インターバル1 願い
「我が左には、平等の象徴である天秤を。我が右には、その理を崩すものに与える神罰の聖剣を。真の平等とは、我が主を守ることとしりたまえ」
沢村弘樹に親はいない。彼がそれを不思議に思ったことは一度もなかった。
――たった一人の少女の名前が思いだせない。
それでも、顔すら浮かばない少女の声が――弘樹に届く。
「ねえヒロくん、ずっと昔のことだけど覚えてくれてる? ずっと、ずーっと、あたしのヒーローでいてくれるって言ってくれたこと」
――ああ、もちろんだ。覚えてるさ、覚えてるよ!
出来損ないの〝エンドロール〟が、枷を外された完全な〝スタート〟に浸食される。
それは麻薬のように甘美な心地の良い猛毒だ。触れられるだけで、目が合うだけで、ほんの少し想われるだけで、己の身体が狂ってしまう。
弘樹は少女の愛しい傀儡となり続け、ひたすら人形のような役に徹した。
透き通るような白い肌に日本人離れのくっきりした目鼻立ちと、レモン色の艶やかな長髪、さらに長く整えられた綺麗な睫。そして弘樹の前では、いつもキラキラと輝いている澄んだ海のようなブルーの瞳を優しく向ける――化け物に限りなく近い者。
『常に主を守る美しい剣であれ』。
この華麗な少女の名は美剣カンナ。
弘樹にとって、この少女は幼少の頃に出会った大事な幼馴染。それはどれもが宝石のような思い出の数々である。そして少女にとっての彼もまた、自分の全てを躊躇なく捧げられる想い人だった。
二人の気持ちには決定的な齟齬ができた。
カンナは弘樹を全身全霊をかけて愛していたのに。
誰よりも好きだと自負していたのに、カンナの恋は弘樹に届くことはなかった。
そのためカンナは最後まで、弘樹の愛する人になることができなかった。
この地は『ラン・アサイラム』。
あらゆる害を通さない浮遊都市。神に愛され、祝福を受けた模範となるべき聖域。
作物の成長も早く、米なら年に八回は収穫でき、一種類の作物を生産し続けても土地が枯れるということは一切ない。水も雨期の有無に関わらず、特定の井戸はいつまでも清らかな水を沸き出し続ける。
全ては十八番目の王女。美剣カンナによって。
『全能』の力を持つ人々によって――。
故にここでの『人間』は皆、祝詞ことばを紡ぐ。
男も女も。
彼も彼女も。
今日もどこかで、祝詞が聞こえた。




