絶望とボートの上で ~漂流した僕がおこしたキセキ~
乗っていた船が壊れた。
大きな海流に、僕はただ流され続けた。
直すすべはあった。
船に積まれた本を読んで、現実と向き合い、船を調べれば、直せたかもしれない。
僕はボートに乗り移った。
襲い来る波に、僕はボートに身を隠した。
帰るすべはあった。
ボートにあったオールを持って、現実と向き合い、こぎ続ければ、帰れたかもしれない。
何もせずに数日が過ぎた。
空腹と渇いた喉に、僕は激しく後悔した。
出来ることはあった。
何故、僕は現実と向き合わなかったのだろう。
現実と向き合い、努力をすれば、どうにかなっていただろう。
僕は後悔し尽くした。
襲ってくる眠気に、僕は自分に激怒した。
後悔なんてしてる場合じゃなかった。
腹をくくり、前を向け。
諦めなければ、助かるかもしれない。
僕は決意した。
ボートを漕ぐ力がなくても、絶対に溺れない心を持とう。
ボートが海に沈みかけても、勇気のバケツを持って、不安の水を追い払おう。
僕は暗闇から身をのりだし、一筋の光を探した。
僕は船を見つけてみせる。
どんなに大きな流れにあっても、僕は前を見続けた。
どんな不安が襲ってきても、僕は前を見続けた。
どんなに体が辛くても、僕は前を見続けた。
どんなに目を閉じたくても、僕は前を見続けた。
そして長い間、絶望と戦い続けた。前を見続けた。
遠くで小さく光る。
なんだ?
星か?
船だ
力の限り声を出し、思いっきり手を振った。
声をあげなかった人生で、一番強い声が出た。
ボロボロにも関わらず、負けなかった体は軽かった。
暗闇の中でも、勝ちきった僕の命は輝いていた。
気を失って……柔らかい床
強い光が、部屋一杯に射し込む。
目覚めたベットの上で、僕は思った。
どんなに現実が辛くても、現実と向き合い、前を見続けることが、大切なんだと。
現実が本気で辛い方へ
「現実と向き合い」と言う言葉は重いかもしれません。
僕は重いと思いましたから、もっと重い辛いと思われた方はいると思います。
ただ、僕は辛い現実の中を生きるだけでも、
「向き合う」形の一つだと思いますし、凄いと思います。
「おこす」には「心をふるい立たせる」と言う意味があります。
なので、
サブタイトル ~漂流した僕がおこしたキセキ~
の「おこしたキセキ」に
「心をふるい立たせる軌跡」と言う意味も込めています。
この詩が少しでも生きようと思える一筋の光になりましたら、幸いです。
お読みくださり、誠にありがとうございました!
※【下に詩の後書きへのリンクを貼っております。】
もしよろしければ、お楽しみください。
※詩の受け止め方は個々人の自由で、作者に縛られるものではないというスタンスの方や、長文がしんどい方は読まないことを推奨します。
※作者は何を考えてこの言葉を選んだのか、知りたいタイプの方はどうぞ。