その後 商人と町
周囲を険しい山に囲まれた盆地に所せましと家が乱立している。
整っているのは中央部のみで、外円に近づくにつれて掘っ建て小屋や野営地すら見える。
ここはアダム教の総本山であり、唯一のアダムの名を冠する村…もとい町である。
住民は当初の200名より大幅に増え、今では軽く2000人を越え、急ピッチで拡張と建物の普請が進められている。
それでも日を追うごとに増えつつある移民、流民、信者希望者は留まる事を知らない。
「ほらほら皆寄って見て、そして買っていってよ!アダム様直伝の銘菓だよ!」
そして市には外からの交易品や山で取れた幸、畑の収穫物、民芸品などが溢れている。
若い男が売るのは生地に包んだ甘い餡を蒸した菓子…いわゆる饅頭だ。
北国の寒さの中でもうもうと湯気を出す様は暖かさを演出し、その言葉は市中の視線を釘づけた。
何よりも『アダム』の名が周りの視線を呼び寄せたと言った方が良い。
「あったかい菓子なんて珍しいわねぇ、アダム様の名前が付いているなら一つ貰おうかしら」
「まいどありぃ!これで貴女にもアダム様のご加護がありますよ」
「おい、その話本当かよ。俺にも一つくれ!」
「こっちは2つだ!」
「はいはい皆さん!数は充分に有りますので順番に順番に、押さないでー!」
一度火が着けば鎮火出来ない山火事のように『アダムの加護』が付いた饅頭は売れていく。
事の真偽など気にしない、というよりもこの町に於いてアダムという名は特別であり、誰もが信ずるに値するという暗黙の了解が存在する。
もちろん、悪用した際は非常に重い罪が課される事になるが、商機だけを見て町に転がり込んだこの若い商人は知る由もない。
「へっへ…皆さんにアダム様のご加護があらんことをー………ってね。へへ、ちょろいもんだぜ」
珍しいとは言えども饅頭は所詮、材料と手間賃の価値しかない。
それにしてはかなり割高だが、飛ぶように売れるのはやはり『アダム』の名があるからこそである。
「へぇ…あんさん、饅頭とはまた珍しいもんを扱ってますなぁ…それに何やら加護があるとか無いとか聞こえましたなぁ?」
ほくほく…正確にはにやにやが止まらない男に声をかけたのは北部ではまず見かけない狐の亜人だった。
着崩しているが生地や装飾から金か権力を持った貴人だとすぐに分かった。
亜人は人種よりも体毛なり鱗なりがあるので寒さには強いと思うが、いかに意匠とは言えこの寒い時期に着崩すほどの価値があるのかは男には理解できなかった。
「どこぞのお偉方か存じませんが、この町の由来にもなっているアダム様の加護が付いたこの饅頭…おひとつどうですか?」
「…あぁ、聞き間違いちゃうんねぇ」
「はい?」
「いやねぇ…アダム様の加護がどうのって部分なんよ」
「それが…何か?」
「見たところ、普通の饅頭やねぇ…魔法効果も見えんしどの辺にアダムはんの加護があるのか教えてもらえるやろか?」
「それは企業秘密だ。おいそれと教える訳にはいかないね…それとも何かい?お嬢さんは疑うのかい?」
「いやねぇ、ウチはアダムはんとちょっとばかし付き合いがあってなぁ…"そういう売り方"を酷く嫌うんよ」
「…アダムってーのはあんたらの神様だろ? なのに随分と気安く呼ぶし詳しいなぁ……コレか?」
顔は笑っているが目は笑っていない。
目は獲物を睨む狼のように細め、相手の狐亜人を値踏みする。
これ見よがしに立てた小指は女…つまりは愛人の暗示だろう。
着崩した衣服から漏れ出る冬毛はお世辞にも商人には見えない。
人は見かけに…とも言うが地で行くスタイルはどこぞの貴族の放蕩娘がいいところだろう。
狐亜人の貴族など一つしか心当たりがないが、こんなところにいるはずもないと高をくくる。
「そういう関係っちゃぁ…そうかもしれんねぇ」
「…なら旦那の足元を潤す商いに口挟む野暮はしねぇよな?」
「それがなぁ、挟むのがウチの役目やさかい、堪忍なぁ」
二人の間には互いの腹を探りあう火花が散っていた。
周りの人々も何やら剣呑な空気に少し距離を開けている。
「とりあえず商業証明を見せてくれへんかな?」
「…なんだよ、コレかと思えばギルドの回しもんかよ」
商業を取り仕切るギルドがこういった見回りを行う事は通例であり、許可を取っていれば何の問題も無い。
周りの商人らも「いつものアレか」と視線を外す。
「ほらよ、商人ギルドの証書だ」
「少し預からせてもらいま…――」
見せたのは1枚の羊皮紙でモグリでも無く正真正銘の商業ギルドの公認印が押された本物だ。
これがあればどこの街でも営業が出来る免罪符とも言える。
しかし、見慣れているはずのその証書を見ても狐は良いとも悪いとも言わない。
「…?」
「なぁ、あんさん? 証書はこれだけどすか?」
「…何か不足でも?」
「質問しとるのはウチどすえ。もう一枚の証書は?」
「ギルドから支給される証書はそれ一枚だろうが。そんなの常識じゃねぇか」
「そうやねぇ…それは他の街なら常識や。けどもこの町では非常識やで」
ざぁっと男の顔から血の気が引いていく。
もとより商人というのは計算に限らず場の空気、腹の探り合いなど体よりも頭を使う場面の方が圧倒的に多い。
自らで答えに近いところまでたどり着いたのだろう。
呼吸が浅く、多くなったのかゴクッと喉を鳴らした。
「そんなに汗かきはって、大丈夫どすか?」
「わ、悪かった…この町には昨日来たばかりでな、決まり事にはまだ疎かったんだ…」
「そないな言い訳が通じると思っとるなら呆れを通り越して滑稽やな。無許可の商売に関する罰則は商業ギルドでもご法度…この町に限れば営業資格の無期限停止と労働奉仕1か月やったかな…」
「くそっ!どけ!そいつも返せッ!!」
今、この時期、この時流に乗れないどころか永久に乗る資格を失うとなれば今日の利益になど歯牙にもかけず男は逃げ出した。
もちろん通りすがりに狐から証書を奪い取る事も忘れていない。
「あらまぁ…追加で審査拒否と逃走と…。何にせよ捕まえんと騒ぎが大きゅうなるなぁ。これもお仕事やね」
目の前で容疑者が逃げるのに口を少しばかり開けるだけで少しも動じた様子がない。
男の方は人込みをかき分け、押しのけ、突き飛ばし町の出口に向かって駆けていく。
「…傷害も、追加や…ねっ!!」
ふわり、と宙に浮かんだと思えば着崩しの狐令嬢は空中を疾走…いや、攻城弓のように射出された。
人を掻き分ける方と空を飛ぶ方、その距離は瞬く間にゼロとなり――。
ドスン
「つーかまえた。おいたはあきまへんえ」
空から人が降ってきたとなれば嫌でも注目を集める。
だが、その降ってきたのが彼女か、と知れば左程驚くものでもなかった。
さりとて誰しも面倒事や刃傷沙汰に巻き込まれるのは御免だ。
知らず知らずにさぁっと人の波が引き、自然と野次馬の輪ができた。
「降りろ!くそ!重いんだよ!」
「……何か、言いましたかえ?」
ゴリュ…と狐の足が男の右手を踏みしめた。
彼女が履いていたのは柔らかい草を編んだ草履だが、その上にある足の膂力は人の器に収まるものではない。
並みの商人としてしか働いていなかった人種の手であれば…ポキン。
「っ! がぁぁ!」
一切に動きに重さを感じさせない動きをしていたが、やはり女性に重さ云々の話題は禁物である。
彼は土壇場にして、片腕の骨を犠牲にして理解した。
商人としては非常に高い買い物である。
そして大捕り物を周りで見ていた野次馬をかき分けて数人が姿を見せた。
「ちょっと通してくださいね、すいません……ってこの騒ぎはなんですか、コンさん?」
「あら、これは神子様、近衛長はんも、ごきげんうるわしゅう…お仕事中に不届き者を見つけてねぇ、ちょっと…ねぇ?」
「…罪状は?」
神子と呼ばれたが服装の豪華さに負け気味の地味な顔つきはお世辞にも10代前半相応のものだ。
その傍に立つ黒豹の亜人が罪人とされた男を見る。
少女は「うわぁ…痛そう…」と顔を顰めるが黒豹の方は眉一つ動かしていない。
「無許可の商売に、アダム名義の不正使用、審査拒否に逃走…見ての通りに乱暴に逃げたから傷害も付きますやろか」
「はぁ…コンさん、あまり騒ぎを起さないでくださいよ」
「貴女ほどの腕であれば逃げられる前に捕まえる事も容易でしょうに」
「たははは…偶には運動せんと鈍るよって……」
「次に同じことになったらメトヴェーチさんに告げ口しちゃいますからね!」
「ちょ、リリアナはん!それだけはアカン!あの熊公に弱みを握らせるのだけは堪忍してぇな~」
「ならちゃんと自制してくださいね。あとなるべく乱暴に捕まえないこと!」
神子と呼ばれた少女はリリアナ、この町、もといアダム村にて初めてアダムの加護を授かった娘。
正確にはその恩恵を受けたのは彼女の家族であるが、当人の意思がアダムをこの世界に呼び寄せたとして神聖視されていた。
当人も最初こそ嫌がりながらではあったが、今では飾らないその態度と根っからの明るさで神子というよりは偶像として町中に名を知られる存在となっていた。
近衛長のゴートもアダム教の旗印としてのリリアナの護衛を主として、町の主要人物の警護を任されていた。
町の商業に関しては商業ギルドは間接的にしか関与しておらず、元赤い狐の行商団…現在の赤狐商会が公平かつ適正な流通を担っていた。
その副会長を務めるコンディーヌと会長を務めるメトヴェーチの獣人コンビは良い意味でも悪い意味でも近辺の流通に関わる者であれば知らぬ者は居ない凸凹コンビとなっていた。
「誰でもいいから…腕…治して、くれ…」
大変お待たせしております。
PCはまだ復旧していません…修理が思ったより面倒で…。
独自規格好きのンニーめ…次はもっと修理しやすいDELLかHPにしよう…