這い寄る蛇
太陽が顔をのぞかせるが、朝靄を完全に消すまでには至らない朝。
血の霜を踏みしめて相対する2名。
純白の鎧に身を包み、小柄ながらに身長の倍にもなるだろう槌…とも表現すべき十字架――聖罰ヴァイスクロイツを突き立て、祈りを捧げる。
その白で統一された姿は『純白』の名に相応しく、汚れない乙女を彷彿させた。
偶然か、故意か…敵対するは黒い豹の亜人。
ただの黒ではなく、よく手入れされた毛並みは光を流し、黒曜石のようだ。
鎧こそ統一されていないが、それが逆に野性味という魅力を引き出している。
手にした得物は両手持ちの棘付きこん棒…金剛百鬼、既に教会側の兵士、僧兵の血をこれでもかと吸っており、鈍く光る姿にたじろぐ兵士すら見受けられた。
「開始の合図は?」
「無くても、良い。初手、譲る」
「…公平ではないが?」
「この、一騎討ち、約束、信じて、くれた。それぐらい、訳ない。何より…」
「何より?」
「負ける、つもり、無い…!」
「…なるほど。ではノワールさん…お言葉に甘えます。――いざ…」
黒豹が得物を上段に掲げ、腰を据え彼女を見据える。
初手は譲ると言われてもはい、そうですかと不意打ちのように一撃加えるのは非礼として、分かり易い打ち込みの姿勢を作っている。
互いに不器用ながらも、栄誉ある一騎打ちの相手として尊重し合う空気が流れた。
教会の意思や殺し、殺された感情があろうとも二人の間にはもっと別の感情が通じ、戦う前から既に好敵手と言わんともしがたい関係にすら見える。
彼女は周りに分からない程度にクスリ…と笑い十字架を構える。
アダム村、現最大戦力のゴートと教会側の個人最大戦力のノワールが文字通り激突した。
ドン!ともゴン!とも区別が付かない音、腹に響く衝撃…何よりもその光景に遠巻きに見ていた兵士も神官も村民も立場を関係なく息を飲ませた。
混じりっけなし、フェイント無しの力いっぱいのこれでもか!という打ち下ろしを慣行するゴート。
真っすぐな、愚直な、これから打ち込みますのでどうぞよろしくという攻撃を受け止めるノワール。
「ぐっ…重い…!」
「お見事!」
先に負けたのは教会でも村でも無く、大地だった。
ゴートの重撃で陥没し、ノワールの足元が陥没した。
そのまま押し込む事も可能だったろうに、武器を退けてステップで距離を取った。
「これでようやくスタートですな」
「…これ、からが、本番」
何千、万に及ぶかもという命を背負っているのに二人とも笑っている。
息を合わせるように武器をぶつけ合う。
アダムから賜った金剛百鬼はミスリルより強度が高く、オリハルコンで作られている為に生半可な装備では止められない。
それと打ち合って壊れないという事はノワールが使用するヴァイスクロイツも同等との証明になっている。
「流石、特色と言うべきか。身長と体重の利が意味を成さん!」
「その程度、の差は、いつもの、こと…!」
傍から見れば柔と剛と見えるだろうが、これは相対した者しか理解しえない。
実は剛と剛の、パワー対パワーの純粋なぶつかり合いなのだ。
身長差は1.5倍、体重に関しては2倍以上あると目されるゴートとノワールが互角という現実。
さらに付け加えるとすれば人種と亜人種では素の膂力が違う。
この事実を並べるだけでもノワールの異常さが際立つだろう。
「…埒を、開ける。"腕力強化"、"脚力強化"、"反応強化"…!」
「ッ! 今まで強化を使って居なかったと!? なれば…!!」
様々な理由はあれどもほぼ互角の能力差、だが相手はまだ手札を幾枚も隠していた。
それを切らせる事は形勢が傾く事を意味する。
強化を邪魔するべく切り込むゴートだが、その地面を陥没させる一撃は片手に弾かれた。
「完了。もう、遅い」
「…そのようですな」
弾かれた時の反動か、両手持ちを解除し、片手をヒラヒラとするゴートの仕草は衝撃の強さを物語る。
形勢は不利だがまだ敗北ではない。
「今度、こっちの、番」
女性用とはいえ全身鎧は軽い物ではない。
それに加えてノワールの使う武器は両手槌に類する重量級の武器だ。
その二つを抱えながらも身体強化後の速度は恐らくキルトよりも早い。
土埃を残し、飛び出したノワールの拳がゴートの左腕に突き刺さる。
咄嗟に防御と腕を構えたがゴキッ…と鈍い音が聞こえ、肘から先にもう一つ関節が増えていた。
ゴートも不味い!と感じ後ろに引かなければ、腕だけなく肩から永遠の別れを告げていたかもしれない。
「ぐっ…追撃されていたら…終わりでした…な」
「…降参、して?」
「何の…これしき…!」
金剛百鬼を地面に立たせ、ポケットから小瓶を取り出す。
青く、どろっとしたその液体を腕に掛けると数秒と立たずに腕が元通りになった。
「…ポーション…中級、以上…でも、戦力差、覆らない…ッ!」
治すだけの猶予は与えたと、十字架が襲い掛かる。
もはや獣の反射神経で四足歩行のように屈むと頭上を剛風を通り過ぎた。
武器を掴み、距離を…と下がるがそれを逃すノワールでも無い。
「逃がさ、ない!」
「南無三!」
脳天に当たれば即座に命に係わる打撃をまたも左腕を犠牲にし、九死に一生を得る。
ゴートは片手で金剛百鬼を振るい、ノワールの脇腹を抉った。
「ぐっ…!」
「……ッ…、ヒール」
何という事か、腕を犠牲にしてカウンターとして一撃いれ、脇腹に入れた一撃がその場で無駄にされた。
ゴートの左腕は一部が完全に潰れて骨が飛び出し、目を覆うような惨状だ。
「治す、待つ」
「…感謝します…」
先ほどの繰り返しでポーションを掛けて傷を治すが、薬による回復は当然ながら物理的な回数制限が存在する。
ヒールも同じく信仰力による回数制限が存在するが、相手からは読みようがない。
加えて技量は同じくとも膂力で負け、手札の数でも負けているゴートはじり貧でしかない。
それでも自分の背中には村民の命とアダムへの恩義が掛かっている。
「…ふぅ…では、もう一手と参りましょうか」
「…いつでも」
この一騎打ちは相手を殺した方が負けになる。
ゴートの心中にはどうしても勝てぬとなればこの命を捨てるしかあるまい、という意思があった。
あの方はお怒りになるだろうが、救われた命であればあの方の為に使いたい。
一方的な、虐めとも取れる一騎打ちはまだ終わらない。
― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―
「まどろっこしいですね…」
彼方から聞こえる打撃音から察するに、あのノワール大司教が苦戦している?
あるいは思いのほか相手が善戦していると取るべきだろう、とソーモンは爪を噛む。
現最高戦力であるノワールとアダム村の村長がスクロールで契約をさせ、代表者同士の一騎打ちに持ち込んだのはこの男である。
もちろんこれ以上の犠牲を出さないという面もあるが、何よりもひと手間加えれば面倒な人を一掃出来るというのが狙いだ。
「まぁ、精々注目を集めてもらいましょう…。そうすればやり易くもなりますしね」
「…ソーモン様」
「戻りましたか。状況は?」
「ハッ、一騎討は互角…というよりノワール様が押しています。狙い通り時間稼ぎとしても充分かと」
「よろしい。第2目標は?」
「確認した所、あのデカブツは簡単に動かせないようです。今も元村長宅で作業が行われています」
「重畳…。第3はどうですか?」
「…村の外れにある教会が拠点と思われ、百名程の女、子供を確認いたしました」
「ビンゴォ!それですよそれ!今から暗部全員でその教会を確保しなさい!」
「…宜しいのでしょうか…ノワール様からは一騎打ちの決着が付くまでは手出し厳禁とのお触れも…」
「大司教とは言え、所詮は別の部署です。あくまでも私達の上司はフシア様です。それにこの討伐軍に関しては独断の権限も頂いております…それでもなお、私の作戦に意見があると?」
「…いえ、御座いません…」
「はい、よろしい。では速やかに行動なさい。戦争にルールはあれど、邪教相手に守らねばならぬというルールは無いのですから」
「…ハッ…」
「ようやく見つけましたよ…貴方たちの弱点。アダムとやらでもノワールでも無い。最後に勝つのはこの私なんですからねぇ」
取らぬ狸のなんとやら。
悪意は確実に、見えない所で大きくなり、ついには生命線ともいえる部分にたどり着いた。
もはや流れる血を止める術は無いのか。
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