第八話 上を向いて頬を濡らす獣。1-2
依頼は人間。ある重篤患者の親だ。目標は延命処置による医療費の放棄。つまりその街にある病院で人工呼吸器をつけながら、ただ死ぬのを待っている少女を、可及的すみやかに永遠に眠らせること。
「それが今回のわたしの仕事なんだね」
「ああ……、嫌なら俺が変わってもいい。リゼットには怒られるだろうけどな」
「ううん、大丈夫。カズマはこういう仕事もやってきたんでしょ。わたしは前の会社の時はその…………アレ関係ばっかりだったから」
レイナが唇を結んだので沈黙が続いた。
そんな空気を和馬は意図的に破る。
「ふう……。お前はすでに人間に対してかなりの情が入ってるな。俺みたいな奴よりよほど上等だよ。だからこそ、リゼットも今回の仕事はお前に任せたんだろうけどな」
「うん、元々半分は人間だからね。でも一つだけ間違ってることがあるよ」
「ん?」
「カズマは優しいよ」
「俺が? 冗談だろ」
和馬は自虐的な笑いを見せるが、
「カズマは本当に――優しいよ」
レイナは冗談でも何でもなく、真剣に答えるのだった――。
目的の場所は螺旋カンパニーが拠点にしている霧野田のやや南、日本でいう静岡県に位置する街、『独鈷那智』だというのでそれなりに距離があったが、レイナの狼ゆずりの脚力や持久力を持ってすれば半日でついた。
真夜中に廃墟のような病院。しかし季節は春だが肌寒いのもあってレイナは気にせず淡々と中に入っていく。
待合室には一人だけ五十代ぐらいの太った女の看護師がいたが、怠慢なのか疲れていたのか熟睡していたためレイナは起こさず、音も立てずに所々電球が割れている病院内をあらかじめ和馬から受け取っていた目的地が記載されている地図を見ながら進んでいった。
そしてその部屋、その場所に――目標の少女はいた。
丸い電球がちかちかとまたたき、薄暗く狭い部屋には、ぼろぼろのベッドに色が酷く変色している人工呼吸器をつけた一人の少女が眠っていた。
年はまだ十二ぐらいだろうか。
レイナは何の感傷も抱かないように心を静め、そっと隣に置いてあった足の部分が腐りかけている椅子に腰掛けた。
すると少女の目が弱々しく開かれる。
そして少女は人工呼吸器を骨と皮だけになった右手で震わせながら取ると、
「だれ…………」
と、真正面を向いたまま一言だけ呟いた。
そこに両親がきたのかもという期待などは、もう一切感じられなかった。
「小春ちゃんだよね。友達になりにきたの」
レイナは優しく彼女に伝えた。
「とも……だち……」
「そう、友達。なってくれるかな? わたしはレイナって言うんだ」
しばしの沈黙の後、
「うん……」
という肯定の言葉をレイナは少女から聞くことができた。
この少女の夢は自身の足でいろいろな場所を自由に駆け巡ることだった。
そのことを報告書から前もって知っていたレイナは、その少女にまず自身のパートナーである浅瀬和馬の存在を語り、その後は『カズマとそこに、どこに、あそこに、その場所に、○○○にもいったよー』。みたいな話しを面白おかしく延々と続けた。
その物語の数々は衰弱した少女でも容易に想像できるようで、小さな笑みを見せながらずっと聞き手にまわっていた。
そして少女は一言だけ質問をした。
「さっき教えてくれた雪って……白くて綺麗で冷たいもの…………。どんなのだろう」
「それは…………」
四月にこの地方では、まず雪は降らない。
仮に降ったとしてもカビだらけの窓すら黒く塗られていたこの部屋ではレイナにはどうすることもできなかった。
しかし、彼ならそれが可能なのだ。
それは浅斬レイナにとっての正義の味方。
誰よりも強く優しいヒーロー。
浅瀬和馬だ。
ドンッ!
という大きな音や振動と同じくして、その黒く塗り固められた窓がバラバラに破壊された。
「…………カズマ」
『姫月』を抜きかけたレイナが見た光景は、全体が純白で宝石のような〝古竜〟と和馬の姿だった。
なんと彼は〝人間〟に対して体裁上は唯一意見を言える孤高の末裔。古竜の序列第五位、ホワイトドラゴンに跨がっていた
「どうして真冬美さんが必要だって……。え? なんでカズマは? えっ?」
「レイナ、少し黙れ」
困惑を隠しきれないレイナに和馬は魔法の呪詛を投げかけた。
「オーケー」
レイナはそれに従順する。
冷たい空気が渦を巻く中、和馬はホワイトドラゴンから飛び降り、少女の側まで優雅に歩いていく。
「ようこそお嬢さん、夢の世界へ。私は浅瀬和馬というものです」
そして軽く会釈をしながら呆然としていた少女に向かって自己紹介をした。
「まみ助! ちょっとそこで待機たのむわ」
「はい、和馬さんがさきほどした条件を呑んでくれるのなら喜んで」
まみ助とあだ名をつけられていたホワイトドラゴンをその場に待機させると、和馬は左目の『Ν.ニュー』が鮮明に刻まれた目を輝かせて歌うように祝詞を紡いだ。
「領域を物一つに見染あげ、爛々と華麗なる業火を最後にして終わりに向かいましょう。我はこの眼で観察した全てに完結を与える者なり也。『見染眼完終麗爛』」
「――! 身体が……歩ける、歩けるよ。わたし……歩ける!」
この祝詞の意味を一番初めに感じ取ったのは小春という少女だった。
少女はベッドから這い出し、幼児のようにもたつきながらも自身の足で歩けている事実に驚愕している様子だ。
「カズマ、もう良い?」
「どうしたレイナ?」
「どうして真冬美さんが必要だって知ってるの?」
ドヤ顔になっている和馬に向かってレイナは疑問を口にした。
「ああ、今日はたまたま予知ができる身体がまわってきたのさ」
飄々とした態度で和馬は返答した。
「でも――」
「それ以上は聞くな。野暮ってもんだ」
「……オーケー」
「じゃあ頼めるかい? まみ助」
「何なりと。さあ、お嬢様」
「えっ?」
歩けることに感動していた少女に向かって、全長十メートル以上はあるドラゴンが口を開いた。
「もちろんあなた様のことですよ。小春様」
「わっわたしですか?」
「はい、どうぞわたくしめのお背中にお乗りください」
「…………」
少女はあまりに夢の出来事の連続で膠着していたが……。
「お前のためにわざわざ剣峰泰山からきてくれたんだ。乗ってやりな」
日本の山口県に位置する古竜の住処『剣峰泰山』。そこからでも〝人間〟からS級認定さている、最強の神話の化け物を呼べるのが浅瀬和馬だ。
そんな和馬の勧めに後押しされる形で少女は勇気を出して、外も見られなかった病院という牢獄から今は壊された壁を蹴って空に飛んだ。
それをホワイトドラゴンは包み込むようにキャッチする。
「レイナ、俺達もいくぞ!」
「えっう、うん!」
こうして三人は『ライム』でも神話上の生き物であるホワイトドラゴンの背中に飛び乗るのだった――。




