……最初は混乱して見分けられなかった人もいるけど、今なら誰が誰かはっきり分かるわ!……だって、私の愛した人の中にどーでもいい玩具同然の存在なんて、一人もいなかったのですもの!!」
嘘偽りない本音を飛鳥は述べる。
自身が恋い焦がれ、過去の経歴や周囲との関係、好みのタイプなどを調べあげ、意中の相手に気に入られるように自身をコーディネートし、熱烈に愛のメッセージを告白しながら、鮮烈なまでに命を奪ってきた自身の彼らに対する愛は本物であった。
だが、亡者達はそんな言葉に納得などしない。
――本当に今も愛しているなら、何故自分達を置いて別の世界へと簡単に逃げられるのか。
理不尽かつ一方的な形の求愛行為であり、今も飛鳥を怨んでいる者達が大半に違いない。
それでも、彼らは自身の命を失う事で飛鳥が納得出来る"愛"を証明してみせた。
ならば、亡者達が飛鳥に求めるのは、口先だけの言葉ではないはずだ。
――今度は、君が我々への"愛"を証明して見せてくれ。束縛因 飛鳥。
「……ぬっがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
気がつくと、飛鳥は絶叫を上げながら、自身の中にある悪の因子の力を振り絞り、自身にまとわりついていた亡者達を振り払っていた。
過去の経歴や周囲との関係、好みのタイプなどを調べあげ、意中の相手に気に入られるように自身をコーディネートし、熱烈に愛のメッセージを告白しながら、鮮烈なまでに命を奪うほどに追いすがってきた彼らの面影が、一人残らず飛鳥の周りから消えていく――。
それと同時に、飛鳥の内部にある"追跡"の因子が軋みを上げた気がしたが、今の彼女にとってはどーでもよかった。
自分に二度も彼らとの別離を味わわせた元凶――妖怪火車王:カリンに向けて、暗器術で瞬時に取り出した"追跡"の力が込められた千本のナイフを高速で抜き放つ――!!
「死ぃ……ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっい!!」
これまで自身が他者に向けてきたモノとも違う、一切の情愛を排した渾身の殺意の群れ。
……だが、それがカリンに届く事はなかった。
吹きすさぶナイフは全て、苛烈なる銃弾の嵐と巧みに操られた鞭によって全て粉砕されたためである。
「オラオラッ!アタシらを黙らせるには、あと二倍は用意しねぇとな!!」
豪快に笑いながら二丁拳銃を誇る、肉感的な体つきに牛の角を頭部から生やした妖怪:牛頭。
「こら、油断するんじゃない。あれでも領域支配者と呼ばれている存在なんだぞ」
と相棒に注意を促しながら、巧みに鞭を操るスレンダー体型の馬耳妖怪:馬頭。
カリンの側近をするこの二体の妖怪によって、飛鳥の攻撃は全て無意味なモノと化していた。
そんな凄腕を見せつけた彼女達に、気さくな様子でカリンが話しかける。
「オイッス〜!姐さん達、お疲れ様ッス!!……出番を作るために、慌ててやって来たんッスか?」
「……一応助けてやったのに、何だその言いぐさは!」
「ぎゃー!!」と言いながら、じゃれあいを始めたカリンと牛頭を呆れた様子で眺めていた馬頭だったが、すぐに凛々しい顔つきへと変わる。
「カリン様、おふざけはそこまでで。牛頭は、仮にも妖怪王であるカリン様に対する態度について、後で話があります」
「おぅよ……まずはこれが終わったらな!!」
「了解ッス!!……って、"仮にも"って何スか、それ!?」
そう返事しながらも前方を見やるカリン達。
彼女達の前にはこれまでにない殺気をみなぎらせた束縛因 飛鳥の姿があった。
因子に破綻をきたし始めているとはいえ、自身の能力だけで一つの世界の頂点に君臨する領域支配者による全力解放だが、そんな飛鳥を前にしてもカリン達は微塵も怯まない。
何故なら、カリンとて自身の幻想領域を統べる存在であり――ここは最早戦場ではなく、罪人を裁く審判の場なのだ。
――ならば、どれだけの力を誇ろうが、罪人を前にした自分達地獄の住人がする事はただ一つ。
「それじゃあ!少しばかりキッツ〜いおしおきと、行っちゃうッスよ〜!」
カリンの呼び掛けに応えるように、四つの燃え盛る巨大な車輪が宙に浮かび上がっていた――。