第一話 沢村弘樹の呪縛。1-3
大型ショッピングモールが確固とした存在を主張している地方都市。
都会との交通手段はわずか電車で一時間ほどだが、生粋の都会人から見れば大型デパートもあり、時間さえかければ都心にもでられる路線がいくつも並び、遊園地やゲームセンターなど数々の娯楽があるこの街も、所詮は田舎であった。
そんな田舎特有の、田んぼを両側に挟んだコンクリートの道を四人は歩く。
夏の辛い熱気と匂いに、四人は自然と汗ばむ。少女二人の白い夏用の制服は透けて、その内に秘めているブラを健康的に覗かせていた。
四人とも家まで徒歩二十分といったところだが、ギリギリで自転車通学の範囲から外れている。
「葵は陸上部の推薦で御浜北だろ。もう決まったか?」
何となく弘樹が、葵に話題をもち掛けた。
「ああ、ほぼ確定だな。弘樹、君もわたしに二百で勝った男じゃないか! あのまま陸上を続けていれば推薦も手に入ったかもしれんぞ?」
去年の夏に弘樹は一番得意な二百メートル走で葵から勝ったのを最後にして、陸上部を辞めていた。
「俺はお前の走っている姿が格好よくて何気なく始めた部活だったからな。動悸が不純だから辞めるのも楽だったよ」
その弘樹の発言に、葵は饅頭のように顔を膨らませる。
「百ならまだ負けなかった! それに今なら二百でも確実にわたしが勝つ!」
「そりゃそうだろ!」
一年のブランクは途方もなく重いものだ。
そして葵はさらに、やきもきの矛先を祐一にも向けた。
「まったく根性のない。祐一もバスケ部を弘樹と同じ時期に辞めてしまったしな」
「だって全然もてねえんだもん! 深夜アニメも見れなくなるしさ」
祐一は自分をもてないと言うが、それは彼が高望みなだけで実際は同性や異性に関わらず、かなりの人気がある。
「ヒロくんは御浜西だよね。えへへ、あたしも同じだよ」
何度同じことを由紀から確認されたか覚えていないが、弘樹は黙っていた。
「へへ……。俺も御浜西だぜ! 姉貴だけお別れだな」
その祐一の自信ありげな態度に、葵は心配な顔をする。
「祐一、君は当落の線上にあるだろ。大丈夫か?」
そんな姉からの問いに祐一は、自信満々で根拠が微塵もない説明をする。
「姉貴よー。俺と同時に産声をあげた時から何年立っていると思ってやがる? こちとら無駄な勉強は一切せずに、完璧にボーダーラインぎりぎりで受かるように設定してんだよ!」
祐一の語る理想とほぼ同時に田んぼの一角を買い取ったのか、挟んだ道の左側に建っているコンビニを見て、由紀の黒い瞳が輝きだす。
「ちょっとコンビニでアイス買ってくるね。少し待ってて、ヒーロくん」
「お、アイスか! 良いねえ。俺もちょっくらいってくるわ」
そうして由紀の後を、祐一が追いかけていった。
必然的に弘樹と葵はその場に取り残される。
葵は額に腕をあて、何かを考える仕草をしている。そして意を決して弘樹に話かけた。
「こほん、あのだな弘樹。よかったら高等部に進学する来年のゴールデンウイークには一回二人で……」
「…………」
弘樹は空を眺めていた。夏の眩しい青天だ。
「うん? なんだ葵?」
「いや……なんでもないよ。ただ来年のゴールデンウイークには、また皆でどこかにいけたら良いな……と、そう思っただけだ」
「ああ、そうだな。ユキも喜ぶだろうし」
去年は皆で動物園にいっていた。
意外にも祐一が狐を怖がるので弘樹は鮮明に覚えていた。彼は犬や猫は平気なのに、どうも狐だけは苦手らしい。
――よし! と葵がもう一度決意を固めて、再度弘樹に声をかけた。
「あ、あのだな弘樹! ゴールデンウイークにはだな! 一回はふた……」
「ヒーロく――――――ん!」
コンビニでアイスを買い終わり急いで戻ってくる由紀と祐一の姿が、二人の視界にはっきりと写った。
「えっ? ゴールデンウイークの一回ふたがどうした?」
「……なんでもないよ。さあ、五月蝿い二人が戻ってくるぞ」
葵の言いかけた言葉を、由紀の一際大きな声が遮ったため弘樹は聞き返すが、彼女はすでに気持ちを切り替えていた。
こうして葵の告白が終わらない内に、二人はコンビニから戻ってくる。
由紀と祐一が購入したのは同じで、二つに分割できるサイダーアイスだ。
そのアイスを躊躇なく二つに割ると、由紀はその一本を弘樹に渡す。
「はい! ヒロくんのぶんだよ!」
蒸し暑い陽射しの中で、溶けてしまいそうな甘い空気が漂う。
「サンキューな」
すぐに弘樹は手を出して、由紀のアイスを頂くことにした。
「…………」
その横で祐一が自分のアイスを無言で見つめている。そして葵に提案を出した。
「なあ、姉貴。俺達も……やるか!?」
「……何をだ?」
右手をうちわ代わりにして、葵は暑さを紛らせていた。夏の陽射しより身体に絡みつく熱気があるらしい。
だが、それに気づかない祐一は由紀と同じくアイスを二つに割ると、その一本を葵に差しだす。
「はい! アオイちゃんのぶんだよ!」
「……ありがとう祐一。お前の善意か皮肉かまるでわからん行動に、涙がでそうだよ」
「へへ……やめろよ、照れらあ。姉貴もアイスが食べたかったんだろ。一人だけなしじゃ、寂しいもんな」
「…………そうだな」
四人は家に帰宅する前に、公園に寄り道をしていた。中等部にあがる前は、たびたび今のメンバー全員で集まる場所だった。
七月ということもあり、十七時だが辺りはまだ明るい。
由紀はブランコに乗っている。
「ウホッウホッウホッウホッ! ウホーッ!」
「おにいちゃん、かっこ良い!」
小学生の子供達を相手に、祐一はジャングルジムの頂上で自分の胸を豪快に叩いて、その存在感を誇示していた。
こうして自然とベンチで、弘樹は葵と二人きりになった。
「……もうお互い黙っていても、相手の気持ちがわかるんだろうな」
唐突に葵が、そんな言葉を口にする。
「えっ?」
「いや、君と由紀だよ。二人を見てるとさ、そんな羨ましい気持ちにさせられるんだ」
葵の嫉妬が少しだけ混じった自説に、弘樹は一度ため息をつくとすぐに反論する。
「バカいってんじゃねえよ」
「なっ!? わたしが……か?」
驚いた表情を葵は弘樹に見せるが、彼は淡々と今の気持ちを言葉にしていく。
「そんなもんわかるかよ。仮にこれから何十年と一緒にいたって、ユキの本当の気持ちなんてわからないんじゃないのか? 信じるだけさ。他人の心は確認しようがないからな」
「……なるほどな」
納得したのか葵は左手を額にあてると、二度ほど大きく頷いた。
「それに、これはユキも同じはずだ。俺は今までずっと一人で考えてきて、今日ようやく結論をだせたことがある」
この弘樹の発言に、葵は神妙な顔つきになる。
「それは……聞いても良いのか?」
首を縦に振りながら、弘樹は答えた。
「俺は御浜北を受けるよ」
「――!」
さっきの驚きとは比較にならないほどの顔を見せて、葵はその理由を問いただす。
「なぜだ弘樹!? 今までの希望は絶えず御浜西だったのだろ! まさか一人だけ御浜北にいくわたしに同情したとか、そんなバカなことを君がするわけでもあるまい!?」
初めから理由を隠す気など、弘樹にはない。
「だからそこが本当の気持ちって奴だ。正直自分でもよくわからない。もちろん葵の言う同情とかは的はずれだ」
弘樹が偽りない気持ちを話すと、葵はなぜか顔を伏せて目線を横に向ける。
「……いるな」
一人言のように、葵は誰にも聞こえないような細い声で呟いた。
無論それに気づかず、弘樹は話を続ける。
「ただこれが本当の気持ちかというと、正直疑問なんだよ。突拍子もないことだからお前らには黙ってたけど……、実は昔からよくあるんだ。見えない何かに包まれているような、そしてそれが時々俺に訴えかけてくる。そんな言葉にもならない感覚がさ」
もちろん葵は知っていた。実際、弘樹は捻れた愛に包まれている。
王の孤独を、そして死への恐怖からも守る者。直属の近衛にして『不平利領域』を持つ『全能人』。己が主を守護するために平等を、常識を、世の真理さえもねじ曲げる。
歪な巫女――廸乃セカイを。
「一つだけ教えてくれ! 御浜北を受けるのは君の意思でなんだな!?」
――主を包んでいる〝祝福〟によって、ただ弘樹は赤子のように用意された道を進んでいるだけなのだろうか……。
そうした不安がガムのようにへばりついて頭から離れない葵は、弘樹の顔を真正面から覗き込む。
そんな葵の懸念を感じとったのか、弘樹も偽りのない胸中を彼女に伝えた。
「それは間違いなく俺の意思だよ! 現に御浜北は充分狙える位置にあったからな。ただ葵なら一般でも余裕だと思うけど。あいつら、特にユウの野郎は無理だろうな……」
そうした弘樹の意思を本物だと祈り、葵もまた決断する。
「実はわたしも君に隠していたことがある。同じく一人で悩んでいたが、それもやめだ」
「それは聞いても良いのか?」
先ほどとは逆の立場になっている弘樹が、葵に尋ねた。
「うむ。わたしも推薦ではなく、一般で受けようと思っていたのだ」
ブランコから戻ってきた由紀は受験の話を聞いた瞬間ショックで絶句し、ジャングルジムの王から現実に帰還した祐一は壊れる。
「なんだよそりゃ!? おまっちょッ! 計算外だって!? こちとらひずみゲージ並みの精度で御浜西への対策を考えていたのに! これ以上進路をランクアップさせる余力なんて微塵も残ってねえぞ!!」
「おにいちゃん、またジャングルジムやろう!」
「うるせえ!!」
その直後、子供を泣かした罰として祐一は沢山の子供達の前で、葵に砂場でタックルからの三角絞めを華麗に決められるのであった。