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第一話 沢村弘樹の呪縛。1-4

「あたしも御浜北を受験します! さらに受験するだけではなく合格します!」


 まだきていない葵を除いた三人が集まる放課後、三組付近の廊下で唐突に由紀が両手を腰にあて、堂々と自分の希望進路を御浜北に変えた。


 いつもは、くりくりと可愛いブラウンの瞳が今は爛々と燃えているようだ。主体性がなく動機も褒められたものではないが、これこそ由紀らしい行動ともいえた。しかし何より、今の学力では厳しのが現実だ。


 そしてもう一人、御浜西すら危ういと言われていた人物が、わざとらしく小冊子を弘樹達の眼前に落とす。


「おっと、偶然にもこんなところに入試案内のパンフレットが落ちてやがる。なになに、豪華な授業設備に今は欠かせないPCを使う情報処理の授業も充実してやがるのか。女子生徒の制服も可愛いし文句はねえな。おっ! 高等部のくせに水泳の授業もあるじゃねえか! これはもう御浜北――君に決めた!」


 ボール状の何かを投げる動作をしていた祐一に、弘樹は冷静な突っ込みを入れた。


「由紀でも厳しすぎるが、常識的に考えてお前じゃもう無理だろう」


 すかさず祐一は弘樹の肩をつつく。


「ヒロさーん。わかってるでしょ! 落ちたら、またお前達と同じ御浜北を受けるのさ。つまり高校浪人ってことだよ。最後まで言わせんな、恥ずかしい」


 冗談だと思うが本気にも聞こえてしまう。そんな祐一の宣言に、由紀も子犬のように愛らしく、笑いながら声援を送る。


「ユウちゃん。半年じゃ無理だから残りを一年半に増やすんだね!」

「浪人するのに理由がいるかい? ってか無理と決めつけるなよ! 大体ユキちゃんだってボーダーにも届いてないじゃん!」


 ――こいつら駄目だ……。


 弘樹がそう思っていると、四組の教室から迷いのない足取りで葵がこちらに歩いてきた。そして――。


「貴様ら全員! 御浜北にわたしが合格させてやる!」

「「「な、なんだって!?」」」

 三人が驚きの声を同調させながらあげる。特に祐一の声は一際大きい。


 さらにもう一度、葵が念を押すために口を開く。


「御浜北に入学したい者は今夜からわたしの家にこい! もちろん夏休みなど受験生には一切ない! それでもついてこれる者は、わたしが必ず合格させてやる!」

「――イエスマム!」


 突如放った葵の全員合格と、祐一が目一杯の雄叫びをあげた『一生ついていきます姉御!』のダブル宣言により、四人の最終的な希望進路はこの日、一斉に確定した。

 


 

「英文にも負けず、古文にも負けず、関数にも歴史にも、夏の暑さにも負けぬ、根性ある精神を持ち、欲を半年後に解放するため、今は決して暴れず、夏休みという楽園の日々を、遊ばずにこの俺が勉強している……だと……?」


 中等部最後の夏休みに弘樹と由紀が二人の家同様、親がいない神道家で寝泊りし、くるべき受験に向けて猛勉強を開始していた。


 学力的に一般入試でも余裕の葵が、どん底の祐一を完全指導しながら由紀のフォローにも気を配り、弘樹は自分で黙々と勉学を重ねては、立て続けにくる由紀の質問に懇切丁寧な答えと、それに至る道程を心がけ、試験の範囲を網羅していく。


 さらにそれを朝昼晩毎日だ。自然とお腹の減り具合も早くなる。


「今日の朝は、あたしがつくったサンドイッチだよ」

 神道家の冷蔵庫を拝借し、朝は由紀がつくったサンドイッチを皆で食べた。


「今日の昼は、あたしがつくったサンドイッチとお味噌汁だよ」

 昼は由紀がつくったサンドイッチと味噌汁を皆で食べた。


「今日の夜は、あたしがつくったサンドイッチと野菜炒めだよ」

「…………一日にサンドイッチ十五枚と、味噌と少しの野菜を食べ……ってサンドイッチじゃん! ユキちゃん! 美味いけど全部サンドイッチじゃーん!」


 疑問に思いながら突っ込むべきか否か弘樹と葵が迷っていたことを、いとも簡単に祐一はやってのけた。


「サンドイッチなら食べながら勉強できるし、良いかなって思ったんだけど……」


 軟体動物のように上半身をだらしなくテーブルに預け、筋肉が弛緩して間抜けた顔になりながらも、祐一は残された気力を振りしぼって異議を唱える。


「せめて飯中ぐらいは休みてえよ……」


 由紀は決して料理が苦手なわけではない。

 晩ご飯や家庭科の実習でつくったものを弘樹は頻繁に頂いたりしているが、どれも基本的には美味い。ただ裾分けの内容に日々の弁当や購買で獲得した中身を覗くと、サンドイッチの比率が不自然なほど高かった。


「ユキ、食事ぐらいは落ち着いて食べられるものにしないか?」

「……そうだよね。ごめんなさい、ヒロくん」


 叱ったつもりは毛頭ないのだが由紀は主人に怒られた子犬のように縮こまるので、弘樹は少しの罪悪感を抱いてしまう。


 しかし、そんな感情も葵の激励によって、いとも簡単に吹き飛ばされる。


「さあ、ご飯も食べたし――もうひと踏んばりいくからな!」

「いつもの優しいアオちゃんが厳しいよ……」



 今宵も深夜まで勉強は続いた。

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